ナイショだけどね

February 25 [Sat], 2017, 13:29
 私だから、ではないと思うのだけれど、「ナイショ」なことを他人に言って大丈夫なの? と思う。
 私が他の人に言ってもいいから私に言うのか、それとも私を信頼しているからいうのか。
 
 仕事でも、多分信頼してくれているのだと思うけれどもうちょっと確認を取ってから信じて欲しいと思ったりもする。というか何故私の言葉を信じられるのだと不思議に思う。

 例えば、夫婦だったら無条件に信じることは正しいと思う。
 相手に不利なことをすればそれは同時に自分が不利になることだからだ。
 親などの肉親とは違う。
 親とか親戚なんかは自分が望んでそういう法的な関係を結ぶわけではない。
 そうではなく、夫婦というものは元々が他人で、そもそも信頼して共に時空間を共有したいと思った他人だ。そういう経緯のある人間関係であり、さらに法的にも関係が保障されている。
 こういう関係であれば、無条件に信頼を置いてもいいと思っている。
 それは自分も、相手も。
 それは結婚した後ではなく、婚約したらそういうことができると思う。
 つまり相手が夫になってくれるだろう、と思う人であれば無条件に信じていた。

 それ以外は難しいだろう。
 難しくても、不可能ではないことを最近知った。
 多分、私に害を及ばさないと信じられる他人であると思える人、それが今の大切な人なのだけれど、その人は本当に全くの他人になったけれど信じても良さそうだと思えるようになっている。
 基本的に、男性というものは敵だと思っている。だから他人、特に男性を信じるということは難しい。
 でも、大切な人は今まで私が出会ってきた人たちと根本的に違う気がする。他人という私のために、一番では勿論ありえないけれどそれなりのことは考えてくれているし、自分の利益のためだけに私を使うことはしないと、思う。
 あと、死ぬまで関係を保っていられそうな気もする。