「上から目線」

2007年03月28日(水) 20時53分
…という言葉を最近耳目にすることが多くなった。

たとえばインターネットの匿名掲示板のように「上下関係がない」ことを前提とした場でやたらエラそーに発言したり、「関係者」面をしたりすることを批判する際の決まり文句なんだろうなぁと、詳しく調べもせずに合点していた。

だが、最近この「上から目線」という言葉がネットの世界を飛び出してリアルな世界でも、特に若い人の間で使われる場に居合わせて、このフレーズは案外厄介なものなのかもしれない、と思い始めた。

ワタシがびっくりした例というのは、二十代の女性(社内の立場でいえば派遣社員)がかなり年長・ポジションが上の男性社員(より正確に言えば「役員」)を評して「あの人は上から目線でものを言うんですよね〜」と言ったのでびっくりしたのだ。だって、それって当然(よいこと、というのではなく、普通にありうるという意味で)なことなのでは?上役が上から物を言わずしてどうするんだ?…まぁ確かにそう言われた人物はやや傲慢で態度が横柄である。そういう御仁を指して「えrrrrらそうに(←巻き舌でお願いします)」と陰口を言うのはまったくよく判るのだが、彼が上から物を見、物を言うことが批判されるというのは(昭和生まれの)ワタシにはかなり衝撃だった。

その理由の一つは、日本語というのは一人称の選択(<ワタシ><わたくし><俺><僕><自分>等々>からして、発語の場における「上下関係」を前提とするものであり、日本語でものを考えその認識に基づいて行動する日本社会の人々は不可避的にこの関係に組み込まれている、とワタシが考えるからである。嗚呼、下手な翻訳のようなひどい文章。

たとえばI want you.という英語の文章には上下関係がまったく含まれていない。この文章は貧富の差や教養の差とは関係なく存在しうるし、愛の告白から祈りまで幅広いシチュエーションで用いられる。でも一度これを日本語に置き換えようとすると、文章の前提として人間関係を補わないと意味をなさなくなってしまう。具体的に言えば、この文章を正しく日本語に置き換えるためには、
「お前がほしい」
「貴殿が望ましい」
「主よあなたを求め奉ります」
「そちら様がよろしいのではと考えております」

等々、人称を変えなければならない。日本語とは、そういう言葉で、日本社会で生きるとはそのような選択(この場における「私」は何者なのか?相手に対して自分はどういう位置づけにあるのか?)をし続けることでもある。

そのような社会において「上から目線」が否定的に受け止められる、というのはワタシにはとても興味深い。「上から目線」の否定が、ネットのように「対等」が前提の場所に日常社会の行動様式(目上の者が目下の者に対してするような言葉遣い)が入り込んでくることへのNOならば、それは納得できる。ワタシ自身、日常(=家庭、職場、その他のリアルな人間関係の場)のしがらみから逃れた気楽な付き合いをネットに求めている。しかしそれがリアルな場で「上から目線でものを言われると萎える」みたいになってくると、事情は違ってくる。Whether you like it or not,上下関係があるのが現実の社会というものだ。そのくらいのことで腹を立てていたら身がもたない。そういう輩には「はいはい、仰せの通りでございます」と頭を下げて、心の中で舌を出していればよいのだ。

「セレブの資格〜Relative Values」

2007年03月26日(月) 19時21分
ルテアトル銀座にて上演中のノエル・カワード原作「セレブの資格〜Relative Values〜」を観て参りました。
もちろん観劇前には素敵なビルヂングを眺め、がっつり仏蘭西料理を食し、最近の萌え物件について熱く語り…お付き合い下さった某さま、アイラブユー

このお芝居に目をつけた、もとい、着眼したのはイナゴさんこと小林高鹿さんがご出演になっているからですが、やはり一番の目玉は大女優・若尾文子さまでしょう。ゴージャスな衣装を着ても演歌歌手にならないマリーアントワネットのような髪型でも水商売臭くないガッツポーズを決めると会場中が「…(かわいい)…」とため息。女と産まれたからにはああなりたいものです(無理無理)

ノエル・カワードの原作は英国の階級社会を揶揄したもので、登場人物それぞれの言葉遣いが「キャラ立ち」の大きな部分を占めているので、日本語でどうなるのか?やや心配だったのですが、とてもよい翻訳だったと思います(えらそーだな、をい)。特に若尾さまのおっとりと優雅な口調と、まるでジーヴスのように博覧強記の執事を演じた綾田俊樹さんがよかったです。

あえて難を挙げるとすれば、登場人物の衣装の年代やTPOがあっていないこと。昼に光物はまず着ないですし、アフタヌーンをロングドレスで過ごす婦人が教会に短いスカートで行くことはありえない。「アメリカ人の俳優」にしても、ジーンズとレザーは第二次大戦後でしょう。せっかく雰囲気のある作品なのに惜しかったです。

小林高鹿さんはイナゴのファンなら誰でも楽しめる「伯爵夫人の甥」役。序盤はもっとこの訳の「いけしゃぁしゃぁとした」感じが出ているとよかったかな?と思いましたが、「イケメン」俳優が登場してからの変貌ぶりはやっぱり小林さん。そして小林十市さんと並んでもひけをとらないスタイルのよさが際立っていました。(だけど王子キャラじゃないところが高鹿さんの面白さだ。)

逃亡者おりん最終回〜闇の鎖、すべて斬りました〜

2007年03月23日(金) 21時51分
斬れてないやん

のっけから失礼いたしました。え〜この2クール壮絶に楽しませて頂いたスーパーヒロインタイム・セガサミーシアター超手鎖人おりんがついに最終回を迎えてしまいました。

今夜の2時間SP、いままで数々の意表をつく展開・瞬間移動・いい人皆殺しを繰り広げてくれたおりん、最後まで凄かったですよ!お家騒動とか実は賢かったバカ殿とか影腹とか薙刀ふるう奥女中とか時代劇好きにはたまらん小ネタ連発。

しかしそれで終わっていたらただの「面白い時代劇」。セガサミーの技術をフルに駆使した?ホーミング笠や回転鎌あり、オペラ座の怪人じゃなかった仮面?の男あり、ラスボスじゃないわりに一番派手な道悦の消えっぷりあり…ああもうたまらん。

そして西岡徳馬…ずっと襖の陰で立ち聞きしていた西岡徳馬…人見知りなのか?
おりんの跡をずっとついていくのか?
何がしたいのか…

ああ、パート2が観たい!制作者も出演者もやる気マンマン。ここはひとつセガサミーさんお願いしますよ!

オーディオブック始末

2007年03月19日(月) 18時15分
P.G.ウッドハウスのジーヴスものがあまり楽しいので、オーディオブックを購入して観た。国書刊行会版の翻訳もなかなかいいのだが、原文でどうなっているのか気になる。そして、せっかくならば昔風の英語を聴きたい!と思ってオーディオブックを購入してみた。(自分が使っているのはここのサービス。種類が豊富だし、安いし、使い勝手がいい。)

う〜ん。やはり紙は偉大だな
文字を眼で追っている時は自然とスピードを調整して(知らない単語の時はスローダウンしたり、わかりきった箇所はとばしたり)いるのだけれど、耳だとそれが出来ない。横をトラックが通りすぎて聞き漏らした単語にちょっと戻る、とか、気に入ったパッセージを読み返せないとか、なんかイライラする〜

あと、会話の音域というのは地下鉄の中だと実に聞き取りにくいものですね。音楽なら楽しめるボリュームでも何を言っているか聞き取れない。やはりオーディオブックというのは車通勤とかプールサイドで楽しむべきものなんでしょうかW海外のホテルのジムに行くと、ニュースを聞きながらトレッドミルで走っているおっさん・おばさんがいますが、そこまでしなくてもいいのにのぅ…と思ってしまいます。←そういうこと言ってるから金持ちになれない(爆)

死に至る病

2007年03月19日(月) 18時00分
…に罹ってしまったようだ。それは「「猫ひきこもり病」」。

辛うじて(仮面)社会人生活は続けているものの、家を出た瞬間から後ろ髪をひかれるよう。天気のよい日は「さんさんと日が照る居間で猫ところがっていられたらどんなに幸福だろう」と思い、雨の日は「布団の中で猫と丸まっていたい」狂おしい衝動に駆られる。あらんかぎりの勇気を振り絞って外出しても磁石に引かれるように最低限の用事だけすませると家に戻ってしまう。そして玄関には物欲しげな猫が待っている…

いや〜つらい!美容院で助手の人と話していて「え〜そうですかぁ」と思いっきり笑われてしまいました。彼は実家住まいなだけに、とにかく一瞬でもヒマがあったら外に出ていたいのだそうだ。その気持ちはわからないでもない。ワタシも実家住まいの時はそうだった。最寄り駅についたものの家に帰りたくなくて漫画喫茶で時間つぶしたりしたもんです。

最近ひきこもりになりつつある理由は大きく分けて三つだと思う。
1.花粉を避けたい
2.人ごみがきらい
3.在宅支援サービス(?)の充実

昔はネット通販とかネットレンタルDVDとかなかったもんなー。それに、なまじ趣味が爺臭いので、本も映画も街で探すよりもネットで探して取り寄せることになってしまう。腰を悪くしてから重いものをもちたくないのもあるなー。ああ、結局ひよわで我侭が増していくだけじゃん、俺(注:この前オフィス街でランチをしていたらリアル俺女に遭遇してびっくりしましたよ!隣のテーブルでオレオレ言っていたのは妙齢のOLさん…)

そんな管理人の人生最大の関心は「猫と一緒に暮らせる老人ホームを作ってほしい」ということです。いやもう切実。MY猫がだめなら共有猫でもいい。(注:この場合「猫」は生き物の総称として使っているので犬でもウサギでもトカゲでもいいです。)なんか生き物がいないとダメなんだ!



「悪女の季節(1958年)」

2007年03月15日(木) 13時50分
シネマヴェーラ渋谷の「渋谷実」特集で観てきました。
渋谷監督の作品を観るのは初めてなのですが、いやー黒い!人情もので定評ある松竹大船でこんなブラックな映画を撮っていたのか!つくづく、全盛期の日本映画界は懐が深かったんだなぁと。

管理人がものごころついた頃、東野英治郎さんは既に「黄門」さまだったので、悪役をやっている東野さんを初めて観た時は衝撃でした。でも、この人は腹黒いジジイをやらせると本当にうまい!というか、むしろ憎らしい。

最近は一種の「昭和懐古ブーム」で、「ALWAYS」なんか観ていると昭和の日本は人情にあふれ、隣人は助け合い、若きは老いを敬い、倹しいながらも幸せだったように思えますが、そんなこたぁない。(正確には「そればかりじゃない」ですね。)(注)

この映画に出てくるカミナリ族とか学生運動とか、当時の10代―20代の方がむしろ現在よりもエスタブリッシュメント=年長者を否定していたし、今の若者の方が地元・家庭志向は強いんじゃないんでしょうか?

話はそれましたが、この映画は強欲な大金持ち(東野英治郎)を、内縁の妻(山田五十鈴)、その元愛人(伊藤雄之助)、彼女の連れ子(岡田茉莉子)、甥(杉浦直樹)、歌を歌う殺し屋(片山明彦)らが何とかして殺そうとあの手この手を繰り広げる…という徹頭徹尾ブラックなお話です。話のテンポがだれるところが無いわけではないけれど、これだけの芸達者揃いなので、観客は安心してイスに座って笑っていればいい。

中でも山田五十鈴さんは素晴らしい。いまどきのテレビドラマには、眼をひんむいたり、頬をぷっとふくらませたり、ナンシー関が言うところの「ぬいぐるみ演技」の女優で一杯なわけですが、山田五十鈴は眉毛をちょっと動かしたり、口をすぼめたりする動作で怒りや葛藤をきちんと見せてくれる。声も変幻自在。猫なで声から早口のタンカまで、聞き取る努力をしなくてもはっきりくっきり表現できる。これが「芸」なんだ、としみじみ・・・。

それにしても、文芸座といいシネマヴェーラといい、おじさんばっかり(笑)男性トイレは行列で、女性トイレががらすきなんて!

いまさら…

2007年03月12日(月) 19時03分
P.G.ウッドハウスを発見し、はまっています。
いや〜これは小咄ですね!お金と時間はたっぷりあるが現実に対処する能力がまるでない坊ちゃんとスーパー執事の冒険譚。ニートが社会問題になっている現代の日本で読むと信じられないような大らかさです。
「坊ちゃん」が清を失わないで、そのまま東京で不自由なく暮らせたらこんな感じでしょうか。

わからないもの三題

2007年03月12日(月) 11時07分
前回、「わからないもの礼賛」を書いたら、たて続けに「わからない」関連の物件に行き当たりましたよ!これぞコンステレーション?だっけ?

1.「逃亡者おりん」
2クール続けて「最愛の娘をわが手に抱くために、修羅の道をものとせず逃れる元手鎖人」おりんの苦悩と巻き込まれた可哀想な人たちの殺戮(いや、ほんとに!)を描いてきたっていうのに、いざ再開したおさきは手をさしのべるおりんをみて怖そうに固まる!すげー!確かに知らないおばちゃんが寄ってきたら怖いけど、ここでリアリズム演出か!?
…と訳の分からない演出を極めようとするおりん、今週も飛ばしています。あと3回になって濃いキャラを続々投入。個人的には津嘉山正種さんの「老師」がオキニ。
あれほどまでに奪い合った姉様人形がダミーで、密書は風車に仕込まれていたとは!勝手に切り込みいれてるし!そして、おりんは確か記憶に残るだけでも3回は川オチしているんですが、ウォータープルーフなんでしょうか笑
将軍役の小林隆さんもブラック満開だったし、ああ〜終わるのが惜しい〜
2ちゃんで、この期に及んでおりんの脚本構成とか演出がいきあたりばったりと批判している人がいますが、初めからそうだって!それこそ「今日もいつもの崖が出てきたぞ!」「ばか者!毎回でてくるからいつもの崖なんじゃ!」問答の世界ですね。
時代劇、特にテレビ時代劇はある意味完成されたジャンルで、お金のかかった正統派時代劇を見たければスカパー時代劇専門チャンネルやホームチャンネルでいくらでも観られるわけです。
そんな時代に叛旗をひるがえすテレビ東京とセガサミー(ちょっと大袈裟)がんばってほしい!

2.仮面ライダー電王
今回も面白かったけど、なんか違う…どうして赤いフィルターかけるんだろう?このアクの濃いギャグは…?とちょっと首をかしげていたら、「今日の電王はいつものライダーみたい」という書き込みを某所で見かけて爆笑。同じこと感じた人多かったんだ〜石田監督(はじめカラーフィルター大好き鈴村監督かと思った)が演出すると、電王もなんかカブトの料理人対決みたいなテイストになるのね。それはそれで興味深い・・・けどいつもの雰囲気の方が好きだな。

3.埴谷雄高ブーム
なんですってよ、奥さん(誰だ)。うひょー懐かしい。青春の思い出(注)。生意気盛りの中学の頃、やたら嵌りました。全集ほとんど読んだし、実家には「死霊」の初版本がまだある(はず)。埴谷さんは吉祥寺に住んでおられたので、いつか出遭いたいとワクワクしてました。自同律の不快とか訳もわからず心酔していたなぁ。中年過ぎると「無常感」にはまりがちな日本の作家にあって、最後までゴリゴリの論理で押し通したかっこいい爺さんだった。もう読み返す気力はなさそうですが…

(注)管理人は小中高一貫のところに通っていたので、中3の夏休みあたりは死ぬほど閑でした。集団活動苦手なので部活とかやっていなかったし。だから埴谷雄高の影響でドストエフスキーを読んだのはいいものの、ロシア人の名前(ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンとか)がややこしくて、一人の人物が苗字で呼ばれたり愛称(カーチャとかミーシャとか)で呼ばれたりするので、大混乱。「悪霊」なんて犯人と思っていた人物が被害者だったよ!

わからないということ

2007年03月10日(土) 15時23分
今週の週刊文春のグラビアは篠山紀信撮影の坂東玉三郎さんだった。「原色美女図鑑」という連載タイトルに相応しく、艶やかで、なまめかしく、見蕩れてしまった。この写真集は豪華版が50万円、通常版が3万8千円というものなので、多分これが見納め…泣笑

男でありながら、女よりも美しい、不思議ないきもの。

玉三郎さんを見ていると、そういう風にしか思えない。先月、歌舞伎座で見た仮名手本忠臣蔵のお軽がまさにそうだった。

お軽は、現代のワタシたちからしたら信じられないようなキャラだ。たとえば今瀬戸際に立っている某証券会社。もしN社の社員が自分の妻に「前の経営陣が退陣させられ、訴追をうけたのは不当だ。どうしてもあだ討ちをしたい」と言ったら「まぁ気持ちはわからなくもないけど…会社は会社、うちはうちだし」となるだろう。まさか自分の親と相談の上でソープ嬢になり、そのお金で仇討ちをして、とはならない。しかもそれがきっかけで父はヤクザに殺され、夫は自殺。それを教えてくれた兄に「自分もあだ討ちに加わりたいから、(秘密を知った)お前は死んでくれ」と刃を向けられたら?…現代ではホラーでしかない。ワイドショーで「猟奇事件」と騒ぎ立てられるのがオチだろう。

だが、江戸の人にはそうではなかった。お軽は父と勘平の死を嘆きつつ、仇討ちの成功を願って兄に斬られようとする。お軽には「自分」というものが無いのだ。ただひたすらに情に生きることしか出来ない。こういう女は現代の世の常識ではありえないし、ワタシにはわからない。だが、玉三郎さんのお軽を見ていると、そういう存在もあるのかな…とぼんやり思う。そして、その愚かさ、一途さ、哀れさにいつの間にか涙する。安易に「わかる」と言うことを許さないような生々しさが、玉三郎さんのお軽には、あった。

思えば、「わかる」というのは、【自分のものさしで測れる】ということだけなのかもしれない。ワタシたちは電子や引力見ることは出来ない。だがそれを[わかったつもり]で暮らしている。それが便利だし、一々立ち止まって考えていたらやっていけない。お芝居や絵や文学も、そういうものなのかもしれない。「わかったつもり」で、「わからない」ものを「下らない」と退け、自分に「わかる」ものだけを賞味する。それはごく普通の鑑賞態度なのだけれど。せめて、「わからない」ものに対する畏敬の念を忘れないようにしたいと思う。もちろん、その中には本当にどうしようもないものもある。でも、世界は、確実に、自分の理解の及ぶ範囲より大きく、深い。人間は簡単に値踏みできるほど単純ではない。そうでなければ、人生つまらないじゃないか。

歌舞伎については「わからない」ことばかりだし、一生かかっても「わからない」ままで終わりそうなのだが、「歯が立たない」ほどの大きさにドキドキ・ワクワクする。この、歯がたたない感じがいいんだろうなぁ。「わからない」ものを「わからない」ままに味わうことを教えてくれるすべてのものに乾杯。

眼の饗宴〜喜多川歌麿とスポルディング・コレクション〜

2007年03月05日(月) 9時33分
昨夜のNHKスペシャル「歌麿 紫の謎」はまさにFeast To The Eyeというのに相応しい内容だった。

ボストン美術館に「展示不可」の条件付で寄贈されたスポルディング・コレクション。頑丈な木箱の中に保存されていた浮世絵は喜多川歌麿のイメージを打ち破るような鮮やかさ。

紫、草色、赤…洋服ならば「うげ」となるような色使いの驚くばかりの洗練と色香。歌麿が多用した「紫」にこめられていた幕閣への反骨。一般の人々の「なぐさみ」にしかならない浮世絵にこれほどの贅と工夫をこらせた江戸という時代の豊かさと美学。

歌麿が好んで描いた水茶屋の娘の人気が沸騰すると、娘の名前をいれることが禁じられる。すると歌麿は名前の変わりに「判じ絵」(『難波屋おきた』ならば『菜っ葉+沖+→+田んぼ』のイラストを入れる)で対抗するのだ!

美を産み出すには多大なコストがかかる。だから芸術は権力者への賛美として発展してきた。ピラミッドしかり、システィーナ礼拝堂しかり。西欧で王権やキリスト教から自立したアートが産まれるには宗教改革と市民革命が必要だった。だが、260年にわたって平和を享受した「パックス・トクガワーナ(By山内昌之先生)」の江戸ではそれとはまったく違う、摩訶不思議な町民文化が華開いていたのですね。松平定信や水野忠成がいくら倹約令を出してとりしまろうとしても、どんどんメタモルフォーゼしていくとんでもなく厄介な存在が!

これまで歌麿の美人画については、仁清の壷と同じように「綺麗だけどなんか退屈」と思っていた己の愚妹を恥じ入りました。歌麿の「いき」は<粋>であると同時に<意気>だったんですね。

それにしても、戦後60余年で「平和ボケ」と言われているのだから、江戸というのは凄い時代ですな〜
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