チベットの生と死の書

December 09 [Wed], 2009, 18:48
仕事が終わってから、お見舞いに行きました。
行ってすぐ、放射線治療の為に部屋を出られたので、しばらくソファーで座って待っていたのですが、
特別個室のせいか、広くて綺麗で、ジャズが流れ、ちょっとしたホテル状態の心地よさに、読みかけの本を握ったまま寝てしまいました・・・・

「あれ、寝てる(笑)」の声で気づいてとても恥ずかしい・・・・。穴があったら入りたい気分でした。
希望のバナナとプリンを届け、少し話しをしてから、奥さんとお茶に行きました。

死を迎えるという事や、死をどう迎えるかという話になり、一般的な死とこの家族が望もうとする死があまりに大きな違いがある事に気づきました。

尊厳死を望む文を書く事や、また書き方を教えてもらったり、望む死は、これを書いてないと大変面倒な事になるなど、現実的な壁の話をしてくださいました。

下手すると警察沙汰になり、とても大変な事になるなど、自分が死ぬ時、選択できる状態である場合とそうでない場合もある事があるとか。そして、私もいつか書くときが必ず来る。
延命治療を望まないとなると、結構色々ややこしい事が多いそうです。
医療器具を外してもらう事や拒否においても、スムーズにはいかないそうです。


個人的に延命治療を望まない人が多いのでは?と思うとそうでもないらしく、主治医の先生が初めて尊厳死宣告書を書くような人に出会ったと驚かれたそうです。
死を間際にした宣告を受けた時から、家族は死と言う言葉をいわなくなるそうなのですが、その夫婦は、奥さんが気丈な方で、死ぬ事の意味と向き合う事の重要性を知っており、旦那さんが理解できよう、出来ないに関わらず、向き合おうとし、またその為に夫婦としての縁があったということまでを認知している事の話を聞かせていただきました。

私達夫婦に良く似た、何もかもの趣味も考え方も生き方も合わない夫婦ですが、最後の大仕事の為にお互いを選び合っているという事は、私達夫婦もきっとそんな気がしました。

笑いながら、
「そっちの夫婦も良く似てるから、死に際をきちんとしてくれる奥さんを本能で選んで一緒にいるはずよ」
「こっちの死の向き合い方と、相手の差に愕然としてへこむ事もあるかと思うけど、開き直る時がきて、死について知っている事をしてあげる事になるわね」
など、私達の会話は他人が聞いたら本当に怪しいものだったかもしれない。

死は一つのステップであって、肉体を脱ぐ事であってそれ以上でもそれ以下の最低状況ではないという事を知っている状況と、そうでない状況では、かなり大きな差があるんだなと思いました。

チベットの生と死の書を読むといい、と明日本を受け取れるようにしているからとプレゼントしてくださいました。
「それ読んだ人だけが密葬にきてもらう予定なの。死を理解した人の中で見送られる事が、とても重要なの。それを読めば書いてるから、良かったら読んでみて」

とても素敵な大人に囲まれていて、いつも沢山の事を学ばせていただいている。
まだ未知の世界でどうある事を選択していくのか、また亡くなった恩師のさまざまな教えが、私の至る所に根付いている。

人の繋がりは本当に不思議で、どの内容も、どの出会いも引き上げてくれるものである事を改めて感じるのでりました。

「素直すぎるから、出来るだけ”いい人”の中にいなさい。それが貴女に必要な事よ」

きっと尊敬できる人間と沢山触れておきなさい、の意味でもあるんだろうな。
この言葉は恩師がまだ元気だった頃、子供を産んで心も体も壊れそうになっている時に恩師がくれた言葉だった。
この言葉を大切にしたいなと思う。それは同時に、智慧を持つ人からもっと学べという事なんでしょうね。







月別アーカイブ
2009年12月
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31