咳き込みとプラクティス。そこから見える単なる一日

October 29 [Fri], 2010, 19:38
近頃、夜中の咳き込みと共に眠り、また目覚める。
この急の寒さで免疫が落ちて、咳き込みが2週間以上治らないケースが増えてるとか。

皆さんもきをつけてくださいね。

練習する気にもなれないほど咳き込むので、怠けてましたら(寒いし)なんだか余計にしんどくなってきて
今日は気持ちを切り替えてフルプライマリー+クランチャまで。
やると違うもんです。咳の質が変わる。おもしろい。
毎回咳き込むとやめ、更にひどくなり、やっぱりやると咳の質が変化する。
それを毎回面白く観察させてもらっている。

分かっていても、咳で体力気力をもっていかれちゃう。
治そう、も大切だし、その為の行動もする事もあるが、
逆に今のそのままを私は受け入れる為に、何かをする法をとっている。

そうやって行為をしていると、ふつふつと勝手に何かを教えてくれたり、気付かせてくれる事が現れる。


最近思うのが、変化、変化、変化病の人とよく出会う。
もっといえば、結果に取り付かれた病。

今日買い物先で店員さんもそんな話をしていた。
というか。。。世の中、変わりたくない事への固執病と、変化病のどちらかが横行している、という事実。

安定への依存は人を狂わせる。

クリシュナムルティー的な言葉を知ると、安全、安心、安定継続の強い依存。
一度覚えたこの味はある種これを成功、結果(継続された、保障された都合の良い環境)と世間では呼んでいるのかもしれない。

例えば、一度ダイエットに成功して、痩せた体系で美味しい部分を知ってしまって、そればかりを追い求めてしまうケースなど、一度感じた歓喜の喜び優先させるために、結構色んなものを犠牲していくケース。

仕事での業績も、お金の事も、男女関係も。

一度覚えた快感を維持する事へのたゆまない努力。

それが変わらない事を選ぶのも、また、変わる事を選ぶのもあんまり大きな差はないような気がする。

どの道、今の与えられた状況を認めたり、受け入れたりする事を拒否している事とかわらないのだから。

答えをせがみ、それを自分に見出そうともしない。
正確には「自分の気に入ったように、都合のいいように、受け入れやすいようにゆがめられた答えを探し回る、それを気遣いして話してくれる人間を探しまくる」といったようなレベルで。

ワタシはそういう時期がとっても長かったなぁと思う。

自分の都合の良い方に持っていくための労力。
それが出来ないときの不安。しかもまだ結果も出ていないのにそれでぎゃーぎゃー騒ぐ。

どれだけ、今という与えられた時間を無視してたのか。
そこに沢山の答えという、深い感動を放置して、まさに灯台下暗し!

世の中のストレスの殆どはこれからくるんじゃないかとつくづく思う。
なんくるないさ、で出来上がっていたら、ならないだろうに。


でも、いつかそんなサイクルを何度でもくりかえしたって、行き着く先は一緒。
必ず気付く。
みんなやっぱり気付く。
誰かに無理やり諭されたりするんじゃなく、
自分で気付く場所や行動を選んで気付く。

たまたまいた場所や人を「気付かせてくれた人、パワースポット」みたいに分かりやすい、脳にインプットしやすい様に
安易な姿となって記憶される。
例えば、この先生にいくとアジャスト上手だから、ヨガの深い気付きを与えてくれる、私に必要な人。
ここに「自立した成長」を施されなければ、この場合はどのような関係になるかはご存知の通りです。
先生こそに答えがあるかの解釈が脳の中に文字として流れている。

では実際、自立を施してくれる先生や何かしらに出会ったとしても、やっぱりその人が・・・・ではないのです。
それはたぶん違うのです。

皆さん自主的気付こうとしているから、起きる、のです。
気付く気持ちがなければ、どんないい言葉も、場所もその人のかたくなな心を動かす事は絶対にない!
確かに世の中には、心を開きやすくする人間や場所などはあるのはある。
そういう環境があるだけ、という事実であって、その様な結果を作り出すには、やはり本人の自主性が1%でもないと何も怒らない。という事。

私はいっぱい勘違いをして、こけて、痛い目にあってそんなことを10年以上繰り返して思った事は・・・・

自立した気付きは人を大きく成長させる。
それを奪うことないように、
そして、自らの力を感じられるようなサポートだけできればいいかと思う。

それをしないで何かを教えたら、やっぱりただの依存体質になるから。
自立の為に、自由の為に、自我愛ではなく、深い自己愛のを邪魔せぬように日々生きていたいと最近思うのでありました。

咳き込みはこんなにも私に諭してくれる。
これを抹殺するために必死になったら絶対に見えない。

苦痛が体に起こったら、もみ消す前に自分の内側に起こるさまざまなものを自由に躍らせる度胸は必要かもしれない。
それがどんな方向にいっても責任を取れるよう、舵を取れるよう、その為に日々修行をしているのだから。
何か成功するために修行しているのではない。
気付きに対してひるまない自分を養うためにしているのだから。
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