オダギリさん三題 『さくらな人たち』『プラスティック・シティー』『ぼくの妹』

April 30 [Thu], 2009, 7:59
非常に書きづらい文章を書いています。
書くのをやめようかと何度も断念しかけたのですが、そうすると胸の中にモヤモヤとしたわだかまりのようなものが次第に大きくなっていって・・・何週経っても晴れない。
それでも連休前にとりあえず何とかしたいと。

最近オダギリさんについて書くのが多少苦しくなってきた。
無論誉めることも喜ぶことも記事としては書けるけれど、それでは誠実とはいえない。

「裸の王様」に華麗な衣装を見ることは王様を救うことにはならない。いや、王様が裸かどうかは一個人の目にはわかるはずもない。
書きたいのは、「自分の目に」王様が裸に見えるかどうか、であり、裸に見えれば嘲笑や批判を恐れず「裸に見える」と言おう。華麗な衣装が見えれば見えると言おう。
人間はみな少しずつ歪んだ鏡だけれど、歪んだ鏡なりに正直でありたい。

・・・・分析などするつもりはない(できればしたくない)。
できれば酔ったままでいたい。しかし酔ってもいないのに酔った振りをするのは避けたい。人間はみな歪んだ鏡だけれど、歪んだ鏡にも誠実はある。
賞賛や弁護や批判等の「意図を極力持たずに」、できるだけ自分の正直な感覚や本音を、掬い取ってみたいとおもう。

【ぼくの妹】

久々のTV出演となるTBS日曜劇場『ぼくの妹』。
1、2話もちろん見てます。好きな話ではないので後半毎回寝てしまい、その部分は目が醒めてから見直しています。
妹に振り回される、世渡り下手なエリート外科医の役ですが、自分もいろいろ失敗して妹の世話になってもいます。

オダギリさんが出てくるだけで目を離すわけにはいかない。
『サトラレ』を思いださせるキューティーオダギリ。
トロンとした疲れた目も、「途方に暮れた」を絵に描いたようなあの目も、困って眠そうなあの表情も、ちょっとイラつくあの眉根も、私の大好きなオダギリジョー。
妹の浮気相手(これも弱そうな田中哲司演じるヘタレ弁護士)を殴ろうとして空振りしたりするのは可愛さ満点です。
ともさかりえとはあんなことになっちゃうし、今後は千原ジュニアに食われ放題になっちゃうのかなぁ・・・?
大滝秀治さんなどかつての患者さんたちに信頼が厚いのだけが取り柄。医局の中でも総スカンだし、趣味は休日の自転車乗りだし、人畜無害。でも、さりげなくオシャレなのがいいですね。
話も案外ミステリ風なところもあって面白い・・・・かも。

でも、心配していたように、この話は、私の苦手な話だ。
「甘い顔して欲しいよ。だってきょうだいなんだから」
「今日からお互いのことを父親だと思い、母親だと思って生きろ」。
きっぱり苦手です。
ああ、オダギリさんが妹のお守りをするのを見ていくかと思うと気が重い,
兄弟は他人の始まり。成人したらいざという時以外はドライに付き合って行きたい。
親とのもたれ合いだけでもACやひきこもりなど数々の問題を引き起こしているのに、兄弟姉妹までもたれ合いを良しとするのはやめて欲しいんですよ。
時には切り離すことが、自立に必要な愛じゃないですか。

まあ、「話(物語や主題)」の話は、ここではまあ、いい。
くだらないドラマなんて(人それぞれだが)いくらでもあるし、それが誰かに楽しまれているのなら存在価値もあるのだろう。

【プラスティック・シティ】

半月ほど前、オダギリさんに関わる映画を2本見ました。感想もかけないままでしたのでここでサラッと。
(以下、若干ネタバレ含みます)

『プラスティック・シティ』は『悲夢』に続く海外製作作品。日中ブラジル共同制作です。
やっぱり、『悲夢』と同様に、作品よりオダギリさんのビジュアルが圧勝している映画だと思ってしまいました。

親を失い、ユダ(アンソニー・ウォン)に育てられた暗黒街の若者キリン(オダギリジョー)。首元まで入った刺青や、束ねた髪やしなやかな肢体がセクシー。音を立てて女性に濃厚なキスをするシーンもクラクラです。ポルトガル語や中国語、オダギリさんの口から出るのが全く自然。

お話はプチゴッドファーザーで、裏の世界で贋物を売りさばいて利益を上げていたユダの商売がライバルの出現等で傾き、その闘いの中でユダもキリンも犯罪を犯して指名手配になったり刑務所に入ったり出たりする。ユダが引退と引き換えにキリンの釈放を頼むが・・・。

名作『血と骨』のオダギリさんの、その後を見るような思いで、それが理想的なほど美しくエロティックな形で映像化されたことには非常に満足感があります。

工事中の高速道路と思われる、高い高い橋げたの上での決闘が印象的。サムライの殺陣を意識してますね。迫力はあるけれどどこから登ったのかわからず、「SHINOBI」を思いださせるゲームっぽい戦いでした。しかしキリンは美しい。

心身ともにボロボロになり、ホームレス状態で子供たちに火をつけられるようなシーンでも、たまらなくキリンが悲しく愛おしい。
ラストのジャングルの中、白い虎が現れた父と息子のシーンも・・・。
音楽が雑多で気持ちがいい。アジアンティスト、ロックやジャズ、演歌まで多用し、ブラジルのスラム街の雑多さとうまく調和していると思う。

内容に関しては・・・・失礼ながら薄いように感じました。
「義理の父と義理の息子」の愛が中心だが、「父と子」の時にテーマになる「愛憎」にはならない。義理だから、拾ってくれた恩義があるからこそキリンはユダを愛しぬくのでしょう。
実際の父子に「愛憎」が生じるのはやはり「母親」を介しているからであり、それがない状態で単性的な父子愛を演じると言う点ではオダギリさんほどはまってくる人はいない。『たみおのしあわせ』も母親不在の父子だし、『HAZARD』『転々』も、擬似父親的な存在(時には殺人犯であると知っていながら)に愛着を覚える。徹底して片親的な感じがする。
両親がリアルな形で登場する『東京タワー』での揺れ動く様はやはり凄かった。
『東京タワー』と『メゾン・ド・ヒミコ』『ゆれる』等はオダギリさんのヴィジュアルが孤独に圧勝するような映画じゃなかったような気がする。


【さくらな人たち】

さて、小田切譲監督作品の初上映となる『さくらな人たち』。
この映画の感想を書くのは難しい。
以前の記事でこんなことを書きました。

>『さくらな人たち』はオダギリさんの舞台挨拶付きでなきゃ観てもしょうがなかったかも・・・・少なくとも、オダギリさんが作ったものでなかったら1800円を出してこれは観ない。駄作か傑作かなどの作品についての話も、オダギリさんが作ったという点を抜きにしては多分成立しない。
>女性と見紛う美しきいでたちで、床に置いたビールを手に取る動作もセクシーなオダギリさんがなんと「ぼくが思う映画というのはこれです」(複数の方のレポより)と、言ったという・・・。もしその場に居たらその瞬間から、『さくらな人たち』は特別な大事な作品に変貌したでしょう。
>それがない状態でこの65分の作品だけを見た観客(シークレット上映だというのに一割も埋まっていなかった)は大変惨め。帰りのエレベーターの中で「こんな作品を見てしまった」者同士7,8人の、お互い顔を背けたくなるような気まずさは、救い難いものでありました。


この「惨めな気持ち」は実はずっと続いていて、番宣等であちこちに登場したオダギリさんを目にするたびに複雑な気持ちになっていました。

オダギリさんが作ったと言うことだけで全て良い方に解釈して観るのはやはり避けたいけれど、けなしまくると思うツボ、のような作品にも思える。

「新宿バルト9」にて、3日間だけのシークレット上映。
だから、本当は他人に見せるつもりで作ったものでないけれど、完成した作品だし、ファンのどうしてもという希望が多いから、制作費回収にもなるし(というようなことを言ってましたね)見たい方々だけにこっそり見せるだけ、というのはわかる気がする。

でも、だったらどうしてロッテルダム映画祭の招待作品としてのオファーなど受けたのだ?
映画祭では多くの人が席を立ってしまったという。のもわかる。オダギリさんは「意外に残ってくれたから人も多かったので良かった」(意訳)と言ってた。
今回の会見では「高尚なものを観たような気がしたでしょう」(意訳)と言ったという。

こういう、シャイな(?)本音を煙に巻くような言い方をして、なおイイワケ的防御線を全く張らない潔さ(?)は、支持を受けるのかもしれない。私も目の前で生オダギリのあの声であの姿で言われたら、映画の内容などすっ飛ばしてしまいそう。

でも、どうなのかな・・・自作を「高尚な映画を見たような気になったでしょう」というのはあまりに逆説的、自嘲的じゃないでしょうか。「わけのわからないもの」を「高尚」とか「芸術」とか名づけることが多いので、自らその方向を阻止したのだろうか。
「エンターティメント」であることが映画が基本だと思うのだが(もちろんいろんな映画のあり方があって良いが)、『さくらな人たち』には、少なくとも私は楽しませてももらえなかったし感動もしなかった。
大体わけがわからなかったし、わけのわからないものを喜ぶ趣味もない。

さらに「僕の思う映画というのはこれです」と言うことは・・・?対極にあるような多くの映画、『ゴッドファーザー』や『タイタニック』はもはやオダギリさんにとって映画じゃないのか。これまでオダギリさんが作ってきた多くの映画は・・・?
この発言は映画の否定にすら聞こえた。映画館の暗がりの中で小さいころから多くの時間を過ごし、誰より映画を愛しているように思えたオダギリさんが、『さくらな人たち』をこそ「映画」とするのはなぜ?
それともこれらは全部中身のないシャレ発言なの・・・・そんなそら恐ろしい。

【思いつくことだけでも感想を書いてみる】

ここからは、『さくらな人たち』の内容について・・・。

意外だったのは、ずいぶんセリフが多かったこと。小田切監督がセリフで説明するような映画を撮るはずはないとおもっていたので、説明的な感じがオダギリ映画、フェアリーなんとかとか『バナナの皮』のイメージを裏切った。
それでも、何かわかりやすくなったわけではない。

映像も説明的じゃなかったですか?序盤で気になるメトロノームの動きと、ラストシーンのワイパーの動きはあまりに狙いが見えすぎてちょっと興醒めだった。
ギャグも、シンボリックに使われている「鶴田の桜」にあわせてナンバープレートが「鶴田浩二」になるとか、「46−49」になるとか、ギャグとしては安易過ぎて笑いようがない。滑りを狙っているのかなぁとも思いますが・・・。

カッコイイもの、美しいものは意地でもというくらい(?)、この映画の中には出してくれない。
美しくてかっこいい、映画のパーツとして求められてきたオダギリさんの反発?
確かにここ数年、たいした作品内容でもないのにオダギリさんだけが飛びぬけて映像的に良かった映画は多かった。オダギリさんが登場するだけで作品がアートっぽくなってしまうのだから、監督たちがオダギリさんの存在に頼りすぎるのもわかるけれど。
だから僕が監督になったとしたら、役者の美しさやアート性になど頼るまいとしたとか・・・ひとつの無茶な推論かな。

河本青年の服装も、どうやったらこれだけダサいんだと思うほどダサいチョイス大昔の若者が布バック持って立ってる。
河原さぶ(タクシー運転手)だけは妙にテンションが高い。監督はこの方を好きだというけれど、オダギリテンションとずいぶん違う。
中盤、タクシーからこの二人が転がり出て、地獄の風景のようなCGが挿入される。ここから別な世界に行ってヒートアップさせるのかと思ったけれど、何事もなかったかのように車内に戻ってしまう。
腕が変に曲がってしまった男(スミさん・山田浩)が登場。どアップにした変な顔で笑いを誘っていた(一人だけ笑ってた)けれど、こんな安直なギャグで笑えるかよ・・・(もうカンベンしてくれという感じ)

車内撮影のためにタクシーが一面切断されたらしく、そのまま(切断されたまま)の姿で土手脇を走る。狙いなのか一度切ったものを戻せなくなったのかは不明。タクシー一台調達するので予算が本当にパンクしかけているという実情も感じられる。

カメラが手持ちなのかやたらにぶれて、見ているのが苦しい。
これを本当にロッテルダムに・・・?

「人って信じることが一番難しいよ」って、まさかむき出しのテーマ?
しかし、これもやにわに信じられない悲しい自分。新興宗教や人格改造系のVTRにたくみに紛れ込ませてある、疑う回路を遮断しておくメッセージにやや似ているので。

次長課長の河本や河原さぶら3人が矢沢永吉をがなりながら全裸で踊りまくる長尺のシーンは、まあ一番熱くて乗れたし、全裸であることには何の違和感もいやらしさもなかったです。ここで脱ぎ捨てなかったらかえって変な感じだし。
けれどこれをもって「わいせつか芸術か」という論争になるとは思えない。要するに美しくもなんともない裸体のイチモツが見えようと見えまいとたいしたことではないと思いますし、エロティックでもなんでもないし、それがこの映画の話題だとしたら寒すぎる。
トランス状態でもう一人の裸体男が登場しますがこの意図もわからない。

大雨が降って、ますます花見は波は絶望的になるけれど、それでも「鶴田の桜」を求める気持ちが高まる。河原さぶに「三つ言いたい。ばかやろう。ばかやろう、そしてありがとうだ」と送り出され、一番若い戦士である河本があの土手に上り、何が見えたのか非常に複雑な絶望的な表情(ここが河本精一杯の名演技と言える)。
果たして桜は見えたのか・・・?それとも。
このラストに、若干の余韻がないでもない。

音楽は良かった。特にアルバート・アイラーの不条理な感じのジャズがとても懐かしく、オダギリさんこういうの好きだろうな・・・。オダギリさんの曲も入ってる感じでしたね。
ラストには、この作品にかかわった人の名前がたくさん出ていて、麻生久美子さんや西川監督の名前も発見。そんなにたくさんの人が本当に関わったのかなぁ・・・。でも、個人(?)で映画を撮るのは大変なことだから必死で人脈をかき集めたのかもしれない。って、なんだか自主制作映画祭にでも行った気分になってしまうが、そういう気分でいいのかどうかもわからない。

【複雑な思い】

この映画、けなすことはいくらでもできる(褒めることもいくらでもできる)けれど、三週間も経った今思うと、なんだか「残る」のです。
いやになるほど残る。見たことを消すことができない。
無性に不安を掻き立てるへんてこなロードムービー。
監督の夢を映像化しただけ、と言う簡単な解釈も可能だけれど、それだけかな?
なにか精神不安定な人間に助けを求められているようにすら感じられる。

私の気持ちとしては、やはり意図を単純に、「観客を楽しませる映画や本気で伝えたいメッセージのこもった映画を一生懸命作ってほしい」。結果的に理解されないとしても、それはそれで仕方がないけれど。
真剣に見るべきなのか眉唾してみるべきなのか、なにやら観客が試されているようで不安に陥るような映画はやはり作ってほしくない。

それでも本当に彼が作りたい作品がこれなら・・・・「高尚な作品」などと茶化すのではなく、「まだ不十分ですが、今後もっと自分の求める世界を作品として追求していきたい」とか言って欲しい。
そして後年、『さくらな人たち』を目にしたときのわれわれは、オダギリ監督のことを何もわかっていなかったのだなぁ・・・と感慨にふけらせて欲しい。

やっぱり辛い。
やっぱり、オダギリさんが好きだなぁ・・・。
この映画一本でもとても切り捨てることはできない。
もしかしたら、ミーハーな女性ファンから切り捨てられたがっているのかもしれないけれど。

彼がどういうものを作りたいのかはわからない。
けれど、役者として映像作品に登場するときのあの美しさや空気感、折れそうなほど孤独で謎めいたあの存在感。あれほど映像だけで酔わせてくれる人はいない。
同じ人が作った『さくらな人たち』を見たからといって、もう見たくもないと言う気持ちには到底なれない。

あの、初日舞台挨拶の場にいて、あったかいファンとオダギリさんの語り合いの空気を感じていたら、こんな複雑な思いはしなかったんだろうか?

応援していきたい、好きでいたい、という単純なファン心理がいたぶられているような気もする。
すべては今後のオダギリさんの活動の中にあると信じて、今後も見守っていきます。

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きのこさんこんにちわ
ドラマとは関係ない情報となりますが
先ほど東京世田谷パプリックシアターを
見ましたら公演情報に「ドリアン・グレイの肖像」が
出てまして、山本耕史さんの素敵な
お写真が出ております。
http://setagaya-pt.jp/

by ruka339 May 02 [Sat], 2009, 10:06

そうそう! 『ぼく妹』で久々に共演した、ともさかりえさんと鈴木砂羽さんが、お二人それぞれのオフィシャル・ブログにて、ジョー君について語ってくれていますv

★りえさんブログ記事→3/20「支離滅裂」、4/3「危機」

★砂羽さんブログ記事→4/6「ロケ日和」

by ゆり May 01 [Fri], 2009, 6:36

ゆりさん、今記事は書いた後にもズンと落ち込むような気分だったので、反応してくださってありがとうございます。
>いや、もっとハッキリおっしゃって下さっていい位ですっ!
いえ、これで精一杯です
多くのオダギリファンの『さくら』への感想を読んでも、何とかいいところを見つけたいという一途な思いと、やはり違うんじゃないだろうかという不安な思いが交錯していている感じがしますよね。『プラシティ』と『妹』は一緒に語るべき対象ではないのですが、一気に書いてしまいました。

>丸くなりきれない部分が魅力の人
耕史君や、今の小栗君なんかも「丸くなりきれない」発言が好もしいんですが、ストレートなんですよ。オダギリさんはなんでしょう・・・シャイや不器用なだけならいいんですが。

番宣についても、なるほどです。
>スタパの生放送では、多くのファンが本人以上にテレビの前で緊張してたかも^^;
見たかったです!あと、『風とロック』やっぱりゲットできませんでした。息子に急いで行ってもらったんですが・・・。やはり帰宅途上だろうとUターンして都心へ向かう位の根性がないとダメなんでしょうね。せっかくの情報生かせなくてゴメンナサイ。またのチャンスを待ちます。

『ぼく妹』・・・「これ程、方向性やジャンルが不明な作品は初めて観た」
そうですよね。オダギリさんが主演でなければまず見ませんでした。脚本が池端俊作なのがちょっと安心要素?
ナレーションは、あの声がきけるからいいか・・・という感じ。
「バタ足演技」私も一番受けました!
全体的にはやっぱりよくわからないですが、見ない選択はないのでたぶん見続けるでしょう。

『悲夢』、「内容はともかく」という一言がつきますが、映像的には最高じゃなかったですか??感想楽しみにしています。

by きのこ May 01 [Fri], 2009, 6:29

今晩は♪
きのこさんらしい素直な感想を好ましく読ませていただきました。 いや、もっとハッキリおっしゃって下さっていい位ですっ!(笑)
きのこさんが彼に対して沸々と抱えてるモヤモヤは、おそらくオダギリ・ファンも同様だと思います。 逆にいまだに不器用…というのは語弊があるかもしれませんが、丸くなりきれない部分が魅力の人だったりするので、一長一短でしょうかねぇ。
あくまで自己完結の世界で済ませる作品作りなら、犯罪行為以外なら何でもアリの自己満足で済ませられるでしょうし、思いの逃げ道(とは思っていなくとも)もある。 いつかは観客という対人を意識した作品を観てみたいものです。

番宣…昔の彼は相当無理してテンションを上げてたんだろうなと、つくづく思いますが…はぁ〜(-_-)
まぁ、あのハラハラ感がたまらなかったり、ツッコミの楽しみだったりするんですけれどね(笑)>スタパの生放送では、多くのファンが本人以上にテレビの前で緊張してたかも^^;

『ぼく妹』に関しては、これ程、方向性やジャンルが不明な作品は初めて観たので戸惑ってますが、そこが予想外で興味を惹いてます。
まさかサスペンス的要素が入り込んで来るとは思わなかったし、かと思えば、あの『ひとつ屋根の下』シーンは…狙いですか? どうにも笑うトコロではなさそうだったので、単なる偶然の似たシーンだったのでしょうけど、色んな意味で謎だらけのドラマという感じで楽しみになってます(笑)
ただ、あのナレーションは、どうなの?…と。 そんな事いちいち説明しなくても画(演出)で見せてよ!と感じる事しばしば。 オダギリファン的にはナレーション台詞はオイシイけれど、それと作品の評価とは別物なので、要らない物は要らないと正直思います。
妹にもカケッコで勝てたためしがない設定のジョー君のバタ足演技には感心しました(そこかい!)

やっと『悲夢』が観れましたv(まもなく『プラシティ』も) それは後で、あちらの記事にカキコさせていただきます。

by ゆり May 01 [Fri], 2009, 4:36
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