引きこもりも巣が悪けりゃできません

July 10 [Wed], 2019, 16:09

私は親が笑ったところをほとんど見ずに、不平不満と機嫌が悪い姿ばかりを見て育った事も反面教師のお陰で、親はとりあえず笑う事
私は未熟だ。きっとまともにはなれない。
素直に受け止めて、できることをやる。


私なりの親としての務めだ。


なかなかハードな家族の中で生きてきましたが、
親恨んでるかって?
はっきり言って両親は好きではないです。嫌いの部類に寄ってます。
でも、感謝と尊敬はいま子どもを育てて、強く思います。


親が好きである必要はない。ここ強く言いたいです。


嫌いになった方が、自立することもあるでしょ?
あの家に帰りたくないから、社会で踏ん張れる、
引きこもりをあの家でするくらいならブラック企業で働きます!と思わせるくらい自立を促した親はいい教育してるなぁって思う。


親を恨みながら、中年での引きこもり。多いですね。居心地いいからそこに居られるんです。ある意味素晴らしい場所をお持ちだと思う。お互いほとんど見栄っ張りな場合が多いそうです。世間体気にして、お互いにぶつかり合いしないと、人とぶつかっては生きていけない。社会は必ず人もぶつかります。家族で練習しないで、社会で出来ますかね?難しんちゃいます?


親が嫌いだけど、出ていけない。
本当は好きだし、親にも好きになってほしいんじゃないかな?と思う


親が本当に嫌なら、家出します(しましたよ)
側にいたくはない。ツバメだって、子どもの独り立ちには嫌がらせをする
それが独立させるということ。
子どもに好かれようと、ご機嫌取るくらいなら安定して嫌われてやって方が、情緒も安定するものです。


息子が私を好きであるかどうか?より、子どもがいなくても平気で生きていければベストなのです


私は勝手に息子が好きなのです。
そして、親も無理して子どもを好きである必要ないと思います
親は私のことを好きではないと思います(笑)今の私は好きかもしれないけど、あの子ども時代の私を好きだというのは、嘘だとはっきりいえますね(笑)
都合の良い関係になってしか、好きになれない。


そんなもんちゃいます?家族だって血が繋がってても、他人だもん。


好きになれたら楽なのは、子どもじゃない
親が子どもを好きで居られる方が楽なんです


楽しなきゃいい
子育てを楽しめる人は楽しみ、面白くない人は面白くないまま、悶絶しながら進めばいい


進むことは順調である必要はない。ウダウダでも時は過ぎてく。それもまた自分のあり方だ。


でも少しでも、前向きな心持ちで過ごしたいなら、子どもに好かれる努力は辞めること


自分が自分で、他人の認証ではない形で自分を楽しませることに時間を使いましょう


不倫や恋愛でもいいですかって?
別にいいですよ。それぞれ国も変わればオッケーな所もありますしね。女を自覚できるなら、それもいいんじゃないですか?
ただし、それも結局他人がいないと、楽しめないこと


それは子どもの安定した心は育めない
だって自分の心も他人によって左右されるから、安定しない


自分の安定のために、自立した喜びに時間を費やし、楽しそうな背中を子どもがこっそりと覗くと、引きこもってても親の関心も引けないなぁ。


そろそろやめ時かな。あの親が自分の力で幸せになる努力してる。
自分も出来るかも?


となる可能性もあるかもしれません。


うまくいくかって?そんなことは分かりません


でも、家族の中で、誰か一人くらい幸せになろうと努力する人がいるのは、みんなが不幸より幸せじゃないかな?と思います。


笑うところに福来る
笑えるように日々工夫する


笑って解決が訪れないけど、不穏な時間は忘れ去れていいんじゃないかなって思います


親子でソリがめっちゃ合わないって、ツバメの親子みたいで、素敵ングですね

自分軸を持つ、自信をつける、日々の余白にコツありです

July 04 [Thu], 2019, 20:27
落ち着きを持てば、自信も持てる
自信のない時は、まずは落ち着くことがおススメです


無駄な不安に苛まれている場合は、余白をうまく使えてない事を見直すと、自然に落ち着きが生まれ、自信もついてきます。


日常的に落ち着きを奪うもの
無駄にテレビを観たりネットをする事も一つだと思う
無駄に、というのは暇つぶしにしてしまう事だ。積極的に関わるのはノープロブレム




余白は、知らずに自問自答してしまう。不安を恐れていると、向き合うにも向き合えない。
余白を楽しむとは、自分と向き合う事に辛さがないこと


自分と向き合うことが、非生産的だと思う人には肉体的活動がオススメ。
理想的なのは利他的行動。
さらに落ち着いたマインドも養われるはず
それが無理なら、自己中心的な考えでもいいから、余白は活動に変えることがおススメです。
精力的に動いている人は、自信に満ち触れているじゃないでか。
でも、だって、そうなんですけど、どうせ、と発言している人は、自分がそんな言葉を使っていることも知らない。自覚がないため、思考より肉体的活動が非常に少ない事も理解しづらい。
ネガティブな発言の繰り返しとは、知らずに周りを疲れさせている事も分かってはいない。
似てる人といる事が一番ベストです。人とうまくいかない時は、良くも悪くも同じ匂い(感覚)ではないのです


不安に実体はない。単なる妄想です。予期不安の予期を脳内活動中なのです
不安が大きいと、余白は怖くなる。
こうなるとネットサーフィンで余白を消す
ネットサーフィンもゲームも、簡単に集中しやすい。なんなら、テレビはぼんやりしてても余白を消してくれます。その状態で見るから、マインドコントロールされやすいんだと思う。


余白を暇つぶしや惰性ではなく、積極的な活動にすること。
積極的には、集中力がいる
少し集中するのに時間のかかるものなら、落ち着きも生まれやすい


簡単に意識を弄ぶと、不安には引っ張られます
引っ張れないマインドを養うために、日々落ち着きと集中力をトレーニングすることで、安定した意識が降りてきます。


私はヨガの練習という動と、(持ち歩くのに不便な状態)本で読書する静を取り入れてます。タブレットは使いません。少々不便が良いのです。


本を読むと、全体的な寝つきがいい。特に小説は自己啓発でもないため、読んでメリットがあるわけでもないところに意識を向けること。
余白をうまく使うとは、いつも利己的な活動に走らないことでもある。メリットを求めて活動ばかりしてると、考え方や生き方が固定されすぎて柔軟性を失う


スマホの問題でいえば、ブルーライトだけでも疲れる上に、人の事ばかり頼んでもないのに情報が入ってくるのも疲れます。


他人のことより、自分をどうしたいのか?どうしていくのか?に時間を費やした方が、楽だと思うんです



不安な人は、人の目を気にしたり、また比べてばかりになります
そういう刺激から積極的に距離を置くのも大切です。


例えば自宅練習は、他人がそこにいないため、自分に強く集中できる。
自分の余白にガチンコ勝負ふっかける事になれると、とても気持ちがいい。
見てしまうなら、距離を取ればいい。


特に日本人の女性は、人と比べたり、人から見えた自分にとらわれすぎ。
見栄ばかり張らないためにも、自分軸という自信を持てるように、活動するのがいいんじゃないかな?と思います。





ゼロではなく、マイナスからの登ってきてわかった事

July 04 [Thu], 2019, 17:09
老眼と元々の目の疾患の影響で、視点がずれたり、距離が取れず、よくこけたり、よろけることが増えた

ついでに先天性の舌の癒着による顎関節のトラブルで、耳の圧から耳鳴りや左右の聞こえ方が微妙に変化し、さらによろける笑

老化で落ち込んでるかって?
ダメな所に引っ張られて、悲観しても非生産な時間を作るだけなんで、しないしない夏(by浜田麻里)
代わりにほかの発想を持つようにしている

例えば、
筋肉だけでバランスを取っているわけではないのだ。
せめて筋肉だけは鍛えておこうと強く思う瞬間だ。

先天性疾患による負担の軽減のために、自分でリハビリもするし、鍼灸へ行って治療も行う

体がここまで不快でなかったら、ヨガをしようとも思わなかっただろうし、続かなかったと思う
健康で不快がないなら、きっとヨガをしない人が多いのでは?と思う。


マイナスから出会う事で、プラスが増える
なんとラッキー!くらいの感覚です。

健康とは、肉体的、精神的な健全性ばかりではない
社会的、宗教的にも問われる(WHO)

生まれ持って完璧にはなれない存在だ。きっとそれは皆それぞれ何か欠落した部分を何かしら持っている
生活に問題をきたすほどかどうか?が境目になる。

努力しても埋めることない世界に匙を投げて、自暴自棄になるか、少しでも生きやすくするために、何を改善すれば良いのか?を冷静に考え、努力を惜しまないか。

それぞれの歩みがあり、それぞれで良い。


何が良い生き方なんて事は、個々の問題。


私は後者を選んだ方が、幸福度が高いため、迷わずそちらに走り出す。


先天性疾患にもメリットはある。
初めから不快であることだ。
元々健康であったものを欠損されるより、初めからないと落差を体験せず済むため、ある種のストレスはない
不快とともに歩み、うまく付き合う事を覚えることも出来る。
不快の世界も突き詰めていけば、欠けてたことによって見える世界の豊かさにさえたどり着く。
当たり前ではない、と言うとを日々感じられれば俄然幸福度は高い

当たり前に毒されて、贅沢なのに不満ばかり多いと、恵まれていても幸福度は低いと思う。
個人的な意見としては傲慢で不幸な生き方だと思うけど、ここから離れようとはしない人が、石を投げれば結構当たるほどいる。
それも本人が選んだ世界。それが望む世界だから、私が思うより快適なのだ。多様性を認めれば、自分と反対側の生き方をする人にも苛立たずに済む。自分のフィルターを時々外すと、世の中そんなに悪い事は起きていない。


こうして、自問自答しながら何事も、前向きに考えていく。
これは残念ながら生まれついてのポジティブでもないし、残念なほどその養育環境はなく、18歳で大阪にきて後天的に必死に努力して身につけたスキルだ。

子どもの頃は、選ぶと言う発想も人生経験値と社会的責任の低さから選べない。ネガティブな沼に生まれてしまうと、もう泥だらけ。陸にさえ上がれない。ゼロじゃなくマイナスのスタートです。
しかし、沼に浸かりつつも、外の景色を良く観察していれば、沼のど真ん中にいることが問題であって、沼には陸に上がる場所が目につくようになる。そこまでなんとか泥沼の中を諦めずに歩き続けること。言えば、ともかくなんでもいいから生きること、です。そんな時は、生き方のクオリティは無視です


この様に、人にはマイナスからゼロになる事がまず一番はじめにやることになる
沼から木に登るなんて事は、偶然沼地に生えた木がある時以外ありえない。


住む場所や、日常的に過ごす環境を変える事で変わることもある。
環境を変えるのは、ゼロのライン。プラスではない。プラスにするかどうか?は本人次第。
ネガティヴな活動を繰り返せば、その環境をまた沼にしてしまう事だってある。


移動した場所を沼地にしないようにするには、いろんな方法がある
その中でも大きな要素は、誰に出会うか?で考え方は大きく左右される。場所を変えても、出会う人の感じが変わらないと難しい。

ただしどんな出会いも、良きものにするかどうか?は、その人次第だ。
どこにいようと、誰と出会うか?を意識出来なきゃあまり変わらないのだ。
私は受動的に出会ったりしない。
会いに行く、という趣旨の積極性だけではなく、誰とどこでばったり会おうと、常に積極的に出会うのだ
変な輩からでも学ぼうとするし、良い人からはさらに学ぼうとする。
場所を変えるのは、気分を変える事でもあり、気分を変えれないなら、どこへ行っても天国はない。


どこもかしこも天国にしてしまう人に出会うと、学びたくなる。そういう人に出会えるようになるまで、自分を高める努力もする。
?
冷静に捉えれば、肉体を変えるより捉え方をいじった方がやりやすいはずなのだ。

肉体をうまく付き合えなかったり扱えないから、そうでないものを変える事の方が簡単に感じるのかもしれない。物質的な世界を簡単に変えれたりすると、案外意固地は治らないのかもしれない。俗に言う便利な生活、とも言えます。
こうなると不便ってラッキー!なんて事を思い始める。

何でも、ラッキーだわ!私!と考える、捉える事は、ポジティブシンキング。ついでに運も良くなりそうじゃないですか?
運がいい、と思う努力をしないと、運も良くならない。
実際には、運を良く感じないから、運が悪いと考えるようになる。


こうしてみると、何をもって運が悪い、とぼやくのだろうね?笑
男運も、仕事運も、金運も、結婚運も笑

ポジティブシンキングは、おそらく最高の宗教的な幸福だと思う。そこになんの保証もないのに、ラッキーだと思い続けるおばかさorおおらかさだ

周りから見て工夫と努力の賜物とは気づかれない。飄々として見える
そんな人を見たら、思いの外見えない所で努力をしていると思った方が、自分も頑張れません?
そして、環境という自分の力ではないものの素晴らしい恩恵も感じながら。それが心が折れそうな時の応援歌にしながら、進んでいけばいいと思う。また自分に余裕ができたら(これをプラスと呼ぶ)おすそ分けしてください。それがリリースであり、環境を作り出していくことに協力する活動でもあります。
自分の努力が自分のためだけに使われたら、またマイナスへと落ちていくので、注意したいポイントです。自分の努力を自分のために使っている間は、プラスではなく、「ゼロ以下」なんですけどね笑

自分で登る、周りの恩恵も素直に受ける、いつかは与える側に回る。
このルーティーンが大切です。
シンプルに考えていくと、平等に幸福度は上げる事は可能となり、運を良くするのもまた、思いのほか平等だと言えます。

マイナスからゼロ、そしてプラスを経験してた感想文でした。ちゃんちゃん。

紙一重で目も一重です

June 27 [Thu], 2019, 17:39
バカと天才は紙一重
時々言われるセリフです。

ついでに紙一重で目も一重です


正確には、天才ではなく、存在が天災レベル。

バカが天災で二次災害


これ私のことよ。おほほほ。
どの道、バカも天才も常識的な事には疎く、社会において機能し辛いです

偏りすぎてる人にとって、
置かれた環境で、バカにもなるし、役にも立つ
時間を経つ場所を選ぶ事が大切ですね

役立つ場所に立てる時間が多ければラッキー
ただ、100パーセント役に立つところにばかり立てないわけで、必ずどこかで迷惑行為存在になります


普遍的に生きたって、経つ場所でエラーが起きる
というわけで、誰でもが迷惑行為をしたくなくてもしてしまう


自分の迷惑行為に敏感であれば、あまり自分も他人を責めずに済むかもね。


ビバ!メタ認知





正義感と自問自答。できるからこそ、を伸ばそう

June 26 [Wed], 2019, 16:50
責任感と正義感は違う正義感が強いと苛立つ瞬間が増える
ストレスも増える

正義感というこだわりを手放す事が出来る人すればいい。
ヨガ業界はこだわり手放せ系ばかりだ。それが合う人もいれば合わない人もいる
こだわり考える事をやめたほうがいい人もいれば、考え抜いた方がいい人もいる
一つのやり方というルールに乗せすぎて、機能不全を起こすのです


正義感の強さは、自問自答が強さと比例すると思う。自問自答するから辻褄の合わない事が気持ち悪くて、許せなくなるのだ。

自問自答するタイプに、こだわりを捨てる事自体が厳しいと思う
だったら少なすぎて問題を起こしてると考えればいい
こだわりのバリエーションを日々増やせばいい。
こだわりポイントが少なすぎて対応出来ていないのだ、と知ればいい

日々新しいこだわりを持ち、新しいルールで生きるようにする事

自分や相手が許せない時や、ルールを守ってない人に苛立つ時、新しいルールを作り、こだわり自体のアップデートするタイミングが来たと思い出す事。
苛立ちとは、アップデートタイミングなのだ。

捉え方や、考え方を変えるという言い方もあるかもしれない。
そもそも考え方の柔軟性とは別名ルールの多さでもある

捨てれないなら、こだわりを諦めるべからず
中途半端なこだわりがめんどくさいのだ
こだわりを邁進する事。
自問自答し続けられる気質であれば、必ずできるはず。
つまり苛立ちは、こだわりルールが少なすぎるだけなんだと思うこと

それくらいに思って、日々新しいルールを見つけて行けますように

自問自答型の人は、効率悪かろうと、結果が残念だろうと、周りが褒めようと馬鹿にしようと、あまり関係がない。
効率的なやり方のアドバイスも求めてはいなしい、むしろ迷惑行為なのだ。


自問自答型の人は、日本女子として生きるのは大変だと思う。友達もおそらく持つ事も難しいです。
いうならば、持たなくていい人でもあります。
自問自答できるからこそ、自分とベストフレンドになれるのです


そこで必要なのは、自己肯定感。
子どもの時にどれだけこちらを高めていけるか?で、卑下するか、伸びるか?は変わると思います


たとえ子ども時代に劣悪な環境でも、真なる自問自答を繰り返していけるなら乗り越えられます


自問自答の反対側は、被害者になる事だ
自問自答の末に、被害者意識に辿りつくなら、それは自問自答のプロじゃない


そんな人は、考えるのは止める事
そもそも考える事にも向いていない
こだわりをやめればいい
ルールは極力減らそう


人それぞれ歩み方は違う
自問自答し続ける道は、生まれついての性分だ
し続けられた時、そこに孤独も待っている
代わりに自分なりの哲学を持って生きていけるから、納得度は半端ない。


自問自答型にとって、納得こそがマストアイテムなのだ。


というわけで、自問自答型に出会ったら、そうでない人は疲れます。


程よい距離でお付き合いする事を推進します




私ですか?
自問自答型です笑
だから友達がほぼいないんです
つるまないというより、つるめない。つまはじきに合うのです。
みんなと仲良くする事を強いてはいけない人です。


自問自答型のハイパータイプとマンツーマンで会話してる時が楽だ。
その場合、純日本人でないか、芸術家。


お子さんがこだわり多くて困る保護者もいるかと思います。
育児相談でお話しした事を一部シェアさせてもらいました。


そんな世界を見て生きてるのですよ。
納得と合理的は、案外別の場所にある人たちなのです。


同じものは何一つない

June 26 [Wed], 2019, 13:35



夕方、いつも自転車で駆け抜ける道を歩いて帰る


早いと便利


でも、見落とした世界はたくさんある


スピード落とすと、気づかない世界にたくさん出会えます


つまり身近な世界で、たくさんの出会いが生まれ、感動を得れる


早く進むと、常に新しい刺激が必要になる。


練習も同じことが言えると思うのだけど、どうだろう?




#ashtangayoga?


#ヴィンヤサ早すぎ


#練習早すぎ


#呼吸早すぎ


#アーサナ進むの早すぎ


#早すぎると新しいモノが欲しくなる


#熟成する事をすっ飛ばす


#それもまた良い


#大切なのは納得してやれってことです


#質問しまくるのであればペースダウンして身近な気づきを深める方がいいのでは?


#スピード落として丁寧に基礎をする事で


#練習で質問は減っていく


#練習しっかりしてても人生セカセカしてる人もいるし(私)


#練習雑でも落ち着いた生活してる人もいるし


#何でもかんでもヨガの練習に繋げちゃうとあかんのよね


#アフタープラクティスちゃんとしてるのが何より


#アフターもマットの上もオームヤンキーモンキージャンキーなマリコビッチ


#ポジティブポイントは自分軸


#自己責任で全てを受け入れてジャンキーライフなのです


#自分軸とは責任を取ること


#この景色には二度と会えない


#似てるものと同じものは全然違う


#同じアーサナでも1秒後は違うものなのだ


#そういう目線で練習してると同じアーサナしかしないから飽きるなんて事はない


#子育てだって毎日同じ繰り返しのようで


#実は何一つ同じはない


#感性を磨け

ポジティブシンキングへのギアチェンジにチャレンジ

June 23 [Sun], 2019, 5:23
つい過去のネガティブな方に思いを馳せて、どっぷりハマり込んでしまう事が一軍に座られている時。


一日の多くの時間は、ネガティブな感情が発生する。当たり前に消耗する。疲れて前向きになる気力をなくす


解決は、切り替えて楽しくなるような事を想像する事だ
だけど、ここには割合集中力が要る
なれたルーティンに負ける。なれたルーティンとは、ネガティブな事を思い続ける習慣のことだ


ネガティブな事を思い続ける時、過去に起きた事柄をリプレイかけてることが多い


逆に起きた事を考える方が向いているとも言える
起きてもいないポジティブな事を考えるには、ハードルが高いのです


というわけで、過去に起きたラッキーな事を思い出すようにする


例えば昨日起きた事でラッキーなこと。タイムリーな事なので、気持ちの切り替えにも良い


新幹線でスマホを置き忘れ、降りる手前でないことに気がつき、席に戻るとあった。
ギリギリ降り損ねることなく、全てセーフ


とか、(これ実際昨日のお話)


自分が決めた事を達成した事を思い出したりするのもいい。この作業は、自分の人生は自分の力で良い方向に向かっている事を実感できるため、自信を取り戻すことにつながる。
ネガティブな時、自分は気持ちを切り替えていける、と信じられるようになることがポイントだ


例えば、
しんどかったけど、ヨガの練習を頑張ってやった
甘い方に逃げず、アクションを起こせれた
一駅歩いた
今日も甘いものを食べなかった

とか、なんてなんでもいい。

本来私はとてもネガティブで、被害者意識の塊でしたが、今は随分マイルドになりました


日々、習慣に引っ張られないように意識してこういう作業をやっています


ノー天気な仕上がりではないといことです。
だから、とんでも無いことが起きても、日々こうしたトレーニングのおかげで、立ち上がって来れます。


元々そこに才能が無い方が努力する
努力して継続されたものは、安定感がハンパない


つまり先天性にポジティブでなくてよかったし、後天な環境が劣悪でラッキーだったと思えます。


こうして、自分が不器用であることも、ネガティブに育つを与えてくれた人々も、感謝したくなる


という仕組みになり、
最終的に感謝したくなれたら、ネガティブな思考は終焉を迎える


祈りと感謝が細胞を変える


と言われています。
祈りと言われると、神々しくて恥ずかしい
でも、何をいつも考えているか?は祈りに等しいと思う


感謝したくなるような事を思い出すっていうのは、人生の幸福度には良いのではないかな?と思う


今日、外は雨だ。
雨だけど、これはラッキーを事前に見つけるようにしておくと、今日のポジティブシンキングの餌になる


日々トレーニングしていくと、効率の良いやり方をつかんでいける


うまくいかなくても、諦めず、しつこくやり続けると、下手なりにできるようになるから、楽しいですよ


他人のせいにしている時間が長い事に気がつく事
ここから始めていければ、いろんな事に引っ張られずに済みますよ











余白を作る時は読書

June 22 [Sat], 2019, 18:24
本から離れ、心がバタバタしてしまい、読む気が失せてしまう


久々に本を読む。
新幹線の中で一冊読み切ってしまい、浜松駅で一旦降りて本を二冊買う


磐田駅について、ホテルで読書と昼寝


ご飯は浜松で食べた方が良かったらしいのだけど、磐田でのんびりすることに


晴れた夕方は、のんびりするのにちょうどいい。




正直と自由を馬鹿正直と身勝手にさせないために必要な訓練

June 15 [Sat], 2019, 9:41
疲労回復のためビタミンBを取るべく、ほぼ行かない中国料理屋へ

塩分と化学調味料のてんこもりのスープ飲むと、朝起きたらすんごいむくみ笑
当たり前ですが、体も固くもなります

むくみで頭がぼんやりする事を実感
アーサナ忘れる量がハンパない。

選んだ事に責任を持ち受け入れ、その環境を自体を満喫すること。むくんだ事を自覚するにはセカンドが良い(笑)

そうしていると、塩分や化学調味料が悪い、肉が悪い、塩分が悪い、と目くじら立てずに済む


悪い、じゃなくて


やっちゃったなぁ、テヘペロ
今度から他のやり方でビタミンB取るかな
食事は美味しかったし、中国人のおねーちゃんとの会話は楽しかったし、また行きたいと思った時は行こう!


という感じです


何がいいか悪いか、それぞれ
しかし、これが悪かった!という時、被害者意識として感じるのか?それとも、やらかしたなぁと自分の選択の問題を許し受け入れていくか?だ。


被害者意識は、自分の行動の責任放棄。
自分の選択は棚に上げている
選択している意識を常に持ち続けていると、そこに被害者になろうとする自分はいない。


被害者になることが悪い事ではない
自己保身にとっては便利なツールだ
心が折れそうな時、利用するには良いツールだ


ただ、ここから覚醒するには大変なほど、溺れていく
覚醒剤並みの依存を呼ぶ
ここに飲み込まれて、有意義な時間を奪われたくないと願う時、意識が少しずつ変わってく


自分の選択に責任を常に持っていると、自由は常に横にある。正直で生きることも容易となる


責任を取らない正直を、
バカ正直
自由を身勝手
と呼んでいいと思う


つまりは、エゴの暴走
エゴは責任逃れが大好きだ


エゴを追い詰めて楽しむには、例えば夕ご飯1つの選択から観察するといいと思う。





交差点はヨガ。目的はそこを経由して自由に歩むこと

June 14 [Fri], 2019, 14:20











#流れに逆らうと歩けない交差点


#渋谷スクランブル交差点もレッドだなあ


#流れっど


#長レッド


#ここで交れどみんな行き先は違う


#ヨガは単なる交差点


#これを経由して本来の目的を達成する


#交差点そのものに囚われるべからず



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