10.うたたね

November 05 [Sun], 2006, 0:22
「最近、眠りが浅くてさあ……」

智は、わざとらしく目を伏せて、片手で顔を覆ってみた。
「そうですか」
伊藤は気のない返事を返すだけで、こちらに視線をよこそうともしない。
運転中なので、そう簡単にこちらを向かれても困るが。

ちっ、と、これ見よがしに軽く舌打ちした智は、ホルダーに置かれたコーヒーに目をやる。
「まだ熱いと思いますよ」
信号で車を止めた伊藤は、智の視線の先にあるものに気づいたのか、口を挟んだ。
そう言って、伊藤自身はコーヒーを口にする。

「…………」
「……そんなもの欲しげな目で人を見ないでください」
「青だよ」

先ほどまでの酷い渋滞をようやく抜け出て、車の流れはだいぶスムーズになっていた。

11.放課後

November 11 [Sat], 2006, 0:30
「今回は、なかなか厳しいね」

智はため息混じりに、呟いた。
「今回は?」
「今回は!」
言葉尻を捕らえてきた伊藤に、にっこり微笑んでやる。

「締め切りの度に、同じことをおっしゃてる気がしますが?」
「気のせいだ」
にっこり微笑み返してきた伊藤に、智は真顔で返す。

In a Spider's Web

November 12 [Sun], 2006, 0:35
俺が囚われているのか。
莉那が囚われているのか。

もがくほど糸は絡まり、もはや身動きすらとれない。

浅く息をする。
蜘蛛の巣に絡め取られた、獲物のように。

蜘蛛の巣に、囚われている。

「In a Spider's Web」
短編。ちょっとダーク。

01.悲しいときは泣け、心の許すままに
02.忌まわしい過去など捨て去ってしまえ
03.何かを犠牲にしてでも、求める物を手に入れてみせろ
04.決してこれだけは忘れるな
05.私を憎め、そして私を愛せよ

お題提供:Reato Inesistente様(閉鎖されました)より命令形5TITLE

01. 悲しい時は泣け、心の許すままに

November 12 [Sun], 2006, 0:43
蜘蛛の巣に囚われている。
もがくほど糸は絡まり、身動きすら取れなくなっていく。

蜘蛛の巣に、囚われている。




「ちいにい」

 後ろから聞こえてきた声は、明らかに怒気をはらんでいた。
 熱を帯びてきた口付けが、一瞬にして冷める。
 幻聴だと言い聞かせて続きをしたかったが、そういうわけにもいかないだろう。

「誰、あの子?」
――ほらね。

 案の定、ソファに寝転んだ状態の小林さんが口を開いた。
 千博がしぶしぶ後ろを振り返ると、予想通りの人物が戸口に立っていた。

「お前、今日遅いって言ってなかった?」
「遅いじゃん!いつもより」
 莉那は壁にかかっている時計を指差した。

「……確かに遅かったな」
 いつもより30分だけ。

「誰なの?」
 千博の下にいたままだった小林さんは、呆けた顔をしている。
 美人が台無しだが、まあお互いに興ざめしたことだし、いいとしよう。

「小林さん。悪いけど、もう帰ってくれる?」
 ソファから身を起こすついでに、小林さんの腕を取って起き上がらせる。
 脇によけていた彼女のカバンを手に取り、手渡した頃になって、呆けたままだった小林さんはようやく気を持ち直したようだった。

「河野君って、ロリコンだったのね」
 けれど、出てきた言葉は、ハッキリ言って勘違いも甚だしい。

「おばさん」

 千博が口を開く前に、莉那が強烈な一言を吐いた。

02. 忌まわしい過去など捨て去ってしまえ

November 18 [Sat], 2006, 0:05
 莉那の苗字は、覚えているだけでも7度変わった。

 実際に何回変わったか。何て、奇特なことを覚えているのは、ゴシップ専門の記者と読者ぐらいだろう。
 中学を出た頃。
 解決策として、ようやく実父の苗字を名乗るようになった莉那は、母親の再婚に苗字が左右されることはなくなった。

 母親の実家で生活する莉那と親しくなったのは、偶然だった。

 当時の莉那は何度も、家出を繰り返してはその度に発見され、連れ戻されていたらしい。


 そして莉那にとって数回目。
 そのときの家出は、1日経っても彼女の居場所は特定できなかった。
 単なる家出から事件の可能性が出てきたため、翌日の昼過ぎになって、ようやく警察に被害届が出されていたらしい。

 莉那の母親の実家は、かなりの資産家だ。
 身代金目当ての誘拐とも考えられたため、捜査は非公開で行わていた。

 今考えると、当時8歳の子どもが「単なる家出」を何度も繰り返していたこと自体、問題なんじゃないか、と思う。

 そんなことは知らずに、当時13歳の千博は日常を過ごしていた。
 いつものように授業を終え、部活を終え。友達と別れて、家に帰る途中に入った路地で。
 解けた靴紐を結ぼうと身をかがめたとき、千博は妙な物体を発見したのだ。

03. 何かを犠牲にしてでも、求める物を手に入れてみせろ

November 19 [Sun], 2006, 0:53
「ちいにい」
 今週も、莉那は千博の家にやってきた。
 なんてことない。毎週のこと。

 玄関の鍵が開く音がしたときから、それが莉那だと分かっていた。
 ソファに寝転んだまま、千博はタバコの煙を吐き出す。

 つけたままだったTVではお笑い番組が始まったらしく、暢気な笑い声が聞こえてくる。
 癇に障る、わざとらしい笑い声だ。

 ローテーブルの上に転がっていたリモコンに手を伸ばした千博は、チャンネルをかえた。
 かわったチャンネルでは、洋画が流れていた。

 数年前に流行った映画だ。
 映画は半分以上すぎて、物語は既に佳境に入っていた。

04.決してこれだけは忘れるな

November 28 [Tue], 2006, 8:53
 莉那の祖父は莫大な財産を残して、逝った。

 たった1人の孫・莉那の配当額が、一人娘の母親よりも多額だったことが、長い間ワイドショーを随分賑わせた。
 遺言書には、莉那が成人を迎えるまで、弁護士が遺産を管理すること。持ち株の配当金から毎月一定額、生活費として手にすることが記されていた。

 それは、持ち株のほんの一部に過ぎなかったが、それだけで充分だった。
 有り余るほどの「生活費」を手に、莉那は母親から経済的に、完全に独立した。
 以来、事務的なことですら弁護士を通している。


「河野君」
 こちらに気づいて立ち上がった奈保子の母親に、軽く会釈する。
「お久しぶりです」
「元気そうで何よりだわ」
 わずかばかり頬を緩めた奈保子の母親は、目を細める。その仕草が何となく奈保子と重なって見えた。

 奈保子を挟んで、奈保子の母親と向き合う形で千博は腰を降ろした。
 完全看護付きのこの個人病室は、まるでホテルの一室にいるような錯覚すら覚える。
 定期的に聞こえる電子音と身動きひとつすらしない奈保子だけが、この部屋を「病室」にしていた。