行列のできるブログ 丸山法師の徒然草

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性に関する発言につき一言

最近国会議員がいろいろ発言しているが、政治家と言う事を意識し過ぎてるのか人間と言うものについての洞察力が欠如しているのかわからないが偉そうに言うわりには底の浅い発言であるように思える。性は生とも言われ詰まるところ生きると言うことの本質に連なるものであると思う。だからどのようなものであれ本来真剣(勝負)なもの。

坐禅会ニュース

 7月5日(木)の椅子式坐禅会は午後5時から2時間行われました。
 8月はお休みで次回は9月6日(木)午後5時から参議院議員会館地下3階体育室で開きます。国会の外の方も歓迎しています。初心の方向きの運営ですから奮ってご参加下さい。
 7月5日の禅会では坐禅1時間半の後、円覚寺の横田南嶺管長の『二度とない人生だから今日一日は笑顔でいよう』1冊を皆さんに差し上げ、その中の一節を講話として取り上げました。
 管長の横田南嶺老師が修行中だった京都建仁寺で師から伺った話で、元々は小学校の教師がNHKラジオに投稿した話です。
 第二次世界大戦の敗戦直後で誰もが貧しく粗末な身なりの時代でしたが、その中でも特に貧しいつぎはぎだらけの服装の男の子が担任の教室にいました。
 しかし、その少年は特にそれを恥じたり気にしたりすることもなくいつも明るく、澄んだ目で周りの同級生と一緒に勉強に励んでいたそうです。先生は少年のあり方をいつも不思議に思っていました。
 ある日家庭訪問でその少年の家を訪ねました。少年の家は今にも壊れそうな「あばら家」で冬の寒風が家の中に容赦なく吹き込むような造りだったと言います。
 先生は戸口から入るのをためらって暫く外にたたずんでいたそうです。すると中からお母さんが少年に話しかける声が聞こえました。「ここに来て見てごらん。夕焼けの空がとってもきれいだよ」と。そして二人が並んで美しい夕焼けにしばし見とれているらしい様子が感じられたというのです。
 先生は貧しい身なりの少年がなぜこうも明るく元気なのか全てがわかったと思いました。
 このお母さんは周りから見れば悲惨でかわいそうな自分たちの状況を決して悲観してはいなかったのです。それどころか夕焼けを見て「ああきれいだなあ」と感動する素晴らしい心を忘れなかったのだと先生は気づきました。そしてそのラジオ放送を聞いた老師は感動して法話の中に取り上げて弟子たちに教えられたというのです。
 禅宗の言葉に「誰(た)が家(や)にか明月清風無からん」という言葉があります。通常は「大邸宅に住む人にもあばら家に住む人にも平等に仏性は宿っている」という意味に使われているようですが、「どんな家からも明月を眺めることはできるし、窓を開ければ涼風は入ってくる。それ以外に何が必要だというのか」と、限りない貪欲(どんよく)をいさめ、明月清風を味わう生き方を大切にしようという意味にもとれる言葉だとお話しました。
(禅インストラクター 伊波新之助)

国会禅会「独坐の会」からのお知らせ

 7月例会は5日(木)午後5時から参議院議員会館地下3階の美しい床面の体育室で開きます。初心の皆様にも優しく手ほどきを致します。お誘い合わせてどうぞご参加下さい。足の痛くない椅子式坐禅を勧めています。
 6月例会は7日(木)に開かれ、坐禅のあと、鎌倉・円覚寺の管長横田南嶺老師が東京で直々に参禅指導をしている文京区白山の竜雲寺、通称白山道場での坐禅会について解説・案内しました。
 本格的に「悟り=大安心」に向けて修行を始めたい人にはお勧めです。6月9日(土)の朝9時からの坐禅会には「独坐の会」からの志願者をお連れして参加し、南嶺老師にご紹介しました。
(坐禅インストラクター伊波新之助)

「独坐の会」よりご連絡

今月10日に開催された「独坐の会」につきまして、禅インストラクターの伊波新之助氏より頂戴した活動報告を掲載致します。
次回の独坐の会は6月7日(木)に開かれます。
丸山和也事務所

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【禅インストラクター伊波新之助からの報告】
 毎月第一木曜日の午後5時から参議院議員会館地下3階の体育室で行われている坐禅会からのお知らせです。
 坐禅の姿勢は腰痛を治す決め手です。坐禅の呼吸はものに動じない自己の確立をお約束します。坐禅の心の持って行き方はいろいろなことを次々に捨てて行くことによって、小さいことに左右されない自分をつくります。
 次回は6月7日(木)です。初めての方の参加をお待ちしております。

 前回5月10日の講話を紹介します。
 紀元前3世紀ギリシャのアレクサンダー大王はトルコ、エジプトから始まって東方のパキスタン辺りまで遠征しました。高校の世界史ではそこまでを世界史のエピソードのように紹介して終わりにしていますが、実はその続きがあるのです。
 現在のトルコ、シリア、イラク、イラン、アフガニスタン、インド北西部にその後、ギリシャ系の国家がいくつも存続し、ギリシャ文化を開花させました。仏教はそれまでお釈迦さまを尊敬するあまり、弟子や信者の像は造ってもお釈迦さまの像は彫刻しませんでしたが、ギリシャ文化に触発されて、仏教史上初めての仏像がこれらの王国で制作されました。初めての仏像はギリシャ彫刻そのものといっても良いほどギリシャ風です。今我々がお寺や野の石仏に手を合わせることができるのもギリシャ文明のお蔭なのです。
 ギリシャ人の王は40人余りが知られていますが、その中のひとりのメナンドロス王は現在のアフガニスタン、パキスタン、インド、タジキスタンにまたがる王国バクトリアを支配し、その像を刻んだコインがイギリスの古代遺跡から発見されたように盛んに交易を行い、その国は「大夏」の名で中国にも知られました。
 メナンドロス王が仏教史上重要なのは現地の仏教の高僧ナーガセーナ長老と何日にもわたって問答を交わして仏教上の疑問を追究し、長老もよくその疑問に答えて、その記録がお経として現在にも伝わっているからです。
 例えば、仏教の基本的な思想の一つ「本来無我」は「私という存在は実体がない」というものですが、王は「それはおかしい。自分もあなたも現在ここにいるではないか」と食い下がるところから記録が始まります。王の立場は現在の私たちの立場と同じだと言ってよいでしょう。
 こうした問答の末に王は仏教徒ととなり、仏教の興隆に尽くします。王の力だけによるものではありませんが、ギリシャ人の僧が活躍するなど、仏教は広くギリシャ人にも受け容れられます。別の王朝のアショカ王の時代にもギリシャ人の高僧がいたことが知られています。
 メナンドロス王の名を現地の人はミリンダ王、ミナドラ大王などと呼んでいたので、インド語の一種パーリ語では「ミリンダ王の問い」という経典に、中国語訳では「那先比丘(なせんびく=ナーガーセーナ長老の)経」として残されました。ミャンマー、タイ、スリランカなどでは大事なお経として扱われています。
 しかし、なぜギリシャ人はギリシャ神話の世界から仏教に信仰を切り替えたのでしょうか。それはその頃すでにインドではカースト制が発達して、ギリシャ人、ペルシャ人などの外国人はカーストの最下層に位置づけられたので「平等」を掲げる仏教が外国の人に広く受け容れられたと考えられています。仏教を盛んにしたカニシカ王のマウリヤ朝もペルシャ人がつくった王国だったので、王様であっても身分は低く見られ、仏教に魅力を感じたと考えられています。
 インドの仏教はイスラム教などに侵されて13世紀に亡びますが、20世紀になって最下層のカーストの人たちに再び「平等」の仏教が迎えられ、現在は日本人の佐々井秀嶺師がそのリーダーになって待遇改善や聖地回復などの政治活動に力を尽くしています。(伊波新之助記)



紀元前4世紀、ギリシャのアレクサンダー大王は遠征して南はエジプト、東はパキスタン、インド、北は黒海、カスピ海に至る広大な地域にギリシャの都市や国家を建設し、数世紀にわたってギリシャ文化の影響を残した。ギリシャ風の仏像制作、ギリシャ人による仏教の興隆もその遺産である。
〈最新世界史図表 改訂三版(1998)、第一学習社より〉


写真は前2世紀、パキスタンを中心とした西北アジアのギリシャ王国バクトリアのメナンドロス1世のコイン。王は仏教に改宗してその興隆に尽くし、ギリシャ人の信者や僧も多く出現した。改宗に先立って行われたインド高僧との問答は現在もお経として残っている。仏教はこういう人たちのお蔭も加わって日本に伝わった。
〈平山郁夫コレクション ガンダーラとシルクロードの美術展図録(2000)、朝日新聞社より〉


仏教徒は釈尊を尊敬するあまり長い間、人の姿の彫刻としては表現しなかったが、アレクサンダー大王が残したギリシャ文化と仏教がパキスタン、アフガニスタン方面で接触した結果、1世紀頃になって初めて釈尊や菩薩の尊像をギリシャ彫刻の手法によって出現させ、以降仏像の絵画、彫刻が盛んになった。写真はパキスタン、アフガニスタンのガンダーラ地方に初めて現れた仏像彫刻。ギリシャ風彫刻に西アジアの拝火教などの影響が加わっている。
〈平山郁夫コレクション ガンダーラとシルクロードの美術展図録(2000)、朝日新聞社より〉

「独坐の会」よりご連絡

今月5日に開催された「独坐の会」につきまして、禅インストラクターの伊波新之助氏より頂戴した活動報告を掲載致します。
次回の独坐の会は5月10日(木)に開かれます。
丸山和也事務所

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【禅インストラクター伊波新之助から「今月・来月の禅会」について】
4月の禅会は5日午後5時から参議院議員会館地下3階の体育室板張りフローリングの中で開催しました。参加者は15名です。椅子あるいは座布団の上と皆さん思い思いのスタイルで静かな坐禅の時間を過ごしました。

茶礼に移ってからの講話は「ギリシャ人の恩恵を受けた仏教」を伊波からお話しました。
世界史でギリシャのアレキサンダー大王の名は広く知られていますが、大王がどのようなことをしたか、その死後占領地はどのようになったかはほとんど知られていません。
しかし、今のトルコ、エジプト、シリア、イラク、イラン、アフガニスタンの地域にはその後も何世紀にわたってギリシャ人のいくつもの王国が存続したのです。そこには当然ギリシャ文化が花開きました。
その間、仏教はインドから伝播してアフガニスタンやもっと西の方へと広がりました。
そこで仏教とギリシャ文化の接触が起きたのです。
その結果、それまで偉大なお釈迦さまの存在を彫刻などで表現するのに、あまりに偉大な存在だったので人の形ではなく足跡や菩提樹の形で表現していたのがギリシャ文化に触発されて、ギリシャの王様の彫刻に極めてよく似たお釈迦さまの像を造ることにしたのです。これが仏教美術上の大きなエポックとなって以来多くの仏像が造られるようになったというわけです。
今私たちが野の石仏に手を合わせることができるのも実はギリシャ人のお蔭ということができるでしょう。
一見仏教と何の縁もなく思える西欧文化のギリシャ彫刻ですが、私たちはギリシャ人の恩恵を受けて現在の仏教生活に親しむことができているのです。

次回は5月10日の第2木曜日午後5時から同じ参議院議員会館地下3階で坐禅会を開きます。心と体の安全につながる坐禅です。新会員の参加を心からお待ちしています。
次回はギリシャ人の仏教者のお話です。
連絡先は丸山和也事務所(03-6550-0913)です。

本懐無き世情

かって男子の本懐と言うタイトルの本があったが、昨今の学園を巡る忖度とか公文書の改ざん劇をみていると権力にへつらう役所と胡座をかく政治の関係が垣間見え、各々の分の本懐が崩壊している様にかんじる。??

「独坐の会」よりご連絡

今月1日に開催された「独坐の会」につきまして、禅インストラクターの伊波新之助氏より頂戴した活動報告を掲載致します。
次回の独坐の会は4月5日(木)に開かれます。
丸山和也事務所

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【禅インストラクター伊波新之助からの報告】
 独坐の会の運営に長らく携わっていて、昨年より闘病中のメンバーが久しぶりに出席され、明るく会を締めることができました。

 この日の法話は中国の唐の禅僧香厳(きょうげん)のエピソードでした。
 香厳は師匠が亡くなったので兄弟子の所に行き、弟子となりました。新しい師匠は香厳に向かって「あなたは秀才で聞こえた人です。でもここでは頭脳や学問は要らない。ただ一言、あなたの両親があなたを生む前、あなたは何者だったのか。それを一句で言いなさい」と言いました。
 香厳は持っている本や経典、ノートなどを調べましたが、どうしても分からない。
 ほとほと困って師匠にぜひ教えてくれるように頼みましたが突き放されます。
 香厳は思い悩んだ末に仏道を究めることを諦め、墓守りをして一生を送ろうと旅に出ます。
 墓守り生活のある日、掃除のゴミを竹林に投げ込んだところ、石が竹に当たったか、カチーンという音がして、その瞬間、長い間の疑問が一時に解け、悟りに達することができました。
 急いで部屋に戻って沐浴し、香を焚いて師匠を拝し、「あの時教えてもらっていたらこのように痛快に自分の悟りを得ることはありませんでした」とお礼を述べたということです。
 このエピソードが物語るように、皆さんはなかなか悟りが開けないと苦しんでいるかもしれないけれど、根を詰めて続けていれば必ず相応の成果が得られるのでぜひ続けてください。

【禅インストラクター伊波新之助の略歴】
 昭和10年(1935年)、横浜市で出生。早大在学中に鎌倉・円覚寺で朝比奈宗源老師のもと坐禅修行に入る。一般人向けの禅道場である学生居士林で学生幹事を務める傍ら、学内に坐禅修養団体である早大済蔭団を立ち上げました。
 朝比奈宗源老師遷化の後は居士(一般人)の老師を遍歴しましたが現在は円覚寺横田南嶺老師に師事しつつ、円覚寺の居士禅を広く普及しようと円覚寺居士林会を発足させ初代会長を務めました。
 平成19年(2007年)、禅の修行仲間である丸山和也参議院議員の要請で国会内に坐禅会「独坐の会」を創設し、横田南嶺老師の激励を頂いて椅子式坐禅の普及に努めています。
 社会人としては早大大学院を中退して朝日新聞に入社、編集委員などを務めました。現在は朝日新聞OBで、日本記者クラブに所属するジャーナリストです。主な著作に「一人(いちにん)によって興る」「これでいいのか21世紀」(共にTKC出版)があります。

【独坐の会へのお誘い】
 禅や仏教に関心のある方の参加を歓迎しています。坐禅は足の痛いのが難点ですが、当会は椅子式を勧めていますから入門に最適です。
 毎月第一木曜日の午後5時から参議院議員会館地下3階体育室で開催。1時間半の坐禅の後に法話と茶礼があります。和やかな会で質問も自由です。会費1回500円です。

「独坐の会」よりご連絡

今月1日に開催された「独坐の会」につきまして、禅インストラクターの伊波新之助氏より頂戴した活動報告を掲載致します。
次回の独坐の会は3月1日(木)に開かれます。
丸山和也事務所

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【禅インストラクター伊波新之助からの報告】
 2月の禅会は1日(木)に参議院議員会館地下3階の美しい床板仕上げの体育室で開かれました。寒気厳しい雪模様の日だったためか参加は10名でした。
 椅子式や座布団の上に坐って足を組む普通の坐禅、皆さん思い思いに坐禅に取り組み、そのあと講話がありました。
 今回のテーマは「無我」についてです。
 いろいろな教えの中でも「無我」が最も難しいテーマです。なぜなら「自分」は現に実在しているのですから。
 三法印または四法印といって他の宗教とは違う仏教独自の教えが以下のように3項目または4項目あります。

<一切皆苦>
 世の中は思い通りにならないことばかりだ。世の中のことはすべて苦である。
<諸行無常>
 この世のあらゆる事物、事象は諸々の原因や条件によって作り出されたもので、絶えず変化し続け、決して永遠のものではない。
<諸法無我>(ここでの「法」は「存在」という意味)
 いかなる存在も不変の実体を持ち続けることはない。(更に進めて)いかなる存在も実体を有しないということ。(更に更に進めて)自分には実体がないということ。
<涅槃寂静>
 煩悩を断じた悟りの世界は心の鎮まった安らぎの境地である。

<無我とは何か>
 実はこの言葉、言い換えれば「自分には実体がない」が本当の悟りの内容をなすもので、本当の悟りはこのほかにはないとも言えます。釈尊の悟り、中国での禅の初祖でインド人の達磨さんの悟りも、白隠禅師ら日本の歴代の老師・師家といわれる方々の最初にして最大の悟りはすべてこれだと言えるでしょう。
 いわゆる禅問答もこれを求める修行者と気づかせたい師家とのやりとりです。しかし正直に我々の思いを言えば「無我」は難問です。
《我々》自分はあるのに無我とはどういうことですか。
《仏教》本当に自分はありますか。
《我々》少なくとも生きている間はあるのではありませんか。まずこの体です。このほかに「思い」とか「記憶」とかの精神活動も自分が「ある」証拠だと思いますが、体に限って言えば自分が生まれてからずっと自分を支えてくれた大事な体です。他人の体ではない。自分の顔を見て他人は自分を識別してくれます。
 食事をする、勉強をする、はすべて自分の手や目を動かして自分にいろいろなものを取り入れる作業で、お腹や頭脳に手応えを感じます。
 今更、口にするまでもなく私が存在する有力な証拠は誰のものでもないこの体です。なぜ自分に実体がないと言うのですか。
《仏教》お母さんの胎内でひとつの細胞が分裂して成長を始めます。成長の材料は自然界から母親が摂取したものです。
 またお母さんは足の速い子を産もう、髪の毛がブロンドの子を作ろうと思っても自分の意思で赤ちゃんを作れるわけではありません。自然界がお母さんの体を借りて自ら作っていったものという方が当たっています。赤ちゃんの髪の毛一本もお母さんは作れません。誕生後も母乳や食物は自然界からのものです。このように見ると肉体はすべて自然界のもので、その所有者は自然界だと考えざるを得ません。
《我々》しかし我々は自分の肉体を自由に使うことができます。腕を挙げようと思えば挙げられます。走ろうと思えば走ることができます。
《仏教》では心臓を止めたり動かしたりすることはできますか。細胞の新陳代謝は自分の意思でやっているのではありません。
 体が自分のものなら「夜道は不用心だからと後ろの方を専門に見る眼を後頭部につけることはできますか。運動会で入賞したいと足を改造して早い足にすることができますか。痒い背中を掻くのに便利だからと背中にもう一本腕をつけられますか。
《我々》しかし体を傷つけることや思い切って自殺することはできます。
《仏教》確かに傷つけることはできる。しかし自然界は「痛み」という罰を与えてブレーキをかけている。自殺することはできるがよく見ると自殺によって無くなったのは自分の方で肉体はそのまま残っています。
 結局、肉体は自然界から生きている間貸して頂いている借家であって自分自身のものではないということになります。
 自分のものではないということは、最初の質問に立ち返ると肉体は決して「自分がある」証拠にはならないということにならざるを得ません。諸法無我すなわち「自分には実体がない」ということへの強力な反論の根拠が失われたことになります。

 以上は「諸法無我」「本来無我」への疑問を、肉体をテーマに問答形式で説明したに過ぎませんが、坐禅をすることによって「自分という存在は本来無我なんだなあ」「自分には実体がないんだなあ」ということを、禅のうえでの体験を経て腹のどん底から分かって頂くことへの一助にして頂きたいと思います。

 3月の坐禅会は1日午後5時から恒例の参議院議員会館地下3階体育室で行います。宗派、信条、党派に関係なくどなたにも開かれた仏教の会です。初心の方の参加を歓迎します。

伊波新之助 禅インストラクター

「独坐の会」よりご連絡

今月4日に開催された「独坐の会」につきまして、禅インストラクターの伊波新之助氏より頂戴した活動報告を掲載致します。
次回の独坐の会は2月1日(木)に開かれます。

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今年2018年は1月早々の4日(木)に第1回の「独坐の会」を開きました。参加は丸山和也参議院議員を含めて12名で、皆さん熱心に坐禅をし、閉会後は内幸町にある日本記者クラブ内のレストラン「アラスカ」で楽しい新年会を開き、向う1年の無事と活躍を誓いました。

禅会では鎌倉・円覚寺管長横田南嶺老師の年頭の色紙「慈祥」のカラーコピーを皆さんにお配りして、そのいわれをお話しました。

「祥」という漢字は神様に羊をお供えして神意が示されるというのが原義で、それから「善いこと」「めでたいこと」「それらの前兆」などの意味が派生したようで、老師は「めでたい言葉なので正月の言葉に取り上げた。円覚寺の何代か前の釈宗演老師が明の時代の『菜根譚』を講じた中に出てくる言葉で、国と国、人と人の間も慈しみと喜ばしいことを尽くせば平和が訪れるという教えです」と語られています。

2月は1日(木)の午後5時から参議院議員会館地下3階の体育室で開きます。宗派、政治の信条にこだわらず、広く間口をあけています。皆さんどうぞご参加下さい。窓口は丸山和也議員の事務所(03-6550-0913)です。

【吠えろ!!戌年男・年女】

1月13日付の産経新聞に掲載された【吠えろ!!戌年男・年女】を転載致します。

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2018.1.13 05:00
【吠えろ!!戌年男・年女】
自民・丸山和也参院議員「優等生、世界リードしていけるの?」

 僕は国際弁護士から参院議員になったが、政治の世界は基本的に大して面白くない世界だね。

 昔に比べて政治家が人間として小粒になって、面白いと思う魅力的な人が少ない。昨年、山尾志桜里さん(立憲民主党、衆院議員)の問題があったよね。体の関係があろうとなかろうと、ひ弱な男に代わって「これも女の甲斐性(かいしょう)でしょ」といえばかっこよかったのに逃げちゃった。「甲斐性」と言い切れば、男女を越えて値打ちが上がったのに惜しいことをした。海外では問題にならない例もあったでしょう。

 大物議員OBと話したら「女性と食事しただけでいろいろ書かれる。週刊誌はつつきすぎだわね。どうしても人間が小さくなる」と嘆いていた。

 いまは品行方正というか型にはまったことを求められる。萎縮するか偽善者になってしまう。優等生ばかりになって、そんなことでは世界の政治家を相手に日本はリードしていけないんじゃないの?

 自民党内も遠慮して意見を堂々と言わずに協調する。これじゃあ活力がなくなるよね。安倍晋三首相の自民党役員人事や組閣も、かつて「お友達」といわれた身内的な色合いを感じさせる部分が生きている。一致団結しやすいという良い面もあるが、かつて中曽根康弘首相が考えの異なる後藤田正晴官房長官を起用したような、本当の意味の適材適所、能力がある人を集めた強さは出てこない。切れのいい刀だが、ごつごつした硬いものは切れるのかな。

 政治は集団だ。自民党も党、そして派閥があるよね。その中では思ったほどダイナミックなものもなく、個性的な仕事は期待できない。何かユニークな発言をしても集団主義の下でつぶれる。参院議員になって2、3年は、私も先輩や同僚と会議でしょっちゅうぶつかっていたけど、何も変わらずばかばかしくなる。「変わり者」「一匹おおかみ」の特別指定席のようなところに落ち着いてしまう。

 個性的な人は、なかなかこの世界はしんどい。あまり個性的だと役職に就きにくい。比較的凡庸で個性的でない、忍耐力のある人が浮かんでいると思う。あとは、やはり意味はなくても日本人好みの毛並みとか親の七光でしょう。

 自民党総裁選? 安倍首相は出るんでしょう。党のためには明確な対立軸があったほうがいい。そのほうが活力が出る。岸田文雄政調会長は禅譲狙いで、ベルトコンベヤーで流れてくるのを待っている感じ。もぎ取る人でない。

 石破茂元幹事長は派閥を作った割には元気がないね。あれでは勝てない。正論は吐くけれども、最後までけんかをしない。「後ろから鉄砲を撃っている」と悪口を言われるだけになってしまう。野田聖子総務相も手を挙げるだろうが、全体的な奥行きがないかな。あまり票は取れないのでは。

 あえて推すとすれば河野太郎外相ですよ。育てればいいと。彼は基本的に自由人で言いたいことを言う。いまはセーブしているけど、力をつけてきたら、かなり強引にやると思う。毛並みもいい。ただ、党内抗争には弱いかな。そういうのを処理できる幹事長を育てたらいけると思うなぁ。

 小泉進次郎筆頭副幹事長は次の次かな。でも、案外、首相になれないんじゃないかという気もする。若くして優等生で、言葉は悪いが、売れっ子「永田町芸者」みたいになってしまう危険すらある。早くから将来が約束されているような安心感があるところが危険だ。(沢田大典)

http://www.sankei.com/politics/news/180113/plt1801130003-n1.html
http://www.sankei.com/politics/news/180113/plt1801130003-n2.html
http://www.sankei.com/politics/news/180113/plt1801130003-n3.html

プロフィール

丸山 和也
丸山 和也 Kazuya Maruyama

1946年兵庫県生まれ。69年早稲田大学法学部卒業、上級職試験合格後法務省を経て、70年に司法試験に合格。75年渡米。ワシントン大学ロースクールに入学し卒業(LLM)、その後ロサンゼルスの法律事務所に3年間勤務。80年に帰国後、弁理士登録を経て特許事務をも扱う。企業間の紛争・交渉等を中心とした国際法務を得意とする他、各種特許紛争および個人の問題も幅広く取り組む。07年、参議院選挙に当選。
現在、「丸山国際法律特許事務所」代表。主な著書に、「正義の判決」(小学館)、「行列のできる丸山法律塾」(小学館)、「丸山法律相談所」(二見書房)、「ビジネスマンが行列する法律相談所」(学研)、「蓮の花は泥沼に咲く」(新紀元社)、「臨終デザイン」明治書院、「だまされる人の共通点」主婦の友インフォスがある。
写真:「生活情報誌読売ファミリー」提供

管理人よりお知らせ

丸山はコメント欄を随時確認しておりますが、それに対する個別回答はできかねますので、ご了承ください。


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