ちょっと語ります57日目

2005年10月28日(金) 13時07分
初めてのDCJはすごく緊張した。
年間にあるドリルの本番では他の大会とは比べものに
ならないくらい緊張した。

とりあえずジャッジが至近距離にいることが一番びびった。

普段のランスルーでは途中でスタミナが切れちゃうけど、
この時はテンションが上がって最後までモリモリで吹けた。

2曲目のめっちゃ細かいのも吹けて、そばにいたジャッジが
「Great!!!」と言ってくれた。

結局この年は6位だった。
前年が5位だったので、帰りのバスではみんな沈み気味だった。

20時過ぎに横浜を出発し、名古屋に着いたら午前0時過ぎ。
それから片付けをやって、家に着いたら2時半だった。

幸い、翌日は午前半休をもらっていたので、朝はゆっくり寝れたけど、
会社に行ったら何か時差ぼけ状態だった。

ペリに入ってからこれまで楽しいとか良かったとか思ったことは
なかったけど、DCJを終えて自分の中での「ペリの存在」が
大きく変わった。
ペリの一員であるという自覚も、「不確か」から「確か」に変わっていた。

そして自然と周りの人と普通に話せるようになっていた。

やっとシーズン本場が終わり落ち着いた感じがした。

引越の時、とりあえず物を運んだだけの状態になったいたので、
DCJが終わった後の週は「コンテナの片付け」だった。

場所がわからないので、とりあえず前の練習場所の近くに
全員集合し、それから新しいコンテナへ向かったが
知っているところだったので驚いた。

今まで「足」では苦悩の日々を過ごしてきたけど、
私は一気に「一番家が近い人」になってしまった。

そして、それから新たに指定された練習場所は
ウチから自転車でも・・・時間かければ徒歩でも行ける
A子川公園だった。

「近っっっっっっ!!!」

これが私の感想。

次の1年は去年みたいな変な苦労しなくて済むので
ペリに行くのが楽しみになってきた。

練習以外のところで変な苦労すると、マーチングは楽しめないしね。

ちょっと語ります56日目

2005年10月27日(木) 10時10分
DCJ前夜、1人1部屋ずつのホテルだったので、
私とはげちゃんは一緒に部屋で御飯を食べた。

しばらくしてはげちゃんが誰かに充電器を借りに行くと言って
出て行き、私はしばらく1人でいた。

そして数分後、戻ってきたはげちゃんの後ろには男が数人いて
わらわらわら・・・と私の部屋へなだれ込んで来た。

確か・・・K谷さん、D介殿、J野さん、M毛さん、ぶーちゃん
だったような気がする。

なぜこの人達が私の部屋に遊びに来たのか全然わからなかった。
この中でまともにしゃべった事があるのはぶーちゃんだけだったし。

今まで全くしゃべらなかったのがウソのように、みんなで盛り上がった。
おかげでよその部屋から苦情が来たくらいだ(笑)

そしてこのメンバーのいろんな人の部屋を徘徊し、
いつの間にかメンバーは、カヨ・はげ・K谷・M毛・ぶーの5人になった。

部屋は1人用でめっちゃんこ狭いのに、そこで5人で雑魚寝する
ような雰囲気になってしまった。

なぜか床で寝ていた私。
せっかく1人の部屋があるのに・・・。

私とK谷さん以外はマジで寝てしまって、
とりあえずしゃべって過ごす事にした。

同じパートでしかも同じ2ndだというのに、今までしゃべったことが
なかったK谷さん。

「今まで何でか知らんけどしゃべったことなかったよね(^o^。)」
から盛り上がって、朝の4時か5時くらいまでしゃべり続けた気がする。

それから、もう限界!と思って私は自分の部屋に戻った。


集合時間〜本番まで眠すぎたのは言うまでもない。
「本番前の睡眠は大事」だと身を持って知らされた。

でも、昨日出発したときにはなかった感覚が芽生えていた。
昨夜、みんなで意味不明な異様な盛り上がりがあったことで、
私は初めて「ペリの一員になったんだな」と感じられたからだ。

それまで、本当に周りと交流がなくて浮いてたので、
昨日みんなと盛り上がれた事がすごく嬉しかったのだ。

初めて「ペリに入ってよかった」と思えた。

そして本番。
ようやく打ち解け始めれた仲間と一緒にショーをできることが
妙に嬉しかった。

この年のショーは「チャンネル」

初めてのDCJでめちゃめちゃ緊張〜(>_<)

ちょっと語ります55日目

2005年10月26日(水) 9時40分
※昨日書いた「DCJ前夜」を迎える前に書かなきゃいけないことがあった。

ペリは長年練習場所としてK藤産興の敷地内の1室と構内全面を利用
していたが、「退去して欲しい」と言われた、という噂を聞いた。

「敷地内の1室」は、楽器も置いておけるし、着替えもできるし、
机やトイレもあって、設備的にはかなり充実していた。
構内はK藤産興の資材置場になってて割と広い上にたくさん仕切りが
あって、一種の「個室」のようになってて、パート練習や個人練習には
最適で、ドリルをやるスペースもあって絶好の練習場だった。

しかもそれを無償で貸してもらっていたらしい。

それを「退去しろ」と言われ、ペリ的には大打撃だったようだ。
DCJ前の大事な時期に、楽器の保管場所から練習場所から
全て探さなければならなかった。

上で動いていた隊長やスタッフには申し訳ないが、
私はこの「退去命令」が嬉しくて仕方がなかった。

それは、「絶対誰かに足を頼まなければ行けなかった」というこの場所に
もう来なくて良くなるからだ。

今までペリに行く事が一番億劫になっていた原因がこの「行き帰りの足」だった。
いつも人の世話になってばかりの「申し訳なさ」が極限状態にあった。

11月の終わり頃、とうとう引越作業が始まった。

新しく楽器の保管場所となったのは貸しコンテナだった。
その引越作業は男の子がやって、女の子は退去する1室の大掃除を
やった。

だから私はまだ場所がどこになったのかよく分かっていなかった。

DCJ2002の出発前夜の金曜、K藤産興退去後初めての練習があった。
場所は西区の庄内緑地だった。

嬉しかった。地下鉄の駅が近いから自力で行けて自力で帰れると。

最大の悩みだった「行き帰りの足」が解消され、少しだけ
ペリに行くのが気が楽になった。

私にとっては最大の転機だった。


そしてDCJ。横浜に向けて出発!
・・・の前に、インディビがT京実業で行われるのでまず東京へ。

インディビを見て、それから宿泊先である横浜の鶴見のホテルへ。

ここでも私にとっての大転機が訪れる。

ちょっと語ります54日目

2005年10月25日(火) 10時50分
入隊から半年経ってもやっぱり浮いていた。
周りからは「年いってるくせに何もかも教えなきゃいけないし・・・」
って思われてるんじゃないかと思って、
「こんな足手まといが入隊してどうもすみません」と思っていた。

アグリは月に1度来るか来ないかくらいになっていた。
私は何で1人でここへきているのか疑問に感じていた。
「はぁ〜アグリがいなければ入ることなんてなかったのに」と
まで思った。

11月に東海大会があり、残すはDCJのみという季節になってきた。

M女のとき、後輩が1人ペリにいて、DCJのことはその頃から
何となく知っていたけど、百聞は一見にしかず・・・
出た事のない本番、しかも本命の大会だから不安で仕方がなかった。

アグリは自分がこんな出席状態で身体ももたないと自覚して
DCJを最後にやめることになった。
まぁ、仕方がないことだと思った。

私も当初は1年でやめようかと思っていたけど、
アグリが辞めると聞いても、一緒に辞めようとは思わなかった。

周りに馴染めてなかったけど、これで辞めるのは物足りないし、
何か存在薄いままで「あぁ、何かそんな人がいたね」って程度
で終わるのもなぁ・・・と思ったから。


そしてDCJ2002の大会前夜。

これが今後私がペリを続けていく上での大きな転機となった。

ちょっと語ります53日目

2005年10月24日(月) 13時14分
入隊して2ヶ月後くらいにその年のショーのドリルに入った。
自分では存在が薄かったけど、ちゃんとラインに入れてもらえた
のが妙に嬉しかった。

M女でやってきた基本とは異なる部分が結構あって
かなり戸惑った。
でも3年ブランクがあった割には思ったよりススっと動けたけど。

M女の卒業の時に「もうこれが人生最後のドリルだ」と思ってたので
まさかまたドリルをやれるとは思わなかった。

ラインに入れても、疎外感は変わらなかった。
練習のことでも相変わらず誰ともしゃべらなかった。

一緒に入ったはずなのに来なくなったアグリをちょっと恨んだ。
1人のつらさがわかるか?と。
これといって盛り上がれる仲間もおらず、
何を頼もうにも誰に頼んで良いのかわからず・・・

9月にM連の名古屋大会があった。

M女を卒業してからペリに入るまでの3年間、私は
M連の名古屋大会と東海大会では審査部や会場部の仕事を
していた。
前年のこの時期はまだペリに入ることなど考えもしてなかったので、
フロアでドリルをしているときに不思議な感覚に捕らわれた。

入隊から4ヶ月経っても、「自分はペリの一員だ」という感覚はなかった。
周りとしゃべることがないから、
「周りの人はまだ私を隊員として認めてくれてないんだろうな」
とさえ思った。
実際はそんなことはなかっただろうけど、私はそう感じていた。

他のルーキーは一般的な18・19歳だったので無邪気さがあった
ように思う。経験していないことだらけでもぐんぐん吸収していく雰囲気
だった。

私は「新しい経験をいっぱいしてぐんぐん成長・・・」というには年が
行き過ぎていた。一般論で言えば22歳は若いけど、ペリのルーキーの
中では頭1つ分年寄りだったので、
「早く落ち着きたいのぉ・・・」的な感じだった。

M女では後輩だった子もペリでは先輩。
私の知らない過去のショーやDCJのこともわかっているわけだ。

M女では、年齢と経験年数は比例してたけど、
ペリでは私の方が年齢上なのに、経験が少ないということに
劣等感を感じた。

まぁ、入るの遅かったから仕方が無い事なんだけど。

昨日の練習での珍事

2005年10月24日(月) 8時27分
昨日はオータム前最後の1日練習。

さぁ!MMをやりましょう!
というときにカエルが出没
こんなとこにいたら誰か踏んでしまうぜ!と思っていたら
我がパートの天然ルーキーさえら様がそのカエルを手掴みした。

どこかへ避難させてくれるのかと思いきや、
絶対踏まれない場所へ・・・放り投げた!!

まさか放り投げると思わなかった(笑)
そのカエルもまさか投げられるとは思っていなかったようで、
手足を極限まで開いて「あ〜れ〜」と言わんばかりに
ダイビングしていた。
転落死してなければいいけど。

そして休憩中。
朝から死にそうにむせまくるぶーちゃんを観察していると、
飲もうとしていたお茶がなぜか口の近くからザバーと流れ出した。

狙いを誤ったらしい(笑)

もともと「水難の相」のあるぶーちゃん。
今まで数々の飲み物をカバンの中でぶちまけたけど、普通に飲もうと
しただけであんな災難に見舞われるとは・・・。

よくよく思い出せば、「語りますシリーズ」のちょうど今ごろ、
ぶーちゃんの「チャンネル」の譜面をちらっとみたら
ココアをぶちまけて茶色くなってたよなー(笑)
他にも何かをこぼしたらしき跡のついた譜面がいくつかあった気が・・・

ぶーちゃんは将来、水死するか器官にモノが詰まって死ぬか・・・
どっちかな気がする(笑)

縁起でもないね!うそうそ。そんな過ちで死なないよね!
真っ当な人生を送ってちょーだい。

土曜日から急に寒くなって、足がパンパン★
MMでスライドやるとき、自分の足につまづいた(笑)
情けねー。

とりあえず、風邪引かないようにしないとね。

気が利かない!

2005年10月20日(木) 13時52分
昨日は仕事が終わった後、名駅の某所へルーキーの衣装用ボタンの
チェーンを買いに行った。

チェーンは10a単位の測り売りだった。

今まではひとつながりの硬いチェーンを1人分ずつ切っていた。
ペンチを使っても手に豆が出来るくらいでホント衣装係泣かせだった
ので、今回はあらかじめ切っておいてもらおうと思った。

銀色のチェーンは輪が10個で1人分。
黒のチェーンは輪が14個で1人分。

店員さんに「aというか…輪の数で10個ひとつながりってのを15本
欲しいんですけど」というふうにお願いした。

時間がかかる作業なので、男女1人ずつ店員がやってきた。
女性店員が切りやすい黒チェーン、男性が硬い銀チェーンを担当した。

女性は快く引き受けてくれた。
黒1本(輪14個)が何aなのか測り、それ×15本で全体の長さを算出。
その後で要望どおり輪14個ずつで切ってくれた。

男性の方は初めから顔に「面倒くせぇ」と書いてあるかのように
かったるそうだった。
銀は1本(輪10個)が11aだった。

すると、「こちらは10a単位での販売なので、11aでは切れない」と
おっしゃる。
「20aで1本」として買い、残りの9aは自分でカットしろよ!と。

そんなバカな!
残りの9aなんて何に使えというのだー!

女性店員も「え?」という顔をし、説明をしてくれていたが、男は
納得していない様子。

11aを15本というのは165aになるけど、誰も「165aで!」とは
頼んでいない。
10a単位での販売だから、端数の5aを余分に買うのは仕方がないと思った
のに、男は1の単位がゼロじゃない(10a単位じゃない)ことが
気に食わなかったらしい。

結局、黒チェーンと同じやり方でやってくれて、無駄は出ずに済んだけど、
この男1人に頼んでいたらカナリ無駄な買い物するところだった。

@1.7mひとつながりで買って後からカットする
A1.7mをあらかじめ15で割って1本の長さを算出し、1本ずつ切っていく

どちらも結果は同じになるのに、この男は
「@はいいけどAはダメ」と言っているのと同じだ。

まー腹立った!

こういう頭の悪い人は、測り売りコーナーにいてはダメです。

ちょっと語ります52日目

2005年10月20日(木) 9時03分
私は5月に入隊したので
ペリデビューは6月の有松しぼりパレードだった。

同期のルーキー達は3月とか4月に入隊していたので
とっくにデビューは終わっていた。

初めてペリの衣装を着た時、この上なく違和感があった。
ペリのことは中学の時から知ってたけど、まさか自分が
そこに入ろうとはこれっぽっちも思っていなかったので、
衣装を着ている自分が気持ち悪かった(笑)

運悪く、この本番が終わった後は母校のM女にペリが呼ばれ、
M女マーチングの父母会で曲を披露するというのがあった。

現役時代一緒にやっていた中1・2がこのとき高2・3だった。
そして知っている卒業生もちらほらいた。

私はペリに入ったことを後輩には言ってなかった。
3年もブランクがあってまたやりだしたことを「変わり者」だと
思われそうで・・・。

案の定、私の姿を見た後輩達は、目ん玉を飛び出させて
「入ったんですかぁ〜〜!?カヨ先輩がペリってありえない!」
とまで言われた。

もともと低かったテンションが余計に下がった。


入隊から1ヶ月。
少しは慣れてくるかと思ったけど、あまり変わらなかった。

普段はよくしゃべるので、ペリに行くと無口な自分になる
「二面性」が気持ち悪かった。

このままこういうのが続くのかな・・・と思っていた。

やっぱり私はペリって柄じゃないんだなと痛感した。
「まぁ、1年の寿命だな。でも衣装買ったし…よくやって2年契約だわ」と
思った。マジで。

今まで物怖じするタイプじゃなかったけど、
この時は本当に人に話し掛けるのも恐る恐るだった。
3年若ければ違ってたと思う。
先輩の中に入っていくのは結構得意なんだけど、
後輩の輪に年寄りの自分が入っていくのは精神的に無理があった。

信じられないかもしれないが、こんな心境はななななんと
12月のDCJまで続いた。

我ながら消極的というかどんくさいというか計算しすぎというか
要領が悪いというか・・・

ちょっと語ります51日目

2005年10月19日(水) 10時32分
一緒に入隊したはずのアグリは月に1・2度しか来ないようになった。
保母さんだったので、七夕おゆうぎ会だの運動会だの、
保育園というのはやたら行事が多いのと、日中業務の過密が過労と
なって、体が言う事を聞かなかったらしい。

ただでさえ「足」を頼みにくかったのに、私1人となると、さらに頼みにくかった。

帰りはいつもJ野さんかD介殿が送ってってくれたけど、
彼らとは家が全く反対方向だったので申し訳なくて仕方なかった。
「いいよ、いいよ」と言ってくれたけど、無償でやってもらってるし
本当はイイわけないよな・・・って。

この頃は、この「行き帰りの足」のことが一番苦痛だった。
練習以外のところで、私のために負担がかかっている人がいる
ということが、この上なく申し訳なかった。

だから、日曜日とか18時くらいに終わるとすごく気が楽だった。
これなら送ってもらうのも地元までじゃなくて練習場の最寄駅までで
済むから・・・。

お昼御飯買いに行くのも誰かに足を頼まないと行けないところにあって、
はげちゃんもサヤカもいない時なんて本当に困った。

みんなは気楽に「乗せてって〜」って頼めるけど、
当時の私には気楽に頼める人がいなくて・・・
頼んだら迷惑だろうなと思っていたし。

それで結局頼めず終いで、超空腹だったけど陰でお茶だけ飲んで
過ごした事もある。

今、車を持っている自分としては、足の無い子が私を頼ってきても
ちっとも迷惑だとは思わないから、当時の私は考えすぎだったかな
とも思うけど・・・。

私も積極的にみんなの中に入れればよかったんだけど、
異常なまでに「周りからどう思われるか」を気にしてて、
全然入っていけなかった。

同じルーキーも周りのメンバーも年下が多かったので、
みんなから見ても年上の私はどう受け入れていいのかわからなかった
んだと思うけど・・・。

このときいたメンバーは、多分私の存在って「激薄」だと思う。
自分でも「存在感なかったなぁ」って思うし(笑)

まぁ、自分に積極性がないから「自業自得」なんだけど、
この頃はペリに行くとすごい心労がのしかかり、
苦痛だった。

指輪のバカ(ノ_・。)

2005年10月19日(水) 8時16分
昨日の練習では、パートごとで3曲目のドリルの確認をやった。

ルーキー3人+激太りしたぶーちゃん(笑)

オータムまで2週間切ったし、いいショー魅せれるように
頑張らなきゃね!!(何度も言うけど私は出られません)

他のパートも歌ったり吹きながら練習してるから、バリトンも
負けないようにと精一杯声を張り上げ、カウントを叩く素手も
大きく叩いた。

一通り終わって「何か指が痛いなぁ」と思って指を見ると

           

私が19のときから左手の小指にしているシルバーピンキーリングが
傷丸けになっているではないか!!!

「模様なんじゃないか?」っていうくらい傷がついてしまい、
泣きそうだった。

そんなに思い切り叩いたかなぁ?と思い、反対の右手を見ると
「はっ(`д´;)」

そう。私の右手の中指にも指輪がはまっていたのです。

要するに、「右手の中指の指輪」と「左手の小指の指輪」が
カウント叩いたときにガツンガツンぶつかり合って傷がついたということ。

指輪に傷がつくことなど考えもしなかった。

どっちかの指輪がなければこんなことにならなかったのに・・・
何で外さなかったんだろ・・・
もっと早く気付いていればよかった・・・
車にカウント用のスティック積んでおけばよかった・・・(家に置いてある)

さかのぼってさかのぼって・・・
パートリーダーじゃなかったら
カウントやらなくて済んだのに・・・

とまで考えてしまった(笑)

とりあえずショックでその指輪を見るのも痛々しいので、
外してしまっておくことにした。


19のときにシルバーのアクセサリーを買うと幸せになるのよ♪
と言って、おかんに買ってもらった指輪だったんだけど・・・

12時間前に戻ってくれればなぁ・・・

そんなにめちゃくちゃ高い指輪じゃなかったけど、
「あの指輪」は世界に1つだからね・・・


今一番欲しい物:(率直に…)タイムマシン!!!(笑)

2005年10月
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