究極の意識化は「覚悟」だと思う。

December 03 [Thu], 2009, 19:05
昨日、久々にハタヨガの師匠と用事も兼ねてお茶に行きました。
最近会合に行かない事を結構突っ込まれるかと思ってたらそんなに言われず、
普通にたわいもない話や、2012年問題の新しい情報?などを教えてもらいました。

最近重なって耳にする情報が「身近な人のガン」
先生の幼馴染もガンになり、さらに再発したという話を聞きました。
ガンになる人の傾向について、調べた事を先生に伝えたら
うなずきながら「そうそう、そんなタイプやねん」
と言ってました。

ニケタンでも病気になる傾向って性格と関係してるデータもあり、考えさせられる事もしばしば。
病気や痛みはやっぱり思考から生まれていく傾向にある事も感じました。

では何故恩師は亡くなったんだろう、最後の最後まで全てを受け入れ、騒がず静かに亡くなっていったことを時々考えます。
先生に問いかけると
「本当にいい人は長生きしない傾向にあるからね。何かの形では亡くなるから、若いと老衰って訳には行かないしね。
よく出来た人は死ぬとき本当に静かに死んでいくんだって。どんな生き方しても死に際にこれでよかったとか、感謝できた人はエーテル界を卒業して次のステージに行くんだと師匠がいっていた。ただ、死に際にそれが出来るという事は既にいざというときにそれが出来るように日々を大切に生きている人やねん。結局積み上げやね」

という話をおしえてくださいました。
大切に生きるという事は意識化した状態である事だと思っています。

いつどうなるか分らない、「覚悟をいつもしておく」なんだろうと思いました。
究極の意識化は「覚悟」じゃないかなと私は思っています。
一瞬、一瞬を究極の意識化「覚悟」で生きていたら、
明日絶対周りの人も自分も生きているとは限らない。
会うつもりであっさりあの世に行ってしまった人が、最後にかけた言葉が「脚、たくましいな~笑」だった事を少し悔やんでいると先生が話してくれた。
それは、脚が以上に固かったのであまりいい状態ではないということを気づいていながら伝えれなかったそのまますぐに脳梗塞でなくなったということでした。まだ40歳くらいだったそう。

私はお迎えが来たら素直に従おうと思っている。怪しい話だけど、小さい頃からそう決めている。
長生きしたい、と話す大人の会話が全くピンと来なかったり、
「人間いつ死ぬかわからない」
の言葉にダンドセル背負う前にこの言葉に「いつまで生きないといけないのか?生きる事は苦しみだ。」という感覚しかなかった。

でも実際その場所に立ってみないと分らないのかもしれない。子供を生んだときに想像を超えた痛みと苦痛と同じで。

だからきちんとそのときの為に辛い状況というものがこの世に存在して、それを知っておく事、ある程度想定しておいて焦らないようにしておくこと。

これがきっと覚悟。
ポジティブだけで、これは乗り越えられないと思う。生きる事の光と影をきちんと見た上でのポジティブと光みて闇を見なかったら、死に際で何を思うのだろう。

夢の中では生きれない。
現実は逃げれない。
光だけみたポジティブは逃げた人生と変わりないと思う。

ちなみにこの性格の人がガンにかかりやすい傾向にあるそうです。

結局人は陰陽をどちらもを見た上で何かを決断していく事が大切なんだなと思いました。
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