行列のできるブログ 丸山法師の徒然草

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●楽しき夕べ

早大125周年記念式典グランドフィナーレ

去る21日、約4,000人〜5,000人とも見える聴衆
(学生・OB・一般人)を前に、新装された大隈講堂を背に
挨拶する栄誉に恵まれた。
各界に多彩な人材がいるなかでこの俺に登壇の機会を与えてくれた
実行委員の諸君と、それを要望してくれた学生諸君にお礼を言いたい。

素朴さ・柔軟さ・情熱=これが早稲田のスピリッツだと思う。
そして、いくつになってもひた向きに生きてゆくことが
一番大切だというメッセージを送らせてもらった。

数千人の観衆から熱い歓声があり、大いに盛り上がった。
数十年の時を超えて青春の血を甦らせることができたひと時でした。

U哀しきは世の常とはいえ

木原美智子さんが突然他界した。
彼女は明るく豪快で、人情味があり、
何よりスポーツ・芸能・歌等多彩な活躍のできる人だった。

何度かパーティーやら花火見物で彼女宅に呼ばれたこともあり、
又石井好子さんのチャリティーシャンソンの夕べで
昨年は有楽町朝日ホールで、彼女の司会の下、
季節外れの「雪が降る」(アダモ)を熱唱する機会に恵まれました。
永六輔さんは皮肉っぽく、仏教の声明のようだといったが、
彼女は、丸山さんらしく味があってとても良かったとほめてくれもした。

楽しい人を失ったものだ。人生というのは、
このような哀しいことを次々と経験してゆく旅でもあるんだと思う。
季節は秋真っ只中。

弁護士会の活動

弁護士会には、人権委員会や、青少年委員会など、
様々な委員会があり盛んに活動している。

他にも、飲み会や、部会などがあり
全部参加していると、会合だけで、毎日が埋ってしまう。

もちろん、業界内の情報交換ができるというメリットはあるのだが
それよりも、参加しないと取り残されてしまうという
不安から会合に顔を出すという人がほとんどではないだろうか。

そこで、弁護士らしい話をして、弁護士らしい生活をしているという満足感を得たり、
弁護士の王道にいるという安心感を感じている。

打ちあわせをたくさんこなすと、なんだか仕事をした気分になるのと似ている。

参加者たちの間に、一種の心情的な深まりが生まれ、
共感することで安心感を得ているのだ。

僕は、貴重な時間をこのような交流会でなんとなく費やすのは
退屈に感じてしまうので、また時間もないのでどちらかというと
ご遠慮している。

でも国民に親しまれたり、広くうれているという点では負けないつもりなんで、
仮に国民が弁護士会の会長を直接選ぶというようなことにでもなれば、
ひょっとすると、こんな俺でも間違ってトップ当選してしまうかもしれんなあ!

商標登録

伊藤忠商事が「ハンカチ王子」の商標登録を申請したときいた。
すかさず、何でも商売に結びつけんとする商社魂をかいまみる思いだ。
多分、申請は通るだろう。

さらに、ついに最近、森喜郎氏が安倍総理をハンカチ王子に例えた
(人気先行で、実力の程はこれから試されるの意)
ことがあったが、うまい表現だ。

また、過去にはPOKEMONという言葉が
アメリカで商標登録されておらず
これをアメリカで登録して大もうけしませんか?と持ちかけて来た人物がいた。
自分も気をそそられたが、そんなうまい話はあんかろう、なんてぐずぐずしていたら
アメリカでもポケモンは売られるようになった。
はたして、もしあの時自分が権利を取ってたら
なんてたわいもないことを夢物語として今も時々思い出す。

新聞奨学生2

僕が新聞配達のアルバイトをしていたのは
大学1〜2年生の時であった。

何よりも朝起きるのがつらかったが
今思い返せば、さまざまな出来事があった。

例えば、配る分だけ新聞をきっかり持っていったはずなのに
なぜか、余りが出ることもあった。
不思議である。

しかし、どこに配っていないのかも分からないので
とりあえず放っておくと、電話があって
大目玉を食らうこともあったが、どうしようもない。

また、家の前で新聞が届くのを待ち構えている人もいて
届けるのが遅れると「遅いよ」と小言を言われた。

一番問題なのは雨の日で、
どうしても最後の方に配る
新聞はびしょ濡れになってしまった。

また、当時は今と比べ新聞の折りたたみもチラシの挿入も、
全て手作業だったので大変だった。

例えば、折込チラシにしても、
全部一枚一枚めくって自分で挟み込まなければならなかった。
なれない頃は時間がとてもかかって、
先輩が配り終えた頃に、ようやく出発できるということもあったが、

今はこれらのかなりの部分が、機械で処理されていると聞くが
本当はどうかよくわからん。

配る先も戸建からマンション中心と、
地域によっては大きく様変わりしている。

自分なんか、決して優秀な配達員ではなっただけに、
この奨学生諸君には頭が下がる思いだった。

それだけに、自分はこれをやり遂げたんだという自信をもって、
これから世に出てほしいと心より願わずにはおれない。

司法試験合格、司法修士生へ

久々の更新である。

ここの所、僕が弁護士になるまでを書き綴ってきたが
入国管理局に在籍中、司法試験に合格した僕は法務省を退職。

2年間司法修士生として研修を受けることになる。

最初の4ヶ月間は中央で研修。その後1年半は地方へ。
そして再び戻ってきて4ヶ月間、一人前の弁護士になるべく
研鑽を積むというプログラムである。

同期は年齢もバラバラでとてもユニークな人物が多かった。
また研修期間中を思い返すと、興味深い出来事が数多くあった。

司法修士生時代の話は、また折を見て書こうと思う。

区別

今日は法務省の
もっと細かい内情について書いてみよう。

役所というところは、“区別”するのが大好きである。
いたるところに“区別”が見受けられる。

例えば、人によって座る椅子が違う。
もちろん、普通の会社でも社長の椅子と
平社員の椅子は違うのが当たり前だが
省庁の場合、合格した試験によって椅子が違うのである。

今で言う、国T合格者(当時は国家公務員上級職といっていた)には、
最初はともかく、すぐに肘掛付きの椅子。
中級職以下の者は長年の間肘掛のない椅子で仕事をしていたように思う。

また、法務省には独特の区別がある。

法務省で働いている人間には、入口に二つのルートがあって
司法試験に合格し、検事や裁判官の身分をもっていて、
そこから出向のような形で出向いて来る者と、
元から公務員試験に受かって入省して下から
積み上げる者とに分かれているという特異な役所であった。

今もこの仕組みは大体同じだ。
そしてなぜか検事・判事で入ってきた連中が、結構上のポストを独占している。

そんななかで、法務省プロパーの人間(公務員試験で入省した者)の
昇進の道をもっと拡大すべきだという声が昔から上がっているんだけど、
役所の特殊性と検事・判事のポスト意識とが
あいまってなかなか大きな変革はおこってないらしい。

今日の1枚



ちなみに、前回紹介した縁起物は
赤いバージョンもある。

省庁の中

今回はあまり皆さんが足を踏み入れたことのない
省庁の建物の中について書こうと思う。

基本的に、省庁の中には何でも揃っている。
本屋、薬屋、洋服店など、生活雑貨はもちろん
宝石店まであった。
結婚指輪も買えというのだろうか。
また、魚・野菜や果物などの生鮮食料品も手に入る。

家と省庁の往復だけでも十分生活できてしまうほど充実していた。

なるべく仕事に集中できるようにという公務員に対する
国の配慮なのかもしれないが、
もし、そんな生活が続いたら便利すぎて、逆に外の世界に関心を失いそうで
心配である。

前の選挙で、キャリア官僚から政治家へ
華麗なる転進を遂げた片山さつき女史が
「これまでは、案外つまらない役人人生でした」
という趣旨の発言をしていたのも、役人生活はそんな華やかなものではなく
単調なものだという意味だと思うし、今の激動の政界と比べて、本人が
そう思ったのも十分うなづける。

しかし、中には素晴らしい施設もあった。
農林水産省の食堂である。

さすがに、日本全国から美味しい食材を
取寄せている(?)だけあってメニューが豊富でしかも旨かった。

昼時ともなれば、他の省庁の人間や
全く関係のない一般の人で込み合っていた。
今もそうなんだろうか?久しく出向いていないが。

当時は僕も何度もお世話になった。


今日の一枚



講演先で撮った1枚。
商売繁盛の縁起物だそうだ。

なかなか風情がある。

入国管理局の仕事

今日は法務省時代の話である。

法務省に入省した僕は、入国管理局に配属となった。
入国管理局では、出入国の管理をはじめ、外国人労働者、政治亡命、在日外国人などに関して
様々な政策立案をしていくのだが
新人は、現場研修として羽田空港勤務があった。
成田空港がなかった時代の話である。

出入国する外国人(日本人もチェックを受けるが)に対しパスポートのチェックや
滞在目的などをヒアリングして
怪しい人物がいれば、別室へ。

その担当として入国管理局の新人もやらされるのである。
もちろん、問題人物が一人も入国しないという
ことはなく、偽造パスポートや期限切れのパスポートで入国しようとする
外国人を何人か捕まえた。

中には、ドル札をポケットに突っ込み
買収しようとするやからもいた。

勤務が終わるのは夜12時をとうにすぎていて皆、
仮眠室でちょこっと睡眠をとるというパターンが多かったが、
それでも夜の仕事が終わると頻繁に酒盛りをしていたのを覚えている。

そして、朝イチの便の到着にあわせて
たたき起こされるのである。

そんな、羽田空港の勤務がおよそ半年間続いた。

つづく・・・

今日の1枚



レコーディングの前は
ポータブルオーティオで音楽を聴きながら
マラソンしつつ、歌を練習していた。

法務省入省

弁護士になるまでの話の続きである。

大学3年から弁護士試験の勉強を始めたのだが
1回目は見事に落ちた。

大学卒業後、1年たって僕は法務省に入省した。
そこで、弁護士試験の勉強を続けながら
社会人としてのキャリアを積んでいくことになる。

ちなみに、同じ部屋で勉強していた友人は
弁護士をあっさりあきらめ就職してしまった。
当初は向こうの方が熱心だったのに
結局最後まで続けたのは僕の方であった。

法務省には、僕のように弁護士の勉強をしながら
働いている人がけっこういたと思う。
その内、何人が合格したかはわからんが。

とはいえ、官庁の仕事は忙しくて
勉強する時間といえば、週末か通勤途中しかなかった。

そんな少ない時間でどうやって
試験にうかったのですか?とよく聞かれるのだが
“気合と集中”それのみである。
仕事と寝ている時間以外は勉強をしていた。
少なくとも気持ち的には、そんなもんだった。

10代の乙女が恋をすると、
その人のこと以外考えられらいように
当事の僕は“試験に恋”していたのである。

結果、3回目ようやく合格した。
この時は、もともと手ごたえがあったから、
「やっぱり受かった」という感じだった。

次回は法務省時代について書こうと思う。

今日の1枚


講演会のポスター。
まるで、選挙の候補者のようである。

プロフィール

丸山 和也
丸山 和也 Kazuya Maruyama

1946年兵庫県生まれ。69年早稲田大学法学部卒業、上級職試験合格後法務省を経て、70年に司法試験に合格。75年渡米。ワシントン大学ロースクールに入学し卒業(LLM)、その後ロサンゼルスの法律事務所に3年間勤務。80年に帰国後、弁理士登録を経て特許事務をも扱う。企業間の紛争・交渉等を中心とした国際法務を得意とする他、各種特許紛争および個人の問題も幅広く取り組む。07年、参議院選挙に当選。
現在、「丸山国際法律特許事務所」代表。主な著書に、「正義の判決」(小学館)、「行列のできる丸山法律塾」(小学館)、「丸山法律相談所」(二見書房)、「ビジネスマンが行列する法律相談所」(学研)、「蓮の花は泥沼に咲く」(新紀元社)、「臨終デザイン」明治書院、「だまされる人の共通点」主婦の友インフォスがある。
写真:「生活情報誌読売ファミリー」提供

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