2018年11月23日山北町パネルディスカッション「蒸気機関車再び・新幹線開業と東京オリンピック」

November 25 [Sun], 2018, 2:45
2018年11月23日金曜・祝日に神奈川県山北町の生涯学習センターで開催されたパネルディスカッション・トークショー「蒸気機関車再び・新幹線開業と東京オリンピック」を聞いてきました。2016年のD52蒸気機関車の復活運転から2周年記念、また当日の山北町の産業まつり開催にあわせたイベントのようですね



今回このディスカッション・トークショーを紹介します



入場料は300円。チケット代わりに鉄道公園見学記念の入場券をもらいました。
この入場料300円はD52機関車の線路延伸費用の寄付金に全額充当されるとのこと。
以下当日のメモを元に講演の要旨を紹介します。

14時30分に開演。最初に湯川山北町長の挨拶
(鉄道関係で)年に一つは新しいことをやりたいと考えている。D52の復活運転、資料館、そして今回初めてこのようなパネルディスカッションを開催できて光栄である

第1部「蒸気機関車再び」のパネルディスカッション

ディスカッションの4人の自己紹介。
まずは司会役の前橋氏。鉄道総合技術研究所で新幹線の研究など。後年になってSLの研究をやることになった。現在は東京交通短大の非常勤講師も務めている。

関亀夫氏。国鉄に入り茅ヶ崎機関区に配属。最初はSLのロッド磨き

大石和太郎氏。国鉄で機関助士に。東京から水戸や宇都宮への貨物列車に乗務。片道4時間で石炭2トンを焚く重労働。水戸線では単線でタブレットのやり取りもあり忙しかった。

関根氏S39年に国鉄に入り、支線用SLのメンテナンスを5年ほど。その後DLの業務に。後年、秩父鉄道やJR東日本の復活SLの整備など。定年後は秩父鉄道、有田川鉄道公園のD51に携わる。

パネリスト各氏のSLの思い出、係わりなど
SLの他に暖房車の缶焚きもする。トンネル内は釜焚きが禁止されていたが、長い丹那トンネルではボイラー圧が下がるので途中から焚くが煙で後続列車は信号が見づらくなる。後で怒られるがしらばっくれてやり過ごすなど
当時の電気機関車列車は客車の暖房用に暖房車が必要だった。小型のB6機関車のボイラーを流用した暖房車がいた(関氏)

東京工業大学で機械工学の教材としてミニSLを製作している。1000分の1ミリ単位の精度が要求される。ミニSLといっても単純に本物を縮小すればいいというわけではない。ミニSLは設計が難しい。更に作るのも難しく走らせる広い場所も必要(大石氏)

釜石線のSLでは第4動輪の発熱で車軸のパットが焦げて釜石到着6時間遅れ。その後一睡もせずに朝まで修理する大変だった思い出がある。SLは生き物のよう。給水する水の水質も場所によって違いその影響もある
山手線(田端〜品川?)のSLの貨物列車を運転もしていた。五反田・目黒付近を初め勾配など意外に難所が多い。原宿の宮廷列車のホームを煙で汚さないように気を使うことも。
D52形機関車(山北で保存されている形式)
戦時中職員が兵隊にと取られるなどする中で輸送力が必要で開発された。D51よりも出力が強化されているが、戦時製造で安普請。285両製造された。戦後、貨物輸送から旅客輸送にシフトし49両がC62に改造された。
日本最後の大型SLである
(関根氏)

研究所勤務時代、後年にSLの仕事が舞い込む。圧搾空気でSLを動かしている常松氏と知り合い、山北のD52はコンデションが良く動かしてみたいという話を聞く
(前橋氏)

蒸気でSLを動かすにはお金がかかる→山北では国から地方創生でお金が出たのでリーズナブルな圧搾空気で動かす方法。現在の12m動くだけでは短い。100mぐらいになれば機関士の養成も出来てよい
(関氏)

SLは人間に近い。今の電車に較べて凄い手間がかかり、生き物のようだ。手間がかかる分愛着が沸く。
(蒸気での動態保存は)月1程度の運転は少ない。運転しない間、水を入れたまま(湿式)か水を抜く(乾式)でも違いがある。
(大石氏)

山北の圧搾空気で動かす方式では本線走行は難しい。コンプレッサーの容量の問題があり速度も出ない。御殿場線でのSL運転はトンネルの煙の問題もある。
勾配はSLは低速の粘りが凄い、登り勾配を3〜4km/hで登ることも出来る。電気機関車ではこのレベルの低速は空転等で無理。
(関根氏)

今後の保存活動について
人材養成が必要(大石氏)
D52が動くのは山北だけ。大切にしないといけない。若い方に参加して欲しい(関氏)
(蒸気運転の)動態保存にはお金がかかる。全検(車の車検のような法定検査。7〜8年に1回)費用が1.5億。1両手放した真岡鉄道などかなり苦労している(関根氏)
リーズナブルな保存方法。および後継者の養成が必要(前橋氏によるまとめ)



ここで休憩をはさみ第2部に。
「新幹線開業と東京オリンピック」がテーマのトークショー

第2部では勝間田氏(鉄道技術研究所・山北D52会会長)の司会で、東海道新幹線開業日の上り1番列車の運転士を務めた大石和太郎氏と関亀夫氏のトークショー。(当時の新幹線は運転士は全区間2人ペア乗務。途中で交代した)

なぜ自分が1番列車の運転士に選ばれたのか??
新幹線50周年のテレビ取材などで何回も聞かれて困ってる(笑)
当時の国鉄の慣例で下り1番列車はベテラン(50代?)が選ばれた。上り1番列車の自分達は2人とも31歳の同年齢の若手。

新幹線建設に当たって十河総裁はローカル線の建設をストップして新幹線を強行するなど政治問題。資金不足がわかっていながら着工するなど。国会議員の反対もあり政治問題、国鉄内部の派閥問題もあった。
開業時に200km/h運転を行いたいという現場の期待。一方で新幹線をよく思わない国鉄上層部では160km/h運転を指示していた。→そこに若手2人なら「200km/hをやってくれる」という期待で、同年齢の若手2人が選ばれたと思う。同年齢なので先輩後輩のような関係もない。当時の所長の談「関は物事に動じない性格だ」

司会の勝間田氏から
「手持ちのスマートフォンなどでgoogle検索で『大石 関 新幹線 朝日』で検索して欲しい。一番列車運転直後の颯爽とした?ふてぶてしい??姿の当時の写真が掲載されている」

東京オリンピックについて
今回のトークショーのテーマに「東京オリンピック」があるが、当時忙しくてイメージがない。大阪万博の方は16両化や大混雑など印象がとても強い。運転席直後のデッキまで満員で仕切りのドアを開けられないぐらい。

昭和39年7月25日にようやく新幹線のレールが繋がった。8月25?26?にATCでの訓練運転開始の予定が台風で9月にずれ込む。9月10日に大石氏の運転で世界銀行の視察団の試乗。15日に国鉄の監査。など突貫のスケジュールだった。「10月1日によく間に合った」という印象

この時期に非公式ながら試運転で東京〜新大阪2時間54分運転に成功した(1回は停電で失敗)→3時間10分運転(210km/h)の自信を持ったが全体的に訓練不足だった
新人の指導などもあって関氏は開業前に2〜3回しか運転してない(大石氏はそのことを知らず「関さんは慣れてる」と思ってた)

予算不足で6両か12両の決定が遅れた。こだまのみ停車の駅はホーム上屋が短かったのはその名残。

10月1日新幹線開業当日の話
列車は4時間運転(160km/h程度)のダイヤが設定され、最高160km/h運転で行う旨の通達が出されていた。
200km/h出すなら乗客が飽きる前、京都を出たら早々にやりたい。食堂車に速度計がありマスコミが詰めている。
予定より早く着きすぎない為に京都を出てすぐの東山トンネルや次のトンネルで徐行して時間を稼ぐ(トンネル内は徐行しても乗客にバレにくい)
滋賀県に入って一気に加速して200km/hついでに+10km/hおまけして210km/h達成。
滋賀県区間は試運転時の経験で路盤が安定しているので自信を持っていた。ただ車窓は近江平野なので速い感じがしない。米原駅通過時も210km/hを出した。
結果的に名古屋には3〜4分早く到着したが、セレモニーで花束贈呈などもあり丁度良かった。セレモニーは聞いてなかった。浜松付近で関さんに交代。関さんは慣れてると思ってたけど・・。

品川付近の八ツ山トンネルなどで時間を稼ぐがダイヤよりも早すぎる。更に新橋付近から最徐行。山手線にも抜かされるが、車内の乗客や線路沿いのビルの人などが沢山手を振って出迎えてくれる。徐行がいい演出になった。

この上り1番列車の210km/h運転は、指令所や変電所などを新幹線推進派で抑えたクーデターのようなものだった。のろのろ運転の時間稼ぎなど指令にはバレてるはずだが、咎める電話(無線)連絡は全くなかった。同乗していた指導助役の田口氏も黙っていた。
東山トンネルの徐行運転は「架線電圧が急激に下がったので徐行した」という言い訳を用意していた。実際は下がってない。贈呈の花束などでメーターもよく見えなかった。

この後は会場の質疑応答にこたえる形でトークを展開
→新幹線の設計をしたという三木氏が一番列車に乗っていたという話だが
初日は座席は完売したが実際はガラガラ。切符をコレクションする為に買っても乗らない人が多かった
島氏・十河元総裁など開業時には国鉄を退職していた。

→一番列車は世界から注目されていたと思うが特別な思いなどはあったか?
10月1日以前に試運転で何回も乗っていたので特別な感情はなかった。関氏と大石氏の2人は事前にはあまり顔をあわせてなかった。

→前日(9/30)から当日(10/1)の2人の行動
大石氏
試運転のこだま号で名古屋に寄ってから新大阪に入った。当日の朝のセレモニーがあるとは聞いてなかった。30分早出を指示されて「寝る時間が短くなる」とぼやいた。運転後は赤飯を食べて帰宅。(当日朝の朝食は食べていない)

関氏
試運転列車の便乗で新大阪に入る。一番列車の本務(リーダー)は大石氏。何かあったとしても怒られるのは大石氏と思い安心!?
東京到着後、大石氏は本社に挨拶に行くといったが付きあわず、迎えに来た友達と東京駅近くで終電までマージャンをしていた。

→途中の時間調整のノロノロ運転などで定時に到着させるための計算は??
ヤマ勘でやっていた。名古屋到着前に稲沢付近から徐行したが早着した。

→新幹線(試運転列車)に最初に乗った時の印象などは?
関氏
鴨宮実験線の試験車両A編成・B編成などは気密が不十分でトンネルの「耳ツン」が激しかった。
エラい乗物に乗ってしまった・・というのが第一印象

大石氏
自分は色々運転するのが好きでセスナ機の免許も取った。新幹線はつまらない。速いと思うのも最初だけで下りで新横浜を過ぎる頃には単調で速いという感覚もしなくなる。
新幹線は踏切がないのはありがたい。運転士は踏切は気をつかうので・・。新幹線はつまらないが仕事だから仕方がない。
旧型国電は運転してる感があって楽しかった。ラッシュ時になかなか効かないブレーキなど。モーター音も好き。ディーゼルカーも好きで、新幹線の運転を辞めたら小海線などでディーゼルカーを運転したかった。液体変速の音もまた良い

といったところで、予定時刻から2分ほど過ぎたところで終了。
主催者側は他にも面白いトークのネタを用意していたようですが、時間の都合で披露されなかったのは少々残念ですね。この後は舞台上の大石氏・関氏の2人を写真撮影出来るコーナーに。



今回、講演中の一般参加者の会場内の撮影等は禁止となっていましたが、最後に記念に撮影出来る時間が用意されたのは嬉しい試みですね。また特に第1部の司会の前橋氏は短大の講師も務めているというだけあって?進行や出演者の話の引き出し方が上手でディスカッションを上手く盛り上げていたのが特に印象的でした。



ちなみに新幹線1番列車運転士の関氏は現在山北町に在住しみかん農家をやっていて、会場では関氏のみかんが「超特急みかん」として販売されていました。他にD52グッズの販売などもありました。

第2部の方は、特に最後の辺り今回のテーマを考えると身も蓋もないような感じにもなりましたが、実際の「率直な感想」ということで、こういった生の声はなかなか貴重なものです。
特に10月1日の210km/h運転をする為の徐行運転の話など「徐行して調整した」ような話は他でも読んだことがありますが、今回の話のような生々しい話や国鉄内部の反発の部分など、リアルな話が聞けたのは面白かったです。

一方で第1部・2部共にレジュメの配布がなかったこともあり、鉄道に関してある程度の予備知識がないと理解しづらい部分も少々あり、鉄道に詳しくない人には今一つな部分があったかも?というのは心配です。

鉄道(趣味界)はやはり「車両研究こそが王道」といった部分が多かれ少なかれ存在して、特に今回のような当時職員だった人の生の声。というのは貴重でありながら記録に残りずらく、ともすれば時代とともに忘れ去られてしまうことも多々あることも多いでしょう。こういった貴重な「当時の現場を知る人の生の声」が聞けたのは良かったです。

実のところ私は今回の講演は付き合いのようなもので参加した部分があり、あまり期待していなかったのですが、嬉しい方向に予想が外れたといいますか行って良かったです。
神奈川新聞などでも事前に紹介されたそうですが、会場には結構余裕があったので、もっと前広に告知出来れば尚よかったなと思います。


注:新幹線開業時の4時間(160km/h)運転は公には建設直後で路盤が安定していない為。とされているが、新幹線建設を強行した十河総裁への反発など国鉄内外の新幹線反対勢力の意趣返しという「外圧」が強く影響していたのではないか?という大石氏の談が2014年10月1日の読売新聞記事でも記されている
https://www.sankei.com/west/news/141001/wst1410010017-n1.html

トークの順番などは一部分かりやすくするために変えています。
当日のメモを元に書いていますが、実際のトークとニュアンスが変わっている部分などある可能性がありますが了承願います。

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2018/11/25 2:45(JST)

☆mineoソフトバンクプランのSIM

November 16 [Fri], 2018, 9:53


mineoへのMNPはwebで自分で切り替え手続きをするそうです。
SIMは8日頃に到着したもののまだ切り替えてないです。
切り替えないでいると18日に強制切り替えなのでそろそろ切り替えないと・・

ヤプログの携帯電話からの記事投稿((タイトルに☆付の記事))は、3大キャリアのメアドからのみなので、☆付の記事投稿はこれで当分?終了です

続・初代大和市役所(町・村役場)の場所が判明したよ+2代目市役所

November 10 [Sat], 2018, 20:52
前回から続く

さて2018年6月の記事で大和市役所(当時は町・村役場)は現在の庁舎は3代目であること。初代・2代目役場の場所に関して紹介しました。今回その後の調査などで判明した補足事項などを紹介します

まず前回に調査した内容を元に大和市役所文化振興課で問い合わせを行いました。

初代及び2代目の役場庁舎の場所について
→初代の「下鶴間2丁目5-22(下鶴間3117番地)」、2代目の「鶴間1丁目31−7」はともに大体この辺りということで厳密なことはいえない

大和原自治会館裏手のステンレス倉庫や平屋住宅
→恐らく市とは関係ないのではないか??

初代→2代目、および2代目→3代目(現在の庁舎)への移転の際のエピソードやなぜその場所にしたのか
→これといった記録は残っていないので不明

とのことで、概ね前回の記事で調べた初代・2代目市役所(町・村役場)の場所は正確なことが分かったものの、それ以上のことは市役所でもよくわからないような状況でした。
その後にシリウスの大和図書館などで資料を調べたところ、新たな発見と補足事項があったので今回紹介します。


まず初代役場に関して
明治24年(1981年)の大和成立から昭和25年(1950年)までの59年間使用。
現在の「大和原自治会館」の場所です。


(「写真集大和写真館」大和市教育委員会から)

こちらは昭和30年代前半の初代役場隣接の大和小学校の空撮写真です

写真右の斜め上に上がる道路(滝山街道旧道)と大和小学校の少し上(北側)、畑の中をまっすぐに伸びる道の交点が初代役場(現在の大和原自治会館)の場所(この写真では右端上)にギリギリ植え込みのようなものが見えます

現在の大和原自治会館の裏手のステンレス倉庫や平屋住宅がある辺りも一面の畑になっています。
やはりステンレス倉庫や平屋の住宅は初代役場とは関係がなさそうですね。



(「写真で見るこころの大和」郷土出版社から)

こちらは昭和47年(1972年)の大和小学校の空撮
大和小学校周辺に一挙に平屋の住宅が増えているのがわかります。現在の大和原自治会館近くの店舗も昭和30年〜47年の間頃に出来たのがわかります



こちらも同じく昭和47年の大和市明細地図。少なくてもこの時点で初代役場跡地は大和原自治会館になっていることが確認できます。(地図下部の「大和中学校」は「大和小学校」の誤植)

初代役場の庁舎がどのような外観だったのか気になるところですが、集合写真の後に玄関が映ってる程度で庁舎そのものの外観がわかるものはまだ発見できていません。

次に2代目役場(市役所)
昭和25年(1950年)に大和町役場は鶴間駅近くの現在の保健福祉センターの場所の「2代目」に移転。1959年の市制を挟み昭和49年(1974年)までの24年間使用された後、現在の3代目庁舎に移転。



こちらは前回の記事で紹介した昭和40年(1965)4月1日施行の「大和市住居表示新旧対照表」
(この地図では上が東)
現在の大和市保健福祉センターは2代目役場の跡地とされていますが、この地図では現在の保健福祉センターの場所は「東産ココア」となっていて少々差違が生じています
これに関しては前回解明できませんでしたが、新たに昭和47年の明細地図を確認すると・・



昭和47年(1972)大和市明細地図(上が北)

現在の3代目への移転を2年後に控えたこの時期。
これを見ると現在の大和市保健福祉センターの場所:昭和40年(1965年)に「東産ココア」となっていた場所も大和市役所になっています。昭和45年(1965年)の時点で(2代目)大和市役所は複数の建物を連結したような構造になっていましたが、1972年までに更に増築されていたことがわかります。

大和市は昭和35年(1955年)から45年(1965年)の10年間で人口は2倍以上に膨れ上がります。人口増に伴う業務の増大で庁舎は手狭となり増築を繰り返ししていたことがこの2つの地図から見て取れます
更にこの2代目市役所は僅か24年で幕を閉じ3代目市役所。現在の庁舎に移転します。

結論として2代目大和市役所(町役場)の場所は、現在の大和市保健福祉センターと同じ駐車場を共有している大和市勤労福祉会館。更に鶴間交差点角の日産サティオの場所であったと言えます。
また現在の大和市保健福祉センターの辺りは、2代目市役所の中でも後年に増築されたエリアといえます。

ここで2代目庁舎の外観を見てみます。



(「写真で見るこころの大和」郷土出版社から)

こちらは昭和34年(1959年)の市政施行時の(2代目)大和市役所庁舎。
キャプションにライラック通り沿いとありますが、ライラック通りというのは鶴間駅前から鶴間交差点に至る旧国道246号線こと厚木街道。昭和40年(1965年)の図と較べてみると現在の鶴間交差点角の日産サティオの場所と考えられます。

この中央部が2階建ての建物が2代目庁舎の中心的な建物の模様です。
大和市役所文化振興課で聞いたものの、当時の庁舎の外観写真など市で持っているものは、他にはないようで残念ながら当時の庁舎の全容は分かりません。



(「写真で見るこころの大和」郷土出版社から)

こちらも昭和34年の市政施行時の写真。
キャプションによればこの通りはライラック通り。後ろの建物は「大和市福祉事務所」「大和市教育委員会」とあります
こちらは庁舎の増築部分でしょうか・・



その後、昭和60年(1985年)の明細地図を見ると、この時点で既に大和市勤労福祉会館が建っていますが、保健福祉センターの場所は資材置き場になっています。市から一時的に民間業者に土地を貸与していたのでしょうか??

なお大和市勤労福祉会館の開館はこの地図の前年の昭和59年(1984年)5月。大和市保健福祉センターの開館は昭和63年(1988年)3月となっています。(「ダイジェスト版大和市史」から)
現在、大和市保健福祉センターはこども部・健康福祉部なども入り市役所の分庁舎的役割も担っています。

現在の3代目に当たる大和市役所庁舎は昭和49年(1974年)の使用開始から既に45年近く。だいぶいい歳になってきましたが今のところ建替え等の計画はないそうで、内装のリニューアルなどを行い今後も使用するとのことです。

というところで、初代・2代目の大和市役所(町・村役場)の庁舎の話題でした。
また新しいことがわかったらその都度紹介します

なお本記事では大和市の歴史として
1891年に鶴見村から大和村に改称し「大和」誕生
1943年に町制を施行し大和町に
1959年に市制を施行し大和市に
の経緯を踏まえた上で、「大和の役場(市役所)」の場所の変遷として初代・2代目・3代目と捉えて表記しています。なお現在の大和市域は1956年に渋谷村との合併で確立しています。

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2018/11/10 20:52(JST)

「やまと・世界料理の屋台村」2018に行ってきたトン

October 30 [Tue], 2018, 0:28
さて10月28日の日曜日
大和駅前で開催された「やまと世界料理の屋台村」イベントに行ってきました。
確か昨年は台風襲来で中止になったような・・



大和市内の外国料理のお店が中心となり屋台を出店。今回は16店舗が出店しています
主催は大和市、企画運営は大和市国際化協会
開催時間は10〜15時。意外に短めなので要注意ですね

http://www.yamato-kokusai.or.jp/jigyo/yatai

大和では10月初めには各県人会が中心となっている全国ふるさとまつり・うまいもの市も開催。イベントが多いですね大和市は戦後の高度経済成長期に全国から大量の人口流入で里山から都市に発展した街。地域のムラ祭りではない、市民統合の祭りを必要とした背景があるとも聞きます。

今回の世界料理イベントは国際都市らしいイベントですね



駅ビルプロスの前にはステージが設置されていました



時間ごとに各地のショーが行われてるよう



今回は私もハロウィンも近いのでヤマトンのコスプレをして参戦
ヤマトンと一緒に写真を撮ってもらおうと思ったのですが、残念ながら今回はヤマトンの来場はなかったです

大和は国際都市なので多分ヤマトンは簡単な会話なら6言語ぐらいは喋れると思います。



大和市は人口のうち約40人に1人が外国籍でそのルーツは76か国・地域とし南部のいちょう団地などでは2割が外国籍住民。更に外国にルーツを持つ日本人(日本国籍保有者)も多数住んでいるという国際都市です。

大和国際化協会では大和市に外国人居住者が多い理由として、厚木基地や南林間にあったインドシナ難民の定住支援センターをその背景として、外国人に理解がありアパートを貸す大家が多かったことや、国際化協会をはじめ外国人を支援する団体やボランティアの活動が活発なことをあげています。
これは大和市が高度経済成長期に大きな人口流入で出来た新しい街であることと大いに関連があるのではないかと思います。

大和市は現在でも人口が微増(平成33年までは増加との予測)し神奈川県内で一番子供が生まれているそうです。大和市の外国人との共生政策は急激な少子高齢化問題を抱える日本の解決策の一つであるようにも思えます。


と話が長くなりましたが、友好都市韓国・光明市の紹介コーナーのクイズで
KTXは光明市から最終的にどこに伸ばすことを目指しているか?で私は仁川空港と答えたのですが、なんと答えはフランスのパリだそうで・・・。まぁ昔の人は日本からヨーロッパに行くのに釜山から汽車で行ったので、あながちあり得ない話とは言えないかも
仁川空港と答えた私はなんともスケールが小さい・・。



色々あって迷ったのですが、インドネシア料理を食べてみることにしました。
この間インドネシア鉄道旅のトークショーを聞いたので・・インドネシア料理を食べれるのは珍しいですね



ソト・アヤムという鶏肉の春雨スープを注文してみました。ヘルシーですね
チリを入れたので辛らめでしたが食べれないほど辛いというわけでもないかな??
値段は400円。東京の方のグルメイベントだったらもっといい値段がしそう・・

会場は大和駅東側の広場とシリウスに向かうプロムナード。人出が多くて座るところを探すのがタイヘン・・もう少し椅子の設置を増やしてほしいですね

タイ料理のトムヤンクンラーメンは結構人気のようでした



もう一つ、14時過ぎて400円から300円に値下げされていたスリランカのスパイシービーフバーガーも食べてみました。スリランカの9種類のスパイスとハーブで煮込んだ挽肉状の牛肉を玉ねぎやピーマンと一緒に炒めたものだそうで・・

大和の国際都市ぶりを生かして世界の料理が食べられる街。みたいに売りだしたら地域活性化になりそう・・

さて折角ヤマトンのコスプレをしたので渋谷に行ってみることに・・
渋谷ギャルならハロウィンの仮装で渋谷にいかないと



渋谷なのでハチ公の前で記念撮影渋谷と言ってももちろん大和の渋谷です。
大和の渋谷にもハチ公(デコハチ公)がいます



高座渋谷駅南口前の再開発ビル「イコザ」
デコハチ公もこの中にいますが、この日は設備点検で全館休館。なので外から撮りました
駅としては北口がメインのようでこちら南口は無人改札で裏口のような構造でしたが、今やこちらがメイン



高座渋谷は近年に大規模な区画整理と再開発を行った街。
お洒落感のあるプロムナード風の通りもありました。この大胆な区画整理ぶりには「過去を棄てた街」と評しているサイトもありました。



イコザの裏手に「農園カフェよりみち」というお店があったので入ってみました。



アイスコーヒー250円にケーキセット400円というなんともリーズナブルで嬉しい値段で、雰囲気のいいお店でした。農園カフェだからかカフェには珍しくメニューにはおでんも・・。


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2018/10/30 00:28(JST)

10月20日発売・鉄道ジャーナル2018年12月号「香港返還から20年・香港島路面電車の現況と車両」きよぴ執筆

October 29 [Mon], 2018, 19:40
先日の速報記事で紹介ましたが、10月20日発売の書籍「鉄道ジャーナル2018年12月号」に私、八草きよぴの執筆記事「香港返還から20年・香港島路面電車の現況と車両」(記事では「赤井清水」名義)が掲載されました。

私の紙媒体での記事執筆は初めて。記念すべきものといえます。
是非お買い求めください



2018年12月号の特集記事は「車両譲渡の実際」
主に大手私鉄・JRから地方鉄道に譲渡された中古車の譲渡先での現状や今後の課題が紹介されています。



私の記事は126〜129ページに掲載されています。
紙数の関係もあり他の記事に較べて写真が少な目で字ばかりになってしまいましたが、それだけ色々書いてあるということで考えていただけるとありがたいです。

詳細と全ての見出しはこちら(鉄道ジャーナル社サイト)
http://www.rjnet.jp/journal/1812.html



さて今回の記事で紹介した香港島トラム。鉄道が好きでもそうでもなくても香港を訪れたことがある人なら乗ったことがない人もそうはいないと言っても過言ではないほど、香港観光の名所としても有名ではないかと思います。

返還前後の香港ブームの頃に香港を訪問された方からすれば、2階建てやポール集電・2軸車など今となっては珍しいが、停名表示すら満足に行われておらず、全電停掲載の路線図すらない、日本の感覚からはまるで保存鉄道かのような旧態依然な印象を感じた方も多いかもしれません。

一方で返還から20年経過した2010年代も終わりの現代、ポール集電・2軸車・2階建てという相変わらずなスタイルは旧態依然のようにも見えますが、VVVF化・LED表示やWebでのリアルタイム運行情報提供、冷房車導入など着実に時代にあわせて進化している姿を感じていただければと思います。


今回の記事では、香港島トラム研究では有名で日本のテレビ番組にも出演されたことがある、 香港電車文化保育学会・会長のJoseph Tse氏及び中国鉄道研究の大家である岡田健太郎氏(近著は「撫順電鉄 撫順砿業集団運輸部 ―満鉄ジテとその一族―」)という南北の両巨匠から写真の提供を受けることが出来たのも幸運です。

記事で「LRTではない旧来のトラムスタイルの香港島路面電車が現在でも存続出来ている背景の一つとして、東京をはるかに凌ぐ香港の過密都市ぶりがある」としましたが、その過密都市ぶりが表現され私のイメージによく合致した画像を岡田氏から提供していただきました。

Joseph氏からは香港返還が迫る90年代半ばに新時代のトラムとして模索していた、貴重なモックアップの写真を提供していただけました。やはり文章だけで説明するのに較べて写真だと百聞は一見に如かずで分かりやすいものです。


日本の鉄道趣味界ではとかく海外の鉄道への関心が薄く、過去の鉄道ジャーナル誌の読者投書欄などで「海外の記事を載せないで欲しい」といった投書が紹介されたり、海外記事が多いと売上が落ちるといった内実が紹介されたことがあります。
海外鉄道への関心が薄い理由としては諸説語られますが、やはり実態がよくわからず掴みどころがないという部分が大きいのではないでしょうか??

また一方で数少ないとされる海外鉄道に関心のあるファンの間でも「香港の鉄道は都市鉄道のみで趣味的にあまり面白くない」「香港自体が中国大陸・東南アジア圏への出入口」としての認識で香港の鉄道自体が今一つ注目されてこなかった部分もあるように思います。

一方で香港そのものは、返還前後の香港ブームをはじめ、特に近年ではLCC航空の台頭により実勢航空運賃が下がっていることなども相まって日本からの気軽な海外旅行先、職場や家族旅行先などとして、日本人の訪問が多い海外の都市でもあります。また近年ではIT関連で注目を集めている深圳電脳街への出入り口として香港を訪れる方もいるのではないでしょうか??

今回紹介した香港島トラムは香港の観光名物の一つにもなっていることもあって、香港を訪問すれば鉄道目当てでなくても乗車することも多いでしょう。
今回の記事では香港に不慣れな方がこれから訪れる際に役立つ情報も含めてみました。私の記事を掴みどころや叩き台の一つとして、香港そして海外鉄道に関する興味・関心が広がり今後の調査・研究が進むことを期待します。



家で平積みをやるのもなかなか壮観なものです

是非書店などで買ってくださいお願いします
定価は税込1000円です

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2018/10/29 19:40(JST)

平成30年10月26日の食事(大和の串揚げランチ)

October 27 [Sat], 2018, 21:29
今回も食事シリーズ。10月26日金曜日の昼食です。
今回はFacebookの大和市の情報交換コミュニティーで見た大和駅近くの串揚げランチに行ってみることに



大和駅の小田急口の入口から出てすぐ。
今回のお店は準喫茶フロリダの下の南店街の中にある「しゅうちゃん」というお店
入っていくと昔ながらの飲食店街のようになっているのですが、奥の方に大き目なお店が今回の目当ての店。



今回は500円のランチAを注文。
14時5分ぐらいに行ったもののやってもらえました



まずはミニサラダ



こちらがメインの串揚げ5本
ヒレ・ナス・豚バラ・うずら・しいたけ。串カツの内容は日替わりみたいですね
これで500円は安い。ちなみにご飯大盛も無料だそうで

ちなみにソースは普通のと桃太郎トマト・激辛の3種類がありました。
2度漬け禁止と書いてありましたが、ソースの入れ物から自分でかけるタイプでした。



+100円でモツ煮込みも頼んでみました。
家で自分でもつ煮込みを作ることがあるので味の参考に・・
他にポテサラ、キャベツ、浅漬け、串カツ1本(ほぼ全品)が+100円で追加できるそう



こちらがお店の入口。準喫茶フロリダの側の他に裏からも入れるようになっていました。
夜のメニューも串カツ盛り合わせ5本600円とかお得そうなメニューがあるので気軽に入れそうですね

2018/10/27 21:29(JST)

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