行列のできるブログ 丸山法師の徒然草

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「独坐の会」よりご連絡

今月1日に開催された「独坐の会」につきまして、禅インストラクターの伊波新之助氏より頂戴した活動報告を掲載致します。
次回の独坐の会は3月1日(木)に開かれます。
丸山和也事務所

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【禅インストラクター伊波新之助からの報告】
 2月の禅会は1日(木)に参議院議員会館地下3階の美しい床板仕上げの体育室で開かれました。寒気厳しい雪模様の日だったためか参加は10名でした。
 椅子式や座布団の上に坐って足を組む普通の坐禅、皆さん思い思いに坐禅に取り組み、そのあと講話がありました。
 今回のテーマは「無我」についてです。
 いろいろな教えの中でも「無我」が最も難しいテーマです。なぜなら「自分」は現に実在しているのですから。
 三法印または四法印といって他の宗教とは違う仏教独自の教えが以下のように3項目または4項目あります。

<一切皆苦>
 世の中は思い通りにならないことばかりだ。世の中のことはすべて苦である。
<諸行無常>
 この世のあらゆる事物、事象は諸々の原因や条件によって作り出されたもので、絶えず変化し続け、決して永遠のものではない。
<諸法無我>(ここでの「法」は「存在」という意味)
 いかなる存在も不変の実体を持ち続けることはない。(更に進めて)いかなる存在も実体を有しないということ。(更に更に進めて)自分には実体がないということ。
<涅槃寂静>
 煩悩を断じた悟りの世界は心の鎮まった安らぎの境地である。

<無我とは何か>
 実はこの言葉、言い換えれば「自分には実体がない」が本当の悟りの内容をなすもので、本当の悟りはこのほかにはないとも言えます。釈尊の悟り、中国での禅の初祖でインド人の達磨さんの悟りも、白隠禅師ら日本の歴代の老師・師家といわれる方々の最初にして最大の悟りはすべてこれだと言えるでしょう。
 いわゆる禅問答もこれを求める修行者と気づかせたい師家とのやりとりです。しかし正直に我々の思いを言えば「無我」は難問です。
《我々》自分はあるのに無我とはどういうことですか。
《仏教》本当に自分はありますか。
《我々》少なくとも生きている間はあるのではありませんか。まずこの体です。このほかに「思い」とか「記憶」とかの精神活動も自分が「ある」証拠だと思いますが、体に限って言えば自分が生まれてからずっと自分を支えてくれた大事な体です。他人の体ではない。自分の顔を見て他人は自分を識別してくれます。
 食事をする、勉強をする、はすべて自分の手や目を動かして自分にいろいろなものを取り入れる作業で、お腹や頭脳に手応えを感じます。
 今更、口にするまでもなく私が存在する有力な証拠は誰のものでもないこの体です。なぜ自分に実体がないと言うのですか。
《仏教》お母さんの胎内でひとつの細胞が分裂して成長を始めます。成長の材料は自然界から母親が摂取したものです。
 またお母さんは足の速い子を産もう、髪の毛がブロンドの子を作ろうと思っても自分の意思で赤ちゃんを作れるわけではありません。自然界がお母さんの体を借りて自ら作っていったものという方が当たっています。赤ちゃんの髪の毛一本もお母さんは作れません。誕生後も母乳や食物は自然界からのものです。このように見ると肉体はすべて自然界のもので、その所有者は自然界だと考えざるを得ません。
《我々》しかし我々は自分の肉体を自由に使うことができます。腕を挙げようと思えば挙げられます。走ろうと思えば走ることができます。
《仏教》では心臓を止めたり動かしたりすることはできますか。細胞の新陳代謝は自分の意思でやっているのではありません。
 体が自分のものなら「夜道は不用心だからと後ろの方を専門に見る眼を後頭部につけることはできますか。運動会で入賞したいと足を改造して早い足にすることができますか。痒い背中を掻くのに便利だからと背中にもう一本腕をつけられますか。
《我々》しかし体を傷つけることや思い切って自殺することはできます。
《仏教》確かに傷つけることはできる。しかし自然界は「痛み」という罰を与えてブレーキをかけている。自殺することはできるがよく見ると自殺によって無くなったのは自分の方で肉体はそのまま残っています。
 結局、肉体は自然界から生きている間貸して頂いている借家であって自分自身のものではないということになります。
 自分のものではないということは、最初の質問に立ち返ると肉体は決して「自分がある」証拠にはならないということにならざるを得ません。諸法無我すなわち「自分には実体がない」ということへの強力な反論の根拠が失われたことになります。

 以上は「諸法無我」「本来無我」への疑問を、肉体をテーマに問答形式で説明したに過ぎませんが、坐禅をすることによって「自分という存在は本来無我なんだなあ」「自分には実体がないんだなあ」ということを、禅のうえでの体験を経て腹のどん底から分かって頂くことへの一助にして頂きたいと思います。

 3月の坐禅会は1日午後5時から恒例の参議院議員会館地下3階体育室で行います。宗派、信条、党派に関係なくどなたにも開かれた仏教の会です。初心の方の参加を歓迎します。

伊波新之助 禅インストラクター
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プロフィール

丸山 和也
丸山 和也 Kazuya Maruyama

1946年兵庫県生まれ。69年早稲田大学法学部卒業、上級職試験合格後法務省を経て、70年に司法試験に合格。75年渡米。ワシントン大学ロースクールに入学し卒業(LLM)、その後ロサンゼルスの法律事務所に3年間勤務。80年に帰国後、弁理士登録を経て特許事務をも扱う。企業間の紛争・交渉等を中心とした国際法務を得意とする他、各種特許紛争および個人の問題も幅広く取り組む。07年、参議院選挙に当選。
現在、「丸山国際法律特許事務所」代表。主な著書に、「正義の判決」(小学館)、「行列のできる丸山法律塾」(小学館)、「丸山法律相談所」(二見書房)、「ビジネスマンが行列する法律相談所」(学研)、「蓮の花は泥沼に咲く」(新紀元社)、「臨終デザイン」明治書院、「だまされる人の共通点」主婦の友インフォスがある。
写真:「生活情報誌読売ファミリー」提供

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