迷いは悟りの第一歩: 日本人のための宗教論 ネルケ無方  (新潮新書)

January 27 [Tue], 2015, 15:04


ネルケ無方さんは、ドイツ生まれの禅僧。現在は、兵庫県の
山奥にある曹洞宗・安泰寺の住職である
「迷える者の禅修行 ドイツ人住職が見た日本仏教」(本日
の本、2011.01.31 )がとても面白かったので、迷わず出版
されたばかりの本書を手にした。

私には二つの名前があります。
ひとつは、ネルケ・イエンス・オラフ・クリスティアン。
もうひとつはネルケ無方です。
前者はドイツ人である私の「クリスチャン・ネーム」。多く
の欧米人と同様、私は幼い頃に洗礼を受けてクリスチャンに
なりました。一方、「無方」という名前は、1993年、25歳
のときに日本で出家得度した際に授けられた僧名。その意味
は「一切の方角に開かれている、とらわれのないありさま」
です。
・・・・・・・・
「仏教とは何か」と問われれば。「無常・無我」を悟る宗教
だと答えます。
かたやキリスト教は神を愛し、隣人を愛する宗教です。
・・・・・・・・・・・
キリスト教圏の人々が「愛」という言葉を連発しているのは、
愛に飢えているからです。その宗教がキャッチフレーズとし
て使っている言葉は、欠乏感の裏返しにすぎません。つまり
「愛」こそが、キリスト教に欠けているものなのです。

私がこの本で提唱したいのは、”恋と愛の仏教“です。
(「はじめに」より)

高校生のときに坐禅に出会って、ベルリン自由大学に入学
する前に、本場の坐禅を体験したいと来日する。大学に戻っ
てからもネルケさんの頭には常に仏教があった。

禅僧になってからは自身のキリスト教体験と仏教を比較し
ながら考えた。それは人はどう生きるのかという問いである。
日本人は仏教をどうとらえているのか。仏教はこれからどう
あればいいのか。ネルケさんは具体的に自身が出会って来た
体験を語りながら、この問題に迫っていく。
私は、ネルケさんの言葉にぐいぐいと引きつけられた。

本書は、私の二つの名前である「ネルケ・イエンス・オラフ・
クリスティアン」と「ネルケ無方」の格闘のようなものです。
あるいは内なる「夫婦喧嘩」かもしれません。それが読者の
皆さんににとっても、自らの宗教観を考えるきっかけとなれ
ば、これほど嬉しいことはありません。
(「おわりに」より)
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