05.私を憎め、そして私を愛せよ

December 04 [Mon], 2006, 10:43
「あたしのこと、どうでもいいって思ったら言ってね」
 優しい莉那は時々、そう言う。
「あたし、莫迦だから。言われないと分かんないよ?」

 莉那は、人の気持ちに何より敏感だ。言われないと分からない、なんてことはない。
 憎まれるより何より、無関心なのが辛いと思っている。
 莉那は何より無関心なのを嫌う。

 それが分かっている自分に吐き気がする。
 千博は短くなっていたタバコを灰皿に押し付け、箱から新たな1本を取り出し、口にくわえた。
 ローテーブルに転がっていたライターを手に取り、タバコに火をつけようとするが中々つかない。

 カチ、カチと何度かやった後に、ライターをそのまま壁に投げ捨てる。
 口にくわえたままだったタバコをテーブルに放り投げると、携帯の側にぱたりと落ちた。

 電源をきったままの携帯が、こちらを攻めているようにみえた。
「……」
 苛々した。
 携帯を手に立ち上げると、千博はそのままキッチンに向かう。

 シンクの端に、この部屋には不似合いな金魚蜂が置かれていた。いつだったか莉那が道の脇端から拾ってきたヤツだ。
 その中に携帯を放り込むと、中の金魚が慌てたように金魚蜂の脇に逃げた。

 それを見やって、千博は鍵も持たずに外へ出た。


 このマンションも車も。何もかも。
 この手にあるのは、すべて。

 俺のものではない。

 いずれは、全て他の誰かのものになる。


「ちいにい」
 振り返らずとも、後ろにいるのが誰なのかは分かっている。
 車のドアが閉まる音がして、莉那が近寄ってくるのが分かった。
「どこか行くの」
「さあ?」

 このままどこに行くのか。そんなことは千博にも分からない。

「意外と、早かったんだな」
 何気なく言うと莉那は眉をしかめた。
「長すぎたぐらいだよ。間抜け面した男に、もったいない」
「酷い言い草だな。未来の旦那だろ」

千博が薄く笑うと、莉那はますます不機嫌になる。
「そんなこと決まってない」
「あそ。ま、それも時間の問題だけどな」

 突いてやると、莉那は険しくした表情のまま千博をにらみつけた。
「どうでもいい。そんなこと」
 莉那は千博の腕を取ると、マンションに引き返した。
 振り払うのも億劫だったので、千博はそのままにしておく。

エレベーターに乗り込みドアが閉まると、莉那はようやく腕を放した。
「どうでもいいの」
 小さく呟かれるように吐き出された言葉は、かすれて聞き取りづらかった。
 あるいは、千博に聞こえなくても構わないと思っているのかもしれない。

 視線だけ横にやると、莉那は前を向いたまま、再び口を開く。
「ちいにいさえ、いてくれれば。どうでもいい」

 莉那。
――今もまだ、蜘蛛の巣にかかったままでいることに、莉那は気づいていない。
 絡みつく糸を破って逃げ出すなら、今のうちだということに。

 けれど、狡猾な俺は何も言わずに。


ーーただ嗤うだけ。


……to be continued?

05. 私を憎め、そして私を愛せよ
お題提供:Reato Inesistente

12.裏返し

December 09 [Sat], 2006, 0:15
「……は?」
「恥ずかしいから、さっさと立ってください」

すぐ脇に立つ伊藤は、もう1度そう言って、手を差し出した。

一瞬。
何を言ってんだ、このオトコ、と智は思った。
そのままの姿勢で、瞬きを数回繰り返す。

足を取られて、思いっきり転んでしまった。
公衆の面前で尻餅をつく自分の姿は、ちょっと無残な光景かもしれない。

――けど。ちょっと酷くないか、その1言?

考えがまとまってきたところ、また上から伊藤の声がかかった。

「何もないところで転べるなんて。呆れるほど、物凄く器用ですね」

13.10秒前

December 17 [Sun], 2006, 10:36
「と、とりあえじゅ。や、やれるだけやってみる」

松岡さんは、見るからにがちがちになっていた。
時間までまだ大分あるというのに、緊張のためか既に呂律が回っていない。

今回の市の企画を勝ち取ることが出来たら、それはウチの会社始まって以来の大仕事になる。
誰もが浮き足立っている中、松岡さんはいつものように企画を発案した。

それに少々の修正と詳細が書き加えられ、うちの会社の案として市に提出すると、あれよあれよと最終コンペティションまで勝ち残っていった。
本来なら、ウチのような会社が最終コンペティションまで残ってること自体、凄いことなのだ。

市から手渡された資料に、大企業や業界で名立たる人たちの中に混じって、会社の企画メンバーが名を連ねてるのを見て、佐々原は今さらながら鳥肌が立った。

発案者の1人である松岡さんは、そのまま企画メンバーに任命されていた。
気負うことなく、いつものように仕事を進めていく松岡さんに、佐々原は改めて感嘆していた。
松岡さんは、佐々原の憧れの先輩なのだ。

14.展望台

December 19 [Tue], 2006, 12:49
「どういう魂胆ですか」

伊藤は前を向いたまま、いつもの声音で返答した。
もうちょっと他の反応ができないのか、と智は小さく呟く。
「聞こえてますよ」

信号が赤に変わり、伊藤は車を停止した。
「地獄耳」
「先輩の地声がでかいんですよ」
伊藤にしかめ面をしてやってから、もう1度智は口を開いた。

「で。どうする?」
信号が青に変わり、それに返答することなく伊藤は、スムーズに車を発進させる。
伊藤は前を向いたままで、車のライトに時々照らされるその横顔からは表情が見えない。

――展望台から遠くをのぞくように、ちょっとは向こうの気持ちも覗けたらいいのに。

「まあ、祝勝祝いっていうか。何というか」
市のコンペティションに優勝した、そのお祝いっていうか。
言葉を濁すように智は続ける。


「給料日前だから外食もなんだし。夕飯、うちで食べてく?」


15.スキなんて

December 20 [Wed], 2006, 13:22
「お、はよう」
「おはようございます」
「おはよ!智、伊藤君!」

同じ年頃の男女が、3人。
揃って朝食の席に着く。

外は快晴だし、小鳥のさえずりが聞こえる、さわやかな秋の朝だというのに。

「智。冷蔵庫の中のもの、勝手に使ったよ」
「う、うん」
加奈子は手際よく準備した3人分の朝食を、食卓テーブルの上に並べた。
その様子は、から元気にしか見えない。



あの後。

再び触れるかと思うほど近寄った伊藤の顔を見上げている智の耳に、玄関のチャイムが聞こえた。
しかも、その押し方が尋常じゃない。

「……」
「……」
顔を見合わせた2人は、何度か瞬きを繰り返した。
――たぶん、同じことを考えてる。

いつかのあの男の人――?
静かに立ち上がった伊藤の後ろについて、智も玄関に向かう。
ドアののぞき穴を見た伊藤は、小さくため息をもらした。

16.右側通行

December 28 [Thu], 2006, 19:46
「あんたも面倒な相手を選んだわね」

加奈子がそう言うと、伊藤君は軽く苦笑した。
「それは友達の言い草じゃないですね」

じゃんけんに負けた智はドリンクバーへ、飲み物を調達中だ。
智がカップを片手に右往左往するのを眺めながら、2人は口を開いた。

「智はね、右側通行を遵守できないタイプなのよね」
両手にカップを持った智は、手前からやってきた他の客にぶつかりそうになりつつも、ゆっくりこちらにやってくる。

「……右側を通ったり、左側を通ったり。そのせいで厄介なことになっても、何が起こっても、本人に自覚がないのが始末に悪いですよね」
何の例えか分かったらしい伊藤君は、そう付け加えて、もう1度苦笑する。

「努力型の天才肌だしね。昔から」
周囲から浮かないようにしようって考えは、智にはない。


「……あの事故の後」