ヨガ養成カリキュラムだからこそのマクロビ。

March 10 [Wed], 2010, 17:50
3ヶ月に二回くらいのペースでやってくるヨガ養成座学に入れていただいているマクロビ講座。
マクロビの話もありますが、養成に関しては最近のヨガインストラクターとヨガの先生との違いや、
テクニカルから離れた話を多くします。
理由はこう。
「〜200Hあり」、というインストラクターがみんな立派か、といえば、私はヨガ体操を見せるという意味ではいいと思う事があっても、人として、先生として魅力的だと思う人に会う事は正直「滅多にない」のが本音。
運動指導してくれてるインストラクション、それも立派な技術だし、良い仕事である。
しかしそれではDVDやウィフィットで十分、となってしまう。今は時代も変わり、人と触れ合わずになんでも手に出来る時代だ。つい数年前ならそれでよかったのかもしれない。インストラクターも少ない上、需要は多かった、である。
せっかく高いお金出したのに、仕事が思いのほか見つからない。私はこんな部分を見てみぬふりをするのは苦手である。
その辺ある程度責任は持ちたいのが本音であるし、またサービス業なヨガじゃないヨガのクラスもある、という事も知ってほしいと思う。
いまどき言う人もいなきゃ、それを言ったら「商売」にはならないだろう。
知らない間に消えてしまったお話を聞く機会があるのと、ないとではその生徒さんの選択支は大きく変わる事になると思う。

人としての魅力とは何か?生きる魅力というのはいったい何か?
全ての生の魅力、不思議さ、そればかりを考えて生きてきた人生には欠かせない疑問である。

私はとても古い考えなのかもしれないが、スタートした時代が古いのだからしょうがない。生き方、生き様自体がヨガであって、マットの上での動向、ドウコウ、つまりドウだコウだ、にはあまり関心がないのである。それは基本的には、自分で見つけるものだとも思っている。

私が魅力的だと思う人は、自分のしたい様に出来ない環境の中でも、充実した生活をきちんとできる人。広く、より、深さのある人生だ。
インドに行く事やWSに行く人が薄っぺらいと言っている訳ではない。そこは誤解しないで欲しい。
それらに踊らされず、冷静に向き合っていれば何をしていただいていてもいいのである。
もう一ついえば、べつに立派な人間となってマットの上で何かを言え、とかそんなつまらない人間を推奨している訳ではない。
立派は素晴らしい。
が、案外面白さはない。もっといえば面白い必要もないのだけど、自分のコトバになっていない立派な言葉を聞くくらいなら、正直な心を語ってくれる人の方がしっくりくる、という意味である。
挫折経験のある人が深いと思うのは、私だけではないはず。
成功する事ハウツーばかりを書いてる本はあまり興味はないけど、どうして失敗したのかをつづられている本があれば、魅力を感じてしまう。「どうして」が言えるのは、そこからきちんと立ち上がった者の発言だからだ。

立派でなくても、今の自分を、等身大の自分、そのまま居られる自分いる方法もあるのだ、という事を言いたいだけである。

こんなえらそうな事を書いているけど、私は立派どころか、天然くるくるパーの方といった方が自他共にしっくりくる。なんなら、実際デッパなら、立派でなくて、出っ歯なんですとか言えるくらいなのに・・・・笑

立派な事は何一つ出来ない。やろうとして、大体ボロが出る。出るのに忘れてまたやる、そのうちそれが性分に合っていない事に気がつくまでやっちゃうタイプ。そんなもんだ。

TTCでありながら、この話って一体・・・この講師は大丈夫なのか?といわれたら相当微妙、いや通り越して問題なのかもしれませんね。

たまーにこういうイレギュラーな講師がいるのもまたヨガっつー事で・・・笑






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