康煕帝と徳川吉宗が夢見た明朝体

December 01 [Sun], 2013, 8:29
『古今図書集成』は、中国・清朝の康熙帝が、陳夢雷らに命じて編纂を開始した。康煕帝の時代の1719年(康煕58年)にほぼ完成していたが、皇位継承の紛争もあって刊行が遅れた。刊行されたのは、康煕帝没後の1726年(雍正4年)になってからだ。


●康煕帝(1654-1722)

『古今図書集成』は、広く古来の典籍から、同類の関係する記事を抽出して集めたものである。その構成は、六彙編(暦象・方輿・明倫・博物・理学・経済)に大分類し、次にそれぞれの彙編を32典に分かち、さらにそれぞれの典を6109部に細分した形式となっている。

『古今図書集成』の全書を持ち渡るようにとの吉宗の命令は、宝暦10年(1760)の辰一番船によって果たされた。『欽定古今図書集成 一部六百套、九千九百九十六本、目録二套三十二本』である。船頭は汪縄武、値段は25貫目、宝暦14年正月19日に紅葉山文庫に搬入された。しかし注文主の吉宗は、寛延4年(1751)6月にすでに死んでいた。この『図書集成』は江戸時代を通じてただ一部だけ日本に存在した。

『徳川吉宗と康煕帝 鎖国下での日中交流』(大庭脩著、大修館書店、1999年)には、このように書かれている。惜しくも徳川吉宗は入手を命令しながらも、『古今図書集成』の明朝体を見ることはなかったのだ。


●徳川吉宗(1684-1751)

この『古今図書集成』にもちいられたのは銅活字である。整然とした明朝体で、過渡期明朝体を代表するものである。この活字は乾隆帝によって1744年に鋳つぶされたために、結局は『古今図書集成』でしか使われていない。


●『古今図書集成』

『古今図書集成』の過渡期明朝体をデジタルタイプとして再生しようとしたのが、漢字書体「武英」である。「武英」は、「日本語書体八策」にも含まれている。康煕帝と徳川吉宗の夢を引き継いで、いずれ制作することにしている。
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