京極夏彦が聖女を描いた?『数えずの井戸』

March 03 [Wed], 2010, 6:21
京極夏彦『数えずの井戸』 中央公論新社2000円

◆◆◆
振込み遅れという痛恨のミスのため、いまだ買っていなかったL5Yのチケット。そろそろ動かねば・・・と思ってサイトを見たら、
>4月4日、イベント開催を予定しておりましたが、諸般の事情により、開催を取りやめることになりました。
>4月7日(水)19:00 と4月8日(木)19:00の公演終了後にアフタートークを開催いたします。


えっ・・?こんなことってあるの?
中心となる日に、イベントだけでなく公演も中止。
実はイベントの日が満席で取れなかったくらいなので、相当たくさんの人がガッカリしたことでしょう。誰より耕史君が一番避けたかったでしょう。
即座にアフタートークの回に予約入れましたが、なんだか心配です。

ところでたまたま、今回読んだ本↓は、スズカツ×山本耕史での舞台化にどんぴしゃりだなぁ・・・と思いました。
耕史君専門の訪問者さんにも、一番最後のところだけ読んでいただくと嬉しいです。

【数えずの井戸】

京極夏彦の新作『数えずの井戸』。

分厚い単行本771ページ。
ゆっくり、味わいながら読もうと思ったのに、魅入られるように二夜で読み終わってしまった。

活字組みのビジュアルにもこだわる京極さん、今回の本は余白を生かしたかったのか、ページ数は多いけれど、字数は少なめかも。
それにしても重い!電車じゃ読めない。
装丁にこだわる京極さんらしく、小口から見るとほぼ等間隔の扉と小見出しの黒が面白いです。(カバーは今ひとつ好みではないですが)。

章立ても凝ってます。
奇数(序章を抜いて)にあたる章が「昔数え」「罪数え」、偶数章が「数えずの衣」「数えずの闇」のような構成になってる。

扉に毎回日の丸を縦にしたくらいの円が描かれていてその中に小見出し文字。奇数章の扉の円は黒。
偶数章の扉の円は白。
地色がごく薄いグレーから漆黒まで変化して行く。

あの円は、重要なモチーフである「井戸」を模しているのでしょう。
「井戸の蓋は空」とありますが、井戸の中から覗いた空、もしくは月のように思えます。

最終章「数えずの井戸」にいたって普通巻頭に置くようなカラー口絵が登場。葛飾北斎の有名な幽霊画「百物語 さらやしき」です。
この画、井戸からとぐろを巻いた首が突き出していて、ちょっと笑っちゃうような雰囲気なんですが、ここまで読み進めてからこの画に出会うと、ちょっと怖い。

そう、この物語は、『番町皿屋敷』を下敷きにしているのです。
「一枚、二枚、三枚、四枚・・・・九枚。一枚足りないうらめしや〜〜」
で有名な、お菊の亡霊。
間違いなく『四谷怪談』のお岩さんにつぐ幽霊界のスター。

【古典怪談シリーズ第三弾】

京極夏彦作品群で一番有名なのはもちろん、堤真一主演で映画化もされた「百鬼夜行シリーズ」です。
『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』『鉄鼠の檻』等にぞっこんやられました。
全巻読んで手元に置いていますが、最近の『陰摩羅鬼の瑕』『邪魅の雫』になると、若干退屈というか、以前のようには夢中にさせられません。人気キャラクターが多い上に新キャラも多く、そんなにどうしても必要とは思えないような情報が多くて若干疲れる。

例えば二番手キャラの一人が出てくると、この人はどの事件のどこで登場したんだっけなぁ・・・みたいなことを確認しないと味わい尽くせない部分があり、ファンでもやっぱりその作業は疲れるんですよ。
京極堂に次ぐスターである榎木津礼二郎、関口巽の近年の扱いは、時々もうドタバタギャグ要員に近い。

こうなると「君はいつも僕の心を乱すねぇ」(京極→関口in姑獲鳥)とか、京極堂を気遣う榎木津(in魍魎)などという、原作ではありえない映画版の解釈(腐女子に網を張ったとしか思えないような)がちょっぴり嬉しかったりする(堤真一さん素敵ですからねぇ・・・)。

おっととと・・・。また横道でした。

それに対し、「古典怪談シリーズ」とでもいうような、怪談を下敷きにして京極流に料理した作品群があります。
『嗤う伊右衛門』(唐沢寿明、小雪で映画化)、『覗き小平次』、そして三作目がこの『数えずの井戸』。

このシリーズはいまだにやはり大好きです。
もうこっち方面に力を入れて欲しい。

日本の古典的怪異譚を下敷きにした「あやし・かなし・うつくし」の世界を今後も書き続けて欲しいと思ってます。

どこかで京極さんが、「妖怪と幽霊とは違う」と言いつつ妖怪の方を肯定的に語っている対談を読んだような記憶がある(水木会関係?)のですが、この三作ははっきり「幽霊」方面の物語。

内容的には豪奢な部分はないにもかかわらず、なぜか「贅沢で美しい怪談」(映画『嗤う伊右衛門』感想http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/61)
と思わされてしまうのは、京極作品ならではなのかもしれません。
そして怪談仕立てでありながら、究極の「愛の物語」でもあると思います。

怪談のような「不思議なこと」は、起こっているのか起こっていないのか思い返せば朧なのですが、「怪談」の生まれた経緯は書かれています。そしてなぜか不思議な美しい物語であったと思わされる。
いつまでも浸っていたいと思わされるような中毒性もあります。

「生きるも独り。死ぬも独り、
ならば生きるの死ぬのに変わりはないぞ」
と嗤う「伊右衛門」。

生きているときから幽霊のようで、幽霊となっても生きているようで、「ひとつも変わりはないじゃないか」(お塚)に言わせるような「小平次」。

本当はそんなことはない。死と生の境は厳粛に区別されるべきものでしょう。
死と戯れることで酩酊を誘うような耽美的作風は、十代の若いうち(ウチの子達)にはまだ嵌って欲しくないものだと思います。

ああごめんなさい、前置きがまためっちゃ長くなりました。


【中心は井戸の闇か】

さて、『数えずの井戸』。
この作品もとても面白かったです。

モチーフは「井戸」「十枚揃いの皿」「空」。
どれも丸い。
丸は完全の象徴。
しかし欠けることがある。

『嗤う』の伊右衛門は、蚊帳の破れ目があると、そこから夜が滲みてくる。と怖れていた。
『魍魎』では、隙間を嫌い、なんでも「みっしりと詰まっている」ことを求めずにはいられない男の妄執が生んだ話だった。

その辺、合い通じている感じがしますね。
つくづく、京極さんは完璧主義だなぁ・・・。

この作品は完璧主義の最たるもので、象徴的な印象が強い分、若干様式に走っている嫌いもないではないです。それが「破綻を厭う」この作品のテーマに即しているかも。

だから物語は広がっていかない。一点を目指して収斂していく。

陰の主役といえるのは、青山家の暗く湿って苔むした庭にある井戸。底の知れない、陰鬱な忌まわしい井戸。
かつての用人填島が井戸ついて語るシーンで、こっちもえらく怯えさせられる。

>彼処は、実はあまり善くない場所なのじゃ。
>住まうものの運気強ければ何ごともない。だが、そうでなければ、邪気悪気を呼び込んでしまうのでござる。
>彼の井戸は、件の天寿院様がお手討ちになされた者の骸を幾つとなく投げ入れたと伝えられる、怪異(ばけもの)井戸でござる。


うわぁぁぁぁ・・・めっつぁ・・・!!怖い!!!

【「数えること」に関して】

ネタバレには留意しますが、序盤で出揃う登場人物に関してちょっと書きます。「欠けていること」「数えること」に関して、この物語の登場人物は様々な考えを持っている。

●青山家の当主:青山播磨
直参旗本の嫡男で、親の死によって家督を継いで間もない。そろそろ嫁を取らねばならない。
聡明だが、何が楽しみで生きているのかわからないような男。
優しげで虚無的な感じが、『嗤う』の伊右衛門を想起させられます。

何不足なく育てられた。何かを欲しいと思ったこともない。
それなのに、昔から何かが足りないような気がしている。これが全部かと疑ってしまう。
>十一や十二欲しい、と言ってるのではない。
>十が九に、思えてならぬだけなのだ。


●女中:菊 
幼い頃から馬鹿でのろまだと思われている、貧しい長屋に住む娘。
しかし明るく素直で優しい。実は器量も良い。言い逃れをせぬゆえ、他人の罪を被らされることが多い。謝ってばかりいる。

数えるのは苦手。空が一番好き。数えられないから。
>数えるから足りなくなる。
>世の中は数えなくとも、常に満ちているのに。


●幕府の実力者の娘:綺羅
青山播磨に会い、初めて「人が欲しい」と思った。
>欲しいものはただ欲しい。たくさん欲しい。
>数えたりはしない。数えればちいさくなるだけだ。

自分の一部として取り込みたいのだ。

●青山家の用人 十太夫 
忠臣能吏だが「こやつも欠けている」、と播磨は思う。
他人に誉めて欲しくてたまらない。他人に自分を勘定して欲しい。
己がからっぽのような気がしてならぬ。


●菊の幼なじみで米搗きの男:三平 
数え続けていることが大事。勘定はしない。
数えないと働けぬのだ。
百や千まで行ったら戻るだけだ。どうせ終わりはないのだから。

●青山の元悪友:遠山主膳。
青山を所詮自分と同類だと感じているやくざな浪人。
>俺は彼奴が、俺でないのが気に入らぬのだ。
区切りなど要らない。数えられるからいけない。数えられぬよう、破片も全て粉々に砕きたい。なにもかも。


そういう人物群が登場する。
実際は、世の中の人々がひとつの価値基準の下に考えを持っているわけではないのだけれど・・・・そこは京極マジックで、ついつい自分はどの人に近いのかなどとふと考え始めている。

【青山播磨の魅力は、伊右衛門に通じる】

中でも青山播磨の底なしの虚無には、心惹かれます。

ある時播磨は、庭の「欠け」を発見する。それは古い古い井戸だった穴。その底なしの暗さに、
>生まれてからずっと追い求めていた失せ物を見つけたような奇妙な高揚感に見舞われる。

そしてほどなく、もうひとつの出会いをする。
ふらっと家を出た丸い池の端で。
本当にかすかな、あるかなきかのような「恋」が、ほんの少しずつ進行する。

欲(エロス?)、または虚無(タナトス)に取り憑かれた人間たちの中で、
愚鈍でのろまで損ばかりしている菊が、唯一清廉な印象を残す。播磨とのすれ違いのような淡い恋が美しい・・・・。
悲しい、それでいてどうしようもなく美しい。

京極さんがいわば聖女的な存在を描いたのは、初めてじゃないだろうか。

柳の木に蛹のように縛り付けられた菊は、マリアを磔にしたかのようだ。

悪いことは全て自分のせいだと思い、他人に感謝しても恨んだり攻撃したりすることがない菊。他人の痛みは自分の痛みのように感じ、自分の命と他人の命の区別もつかないような菊。

一方で井戸の穴の底なしの暗闇に惹かれた播磨が、一方では、欲も保身もない菊に惹かれた。

多分菊は空。播磨は底なしの井戸。空は井戸の蓋。

ヘドウィグの片割れ探しのように、プラトンの「愛の起源」のように、二人は惹かれあい、悲劇によってようやくひとつになり、宇宙となるのかもしれない。多くの人間たちは、井戸の縁に取り残される。

声に出して読みたいくらい好きな物語だが、万人にお薦めはしない、タナトスの物語。

最終章はやや理屈っぽく、京極作品レギュラーでもある人物が解説するのが、若干鼻につく。京極作品の特徴なんだけど、この作品群ではそういうのはむしろ不要かな。
個人的には最終章をもっと省いた形で作品をまとめて欲しかった。皿を数えているのが誰かなんて、説明する必要は感じないのだが・・・。

青山播磨は伊右衛門の語り直しだろうか(いわゆる伊右衛門とは逆だが)。
諦念にあふれ静かで心の底には優しさを持っているが、中心がすっぽりと穴のように虚無。どこかたまらなく魅力的です。
綺羅が何ゆえあれほど播磨を欲したのかわかる気がする。綺羅と菊は「女」の両面であるかもしれない。

『嗤う』のラストに比べると、『数えず』のラストは単純であり、菊の最後の行為はやや唐突な感じがした。
伝説段階から、お岩の祟りっぷりは徹底的でエネルギッシュ、ビジュアル的インパクトも最大ですから、仕方がない。
お菊は恨むといっても取り憑いて祟り殺すような感じではない。

『嗤う』と『数えず』の違いはここに源を発しているので、京極氏の筆の迫力が減じたということではないだろう。

【舞台化妄想あれこれ】

小説を読んでなんでもすぐに映像化を想像してしまうわけではないのですが、『数えずの井戸』に関しては、読んでいる途中からしきりに映像が頭にい浮かぶような感じでした。

ほとんどひとつの屋敷を中心にし、クライマックスをその井戸の庭で迎える本作は、目に浮かぶような場面も多く、映画もいいけどとても舞台的です。

舞台化するのなら是非堺雅人さんで(ぞくぞくぞく)。
映画化するのなら是非オダギリさんでお願いしたい(鼻血鼻血)。
旬君もいいなぁ(TAJOMARUよりずっといい)・・・。

いやむしろ歌舞伎ですね。
能でもいけそうな感じがする。

・・・とあれこれ考えているうちに、演出家鈴木勝秀(スズカツ)さんの好みそうな題材だということに気づきました。

耕史君ファンゆえスズカツさんの舞台ばっかりたくさん見ているわけだけれど、特にスズカツ版『サロメ』(篠井英介主演の和風音楽劇)をなんとなく想起したのかも・・・・。http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/744

『サロメ』の舞台美術では、ヨカナーンの幽閉された井戸が舞台の中心をなしている。そして、「欲しいものはただ欲しい」綺羅のキャラクターは、サロメとそっくり。

月と井戸。禍々しい夜の空気。鳥の声。(まさにサロメ)

想像するだに、シンプルで象徴的で美しい舞台になりそう・・・。

そして、スズカツ版「さらやしき」(『数えずの井戸』)がもし実現したら、青山播磨は無論勿論、山本耕史が一番ピッタリ来ます!優しげで美男で中心に虚無を内包していて、いつも静かなのに怒ったときの殺陣は凄まじい。

・・・耕史ファンは、そういう気持ちで読むと面白いかも。
表裏の関係でもある、遠山主膳との二役もいけそう。
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rukaさん、いろいろコメントの返信が大変遅れましてすみませんでした。

>4月4日に予定していたイベント中止

その日のチケットを取っていた方々はもちろん、耕史君が一番辛いと思っているんじゃないでしょうか。

>京極夏彦氏の小説「数えずの井戸」
>内容読んでみましたら

記事読んでいただきまして、ありがとうございます。
途中から、スズカツさんの演出で耕史君で観たい!と言う気持ちが高まってきました。脳内妄想ばっかりしてます。

by きのこ March 09 [Tue], 2010, 7:52

きのこさんおはようございます
4月4日に予定していたイベント
中止になったとゆうのを
聞きました
なかなかそのお知らせが出ないものですから
おかしいなあ〜と思っていたら・・・
中止とゆう文字が!
でも、4月7日と8日に舞台終了後の
アフタートークがあるとゆうことですからね
きのこさんレポお願いします

本を読んでおられたみたいですが
京極夏彦氏の小説「数えずの井戸」
内容読んでみましたら
めっちゃ怖い
幽霊小説なんですね〜!
*間違えてましたらすみません^^;
幽霊小説といったら、きのこさんが
書かれてる「番町更屋敷」を下敷きに
してるんですね

この小説を舞台化!
う〜んどんな感じになるんでしょうね
登場人物の青山播磨
美男子で殺陣が凄まじいとか!
山本さん似合いますよ。

by ruka339 March 03 [Wed], 2010, 9:23
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