そうなのね、そうきたか。。。(長文)

March 19 [Fri], 2010, 20:35
長文ですから、面倒な人はスルーしてくださいね。
母からメールが入った。

「2軒とも本日解体されました」

ついに。。。
まだ結婚するかしないかぐらいで言われていた「立ち退き」
から早10年あまり。

父の育った家と私たち兄弟が育った2軒が、高速道路が通るので潰されました。

今年に入って、親しくしていた人がどんどん立ち去り、
私の生活がどうなっていくんだろう。。。と思いつつ、逆らわず過ごしていた矢先のメール。

そうか、もう全部壊してしまってください、って事だったのですね。


「古い自己を潰しなさい。そこから旅立ちなさい。新しい準備は出来た。」

という事だったのでしょう。

親しくしていた人が離れるというのは、慣れ親しんだ「自我」からの旅立ちでもあると思っています。
親しくしていた人との共通点が、実は手放すために現象化して現れただけの話である。

私が元々手放す予定にしていた自我とどうやって離れていくか。
それを体感し、リアルに見届ける事で自分の自我を卒業していく作業の一環なんでしょう。

私の望んだ人生は、表面的に思い描いているものとは相当違う場所に在る事をここ一年で思い知らされました。

平和で、調和で、みんな仲良し。

そんな人生にいつも憧れ、いつも欲していた。

しかし、世間では簡単にできる「それ」が私には与えられていない事を受け入れられず、
何度も、何度も「誤解と裏切られる」という出来事が当たり前のように、雨が降り注ぐように落ちてくる。

実際にはこの「誤解、裏切られる」という事が、そうでない事に薄々気が付いていて、それが納得できるほどの状態になって落ちたのはココ最近のお話である。

今日、母からのメールの前にある人にこんな質問をされた。
「尊敬している人に幻滅した時はありますか?またその時にどのように振舞っているか?」
という質問だった。
先生と呼んだ人間と、継続した「師弟関係」に縁がなかったのも、この質問に通じる所があるのは事実。

でもね、幻滅ってのはね、こっちが勝手に理想化、妄想化した事にそぐわない事を見たときに、こちら側が勝手に思う感情であって、相手が最低だったとか言うのはお門違いもいい所なのである。
相手は何も変わらず、そのままであって、コチラ(私)が相手のそのままを受け止めていない事実から始まるのである。

なので、それで傷つくのも相当おかしい話だし、そう思ってる事態が「私、とってもエゴイスティックなんですよ」と大声で言っているのと変わらない。

それが分かったとき、私は私という人間を偽りなく受け止めていただろうか?
結局、偽りなく自分を受け止めていない人間に、相手の真実など見て付き合っている訳がない。
正直である、という「サッティヤ」は、自己に偽りなく向き合う事であって、
綺麗事を並べたり、綺麗事に自己を当てはめるものでもないって事なんです。

汚い自分を偽りなく、感情を動かさずに受け入れられる人間は、どんな相手にも「拒否反応」を起こす事はないはずである。
師がたいしたことなかった、ではなくて、私自身の「エゴめがね」がきつかったという話なのである。

あ〜、ここは間違えないんで欲しいのですが・・・・
エゴめがねがたまたまずれていずに、妄想世界に気づいていないのは幻滅するよりはるか「論外」だと思っています。

体硬いからと、恨むようにヨガをしている人も結局「自我」自体の受容のなさであり、
それを受容出来ている人は、やわらかくなったから受容しているわけでもありませんし、
硬かろうと、受容した人間は、期待通りの結果の為にしているわけではないのです。
ただ、現状と向き合うために、謙虚であろうとするために、無意識な場所を出来るだけなくしていくためにしているだけなのです。結果欲しさの行為ではない、もっと言ってしまえば「利己的」ではないということですね。

こうやって人間関係も育った家もつぶれ、私が心の底から望む事はいつも与えられている、という事になる。
その底と、表面、どちらに焦点を当てるかで「不幸だ、幸せだ」という感想が変わってくるのでしょうね。

私の望んでいる事をこうやって日常生活に起こる全てからリーディングすれば、

自由と解放

この言葉以外ないんだろうという事を痛感できた1日でした。
これって、利己的で、3次元的な生活をおくる上ではたぶん「不幸」の分類に値すると思いますね・・・・・・笑




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