百済観音

October 18 [Sun], 2009, 20:07

もう一週間近くたちましたが、10日〜13日は関西方面に用事+αで出かけました。全日程素晴らしいお天気で、近頃の運を全て使い切ってしまったような気がします。シミの素も増えましたが。
関西は20年以上行ってない・・・とは表向きで、実は先月行ってるわけですが・・・○秘。

【1300年祭直前の奈良】

抜けるような秋空のもと、飛鳥、奈良方面に行けました。

・・・というと、さては唐招提寺(!)と思われるところでしょうが、改修工事が終了する来月までは見られないとのこと。あの美しい屋根と、厳しい顔のルシャナ仏が久々に見たかったけれど・・・。ドラマでたっぷり見ましょう!

・・・または、耕史君に時々びっくりするほど似ている興福寺の阿修羅さまに会いに行ったかと思われるところでしょうが(もちろん行こうと思ったけれど)、なんと来週(今週ですね)から「お堂で見る阿修羅展」があり、その準備で見られないとのこと。

でも、主目的は他にあったのです。

【法隆寺へ】

四日間とも抜けるような秋空に恵まれたのですが、法隆寺・・・特に五重塔が、一番この空が似合いました。まさに「柿食えば鐘が鳴るなり」というような晴れっぷり。
まあ、11月になれば紅葉で観光客も増え、前年祭の勢いもつくのでしょうがかえってゆっくりみられたような感じ。修学旅行生とも行き会わなかったし。

南大門、五重塔も回廊も、高い空をバックに、おおらかで落ち着いて見えます。

薄暗い金堂の中は、鞍作止利仏師作の本尊釈迦三尊像を中心に、薬師如来、阿弥陀如来、脇侍、パワフルな明王や四天王像などきらびやかな仏の世界。

ついこの前読んだいとうせいこうの『見仏記』のイラストで、みうらじゅんが言ってました。
「仏像たちはミュージシャンでお堂の中でコンサートを開いている」と。
これがとっても腑に落ちました。(法隆寺金堂ならJAMセッションかな?)
あまりに目を奪われて、隅っこの壁画を見落とすところでした。

だんだんメインの大宝蔵院が近づきます。
百済観音は、本当に憧れの仏像でした。
中学生の時亀井勝一郎の『大和古寺風物詩』で「永遠の焔」と書かれた文章を読んで以来、写真を見ながらどれだけイメージしてきたことか。
広隆寺と中宮寺の弥勒菩薩像と並んで、会いたい仏様の一番でした。

法隆寺には高校の修学旅行で来たことがあるというのに、時間がなかったのか、公開していなかったのか観られず、なんとも心残りでした。

大宝蔵院は平成10年に完成したごく新しい建物だけれど、あちこちに放浪していた百済観音の安住の場として作られたものなのだそうです。
ここも玉虫厨子、夢違観音など国宝がたくさん。

【百済観音の印象】

百済観音は一体だけ、意外に解放的な広がった通路みたいなところに立っておられました。正面から待ち構えていた感じではなく、ふっとこちらに右の側面を見せて立っていた感じで。

想像よりさらに背が高く、それでもやはり最初の印象は「細長いゆらめく炎」のような感じ。

建物は博物館風ですが、展示の仕方が良いので、ほぼ背面以外の360度から鑑賞できます。
特に横から見た時のそこはかとない優雅な動き、かすかにS字を描く姿勢の美しさに目を奪われます。
右面と左面の美しい手の表情による語りかけが多彩で面白い。

この像は、真正面から見るとひょろ長く荘厳で拝まずにはいられないような印象なのに、横から観ると軽やかで美しく、かすかな動きやディテールが多くの感慨を抱かせます。周って観ることができるのは本当に嬉しい。

しかし、美しく明るい新堂の中で、剥落した地肌はとりわけ痛々しく見えました。

ふと浮かんできた言葉が「焼け跡のイエス」。(石川淳の小説内容とは関係ないけれど)。
腰も定かではなく筋肉も薄い、柔らかく細い木のような肢体は、十字架に打ち付けられてこそいませんが、この世の苦しみをわが身に受けて立ち尽くしているイエスのようにも見えたのでした。(ルネサンス以後の、筋肉隆々のイエスではなく、初期、もしくはルオーの描くような細い体のイエス)
そういえば、頭に巻かれた宝冠(簡単に取り外せる感じ)は、まるでイエスがゴルゴタでかぶらされた荊の冠にも似てないでしょうか。

痛みが激しくて表情が読めないので、なんだか目を静かに閉じているように感じられました。来歴が漠として知れない(日本人の作か百済の作か中国六朝の作かも判明していない)この仏様のたどってきた凄まじい千年以上の歳月を思わされます。

ずっと定まった居場所がなく、金堂の玉虫厨子(これも今は金堂にない)の後ろに居られたりしたというのですが、長い歴史の中で多分・・お堂ごと大火に遭われたこともあったのでしょう。
疫病が流行り、救いを求めて御前に額づいた人々の姿も見てきたことでしょう。

そのたびこの観音は躊躇なくすっと軽やかに動き出して、左手の壺から涸れることのない水注いで衆生に恵んだかもしれない。
火傷に苦しむ人々のその傷を、御身に移し変えたかもしれない。

もちろん、そんなことは全て想像です。ただし、百済観音の芸術性、精神性が観る人によって様様な想像を生ましめるのでしょう。

【百済観音の謎】

私は剥落した痛ましい外見に強い印象を受けたのだけれど、勿論創建当時は(どこで誰が作ったのかわからないにせよ)、色鮮やかに彩色され、目鼻立ちもしっかりと描かれていたことでしょう。

まずはそれを想像して、鑑賞すべきかもしれない。

しかし、「今ここにある姿に受けた印象」を第一にして書く立場をとっても、別に間違いと言うわけでもないでしょう。(ミロのビーナスも、元の姿を想像しつつ今の姿を鑑賞するしかないのだから)

飛鳥や奈良で見たたくさんの神々しい、またギリシア彫刻と比肩するほど美しい仏像たちと比べると、この一体だけがなんだか全然違うもののように思える。

勝手に印象を言わせてもらえば、これだけが実は「仏像」ですらないような、生命あるものが実は彫刻群の中に混じっているような、そんな気がするのです。

百済観音は不思議な生々しさがあり、心を持った生き物のように思える。
作られた当時はもっと別なお心を持っていたのかもしれない。
スリムな肢体に空っぽのアルカイック・スマイルを浮かべた、胸も膨らまない無邪気な少女か少年だったのかもしれない。
変転するこの国の歴史を見つめながら次第に外面も内面も変化して行ったのではないか。

これを彫った彫刻家は、ただ一心に観音様を彫ったのか、愛する理想の女性の形に似せて仏を彫ったのか、または仏に自分の内面彫り込めたのか、それもわからない。

光背や宝冠(明治になって発見された)をもって仏像らしく見えているが、実は観音菩薩なのか虚空菩薩像なのかもわかっていないらしい。
頭の上の髷も小さい仏(化仏。観音の印)になっていないので、ただの髷のようにも見える。炎の形のシンプルな光背も、珍しいことに(珍しいかもよくわからないが)細い一本の竹の柱に取り付けられているだけという簡素なもの。
衣装の表現も、薬師寺等で見るような立体的でリアル(または様式的)な感じではなく、体に張り付いた薄い布を簡素に表しているかのようだ。けれど、腕から垂らした羽衣のような布は、緩やかに台座に達し、軽やかで優雅な腕の動きを下肢に伝えているかのようでもある。

稚拙な部分もあるけれど、意匠の極限に思える部分の方が多い。
飛鳥仏に共通するおおらかな表現に見えるところもあるけれど、ふと計算しつくされた姿態のようにも思える。

全体の、一度観たら一生心を奪われてしまうようなたたずまいの秘密は何なのか。
横から見た時の、かすかな軽やかな動きと優雅すぎる両の腕、手指の表現は、技巧と精神性の極致のようにも思える。引いたあごの感じや、光背や台座と一体になった「全体として炎のような」印象も、けして偶然の産物ではないだろう。

剥落した顔は、よく見ると目も描いてあるが、一瞬(甚だ失礼ながら)「へのへのもへじ」を思い出したほどの稚拙な線描に見えた。(消えてしまって後世線描されたのかも・・・)鼻筋はの通った横顔は美しいが、唇の量感とアルカイック・スマイルは少女や処女というにはあまり似つかわしくなく、この像の中で一番通常の仏らしく見えた。この顔がどうにも謎めいて不思議で、納得しきれないのである。

◆◆◆

売店で百済観音についての写真と文章を集めた本があったので、思わず買いました。
『百済観音』小学館。1200円。図版40P、文章80PくらいのA5判光沢紙の本です。

帰ってから、実際に目にした百済観音の印象を思い出しつつ読みました。
多くの人が、まったく違った思い(印象や考察)をこの像に持っていることに、今さらながら驚きました。

●和辻哲郎の名著『古寺巡礼』は、六朝時代の漢に源があると見て、この像の美しさを分析している(やや難解だったけど)。

>インドや西域の文化は、ようやく漢人に咀嚼せられ始めたのである。
>あの円い清らかな腕や、楚々として濁りのない滑らかな胸の美しさは、人体の美に慣れた心の所産ではなく、初めて人体に底知れぬ美しさを見出した驚きの所産である。
>あの深淵のように凝止している生の美しさが、ただ技巧の拙なるによって生じたとは、わたくしには考えられぬ。


●濱田青陵『百済観音』でも、非常に細かくこの像について触れている。

>無邪気さと温柔さは、ほとんどその極致に入っているといっても差し支えはない。
>正面観において、宗教的制約に従順であったとすれば、側面観において彼は芸術的欲求に応ぜんことを努めたということができる。
>この像の特徴とする単純さ、その温柔さ、またその夢のような情緒は、われわれを童話の天国、新鮮の郷土(フェアリーランド)へ誘い去らんとする魅力を持って迫ってくるかと思わしめる。
>それは慈悲に満ちた観音菩薩というよりも、(略)童子のごとく、あるいは童女の如き姿のまま生育した仙境の使者の感を抱かしめるのである。


●井上政次『大和古寺』では、もはや断定的に聖処女としている。

>この長姣妍雅の聖処女は、私にとって、観音でなくて何としよう。
>開花を永遠の明日に待つ蕾。(十六、七の処女であるのは動かし難い印象)
>異常なる長身は、これはまた其の「浅春の清楚」の特別なる強調なのだ。


●亀井勝一郎『大和古寺風物詩』私の愛読書だった本。

>大地から燃え上がった永遠の焔のようであった。人間像というより人間塔―いのちの火の生動している塔であった。
>顔面の剥奪して表情を失っているのもぼうことして神々しい。童子に無邪気であり、生のみちあふれた悦びと夢想の純潔を示す。静かに苧立しているようだが、体躯は絶えず上へ上へと呼びあがり、今にも歌いださんばかりである。
>百済観音を眺めながら、私はふとこの受苦聖母を想い出した。
>しかし百済観音は何ものにも祈っていなかった。
>これは受苦観音ではない。おおらかな微笑を湛えて地上を闊歩しそうな姿態である。
>天蓋の天人にも見られる童話的挙措である。


かつて愛読書だったのですが、百済観音に「焼け跡のイエス」を感じた私は、亀井さんの文章を「焔」の方しか覚えていなかったようです。

●矢代幸雄『歎美抄』は、人生の苦しい時に百済観音にいかに救われたかを熱く語っている。

>百済観音くらい、私の好きな仏像はない。あれほど、私の心に融け込んでいる仏像はない。
>最も偉い宗教像というものは、釈迦や基督の宗教的人格と同じく、あらゆる人間のあらゆる苦悩に応じて、それぞれに適当したる救いをくださる、と私は深く深く感じたのであった。


●上林暁『法隆寺の敬禮』は、エロティックな女性そのものと感じている。
>優れた仏像がそこには未だ沢山並んでいたけれど、百済観音だけがぼくの心を捉えて放さなかった。ほかのはみんな取るに足らぬように見えた。
>しなやかな立像は、まるで生きている女のようにぼくを招くのだ。しかし僕は、恥ずかしくてまともにはじっと見ていられないので(後略)


●竹山道雄『抽象について‐百済観音』では、形の霊妙さに感嘆しながらも、どこかしら気味の悪さを述べている。(同感です)

>何人がこのようにふしぎに優しく、しかも怪奇なヴィジョンを着想したのだろう!この姿は強く清らかに、神秘的な霊性につつまれている。顔は剥落して斑になっているせいか、やや茫漠として気味がわるい。

●直木孝次郎『新編 わたしの法隆寺』
古代史の重鎮である直木氏は、会津八一の短歌や、上に挙げた和辻哲郎や井上政次の文章に触れつつもうひとつぴったりしないと述べている。そして自分の印象は、むしろオーストラリアのカール・ウィット氏の『日本仏教彫刻』の中で述べられた次の言葉に近い、と言う。

>夢のような情緒、柔らかな空想、温和な真摯さ。

う〜ん、今思い返すと、私もそのあたりが一番あの仏様に近いかな・・・と思ったりします。

割合にして3分の1位、処女とか聖女、天女のように感じたものがありましたが、これは筆者がオール男性だからかも・・・。
●榊獏山『夢見る夢の輝き』
>美の極致というのは、一朝一夕にしてわかるものではないということを、私にとくと教えてくれたのは、この百済観音さまだった。
あとの文章の中に瀬戸内寂聴さんの言葉が載っていました。
>そうよ。あの片隅でほこりをかぶったままの百済観音を見て、もう全身痺れるほどの気持ちになったわよ。

他にもいろんな感想が載っていて、「コケットリー」や、「(つぼを持つ)左手の指の先が細かく震えている」、逆に「(上を向けた)右手の一指一指がわずかに妖しく震えている」と感じた人など様々です。
他にも詩や短歌など、盛りだくさんで載っています。百済観音へのラブレター集。いいもの買いました。

【中宮寺の弥勒菩薩】

法隆寺の夢殿のとなりにある中宮寺の弥勒菩薩、これもずっとずっと観たかったので行きました。

・・・百済観音の衝撃の後では、どうしても小さいなぁ、写真と変わらないなぁ程度の感想しか抱けず、申し訳ない。お堂に鎮座して、正面からしか見られないからもあるのでしょう。

うつむいて微笑む顔も、頬に触れた美しい指先も、小さく組んだ足も、完璧で文句のつけようがない。
誇張も少なく、とてもつつましい。だからしみじみと満足なんですが、心をわしづかみにされるとか、そういうものはなかった。
もちろん、時と状況を変えると違って見えるかもしれませんが。

中宮寺の弥勒にしても興福寺の阿修羅像にしても、表情の完成度が非常に高く、雄弁すぎるかもしれない。
阿修羅の目力、眉間の憂いの表現はすごい、身体の隅々まで完璧な意匠が感じられる。「芸術作品」としての迫力は、上野で大成功を収めたように、世界のどこに行っても勝てる。阿修羅、ナンバーワン!

・・・しかしながら、百済観音に見るような不可思議な神秘性までは感じなかった。
仏様は美術品であると同時に拝むべきものであり、比べてどうこう言うのは不適切ですが、やはり、あのわけのわからなさも含め、百済観音に最も心を惹かれます。
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ryoさん、思いがけずこちらにコメントいただきましてとっても嬉しいです。
大阪に住んでいらしたんですね。私も、一年でもいいから関西に住みたいと思ってます。京都奈良を中心に、四季を感じたいところがたくさんあるので・・・。

>大阪時代は、車で30分の所に法隆寺があったので、土・日にはたびたび出かけていました。

ふにゃ〜〜!羨ましいです!何十年も写真や文章で想像するだけの存在だったので・・・。
あのあたりは、古代の謎がたっぷり今も隠されていて、本当はいろいろ細かく周りたいところです。今回はレンタサイクルで明日香の方も回りました。

>百済観音は、今は大宝蔵院に展示され、ゆったり見ることができますが、以前は今の中倉・南倉の所の大宝蔵殿の狭いところにありました。

いろんな場所に転々と居場所を変えられてたみたいですね。
場所によって印象もずいぶん違うでしょうね。

>初めてお会いしたとき、その優美さに「はっとした」ことを覚えています。

本当に優美な姿で、あの体の線はいくら見ても見飽きません。法隆寺は全体の雰囲気もいいし、一つ一つの文化財も素晴らしいし、本当に何度も見られたらいいなと思います。

>梅原 猛著 「隠された十字架 法隆寺論」
>この本を読んだ後、書いてあることを確かめようとさらに足繁く法隆寺に通いました。

素敵な動機だと思います!!
私もかつて古代史にはまり、梅原さんのはこれと、「水底の歌」「日本の深層」くらいですが読みました。でも旅行のあと、また読みたくなって帰宅後文庫を買いなおしたところです。さっぱり覚えていないので・・・。

関西は疎いですが、かつて九州に三年くらいいまして、あの時は邪馬台国の謎を中心に九州中の古い神社・神宮・古墳を、小さい子どもも連れてずいぶん回りました。テーマを持つと旅も楽しみが広がりますよね!

耕史君が唐招提寺をやるので、いろいろその辺もおさらいしたくなります。ただ、最近年のせいか読書スピードがめっきり落ちて寂しいです。

 

by きのこ October 21 [Wed], 2009, 4:27

rukaさん、関西方面はなかなか行く機会が無いのですが、それだけに憧れは強いです。京都、奈良、大阪、近江、吉野、明日香、伊勢・・・・。

今日と在住のrukaさんが羨ましい!来年は奈良にも行かれるんでしょうね。奈良は、かなり気合を入れて1300年を迎える準備をしているみたいでした。平城京址も続々整備してるみたいでした。
「せんとくん」のほかに、「まんとくん」「パゴちゃん」(法隆寺限定キャラ、柿の顔に塔が乗っている)などがいて、パゴちゃんが気に入ってお土産にしちゃいました。

妄想小説、まとめて読みしました。もう少しですね!ラストスパート頑張ってください!

by きのこ October 21 [Wed], 2009, 4:10

 きのこさん こんにちは。

 大和路の方に出かけられていたんですね。天気も良く、すみきった青空の下で景観を楽しまれたことでしょう。

 法隆寺の百済観音のレポ、本当に懐かしく読ませていただきました。

 実は、私、大阪に7年半(昭和と平成の2回)、宝塚に2年半住んでおりました。
 大阪時代は、車で30分の所に法隆寺があったので、土・日にはたびたび出かけていました。
 また、宝塚の時にも、時々、行きました。

 百済観音は、今は大宝蔵院に展示され、ゆったり見ることができますが、以前は今の中倉・南倉の所の大宝蔵殿の狭いところにありました。初めてお会いしたとき、その優美さに「はっとした」ことを覚えています。一昨年に法隆寺を訪れたときも、以前と同じようにそのお姿の優美さに感動しました。

 法隆寺の仏像や五重塔などの建築物、行事についてはたくさん書物が出ていますが、私が目にして、大変驚いたのは、

 新潮文庫 梅原 猛著 「隠された十字架 法隆寺論」

です。この本を読んだ後、書いてあることを確かめようとさらに足繁く法隆寺に通いました。まだ手にされていないのなら、是非おすすめいたします。

 レポを読んでいたら、また、法隆寺に出かけたくなってきましたよ。 

by ryo October 19 [Mon], 2009, 11:07

きのこさんこんばんわ
10日〜13日まで
関西方面に来ておられたんですね
何やら奈良のお寺めぐりも
されたようで
山本さんにそっくりの阿修羅
テレビニュースで見ました
確かに山本さんに似ておられますね
唐招提寺のほうはまだ工事中だったそうで
また、展示会前の準備で阿修羅が
見れなかったんですね

ああ〜それと、
「アタシんちの男子」妄想小説ですが
私のブログにありますカレンダー
今は10月カレンダーになってますが
その下の「バック」とローマ字で書かれてる
ところをクリックしていただけると
9月21日〜29日までのお話しが読めます
9月24日のほうは大蔵兄弟・千里・rukaVS時田軍勢との
対決になっております
お時間ありましたらお読みください。



by ruka339 October 18 [Sun], 2009, 23:03
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