ルーツではないが……

October 30 [Wed], 2013, 18:51
「銘石」という漢字書体は、中国・南京市博物館で所蔵されている『王興之墓誌』(341年)ならびに『宋和之墓誌』(348年)を参考にして制作した書体だ。日本のゴシック体に似ているが、この墓誌銘は1965年に南京市郊外の象山で出土しているので、まったく無関係であることは明らかだ。
 三国時代の魏の武帝・曹操は205年に「立碑の禁」を出した。西晋の武帝・司馬炎も「石獣碑表」をつくることを禁じた。これらは当時の厚葬の習慣を戒めたものだ。「立碑の禁」が出て以来、碑を立てるかわりに小さな「墓碑」を墓の中に埋めるという形式が行われるようになった。東晋になると地中の「墓碑」はなくなり、碑における事跡の部分だけを、石板や粘土を固く焼き締めた「磚」に彫りつけて、柩とともに埋める「墓誌銘」という形式が出現するようになった。
 この「墓誌銘」のうち、『王興之墓誌』などにもちいられた書体をとくに「銘石体」という。東漢の隷書体から北魏の真書体へ向かう中間書体といわれており、彫刻の味わいが加えられた独特の書風だ。


●『王興之墓誌』(中国・南京市博物館蔵)

「方広」という漢字書体は、台湾・国立故宮博物院で所蔵されている『大方廣佛華巖経』(990―994年、龍興寺)を参考にして制作中の書体だ。日本のアンチック体に似ているが、こちらも無関係だろう。
 中国の印刷の初期において、仏教経典で用いられたのは荘厳で権威的なイメージのある肉太の字様だった。仏教経典の印刷は唐代から行われているが、時代と地域を越えて、経典の形態、字様、版式に大きな変化はみられないという。
『華厳経』は、すでに成立していた別々の独立経典を四世紀中葉以前に中央アジアのコータンあたりにおける大乗仏教の人々によって集成され編纂されたものだ。武則天(623―705)は、旧訳の華厳経に不備があるというので使者を派遣して梵本を求めさせ、併せて訳経者も捜させた。実叉難陀(652―710)を洛陽に呼び大偏空寺で訳経させた。その漢訳経題を『大方廣佛華巖経』という。
 このような仏教経典・儒教経典にもちいられている肉太の字様を「経典体」ということにしよう。


●『大方廣佛華巖経』(台湾・国立故宮博物院蔵)

「銘石体」は「ゴシック体」のルーツではない。同じく、「経典体」は「アンチック体」のルーツではない。が、ルーツだと思わせる形象だ。「銘石体」「経典体」ともに優れた古典書体だ。魅力的である。だからこそ活字書体化をはかりたいと思った。
「銘石」は、和字書体「くれたけ」などのゴシック体(私案では「くまそ」)と欧字書体とのサンセリフ体との混植を考慮にいれた。「方広」は、和字書体「ことのは」などのアンチック体(私案では「えみし」)と欧字書体のスラブセリフ体との混植を考慮にいれた。
 その前提で、文字の大きさや太さをそろえることにした。「銘石」も「方広」も、書道でいえば意臨に近い。この点において、ほかの復刻書体とは少し違っている。日本語の漢字書体は、和字書体、欧字書体との組み合わせも考えなければならない。
 ルーツではないが、キャッチフレーズとしては「古代呉竹体」、「古代安智体」と言いたい。
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