2年分のありがとう。

March 26 [Fri], 2010, 21:21
コスパ最後のレッスンは、いつもより少なめでしたが、いつも静かにヨガだけして帰る生徒さんが始まる時間に一人でぼーっとしている私を見つけて話しかけてくださいました。

積極的な生徒さんは空き時間があれば、いっぱい話しかけてきますが、控えめな方はそうも出来ないもんですよね。

最後になったので、色々お礼を言いたくて、と話してくれました。
話しかけては来ないけど、いつも深々と頭を下げ静かにヨガをしている方で、ここでヨガを始めた時に色々辛い事があったそうで、それをクラスに来て聞く話で励みになったと話してくださいました。

慣れてる生徒さんはポーズの強度や、インストラクターになった方は、話しの持って生き方の勉強の為に、など自分の思いや近況をスラスラ述べてくれるので、気にかける前に話をしてくれるから分かりやすいので疎通がしやすいのですが、何も語らず、でも静かにヨガをしようとする方は、話してみると心の葛藤を自分なりに何とかしようと向き合っている方も多く、勇気を持って話しかけてくれた時に、とても深い感銘を受ける事がある。

もう一人、レッスンが終わってから挨拶に来てくださった方がいました。
スポーツクラブには珍しい、本当に自分のペースを大切にして、全てのポーズを軽減法で行う方で
またそれに対し、劣等感をいだくそぶりもなくただ静かに自分の体に向かっている。

私はそういう方をみるといつもなんて美しいアサナをとるんだろう、と感じる。
とても尊い、その言葉が出てくる。

その方にその話を伝えると、涙をためながら病気を抱え、いまだ治療中で無理をする事が出来ない。
でも病気になったおかげで、自分に甘くできるようになった、と話してくれました。
いたわりを持ち、目的はあらいる不安を素直に受け止め、自分の出来る事を丁寧にする、
サントーシャな生き方、とても美しい。

スポーツクラブでいると、私のいる意味をとても迷わせた場所でした。
質問が多いけど、心の底から伝えたいメッセージは違う解釈に取られていたことも多かった。
殆どの質問は、現是利益的な答えを欲しがる事が多く、誰よりも得していたい気持ちがいつも流れていた。
仕事だから答えるけど、気持ちよく答えた記憶はあまりない。
そんな事が続いて、なんだか心の奥が凍りついていくのが手に取るように分かっていった。

そんな中、最後に本当に伝えたい事を感じとり、マットの上だけでうまくいくヨガでなく、生活の中でそれを活かし、実践した方がいた事に心から喜びを感じました。
私が言い続けた事が邪魔じゃなかった人もいた、という事です。

年配の方は体がうまく動かない分、体との向き合い方をおのずと知っている。
そいう方は心配していない。きちんと説明し、軽減法や出来なくても心にどういう作用に変えていくか?を分かりやく説明すれば、人生の経験からそれらを自分のものとして、鵜呑みにもせず、ブロークンしてやってくれる。

体が強かったり、若いと、この辺が難しいと思うのです。
とくにフィットネスは体が出来ている人が多いからこそ、精神的な事は邪魔になる事が多く、
どれだけアドレナリンを出してくれるか?という方向になってしまう。


それら全てを含め、スポーツクラブでのヨガは私にとって、いろんな勉強になった場所だった。
自分の指導方法と、フィットネスでの溝を認めざる終えない終焉をむかえたけど、
仕事への執着する自分を教えてくれた場所でした。もっといえば、私の我執がそこと結びつけた、といった方がしっくりくる。

ここは私でなくて回るし、またここに私が居続ける場所でもない。

それを理解するのに2年、最後の1年は息子の病気が悪化していくのを横目に何か崩れたバランスを探し続けていました。
私が自分の居場所ではない場所で、無理している潜在意識が、家族というリラックスできる場所に帰ったとき、敏感で繊細な息子にエネルギーを撒き散らしていた。
黙っていても、笑っていても、私は「自分の偽り」を仕事をしているという心地よさで無視し続けていた状態を息子はどんどん拾って表現していく。

WSやTTに行く事で箔を付けたい自分は、実は単に自信のなさ、不安さを打ち消すために仕事をしてお金を貯めようとしいた事。
いままでずっと一人でやってきたことの偏りの罪悪感など、独学で積み上げたものへの疑いを消したかった。

立派な誰かに肯定して欲しくて、お金を稼ぎ、それらの為に使う。
別に悪い事じゃないけど、神様はあえて私にそうやってつける自信や、満足感を一切与えようとはしなかった。

その内、息子を通じて気づいてった。
私の先生は息子であり、彼は私の合わない道に立ち入らないよう、命がけで病気になっていた。
それを知ったとき、私はどうして有名な先生との時間を息子より大切に思ってしまったのだろう。

息子になりより謝罪したくなり、すぐに仕事をやめる事にした。
本当に私がやった事を心の底から必要だと思った人は、近所のスタジオなり、やっている場所に来ると思う。
握り締めていた事に気づいて、手を離す。
私に大切な事をいっぱい教えてくれた場所のレッスンを今日卒業できた事に心から感謝したいと思います。

やっぱり私は、日常生活が一番の学び。
そこから逃げて、ミラクルを探しても、きっと誰も幸せにはならない。
ヨガの事をあまり知らなくても自分に出来る事を信じて明日も頑張ろうと思う。




道はひとつじゃありません。

March 26 [Fri], 2010, 8:17
自分のやり方を押し付けない。
答えとやり方はそれぞれ。

それが失敗するやり方だと知っていたとしても、
失敗して、模索する事に意味があるのだろうから、

そっと見守る。
見捨てる、観ない、無視するじゃない。

結局みんな自分のやり方でやりたいのです。
自分のやり方でしないと学べないから。

誰かの満足の為に生きてるわけじゃない。
どんなやり方もそっと暖かく見守る優しさを持っていたい。

決めた事をただ応援する優しさを持っていたい。
つい手を出したい側が気づく事は、危なっかしい所を観たくない自分を知ること。

特に弱者に対してそうである事、強い立場にある者の学びです。

これを持っていると、人はどんどん育っていく。
息子に、人に、そうありたいです。

また、それを出来ずに威張っている人がいたらそれもその人のお勉強。
諭す必要もないし、それが通じなくなった時に自分のプライドを手放す時期を引き寄せるのもその人。
変えようとしないで、従おうともしないで、ニュートラルにいたいですね。
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