新聞にはやっぱり新聞書体なのだ

March 19 [Wed], 2014, 9:36
 2014年3月11日の主要な朝刊を集めてみた。朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、そして東京新聞の5紙である。東日本大地震から3年、各新聞がどう伝えているかも興味があったが、同時に、最近の新聞書体を見てみたかったのである。



 ここでいう新聞書体とは扁平の本文書体のことである。新聞の扁平活字が一般化したのは太平洋戦争がはじまった1941年(昭和16年)のことだ。そのおもな要因は用紙事情の悪化によるものだ。質の悪い新聞用紙に、膨大な情報量を詰め込まなければならなかった。当時は1行15字詰めで、活字サイズも小さいものだった。可読性をたもつためには抱懐をできるだけ大きくする必要があったという。こうして扁平で抱懐を大きくした新聞書体のスタイルが定着した。
 1行12字詰めで、活字サイズも大きくなり、まれに正体で使用されるようになった現在でも、その書体設計のスタイルは継承されている。各社それぞれの独立した書体なのだが、抱懐が大きいという基本的なところは同じだ。それがいちばん適しているということだ。短い行長と、狭い行間で、もっとも読みやすいスタイルを追求した結果、完成されたスタイルだからだろう。

 一般印刷用書体のなかにも、そのスタイルを色濃く反映しているものがある。
 ひとつは、「石井細明朝体縦組用かな・横組用かな」(写研、1970年)である。縦組用かなと横組用かなの2書体あるかのようだが、たしか4字ほどが違うだけで同じ書体である。石井細明朝体用横組用かなは、『組みNOW』(写研、1976年)の本文に使用されている。
 もともとは、橋本和夫(1935― )氏が『日本レタリング年鑑』(日本レタリングデザイナー協会=現在の日本タイポグラフィ協会、1969年)に応募して入選した書体なのだ。ちょっとしたいきさつがあって、写研で商品化することになり、石井細明朝体のかなのバリエーションのひとつとして組み込まれたようである。
 橋本氏は株式会社モトヤに勤務していたときに大佐源三氏から指導を受けている。大佐源三氏といえば「朝日新聞」の本文書体を設計されたことで知られている。私の勝手な想像であるが、当時30代前半だった橋本氏は、知らず知らずのうちに大佐氏の影響を受けていたのかもしれない。
 もうひとつは「小塚明朝R」(アドビシステムズ、1998年)である。
 設計者の小塚昌彦(1929― )氏は、毎日新聞社で「毎日新聞」の本文書体を制作されていた方である。もちろん「小塚明朝R」は新聞書体ではなく、新しい時代の本文書体として設計されたものだ。それを承知の上で、私の個人的な印象で言えば、どうしても新聞書体と同じ匂いを感じる。長年携わってこられた新聞書体が身に染み付いているということだろうか。
 私は、「小塚明朝R」は一般書籍よりも、新聞と同じぐらいの字詰めで新聞と同じぐらいの行間にしたとき、いちばん生かされるのではないかと思っている。もしかすると、扁平(85%)にしたほうがより魅力的になるのかもしれない。



 そして欣喜堂・和字書体三十六景のなかの「うぐいすM」にも触れておきたい。
「うぐいすM」は、「九州タイムズ」(九州タイムズ社)の1946年(昭和21)4月14日付第一面(『新聞の歴史』(羽島知之著、日本図書センター、1997年)所収)を資料として制作した。まぎれもなく新聞書体の復刻である。
 汎用性を優先させて正体ボディで制作したが、もともとの扁平ボディを想定して制作したほうがよかったかもしれない。もし新聞での需要があるのであれば、扁平(85%)のボディ対応のバリエーション展開も考えてみたい。



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