命を賭けて積み上げたもの。

May 19 [Tue], 2009, 19:45

昨日、月曜日の晩にヨガ友達からメールが。


グルジが亡くなった。


という内容のメール。
これを見たとき、ただ正直に一つの時代が終わったな・・・・と思いました。

グルジが亡くなる数日前、グルジと親しくしていた方とたまたまお話する機会があって、
色々グルジの話を聞かせてもらっていました。
私はインドにいった事もなければ、グルジに非常に近い先生から学んでいたという事もないせいか、
「グルジがわが師!グルジ命」
という感覚は今まで感じた事はありません。正直な話ですみませんが。

ただ、私はこのアシュタンガヨガを通じてとても大切な方々に会えることが出来ました。
友達もそうだし、先生もそうだし、もちろんアシュタンガが絡んでいない人の関係も不思議と人との繋がり方が変化していった5年間でした。

昨日の夜中に蚊にさされ、あまりのかゆさと不快感から目がさめ、ムヒを縫ったり、アロマオイルを振り掛けたり、蚊を追い払うために(全然ヨガ的じゃないのよ、おほほ)お香を焚いたり、100歩譲っても穏やかでない夜中の3時半。

ふて寝気分でごろっ寝転がった瞬間、不思議な事が。
シャバアサナが高まったときに感じた時に降りてくる、自分の体が微細化されたプラーナのシャワーを全身を浴びるような感覚が全身を通り抜け、そのまま朝まで寝ているような、寝ていないような、瞑想状態に。

その時、グルジはアシュタンガヨガに関わった全ての人に自分のプラーナの一粒を渡しにやってきたんだなと感じました。命を賭けて伝えた証に、その最後の作業において、初めて彼の偉大さを見ました。

それはグルジに会った事、インドに行ったこと、深く関わっていた事、を超越して全ての人に平等に同じ一粒を持ってきた、最後の仕事をやり終え聞こえたメッセージは
「どんなプラクティスでもいいんだよ、正解も、間違いは何一つない。自分のものであるように」


向うがこちらを知らなくても、相手が命を賭けてしたも作り出したものに関わった人、その真髄に触れた人は3次元的、表向きに繋がりはなくても、深いところで繋がる事が出来る。
自分の意識が高くなればなるほど、側に居る事が出来なくても、そばにいる人と同じように学び、また真髄に触れる事が出来る。

これで、本当に自分の内側に向けてだけプラクティスと向き合える。自信を持って、迷いもなく。

昨日たまたまヴィオラでのレッスンの後、受付のハルちゃんが「明日ユミ先生にきてくださいよ〜」
と言ってくれてた事と、たまたま1時から松下さんと仕事の打ち合わせをする予定も合ったので
ユミ先生のクラスに。多分グルジの事を話すだろうし、何かしらお祈りをするような気がして、一人で何かするより、これは今日集まったみんなでご冥福の瞑想をしたいなと。
行っても体が殆ど動かす事が出来ないけど、不思議とマットを下げてスタジオに。

ユミ先生が始まる前に述べた言葉が本当に胸に染みて、体中を静かに穏やかに流れるエネルギーを感じました。

最後にみんなでお祈りをして、この日だけは一人で練習するより、みんなと共にプラクティスをして良かった、と感じました。

終わってから、ユミさんと話してると、昨晩感じた事と同じ事を話してくれました。

アシュタンガヨガもそれぞれが自由に解釈して、伝える側としてマットの上に立つ人も、自分の為だけに立つ人も、自分がこのヨガをやってみて感じた事をシンプルに、実は決められたシークエンスの垣根を飛び越えて、このヨガを関わっている人間の数だけやり方が存在していいこと。

グルジが亡くなる昨日までの1週間、色んな事が重なったけど、これも虫の知らせだったんだのかな。。。と思いました。
アシュタンガをはじめる前を幼虫なら、始めた5年間はさなぎ、今日さなぎを脱いだ、そんな1日でした。

グルジ、本当にありがとうございます。
沢山の気付きをありがとうございます。

そして、皆さんにもありがとうございます。



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