ストリートパズル(軽井沢学園を応援する会会報)第6号より

March 31 [Sun], 2013, 4:58
‐園の庭をはきながら‐

おおみそかのはなし

たかねっち☆
 今日は平成23年12月31日。あと数時間で新しい年を迎えようとしています。私が事務室でこの原稿を書いている最中、紅白歌合戦やダウンタウンのお笑い番組を見ながら大騒ぎしている女の子たちの声が長い廊下を伝ってここまで響いてきます。いつもなら騒いでいるこどもたちのところへ走って行き「もう遅い時間なんだから静かにしなさいっ!!!」と叱るところではありますが、今日は大みそかなので特別に目をつむろうと思います・・・
 
毎年、年の瀬も押しせまるこの時期になると、こどもたちの気持ちは不安定になります。体調不良を訴え学校を休んだり、こども同士のケンカや飛び出しが増えたりと、私たち大人は手を焼かされるのです。何故かというと、その理由ははっきりしています。ボクは今年の冬休みにおうちに帰れるのだろうか、果たしてママは迎えに来てくれるのだろうか。施設に入る前、どんなにつらい経験をしたとしても、親や家庭に対する強い憧れを抱きながらここで暮らしているこどもたちにとっては、帰省(一時的に自宅へ帰ること)できるかどうかは大変重大な問題であり、不安でふあんでたまらない時期なのです。そのため、帰りたくて仕方がないのに、それが叶わぬと薄々気付いている子ほど情緒的に不安定となるのです。

先日、皆で朝ご飯を食べている最中、小6と小4の男の子との間でこんなやり取りがありました。「オレは今度帰省9日間できるけど、オマエはどうせ今年も帰省できないんだろ?ダセエ〜な。」「いいもん、ボク学園で遊んでるから・・・」その時、私は帰省できない子のことを馬鹿にした小6の男子児童をつい怒鳴ってしまったのですが、こども同士でもこのような格差があり、家に帰れることへの優越感を持つような心理がこの場所では働いているのかと考えさせられた一場面でした。

今年の年末年始に帰省のできないこどもたちは合わせて12人いました。帰省できない理由は、親の死亡や病気、拘留などによる養育者不在のケースや、育児放棄によって帰省を受け入れてもらえないケース。更には虐待が再発する恐れがあるため一時的でも帰すことが出来ないケースなど様々です。このような、家族統合(家族が元どおり一緒に暮らせるようになること)の見通しの立たないこどもについては「ホストファミリー(気軽にできる里親体験事業)」の制度を使って、子どもの養育を一時的に一般のお宅へお願いすることもあります。むろんこどもの意志を最大限尊重しながら慎重に進めていく話ではありますが。そのような取り組みによって全く帰ることが出来ないこどもであっても、良いご縁によりホストファミリーさんと出会い、夢叶って“帰省”ができるようになった子もいます。
その反面、こんなケースもあります。高校生くらいになると、家庭の事情を理解できるようになるのか、それとも自分を施設に入れた親を冷めた目で見ているのか、理由は定かではありませんが全く家には近寄ろうとせず、数年後の自立資金を貯めるためアルバイトに励むこどもたちもいます。
どちらにせよ、最近は帰省できる子よりも、できないまたは帰りたくないこどものほうが増えているのが現実です。
・・・紅白も終わり、今年も残すところあとわずかとなりました。そろそろ手を止めてこどもたちのところへ行こうかと思った矢先、中学生の女の子が私を呼びに来てくれました。「たかねっち〜年越しそばあるから食べにきて〜」そして保育士の作ってくれたそばを皆で食べました。私はおかわりをして2杯食べました。テレビでは“新年まであと○○分○○秒”というカウントダウンが始まっています。そして、新年まであと20秒、10秒と迫ったとき、高校1年生の女の子が「どうするどうする??そうだ!ジャンプして空中で年を越そう!!」と言いました。私は急いでその提案に乗り、3人の女の子たちと一緒に「さん・にい・いちっ!!!」の掛け声で一斉にジャンプしました。着地後「あけましておめでとう!」「今年もよろしく!!」と互いに言い合いました。
淋しい思いも多くあるけど、ここには楽しいことだって沢山あるよ。そう思ってもらえるようにこのお正月、家に帰ることのできないこどもたちに対しいつも以上に“よしよし”してあげようと思います。

新年を迎えるにあたり、ここで暮らすこどもたちはもとより、いつもたかねっちのコラムを読んで下さる応援する会の皆様にとっても素晴らしい年でありますように☆

ストリートパズル(軽井沢学園を応援する会会報)第5号より

March 24 [Sun], 2013, 4:56
‐園の庭をはきながら‐

保育士の背中

たかねっち☆

むかし、誕生からわずか数日後に母の育児放棄により乳児院(0歳〜2歳位までのこどもが利用する施設)へ預けられた双子の姉妹がいました。かろうじて名前だけは親から授かることができた姉セツコと妹のトシエ(共に仮名)は乳児院ですくすくと育ち、2歳の誕生日を迎え退所を控えた頃、母の失踪によって再び行き場を失いこの軽井沢学園へやってきました。入所当時のことは私も就職する前でしたのでわかりませんが、昔からいる職員の話によると、二人は何をするにもいつも一緒で、好きな食べ物、服の好みも全て同じの大変仲の良い姉妹だったようです。
また、二人は共に喘息持ちで頻繁に発作を起こしたため、通院しながら毎日薬を飲まなければならない体の弱い姉妹でもありました。それでも、体調の良い時は必ず学校へ通い成績はいつも優秀で、周囲の大人たちからの評価も高い二人でした。
そんな虚弱体質の双子姉妹は、不思議なことに発作を起こすのもいつも同時期で、二人そろって入院することもしばしばありました。そして、いつしか二人は看護師になることを夢見るようになります。彼女たちの話によると、入院した時いつも看病してくれた看護師さんがとても優しくて大好きだったので自然と看護師に憧れるようになったとのことです。
思春期に入り、職員にも反抗するようになった二人。些細なことで担当保育士と言い合いとなることも増え、そのたび「もう嫌だ!こんな学園早く抜けたい!!」などと大声で叫びながら廊下の壁を蹴る彼女たちの姿を私自身何度か見かけました。
やがて二人は高校生となり18歳の退所時期が迫ってきてもなお、唯一の身寄りである母の行方はわからぬままでした。そのような後ろ盾のない姉妹ですから、退所後どのように生きてゆけばよいのか、どの様にここから送り出してゆけばよいのか、当時の大きな悩みの一つでもありました。
「彼女たちの夢を応援したい。」そのように思っても進学と生活資金の両方を捻出しなければならないという大きな壁があります。そのため様々な奨学金や貸付制度、働きながら学べる環境はないかなど皆で手分けして探りました。しかし、授業料の一部助成はあっても短大卒業までの生活資金まで援助してもらえるような制度はさすがに存在せず、ある程度は自分で借金をしたり、働きながら通うしか道がありませんでした。そのような現実を知ってもなお彼女たちは夢を諦めず健気でした。少しでも貯金をするため高校生にとって必需品である携帯もクラスで唯一持たず、土日平日問わずアルバイトに励みました。しかも、クラスでトップの成績を維持しながら・・・
今、双子の姉セツコは小学生の頃からの夢を叶えて県内の病院に勤めています。彼女は高校卒業後、経済的な理由により看護学校へ入ることが出来なかったため、昼間病院で看護師見習いとして働きながら、准看護師の資格を得るために夜間学校へ通いました。そして、今年ようやく正看護師の資格を取ったのです。
双子の妹トシエはというと、看護師ではなく保育士となりました。そして現在、私たちと同じ児童養護施設の職員として、県内の某施設で親と離れて暮らす子どもたちの養育に携わっています。彼女は高校卒業後、学費の安い公立の短大へ進学して学生寮で生活しながら卒業しました。
何故トシエは保育士になったのでしょうか。その理由は、トシエが中学生の頃担当していた保育士が退職する時に彼女がその保育士に宛てた短い手紙から垣間見ることが出来ます。
“ さとこ先生へ 6年間本当にお疲れ様でした。さとこ先生が私の担当だった時は、毎日が本当に楽しくて笑顔が絶えなかったと思います。楽しかったこと、悲しかったこと、いろんなことがあったよね。たくさん怒られたり、反発したり、ケンカもいっぱいしたけど本当に楽しかった。このことは絶対に忘れないよ。いつも明るくて、楽しくて、元気いっぱいのさとこ先生が大好きだよ。今まで本当にありがとうございました。またいつでも学園に遊びに来てください・・・  ”
物心ついた頃から保育士の背中を見て育ってきたトシエが同じ道を目指した訳は、泣いたり笑ったり日々の積み重ねによって結ばれた保育士との固い絆からなのだろうと私は信じています。こどもと向き合うことは楽しいことよりも、悲しいこと、頭にくること、心折れることのほうが多いかもしれません。それでもなお現場の保育士たちは、こどもたちを信じ、受け止め、真正面からぶつかっていきます。それが仕事とはいえ何故そこまでひたむきになれるのか。今回この原稿を書くにあたり保育士たちに聞いてみました。すると、返って来る言葉は皆同じ。こどもたちの笑顔やさりげなく見せる感謝の気持ちに触れた瞬間、嫌なことも吹っ飛んで、よしっ頑張ろう!と思えるのだと。見返りを求めてはいけないとわかってはいつつも、こどもたちから得られるものの大きさに改めて気付かされました。最近、机と向き合うことの多い私ですが、もっとこどもと向き合わねばと反省させられます。

ブログJBはみなさんに知ってもらいたいことを書いています!

March 22 [Fri], 2013, 0:28
ブログJBについても会員さんに知ってもらっておいたいと思い、今日は特集です(^^)

このブログJB(JEWELBOX KDC!!)も7年前の2005年の10月に始めました。
当時まだブログというのが流行し始めたばかり、HPをもっていなかったKDCはブログを掲示板がわりにしていました
とはいっても日々の日記を綴っていくのは今と同じですが
当時はまだ組織や規約、規律がきちんと整備されていなかったのでそれらを細かく説明して、ちょっと説教がましいところ、お小言が多いブログだった気がします(笑)
今でも昔の記事をいくつか残してありますが規定という規定は全部細かく掲載されていると思います。

毎日1記事づつ。2005年10月から一日も記事がアップされなかったのはいつぞやのジュエルの前日ただ1日だけで、あとは毎日記事がアップされています。
小学生の頃、日記を毎日書く習慣のあった私ですが大人になっても7年間、日記を毎日続けられるって、やっぱり小学校の習慣てあなどれないなと思います(笑)

とはいっても毎晩書いているわけではなく、こうやって子ども達が寝静まった頃、夜な夜な書いてはセットして毎日アップされるようにしてあります
ラジオドラマの公開があればそれに合わせて宣伝記事をアップしたり、最近は広報にもつながるようにしています

自分で全部の記事をかくのはとても大変で、しかも長くなるとみんな最後まで読んでくれない(><)!ということに気づいたため、できるだけ写真を多くして簡潔に書くように最近は心がけています。
最近はいろんな方に記事を手伝って送ってもらったり、新聞のような機能も果たせるように、気を配っています。

KDCはTPCN(東信パフォーマンスサークルネットワーク)の事務局もやっているため、市内の他団体の方からお知らせも頂きます。そんな他団体のお知らせはTPCNブログを通じてFBにアップされるようになっています

FB(フェイスブック)も私みたいな人には便利なもので、いろんな人の行動が把握出来るし、たくさんの人もばーっと招待出来るという意味では使えるSNSだったりするわけです

JBにはネタがなくて大したことを書いてない日もありますが
ある日突然大事な記事が出たりしていることもあります
よくなかなか上級クラスに推薦してもらえない新人さんに「どうやったら上のクラスにあがれますか?」と聞かれるんですが
「ブログJBをフォローしてまずKDCがどんな活動してるか知ることからかなあ」と答えています。

KDCってクラスも16クラスもあるし、ダンスだけじゃなくて歌もバレエもお芝居もあるし、イベントもお誘い多すぎてグループごとにわけて出陣するくらいだし、誰がどのイベントに出られるとか、把握してないとスケジュールも組めなかったりするんですよね(^^;

だからまずはKDCについて知ることから始めることが一番の早道だったりするんです
そのために日々いろんなクラスの活動報告をしているわけですね

私やスタッフの思いもきちんと伝えて、KDCの伝統も歴史もちゃんと新しい人に伝えて、それがつながって今がある。
特に最近KDCに入ってくださるみなさんはよくKDCのこと理解して選んで来てくれているので親御さんも子ども達もすぐにKDCになじんでスタッフとしてはありがたいです。

そういうことでこれからもわかりやすい記事を心がけていくのでどうぞみなさんおつきあい下さい☆
そしてたまには投稿記事でもおくってくださいね(笑)

先生毎日大変だな〜と思ったらぜひ(笑)

ストリートパズル(軽井沢学園を応援する会会報)第4号より

March 17 [Sun], 2013, 4:54
‐園の庭をはきながら‐

ココに居続けること

たかねっち☆

 多くの期待を胸に今年の春も4人の子どもたちが高校へ進学しました。2歳から18歳までの子どもたち50人が暮らしているここ軽井沢学園では、毎年数名の子どもたちが想い想いの夢を抱きながら高校へ進学します。しかし、そんな子どもたちも高校入学後間もなくして様々な壁にぶつかります。「こんなはずじゃなかった。」と夢と現実の狭間で苦悩する子どもたち・・・そして、幾人もの高校生が卒業を待たずして施設を去っていきます。今回は、そんな親と離れて施設で暮らす高校生たちのお話です。
 高校入学後、最初にぶつかることは携帯電話の問題です。良い悪いは別として、一般家庭で暮らす中高校生の多くが入学と同時に親からケータイを買ってもらいます。そして、詳しくは知りませんがブログとかプロフなどという様々な機能や機会を用いて友達とコミュニケーションを取っているようです。その一方で施設はそれを買い与えることが出来ないため、子どもたちは「ケータイ無いから友達と連絡取れない。」「友達作れない。」「自分だけ持ってなくて恥ずかしい。」などと言ってはケータイを持つことが出来ない不満を私たち職員にぶつけてきます。当園では携帯電話は自分でアルバイトをしなければ持つことができません。そのため、ケータイを持ちたいがために、中学時代から続けてきた部活をあっさり辞め、少しでも早くアルバイトを始めようとする高校生もいます。
 また、友達の家に泊まりに行くこともココでは簡単には許可していません。これも高校生にとっては重要な問題であり「望んで“ココ”に来たわけじゃない。他人のくせにいちいち保護者ヅラするな!」などと言っては職員と衝突します。
しかし、このような日常的な諸問題よりもはるかに重要な問題、それはやはり進路のことでしょう。高卒求人が少ない昨今、高校の進路指導では積極的に上位校への進学を勧めます。そんな状況の中、週末のアルバイトでは到底稼ぐことのできない高額な学費、そして、施設や親から経済援助が得られない現実を知り、進学をあきらめ目標を見失う高校生も少なくありません。
施設で暮らす子どもたちは、このように年齢が上がるにつれ家庭で暮らす友人と施設で暮らす自分とを比較し、友人をうらやみ、時には自らの境遇や親を恨み、そして何より先の見えない不安を抱えながら生活していることも事実です・・・
冒頭でも述べましたが、残念なことにココでは多くの子どもたちが高校を中退しています。中退理由は友人関係、学力不振、反社会的行動によるものなど様々ですが、中には夢をあきらめて無気力状態となってしまい、卒業間近になって辞めてしまった子どももいました。志半ばで高校を中退し、就職していく子どもたち。自己責任と言ってしまえばそれで終わりですが、そんな子どもであっても絶対に後悔しない人生を歩んで欲しい。立派になっていつか晴ればれとした顔で施設を訪れて欲しい。私は、去りゆく子どもの背中を見送りながらそのように願うことしかできない無力さを、一体何度感じてきたことでしょう。
そんな力不足の私にも出来ること。それは、子どもたちが過ごしたこの場所がいつまでもこの場所にあり続けられるようにしっかり守っていくこと。そして、いつでも「おかえり」と言えるように居続けることではないか、そうぼんやりと考えるようになった今日この頃です。

児童福祉法では0歳から18歳までが児童と定義されており、子どもたちは18歳を迎えた時点で“児童”ではなくなります。そのため、児童養護施設で暮らすことが出来るのは原則18歳まで(但し高校在学中に18歳を迎える子どもについては申請により卒業まで延長される)であり、住む場所と働き口を探して退所(施設を出ること)することになります。まだ社会を知らぬ遊びたい盛りの10代、後ろ盾もなく大人になりきれぬまま社会自立を強いられる子どもたちの不安や心細さはいか程のものでしょうか。前述した進学費用の問題もさることながら、子どもたちが退所後も安心して暮らせるようなしくみ作りも今後の大きな課題です。

ストリートパズル(軽井沢学園を応援する会会報)第三号より

March 10 [Sun], 2013, 4:54
園の庭をはきながら

自分史の編纂(へんさん)

たかねっち☆
軽井沢学園の子どもたちが通っている軽井沢西部小学校では昔から、自分の名前の由来や自分が生まれた頃の様子をクラスメイトの前で発表し合う授業があります。誰もが祝福されて生まれてきた命であること、そして、今まで親から大切に育てられてきたことを知る授業です。「命の授業」とでも言いましょうか。今回はそんな“自分の生い立ちに触れる”ことのお話です。
小学2年生の香織(仮名)は、4歳の時に母の経済的な理由によりこの学園へやって来ました。物心ついた頃から施設しか知らない香織は母のことをほとんど覚えていません。母は香織を施設へ預けてからは借金取りから逃げるために各地を転々とし、その後再婚して2人の子を出産し、どこか別の場所で新しい家庭を築いているらしいと風の噂で聞きました。当時の私は、そのような残酷な事実を本人に伝えることが出来ずにいたため、香織はいつか必ず母が迎えに来てくれるものと信じていたに違いありません。
ある日、香織のクラス担任の岡本先生から「今度、子ども達の生い立ちについての授業を行おうと思うのですが、お母さんと会うことができない香織さんにとってはつらい時間となってしまいそうなので行わないほうがいいですか?」という問い合わせがありました。通常、保護者と連絡が取れる場合は、その子の名前の由来や生まれた頃の様子を聞いたり、幼い頃の写真なども送ってもらうのですが、香織にはそれができません。私は少し迷いましたが、学園の子ども一人のために学年全体の予定を変えるのは申し訳ないと思い、予定通り行ってもらうよう返答しました。そして、その日の晩、香織が授業で悲しい思いをしないように担当の石坂保育士と二人で作戦を練りました。
まずは香織の名前の由来について。「本当のところはわからないけど、漢字から読み取るしかないな。」そう思い漢字の意味を辞書で調べながら色々と考えてみました。次は香織が生まれた頃の写真です。「これもどうにも手に入らないな。仕方ない、絵を描こう。お母さんが嬉しそうに赤ちゃんを抱っこしている絵を香織と一緒に想像しながら描いてみよう。」そう決めました。そして、最後に香織が生まれた頃の様子です。「小さかったとか、かわいかったとか、そんなありきたりな話じゃだめだ。もっと香織が納得できるような話をしてあげなければ。」そう思うのですが、情報がありません。香織の入所時に児童相談所から渡された記録を見ても、出生時の体重や既往歴くらいしかわかりません。これは一番悩みました。
そして、授業の前日となり、石坂保育士は事前に打ち合わせたとおり香織と一緒に絵を描きました。名前の由来も話してあげました。しかし、香織は終始寂しげです。「クラスのみんなは、お母さんから直接聞くことができるし、写真も持っている。でも私には無い。」そう思ったのでしょうか。しかし、そんな悲しげな香織を元気づけた石坂保育士のひと言です。「ごめんね、私たちにも香織が生まれた頃の様子はわからないの。でもね、間違いなく言えることは10ヶ月もの間、お母さんがお腹の中で香織を大事に育ててくれたから、こうして生まれてこれたんだよ。香織だってみんなと同じようにお母さんに大切にされてたってこと、わかるよね。」香織の顔が少しだけほころびました。そして、写真の代わりに持っていく絵も、香織が生まれる前の大きなお腹のお母さんの絵に描き直しました。
授業当日、岡本先生の話では香織はいつもと変わらず特に心配な様子はなかったとのことですが、一体どんな気持ちで授業に参加したのでしょうか。「命の授業」のあった日の晩、香織は石坂保育士の手を握りながら眠ったそうです。
今、私たちは積極的に真実告知を行っています。残酷な事実であったとしても、その子の歴史を形作る一部であり、私たち大人の個人的な感情で歪めてはいけないと考えるからです。過去の私は子どもを傷つけまいと事実を語ることを避けていました。しかし、それは子どもが切ないのではなく、自分が傷つきたくなかったからなのかもしれません。今は、事実を子どもと共に受け止めて共感しながら、共に乗り越えていくことが子どもの精神的な自立につながると考えます。そして、私たち施設職員は、子ども達の喜びも悲しみも全て受け止められるだけの大きな器が自分に備わっているのか自問自答を繰り返しています。

ストリートパズル(軽井沢学園を応援する会会報)第二号より

March 03 [Sun], 2013, 4:52
‐園の庭をはきながら‐

キミは悪くない

たかねっち☆

 学園には、昔から誕生月に子ども達を外食に連れていくという習慣があります。施設暮らしでなかなか外食をする機会のない子ども達ですから、ひと月以上も前から、ボクは誕生外食に“ガ○ト”に行きたいとか、わたしは“ス○ロー”がいいとか、それはもう楽しみで仕方ないといった感じです。今回はそんな誕生外食のお話しです。

 数年前、私は高3のケンジ(仮名)の他、3人の子ども達を連れて焼き肉に行きました。普通、高校生ともなれば親と出掛けるよりも友達付き合いを優先しますが、この日ばかりはケンジも急いで帰ってきました。店に到着し、皆で焼き肉を食べながら、たわいのない話で盛り上がったのですが、そんな中、ケンジはふとつぶやきました。「俺さ、小5の時に親から虐待を受けて学園に来たでしょ。」突然の話題にドキッとしましたが、私は「そうだったね。」と、あいづちを打って続きを聴きました。「俺さ、学園出てから、もし親に会ったら殺すかもよ。」冗談交じりの言葉でしたが、私は動揺を悟られまいと冷静に反応します。「そうか〜、ケンジは今、そんな風に思ってるんだ〜。あの時は大変だったもんな、ケンジが初めて学園に来た時の事は今でもはっきり覚えてるよ。」私はケンジの口から出る言葉を否定しませんでした。その後ケンジは、「な〜んて、冗談だよ。」と、笑顔で言いましたが、おそらく本心でしょう。

 おねしょをしてしまった翌朝は親に殴られる。殴られたくないから夜尿がばれぬよう押し入れに衣類を隠す。それが親にばれて再び殴られる・・・この繰り返しによってケンジは親に嘘ばかりつくようになりました。そして、学校でも嘘ばかり。「こんな嘘つきの子どもは、これ以上面倒見られない。」そんな親の言いぶんによってケンジは施設へ来ました。中学生になると彼はリストカットを始めます。多い時には14日連続で切り続けたこともありました。手首から始まり、それが上腕部に移ります。さすがに切る場所がなくなったと思ったら、今度は太ももを切り始めました。そんな彼も高校に入学する頃にはリストカットも減り始め、今ではほとんどしなくなりました。何故しなくなったのか理由はわかりませんが、切る必要がなくなったから切らなくなったんだろうと私は認識しています。

 話は焼き肉に戻ります。ケンジはデザートを食べながら私に、「俺は、親からの虐待で自分の意志とは無関係で学園に来たけど、もし学園に来なければ今の友達とも彼女とも出会ってなかった訳だし、就職の内定ももらえてなかったかもしれない。だから、ちょっと複雑だけど学園に来て良かったってことかな。」そう言いました。

 虐待は連鎖します。放っておけば親から子へ、そして孫の代へとしっかりと受け継がれます。でも、虐待の世代連鎖は断ち切れます。では、どうやって断ち切るのか。あるデータがあります。それによると、虐待を受けた人が、我が子に虐待してしまう割合はおよそ3割であり、7割の人は虐待をしないそうです。その7割にあたる人達には一体何があったのか気になりますが、その人たちは、大人になる過程において、自らの体験を誰かに語ることができたこと。そして、「あなたは悪くなかった。」「大変だったね。」と、自らの苦しみを誰かに受け止めてもらえる機会があったからだそうです。それが自分自身の境遇と向き合うきっかけとなって、そこで初めて自分の足で歩きだす(自立)ことができるそうです。虐待が心に与える影響は計り知れなく、そんなに簡単にはいかないと思いますが、間違いなく言えることは、そうした機会が軽井沢学園にはあり、それが私達の使命であるということです。

 終わりに私がこの仕事をしていて一番うれしいことは、子どもから「学園でよかった。」と言ってもらえることです。そんな時、私はきまってこう答えます。「俺も、○○くんが来てくれてよかった。」と。

 焼き肉の帰り道、私は運転をしながらケンジに言いました。
タカネ:「あ〜あ、ケンジはあと少しで学園出て行っちゃうんだ〜。淋しいな〜♡」
ケンジ:「はあ?」「なに言ってんの?キモっ。」
タカネ:「・・・・・」
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プロフィール
  • アイコン画像 ニックネーム:KDC(kei hirosue dance club)
  • アイコン画像 性別:女性
  • アイコン画像 誕生日:2003年4月1日
  • アイコン画像 血液型:B型
  • アイコン画像 現住所:長野県
  • アイコン画像 職業:専門職
  • アイコン画像 趣味:
    ・ダンス-佐久平のとにかくダンス大好きなメンバーの集まりです。昼はそれぞれお仕事していたり学生だったりしますが夜や週末になると見事に変身!素敵なダンサーになります。
    ・ビューティ-美への追求も忘れません。内面から溢れ出る美しさ。なりたい自分になれるようにセルフプロデュースする。これがKDCで最も楽しいことの一つです。
    ・お笑い-KDCはダンスのクラブですがいろんなことに挑戦します。お笑い、コント、芝居に歌。ラジオ出演にラジオドラマ、プロモーションビデオ撮影ととにかく盛りだくさん!すべて趣味です(^^)v
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「そこにいるすべての皆様に、素敵な時間を、心輝ける人生を!enjoy our lives! by KDC!」を合い言葉に佐久平の文化振興に役立てるよう遊び心満載で活動しているダンスクラブという名の何でもありサークルです。人の和を大事にし、相手を思いやる心を持ったひとを育てる努力をしています。皆さんも一緒に楽しい仲間に加わってみませんか?
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