どう読むかは自由(2)

2005年01月26日(水) 13時37分
1 感じる自由
 読んでどう感じるかは、本来、読み手の自由である。文字には人々に共通に約束された読み方がある。言葉の意味するものも、幅があるとはいえ人々に共通に約束されたものがある。この約束を破れば、文字は伝達の働きを失い、言葉は通じなくなる。どう読むか、どう理解するかには、一定の制約がある。それに反して、どう感じるかは読み手の自由である。読み手の心しだいである。
 人は文章を読むとき、いろいろと感じる。楽しくなったり、悲しくなったりする。共感したり、反発したり、疑ったりする。感動の余り涙を流すこともある。
 文学作品を授業で読むときも例外ではない。教師の期待通りの感じ方をする子もいれば、そうでない子もいる。教師にとって好ましく思われるものも、好ましく思われないものもあるであろうが、どの子も自分なりに感じているのである。
誤りなく読みとるということには、ある種の難しさがともなうがあるが、感じることは、誰にもできて、誰もがいつもしていることである。感じることは、読み手の心の内に自然に生じて、読む行為とからみ合うように影響し合って展開する。ある作品を人から紹介されて、読む前からこれはおもしろそうだと感じてわくわくし、表紙の装幀を見ただけで嬉しくなり、題名を見ていっそう気に入り、その内容を予想して心はやらせ、冒頭を読んだとたんに共感を覚えるというようなことがある。かくして、読む気はいよいよそそられて、次々と読み進み、深い満足を覚えて読み終わった後も、しばらく余韻を楽しむということがある。それが、数年後のある体験をきっかけに、すっかり嫌いになるということもある。あるいは、読み進むうちにあまりのつまらなさに気分を害し、次の行に読み進む気力をなくしてしまうこともある。感じることは、読む前から、読む途中、読んだ後までにわたって成立して、読む行為の結果ともなり、原動力ともなるのである。(千葉大学教授・首藤久義著「文学作品を楽しんで読む――主題よさようなら」日本国語教育学会編集発行『月刊国語教育研究』12月号掲載より)
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