行列のできるブログ 丸山法師の徒然草

行列のできるブログ 丸山法師の徒然草

本年の総括

先日、「一水会」の機関誌「レコンキスタ」の一面に私のインタビュー記事が掲載されました。
ここに全文をご紹介します。
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政治家の質が低下していると言われている。泥酔の果てに自ら志願もせず、口先だけで「戦争だ」などと言い出す愚か者も出ている。国会に送り出す方も選ばれる方も大衆社会の反映か。今回は12年間参議院議員として活躍された丸山和也氏にズバリ「当世政治家気質」を語って頂いた。(編集部)
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党内にはびこるヨイショの気風
私は平成19年春に行われた参議院選挙に当選してから今年の7月まで、2期12年間を国会議員として活動してきました。しかし、いま私が国会を離れて改めて思ったこと、感じたこと を一水会の紙面を借りて多くの方々に伝えられる機会をいただきましたので、自由奔放に話してみたいと思います。
 私が初当選した時の総理大臣は安倍晋三さんでしたが、その後、福田康夫さん、麻生太郎さんと総理が次々と交代しました。やがて、自民党の支持率が下がり、国民の不満がピークに達した頃、鳩山由紀夫総理をスタートとする民主党政権が3年間続きました。
 平成24年には、再び自民党政権を取り戻して、第2次安倍内閣が発足してから、すでに7年間を超え、これまで歴代1位だった桂太郎内閣をも超える長期政権となっています。
 私が議員になってから、政治の現場で感じていたことの一つに、政権に対する“ヨイショ”“おべっか”を目にする機会が多くあったことです。よく言われる“忖度”とも共通する空気感ですが、みんなで野放図にヨイショばかりしていると一種の盲目的集団となってしまいます。例えば、予算委員会などでの野党の質疑答弁においても「自民党いいぞ!」などの声がかかるのです。最初からヤジ目的で出席している若手議員もいて、国会の風格が落ちています。国会は議論の場ですから、与党であっても総理はじめ担当大臣らに毅然と質問する必要があると思うのです。むしろ、同じ党の仲間だからこそ厳しいことを言ってより良くすべきだと思うのですが、与党の質問は形式だけの質疑で終わっていて、大事な予算委員会がつまらないエンターテイメントになり下がっているような気がしていました。
 個人的な感想ですが、安倍政権が長くなっていくにつれて、こういった政権中枢に擦り寄っていく自民党議員が増えている気がします。
 ある意味、ベテラン議員のヨイショは、長い間の腐れ縁とも思えるのですが、これから、しっかりと力量を発揮していかなければならない若い議員さん達が、政権中枢になんでもかんでも従う姿勢には、厭らしさと政治的盲目になってしまう危険性すら感じます。

愛のない「愛国心」ほど卑怯なものはない
 安倍さんは、平成18年に初めての総裁選に立候補する直前に「美しい国へ」を出版し、真のナショナリズムのあり方を述べています。さらに、25年にはその新書として「新しい国へ・美しい国へ 完全版」という本も書いています。
 「愛国心」について語ることは大事なことですが、その本質の捉え方がしっかりしていないといけません。私は、愛国心とは基本的に日本国家としての「独立自尊」があってこそ語れるものだと思っています。
 ですから、その精神がない愛国心の議論は語る意味がないことなのですが、近年、愛国心は他国に対する排斥と攻撃の面を持ち、他方では強い国に擦り寄るという二極化で語られています。これは愛国心とは言えないものです。とくに、韓国に対しての表現方法には疑問を感じます。中国に対しても、似た感情があるようですが、こちらは相手が大国ということからか、あまり強気で言わないように見えます。さらに、アメリカに対しては、ちょっと強硬な態度で出てこられると尻尾を巻いて黙ってしまいます。
 弱い相手には強く出て、強い相手には擦り寄るようなことでは、本当に日本を愛している心とは言えないと思います。こういった認識は、一水会も私も一緒だと思います。
 なぜ、こういう“愛国心”がまかり通っているかと言うと、政治家自身が“人を創る”という修養をしていないからだと思うのです。政治家である前に、立派な人格をもった人間であるべきなのですが、政治家の多くは、そういった修養の努力をしていないと思えるのです。
 しかも、残念ながらそういった修養は政治家に限らず、現代の社会全体に軽んじられているなで、それによる様々な不都合や弊害があちこちで見られるようになってきています。

本当に魅力ある政治家はどこにいるのか
 私は昭和21年生まれの73歳ですが、若い頃は戦前戦後の英雄や政治家の人物伝を読むのが大好きでした。人物的にも感銘を受けた政治家の本を読んでは政治の世界に憧れを抱くこともありました。
 しかし、いざ自分が政治の世界に入ってみると、私が思い描いていた政治家のイメージとはかけ離れていて幻滅するとともに、がっかりしました。生意気なことを言うようですが、私が政治の世界に入ってから、理屈を超えて震えるような魅力を感じた先輩議員は、残念ながら殆どいませんでした。
 ただ、議員になりたての頃、中曽根康弘さんとお話をする機会を頂いたのですが、見た目の堂々とした風格も立派で、惹きつけられるような魅力を感じたことを覚えています。
 新人の私に向かって淡々と国会議員としての心構えについて、まずは自分自身の個性と特徴をしっかり心得て存分に活躍されたらいいんじゃないか、と語っていただいたことも大きな励みになりました。
 その時、私は一つの質問をしました。自民党が提出している議案にどうしても賛成できないときはどうするんですか、と尋ねたのです。
 中曽根さんは、最終的にあなたの判断だけど、と前置きした上で「私も議員生活の中で何回かそういった経験をしたが、私は欠席して投票しない方法をとった。政治は党利党略があってのことだから、あからさまに反対とは言えないし、野党に組みしたと思われてもまずいから、そういった時は棄権したのです」と答えてくれました。私は、それを参考に一度だけ棄権をしたことがあります。
 また、中曽根さんは総理大臣という重責の中にあっても、精神が持ちこたえられたのは坐禅のお陰だと回顧録に書かれていました。月2回くらい谷中の全生庵に行って坐禅をやっていたのは有名な話ですが、厳しい状況の中でも、自分を貫く政治をやっていこうとして、坐禅に真剣に取り組んでいた姿勢は評価させていただいています。
 私も長い間、坐禅をやっていますから、議員会館の体育室で始めた「独坐の会」の顧問をお願いしたこともありました。しかし、人間修養に重きを置く政治家は多くは見当たりませんでした。大半の議員は次の当選を目指して後援会活動等に注力したり、党や政府での役職を得るために実力者の顔色を窺うとか我が身の保身にバタバタしているだけのようでした。
 真剣に天下国家、国民を語り合える魅力ある政治家が少なかったのは大変残念でした。

魂を売ってまで政治をやりたくない
 私は議員である前に、人としての存在価値は「魂」の自由があってこそ生まれると信じています。
 一方、宗教団体を含む大きな組織に頼ることで、何とか当選できた議員さんもおりましたが、魂を売って飼いならされているように見えて私にはとてもそんなマネはできません。
そこまでして議員バッチをもらっても無意味だと思っています。
 ですから、天下国家国民を論ずる立場の者が良心の呵責もなく魂を売っていたらろくな仕事が出来るはずがありません。一例をあげると、昔から言われている、宗教団体への課税問題ですが、一向に具体化しないのはなぜでしょう。関係議員にとっては、そんな事を口にするだけでも自殺行為だと解っているからです。
 特定の団体から支持、支援を受けるというのは、確かに違反でも禁止事項でもありませんから、枝葉として上手く利用していくのでしたら別に構わないことです。大事なことは、それに毒されずに強く太い信念の幹を持った人間であるべきだということですが、その票で当選した場合はこれが難しい。
 選挙で当選したい、閣僚ポストが欲しいという議員らが主流となっては、日本は危険でつまらない政治家に支配されてしまうことになります。そのためにも、選挙とポストは大事とは言えそれを超えた魂を持つ人間を作るための修養というか実践教育が大切になってくるのです。
 松下幸之助が作った松下政経塾も修養を取り入れた実践教育で素晴らしかったと思っていますが、時が経ち形骸化すると政治家になるための予備校みたいになってしまった気がします。
 私の議員生活の中で意気投合した若い議員は何人かいましたからこれからは、類は友を呼ぶように時間がかかっても大きなグループを形成していって欲しいと願うのです。
 「信念」を持った気骨ある連中が人としての修養も重ねながら成長していくなら個人的にも、そういう政治家を応援していきたいと思っています。私の好きな言葉に「粗にして野だが卑にあらず」や「無冠の帝王」などがあり、これらは私の信条と合致するところがあります。

変わりつつある日本の政治と国民意識
 私は少なからぬ方々から次の選挙への挑戦についても聞かれますが、はっきり言って立候補は全然考えていません。これまで話してきたように、議員になるとどうしてもいろいろな制約に縛られますから、あの窮屈で楽しくない生活はもうやろうとは思いません。
 ただ、今回の選挙で既成概念に真っ向から立ち向かった気になる政党がありました。一つは、立花孝志氏の「N国」(NHKから国民を守る党)。もう一つが山本太郎氏の「れいわ新選組」です。それぞれが約84万、約122万という大量得票でした。日本の世の中が変わってきた感じがします。
 見方を変えると、“ヨイショの集まり”と“極端な主張”が国民の注目を浴びる危ない社会になってきたようでもあり心配です。
 一方、立花氏と堀江貴文氏が接触したという情報もありますが、彼が証券取引法違反等で裁判を受けていた頃、法律問題、政治問題などで2時間くらい話したことがあります。当時、彼は絶対に無罪を勝ち取ると言っていましたが、私は、気持ちはわかるが、今の政治状況における裁判では絶対有罪、しかも実刑になる可能性が高いと言いました。彼はムッとしていましたが、案の定実刑になりました。あとで「丸山さんは面白いことを言う人だなぁ」などと、どこかでつぶやいていましたが、あの事件は当時の社会的背景の下、司法的に有罪にする土壌が出来ていたのだと思います。
 彼は時代の寵児になったのですが、経済界から叩かれ、司法の世界からもやられてしまったのです。つまり、既成の権威から寄ってたかって潰された訳で、この恨みはすごいものがあると思います。また、自民党のバックアップを受けて一度政治に出たことがあるにも関わらず、自民党からも見捨てられた恨みもあると思います。
 そういった事もあって、立花氏の真っ向勝負の対決姿勢には共鳴するのでしょうね。しかしN国には評価できるバックボーンのようなものが無さそうで、一時の打ち上げ花火でしかない気がします。むしろ、山本氏の「れいわ」のほうが面白い展開を見せるのではと思っています。方針は違いますが既成をぶっ壊すという点では「N国」と一致しています。

安倍政権はいったい何を成し遂げたのか
 安倍総理は、今や長期政権となったなかで経済の再生(アアベノミクス)、防衛安全保障、外交と獅子奮迅の活躍をされてきたことは事実でしょう。その努力には率直に敬意を払います。とは言え、未解決のままの課題も多くあります。
 安倍総理は、拉致問題、日露問題、憲法改正は自分が総理の時代に決着、または進展させると公言していたことに、好き嫌いはともかく共感するところが多くありました。安倍さんなら出来ると思った国民も多くいたと思います。
 しかし、拉致問題では全員帰国させると言っていましたが、今では実現性の目途が立たず空しいスローガン化しています。また、日露関係でも平和条約交渉や二島返還も含む北方領土問題の解決を実現させるとも言っていましたが、これも目途が立ちません。念願の憲法改正に関しても自衛隊を明記するといった、最小限の改正ですら日程に上がりません。そして、威勢良く語っていたアベノミクスも最初の様な期待は無くなり、特に三本目の矢はどこに飛んで行ったか判らず、イノベーションは低調で世界の中での我が国の前途も不明です。特に、ロシアとの関係では、安倍首相はプーチン大統領と20数回会談をしているだけに、もっと突っ込んだ議論ができたのではと思うのですが、日米関係についてロシアの反発を受けた時点で安倍さんはすんなりと引き下がってしまいましたね。あの辺が残念ながら安倍さんの胆力の限界を垣間見た気がしたのは私だけでしょうか。
 もし、河野一郎だったら或いは田中角栄だったら妄想かもしれませんが、アメリカとの関係が悪くなるのを覚悟で北方領土の議論をつき進めていったかもしれません。そういったダイナミックな判断、交渉が無かったのは残念でなりません。プーチンのようなKGBのたたき上げのような男と真剣勝負するには安倍さんはスマートすぎます。よっぽど腹の座った厚かましい根性の人でないと勝負できない。安倍さんは善意でナイーブ過ぎな気がします。
 かといって、次期総裁選には、安倍さんの四選も視野に入れて、河野太郎氏、岸田文雄氏、加藤勝信氏らに加え、菅官房長官もワンポイント候補として挙げられています。ただし、菅さんは、ある意味人格者でクレバーな人ですから自分から積極的に手は挙げません。もし、総理になったらせっかく積み上げてきたこれまでの評価が一気にひっくり返るのが判っている人だけに自分からやろうと言わないでしょう。ともかく、トランプ、プーチン、習近平らと互角に議論できるような腹の座った人材は名前の挙がっている中には残念ながら見当たりませんね。

しっかり発言しないと國體は維持できない
 小さなことに思えるかもしれませんが、先日、茅葺き議連の方々や木村代表から相談を受けたこともあって、官房長官に大嘗宮の茅葺き屋根の件で申入れをしました。しかし実現しませんでした。茅葺き屋根にすべきであるという意味を関係者がよく理解していないようでした。
 宮内庁職員は、警察官僚、経産官僚などから出向で来ている方も多く、儀式を担当する掌典職もいるのですが、どうもいまひとつ関心と理解が不十分なようで残念でした。

『万機公論に決すべし』を失ってはならない
 私は、衆議院の様子はよく分からないのですが、参議院ではとにかく「一致団結で頑張りましょう!」という掛け声だけで議論が全くありませんでした。誰かが発言を求めただけで色めき立つ雰囲気があり、まるで大企業のシャンシャン株主総会のようでした。
 国会では本会議が始まる直前に30分程度の議員総会というのを開くのですが、ひどい話ですが、任期中の6年間に議員総会で一回も発言しない議員が約8割はいます。私が新人議員だった頃、なにか発言しようとするだけで異端扱いされてしまいます。そして丸山が“発言”したというだけで記者がわざわざ取材に来る有様でした。
 また、この議員総会では
。衆議院から回ってきた各議案に対して、これは賛成してください、これは反対してくださいと指示があります。そして、最後になにか意見はありますか。と言われても毎回「ありません」「ありません」で終わりです。
 議員同士が個人的に話すことはあっても、議員総会のなかで意見を交わすとか、別途協議の場を設けるということは全くありませんでした。これでは参議院自民党として機能しておらず完全に死んでしまっています。
 発言を求めると何を言うからわからないから警戒され、そこで自由闊達に発言でもしようものなら、もはや変人扱いされる。じっと、目立たないように黙って役職の順番が回ってくるのを待っていると言った感じの議員が殆どでした。
 また「官邸主導」という表現がありますが、これは立法すべき議案について、官邸で決めたことを議会がただ消化していく姿を言っているのです。官邸の顔色を窺いながら議会が追随してゆくだけでは、議員はただの数だけの役割となり下がります。

自分の身に係るときだけスイッチが入る議員
 ただ、総裁選のときだけは意外なほど多くの意見が議員同士で交わされていました。誰をリーダーにするかで、そこに自分自身も絡んでくるからでしょう。しっかりと意見が交わされることで一時的とは言え、党が活性化していたのですが、安倍政権が長期になるにつれて動きのない淀んだ水みたいで面白くなくなってしまいました。
 別に喧嘩しているわけでもないが、とても風通しが悪い。誰も意見を言わず、発言もしないうちに、いつの間にか流れが官邸の方に向いているわけです。
 テレビで中継される時は、野党とやり合っている場面が多いので活発な議論がなされているように見えますが、実は、首相官邸と役所で決めたことを形式的に国会が法案にしていると言うだけなのです。
 それでも議員一人当たりの歳費は年間3000万円で、さらに秘書などの給与やその他の諸経費を入れると議員一人当り年間一億円にもなるお金を使っていることになります。
 私なんか、議員になる前のほうがずっとずっと仕事で稼いでいましたから、収入が減ってまで堅苦しい政界でやっていく必要を真剣に考えることもありました。しかし、最低10年間やり続けなければ、物事は見えてこないという信念のもと2期12年間の議員生活を送ってきました。
 これからは、経済界も政界も活動家も優秀な人材を創っていかなければならない時代に入ったのです。気骨があって、堂々と正論を語れる人物たちを育てていく必要性を強く感じたのです。「国の盛衰は人物にあり」です。
 私利私欲ばかりで動いているような人間が主流の社会は危険すぎます。トップの動きで、あっちだこっちだと無条件に従っているような社会ではいけません。レミングの集団自殺のような事をさせてはならないと思っています。 
 最後に、私の12年間の議員生活を振り返って思うのは、初当選は安倍内閣、議員を辞めた時も安倍内閣、民主党政権の3年間以外、安倍政治の中での政治活動でした。
 私の方から時代は選べないわけで、吉田茂でも、田中角栄でも、中曽根康弘の時代でもありませんでした。私は、良くも悪くも安倍政権の時代的制約の中にあったと思います。しかし再び自由な立場になった以上、全ての経験を生かして自分らしい挑戦をしてゆきたいと思っています。

マスコミに苦言
 在任中、人種差別を乗り越え黒人大統領を誕生させたアメリカの変革を称える意味で「奴隷」との用語を使ったにもかかわらず、真逆の大騒ぎをしたマスコミのリテラシーの無さに大いに失望し、且つ理不尽さを痛感したこと、また丸山穂高議員の「戦争」発言が私の発言であるかの如く誤解を生むマスコミの不注意な(フルネームを表示しない)「丸山発言」報道のあり方等を通して、政治を報道するマスコミの乱暴さと質の低さにも泣かされました。
(了)

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プロフィール

丸山 和也
丸山 和也 Kazuya Maruyama

1946年兵庫県生まれ。69年早稲田大学法学部卒業、上級職試験合格後法務省を経て、70年に司法試験に合格。75年渡米。ワシントン大学ロースクールに入学し卒業(LLM)、その後ロサンゼルスの法律事務所に3年間勤務。80年に帰国後、弁理士登録を経て特許事務をも扱う。企業間の紛争・交渉等を中心とした国際法務や個人の問題も幅広く取り組む。「行列のできる法律相談所」で一躍人気を博したほか、24時間テレビ100kmマラソンを完走。現在、弁護士法人丸山総合法律事務所代表。 参議院議員(07年7月及び13年7月参議院全国比例当選)の任期中には、参議院文教科学委員長、自民党司法制度調査会会長、自民党政務調査会副会長、自民党政務調査会法務部会長、参議院行政監視委員長を歴任する。
主な著書に、「正義の判決」(小学館)、「行列のできる丸山法律塾」(小学館)、「丸山法律相談所」(二見書房)、「ビジネスマンが行列する法律相談所」(学研)、「蓮の花は泥沼に咲く」(新紀元社)、「臨終デザイン」明治書院、「だまされる人の共通点」主婦の友インフォスがある。
写真:「生活情報誌読売ファミリー」提供

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