行列のできるブログ 丸山法師の徒然草

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大洗にて講演&水泳

アメリカ大統領選挙の仕組みと予測、言論の自由の日米比較でアメリカ100とすると日本は40くらいしかない事の問題の指摘などについて話しました。何事も実戦を重んじる丸山は講演後、大洗の海に飛び込み暫し晩秋のヤヤ荒波のなかを満喫しました。




APA知的所有権セミナー

8月1日午後、公益社団法人日本広告写真家協会(APA協会)が主催したセミナー(行列のできる知的所有権セミナーですよ〜!)に、丸山和也議員はコメンテーターとして招かれました。冒頭、三宅坂総合法律事務所の野間自子弁護士よりカメラマンとして知っておきたい知的所有権の概要について説明があった後、司会者が提起した事例に対する意見を述べ、また出席者からの質問に双方が答える形式で行われました。

APA協会は昭和33年に広告写真家たちの職能団体として設立されました。今回のセミナーに出席した多くは職業カメラマンの方々です。先般ニュースとなっているTPP交渉においても知的財産権は各国の利害が大きくぶつかる分野であります。丸山和也議員は、写真家にとってとても大事な著作権を知り、自身の権利を守り、主張していくことが大切である。裁判をした場合、かなりの時間とコストがかかるから、裁判所はこの点を考えて割に合う賠償額を出すべきである。自民党の司法制度調査会会長として自分からも提言していきたい、と述べました。


セミナーの様子


参加者からの質問に答える丸山和也議員(左は野間自子弁護士)


行列のできる知的所有権セミナーですよ〜!

明治大学中野キャンパスにて講演

9月7日、公益社団法人東京都柔道接骨師会中野支部主催の第2回市民公開講座が明治大学中野キャンパスであり、「選択と挑戦」と題する講演を行いました。

コロンビア大学ビジネスクールのシーナ・アイエンガー教授が来日した際の「緑茶と砂糖」の話に始まり、自身の留学体験、日本とアメリカの教科書の違い、またいわゆる慰安婦問題や本年、国際司法裁判所(ICJ)が日本の南極海で行っている調査捕鯨(第2期)について中止命令を出した判決に言及するなかで、いわゆる集団主義的文化の中で育っている日本人は、個人主義的文化の中で育つ西欧人等と比べ、自己主張の力が圧倒的に弱く、従って国際舞台でも議論に負けてしまう。このような反省から日本のディベート力の強化が必要であることを述べつつ、日常の中で物事を主体的に選択することが、日本人にとって自己の確立につながると同時に、物事を切り開いていく大きな力となることを語りました。


一水会講演録その5

 歴史をきちんと認識しない国には未来はない

 現在進行形で起きている歴史問題を紹介しておきます。それは戦時中における朝鮮半島の民間人の徴用問題で、韓国内で数年前から裁判が起こされている件です。韓国では戦時中、二十三万人が日本企業に徴用されたとされ、生き残った徴用工とその遺族が、三菱重工、新日鐵住金等五社を相手に損害賠償を求めています。
 一九六五(昭和四十)年の日韓請求権協定では、「財産・請求権の問題は協定により完全かつ最終的に解決済み」とされており、従来同種の損害賠償請求訴訟は、その都度日本でも韓国でも「解決済み」として却下されていました。韓国政府の立場も同じです。
 ところが、数年前―李明博政権の頃から―「賠償請求は有効だ」という判決が相次いでいます。地裁が却下しても、高裁が差し戻して請求権を認める判決を出してしまうのです。
 大法院(最高裁)ではまだ結論は出ていませんが、流れから言えば請求権有効の判決が出るでしょう。「反人道的不法行為」「植民地支配と直結した不法行為」は日韓請求権協定の範囲外だと後から取って付けた理屈で請求権を有効としようとしているのです。
しかし、これは明らかに日韓請求権協定に違背しており、これを破棄するというのでは国際法に違反するのみか大変な政治問題です。韓国政府も慎重になるしかない立場にありますが、日本とは逆に、韓国では司法が政治に介入する事態になりつつあります。これは司法の暴走ですが、韓国政府にはこれを止める力はありません。
 韓国には憲法裁判所という、憲法問題を独自に扱う裁判所があります。憲法裁判所が「植民地時代の被害救済について、政府は義務を尽くしてない」と判決を出して、政府に政治的プレッシャーをかけているのが現実ですらあります。
 かつて、私は「日本人は気概を持つべきだ」と韓国人弁護士から素晴らしい助言を受けましたが、残念ながら現代の韓国は心性を失っていると思います。韓国では過去の歴史問題を利用した反日本的運動が盛んになり、かつて植民地時代に日本統治に協力した人々を罪に問うという「親日反民族特別法」という法まで制定されました。何故今になってそんな法ができるのか―あまりにも無茶苦茶です。
 日本の朝鮮統治―これは欧米列強の植民地統治と比べれば、比較にならない位韓国の社会、インフラ整備に寄与していた事は明らかだと言えます。それは日本国民の税金で賄っていました(一説では当時の朝鮮の国家予算の七割に相当したとも)。植民地支配は否定できませんが、決して欧米の植民地支配に見られる様な収奪、搾取一辺倒でなく、その国の発展、近代化に大きく寄与したことも忘れてはなりません。
 もっともこれら正しい歴史は説明されていません。日本人は説明下手であり、弁解をすべきでないと思っている。また、弁解すればすかさず「もっと反省しろ」と言われて口を噤んでしまう。しかし、もっときちんと「弁解」を重ねてゆかなければいけないと思います。正しい歴史を教える為にも、もっと緻密な、良い説明をする義務があると思います。「歴史をきちんと認識しない国には未来はない」―同じ言葉を私からも韓国に返したいと思います。
 最後に「誇り高い気概を失っては民族も国家も個人もない」ということを根底に据えて、一水会が発展することを願っています。

一水会講演録その4

 政治家の保身が国益を踏みにじる―船長釈放の愚行

 現代の政治では、残念なことに政治に人物は求められませんね。話題になるのは政策、演説、または政治的駆け引きばかりで哲学は顧みられなくなっています。
 李登輝・元台湾総統は「戦後の日本の政治家が小粒で駄目になった最大の理由は、人としての修業をしなくなったからだ」と語っています。そして、人としての修業とは「精神の修行であり、その一例として便所掃除とか人の嫌がることを自ら進んでやる事」であると説明しています。
 かつて、その様な人間像が評価対象とされていた時代がありましたが、現代ではそういった評価は一顧だにされません。政策の評価ばかりが先行する。それが、現代日本において政策面では優秀で専門家も多く生まれる一方、器の大きい政治家を見出せなくなった原因ではないでしょうか。
 ペラペラ喋る事のできる政治家はたくさんいますが、本当の人物といえるような政治家は本当に少なくなりました。
 政治家が国益よりも自己保身に走った典型的な例は、先の民主党政権における尖閣沖漁船衝突事件の対応に見る事ができます。
 あの当時、政府関係者は逮捕した中国人船長の処分について「法に従って粛々と進める」とコメントしていました。しかしあっさりと釈放してしまいました。これはどう考えてもおかしい話です。私はその時、仙谷由人官房長官(当時)に電話で問い質しました。
 逮捕された船長は当然、起訴され判決を受けその後強制送還されるべきであり、これが本来の「法に従って〜」の流れではないのかと。しかし、「そんなことしたら(来月に開催される)AEPCが吹っ飛んでしまうわ」と彼は答えました。そこで私が、それでは日本が中国の属国みたいではないかと追求すると、彼は米国をも意識したのかもしれませんがあろうことか「日本は今でもそんなもんやないか」と答えたのです。
 国益が絡む問題なので、後に国会でも追及しましたが、彼ははぐらかしてしまいました。その後記者にその件でのコメントを求められたとき、彼は私を指して「あんないい加減な弁護士のことは相手にしない」と言い放ちました。これは私だけの問題でなく、日本としての気概に関わる事件として捨て置けないので、訴訟を起こし、まだ係争中です。ただ、国家賠償請求(公務員である官房長官の行為の責任は国にあるとの法の理屈)となる関係で、今は形式上は国(その代表は安倍さん)が相手方になってしまい、やり辛いことになっていますが。
 なんにせよ、中国人船長の釈放は国際的に見てもおかしなものと報道されました。ちょっと騒げば日本は折れてしまう腰砕けの印象を全世界に与えてしまったと思います。中国船の領海侵犯が常態化したのも、この事件の釈放劇のせいでしょう。これは大きな失態でした。
 もう一つ重要なのは、先の船長釈放は一種の「指揮権発動」だったということです。政治が司法に介入する「指揮権発動」は、かつて一度だけありました。昭和二十九年の造船疑獄における法相の指揮権発動です。
 当時、佐藤栄作・自由党幹事長は収賄の疑いで逮捕されるだろうと言われていました。しかし、時の法相・犬養健は佐藤藤佐検事総長に取調べの中止を命じます。法相の指揮権発動により検察の追及はストップされ、佐藤幹事長は逮捕されずにすみました。しかし、政治の司法介入は世論の大きな批判を呼び、犬養法相は指揮権発動をしたその日に辞任、数ヵ月後に吉田内閣も総辞職しました。
 では、この尖閣沖事件における指揮権発動ではどうだったでしょう。船長釈放を指示したのは、仙谷官房長官でしかあり得ません。当時、菅首相は外遊で不在でした。彼は那覇地検の次席検事に「こんなもの起訴できるのか」と迫ったのでしょう。暗黙の圧力です。検事は会見で「日中の外交関係を配慮した苦渋の決断」としてコメントしました。でも外交関係を判断するのは本来検事の仕事ではないでしょう。検事は法律に従って粛々とやるだけです。
 造船疑獄と同じく、法相による指揮権発動として船長釈放をすれば世論は黙っていない。だから検察に責任を擦(なす)り付けたのです。この姑息な手段のおかげで国際的に日本の権威は失墜してしまいました。
 この事件当時、菅内閣は小沢一郎派との内紛に勝利して政権を作った直後で不安定な時期でした。念願の官房長官となった仙谷氏は、尖閣沖事件で内閣が崩壊することや、自らが長官の椅子から滑り落ちる事をより切実に恐れたのでしょう。結局自分達の地位を失いたくない為に取った行動が、国益を踏みにじったことになるのです。まさに気概を喪失した自己保身そのものです。
私はこの事件で義憤を覚えました。これは理屈を超えた心性から来るものです。この義憤という感情も日本人には普遍的なものであったはずです。歴史の節目節目で、義憤に駆られた行動が多く表れでます。
 もっとも資本主義、新自由主義、グローバル・スタンダードの世界では功利主義、合理性が優先されます。成功して富を為す事が重視される一方、心性は低く見られる傾向にあります。その意味で、心性の継承者である現代の右翼・一水会の使命は重いでしょう。

一水会講演録その3

 聖徳太子が見せた気概―世界に類のない「和」の精神

 一方「気概」は、言葉として観察するなら様々な場面で見られます。広い意味で使われるので、色々なものを取り込める概念であり、心のあり方となっています。多くは「頑張ろう」という意味で使われていますね。
 「日本人は気概を持て」とはよく言われます。それは政治、経済、国際社会等様々な場面で使われますが、私は、日本人は教育、歴史認識問題で気概を持つべきだと思います。
 教育問題については現在の政府でも取り組まれています。その根底にあるのは「日本人としての誇りを取り戻す」です。安倍首相は昨年の参院選で、選挙演説の際、同じ事を国民の前で訴えました。自民党の選挙スローガンも「日本を取り戻す」となっていました。
 日本史上において、この様な気概を見せた例を探すと、聖徳太子が挙げられます。中国・隋に使者を送った際、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という有名な親書があります。これを読んだ隋の煬帝は怒り、破り捨てたそうですが、なぜ怒ったかというと、「天子」と称したからです。これは、中国の皇帝と日本の天皇が天子として対等であることを意味します。しかし、当時の中華世界では、天子は中国の皇帝しかおらず、周辺国は格下だと考えているのです。その周辺国の分際で天子を称したというのが煬帝の怒りの理由です。
 七世紀当時の東アジアでは、中国は大国であり、日本は東の辺境にある小国でしかありません。しかし堂々と大国に「対等」である事を示した聖徳太子の外交精神には気概が伺えます。
 彼が定めた十七条の憲法・第一条は「和を以って貴しと為す」ですが、これは民主主義の原理原則、基本的な姿とも言えますね。「上は下を思い、下は上を思え」「よく議論を尽くせば自ら道は開ける」―この発想は西洋的な「強者が力を以って統治する」とは違います。
 この思想が七世紀当時、日本で生まれている事には驚嘆すべきと思います。和を以って政治をするなど、西洋では理解できない発想でしょう。
 西洋では憲法は専制君主の権力を縛るものです。近代憲法の原型といわれる「マグナ・カルタ」にしても、貴族が王の権力を制限させる為に定められました。血で血を洗う流血の末に生まれたのが西洋の憲法であり、「和を以って〜」の十七条の憲法の精神とは全く違います。
 西洋における民主主義の思想―これは現代日本では否定できない概念とされています。世界的にも正しい原理とされています。しかし、民主主義とは何か―この問いに答えられる人はあまりいないと思います。
 第一次大戦以前まで、民主主義という言葉は定着していませんでした。戦勝国が敗戦国を叩いた事を正当化する大義名分として使われたのが「民主主義」という言葉です。「先の大戦は民主主義国の勝利である」という風に。明確な実体のない言葉なのですが、いつの間にか普遍の真理として崇められる様になります。 
 他方で、自由主義の概念は人間の尊厳に立脚しており、民主主義よりずっと深い実体的な意味を有していると思います。しかし民主主義が蔓延る現代においては、この概念に肉付けをして育てていくしかないのでしょう。
 先述した日本右翼の流れには陽明学の「知行合一」があります。この「知」は知識ではなく「心」「信」です。茫洋とした人柄は西郷、頭山に共通していました。しかし決して非合理的ではありませんでした。心性を大事とする一方で、理性・知性も否定しなかった。割合でいえば七対三ぐらいであったかと思います。
 ちなみに私の考えるところでは、この「知」と「行」の分離のもたらすものが自己喪失であり、これこそが現代人の気概の喪失に繋がっているということです。
 しかし、現代の政治家、評論家、マスコミ等は理性だけで議論をします。理性ある人だけが「偉い」とされます。私は八年前、参院選に出馬した時のスローガンに「政治に魂」と書きましたが、なかなか理解されませんでした。やはり分かりやすい理性だけが求められる風潮ですが、では、政治家に真に求めるべきものは一体何でしょうか?

一水会講演録その2

 心性の継承者―現代右翼の系譜

 明治維新時に活躍した志士に西郷隆盛はご存知でしょうが、この西郷に影響を与えられた人物に頭山満がいます。
 頭山満は萩の乱に参加して捕らえられ、西南戦争の頃には投獄されていたので、西郷に会ってはいないのですが、後年、彼が鹿児島を訪ねた時、西郷が愛読していた本に出会います。それは大塩平八郎が書いた『洗心洞箚記(せんしんどうさっき)』でした。
 西郷はこの書をぼろぼろになるまで読み、大塩平八郎から大きな影響を受けたと思われます。大塩の詩に「鏡に対し鬢髪の乱るるを憂えず。ただ一心の乱るるを懼(おそ)れよ」というのがあり、西郷の詩にも「我が髪なお断つべし我が心截つべからず」(髪は断ち切ることができても心は断ち切れまい)―という同じ心性のものがあります。髪の毛―身だしなみより心―精神的なものを重要視したこの考え方は大塩平八郎、西郷隆盛、頭山満へと流れていたことになります。彼はこの本を借り受け、結局返さなかったそうです。それ程惚れ込んだのでしょう。
 こうしてみると、西郷と頭山に共通しているのは陽明学的に言うなら心のあり方だと言えます。思想、哲学としてまとめるのは非常に難しいと思いますが、西郷の「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり」―名誉も地位も欲しがらない人は使いにくい―「この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」―だが、そういう人でなければ国家の大事業は成し遂げられない―という遺訓の言葉にその考え方がよく表れています。この考え方が、頭山が設立した玄洋社の骨格ともなったのではないでしょうか。
 右翼と左翼の違いにも見ることができるでしょう。右翼とは心のあり方であり、それに共鳴する人達が集まったものです。一方、左翼は「理」ですね。右翼が「心」「腹」であるなら、左翼は「頭」であると言えます。
 これは東洋と西洋の大きな違いとも通低します。東洋的なものの考え方が「心」とすれば、西洋的なものの考え方は「頭」が根底にあると思います。
 かつて鈴木邦男・一水会顧問と対談した時、鈴木さんが「もう右翼はいりませんよ」と言われた事がありました。何か深い意味があるのだと思いますが、現代右翼の代表的な人物である鈴木さんが何故「右翼はいらない」と発言したのか―これにはかなり驚かされました。
 では右翼がなくなり、左翼もなくなれば何が残るのか。功利主義だけが残るのではないかと思います。
 まさに現在は左右両翼がなくなった功利主義だけの時代ではないでしょうか。誰かの為に命を投げ出してまで付き従うような人はなかなかいないでしょう。
 かつて西郷や頭山の周囲にはそういう人間が集まっていました。西郷の私学校に参加した人々は、明治政府に反対するという理論闘争をする目的で集まったのではなく、西郷隆盛に惚れ込んで命を捧げる為に集まったのだと思います。 
 魂の結び付きとも言えるこのエネルギーは、明治維新にも見られました。高杉晋作も野山獄に投獄された時「先生を慕うて漸く野山獄」という歌を詠んでいます。師・吉田松陰がかつて投獄されていた野山獄にようやく自分も入る事ができ、嬉しく思っているというのです。この様に惚れた人物と命を賭して一体化する事に喜びを感じるという「心性」をかつて日本人は持っていました。

一水会講演録その1

8月11日の一水会フォーラムの講演内容を複数に分けてブログにてご紹介します。

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第一五一回一水会フォーラム講演緑
―日本国家の一視座―
「政治経済・教育に求められる日本の気概」
丸山和也
(平成二六年八月十一日 於:ホテルサンルート高田馬場 三階会議室)

韓国人弁護士に教えられた「日本人の気概」


気概とは何か―これは難しいですね。哲学でもイデオロギーでもないし、これという形を取っているものではないと思います。
 しかし、気概は大事なものです。特に今の日本は、国民、国家を含めて、気概が試されているときではないかと思います。
 姿勢という言葉がありますね。「姿勢を正せ」というとき、それは背骨をまっすぐにするという身体的な意味である場合もありますが、精神的、内面的な形の見えないものについて正す意味で使わることのほうが多いでしょう。
 気概も同じような部分の評価に使われます。私がこの気概について考えるようになったのは、三十年ほど前、米国にいた頃の経験がきっかけです。当時、ロサンゼルスの弁護士事務所にただ一人の日本人弁護士として登録していましたが、同僚に米国国籍の、韓国人の弁護士が居りました。
 彼は高名な弁護士で、何度か話をする機会がありました。ある時、「丸山さん、日本人はしっかりしなければいかんよ」と言われました。
 「昔の日本人は非常に立派だった。ところが戦争に負けてから、日本人は見違えるほど駄目になった。 
 戦前は、色々な出来事はあっても、アジアの人々は(我々韓国人も含めて)日本を『アジアのリーダー』と認識していた。
 かつて、アジアは欧米列強からの侵略にどこの国も抵抗できなかった。唯一この侵略に対抗したのが日本だった。真っ向から白人に立ち向かい、日露戦争でロシアを破った快挙は、『有色人種でもやれるぞ』という希望をアジアに与えた。
 第二次世界大戦では最終的には負けてしまったが、それは問題ではない。考えて欲しい。当時、世界―白人―米国を相手にして、がっぷり四つ、堂々と命を賭けて戦えた国が他に何処にあっただろうか。これだけ多くの犠牲を出して、堂々と戦ったという事は賞賛に値する事だ。
 しかし、現在の日本人は敗北という結果だけを見て、かつての偉業については背を向けてしまっている。気概を失っている。これは非常に悲しい事だ」
 私はこれに感動的なショックを覚えました。そういう風な見方もあるのかと、新鮮な気がしました。気概とは、戦争の勝敗とは別であること、どんなときでも気概を失っては駄目だということを彼は教えてくれました。
 戦後日本はGHQの占領統治を経て今に至り、現在憲法、教育等、様々な分野に問題を抱えていますが、これら戦後問題は、日本人が気概を持てない状況にも関わっているのではないでしょうか。
 また、気概を持つ事が軍国主義に直結するといった世論操作もされている様に見えます。例えば「右翼」とは暴力に直結する存在―現実には決してそんな事はないと思いますが―だと誘導するように。日の丸を掲げて行進するだけで、「恐い人達だ」と恐怖心を抱かせてしまう。堂々と国旗を掲げる事も国歌を歌う事もはばかられる。この様な風潮が七十年近く続いてきました。これは深刻な問題だと思います。最近はようやくこれを見直す動きもありますが、戦後の根深い問題としてまだ存在しています。
 では、実際には日本人はこの「右翼」をどう捉えるべきか。その答は右翼の源流を遡ってみる事で見出せると思います。

プロフィール

丸山 和也
丸山 和也 Kazuya Maruyama

1946年兵庫県生まれ。69年早稲田大学法学部卒業、上級職試験合格後法務省を経て、70年に司法試験に合格。75年渡米。ワシントン大学ロースクールに入学し卒業(LLM)、その後ロサンゼルスの法律事務所に3年間勤務。80年に帰国後、弁理士登録を経て特許事務をも扱う。企業間の紛争・交渉等を中心とした国際法務を得意とする他、各種特許紛争および個人の問題も幅広く取り組む。07年、参議院選挙に当選。
現在、「丸山国際法律特許事務所」代表。主な著書に、「正義の判決」(小学館)、「行列のできる丸山法律塾」(小学館)、「丸山法律相談所」(二見書房)、「ビジネスマンが行列する法律相談所」(学研)、「蓮の花は泥沼に咲く」(新紀元社)、「臨終デザイン」明治書院、「だまされる人の共通点」主婦の友インフォスがある。
写真:「生活情報誌読売ファミリー」提供

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