03/膿んだままの傷口を晒し 顔を背ける善人の群れに唾を吐く

May 06 [Fri], 2011, 17:20
目の前に座る、この男が苦手だった。
「河野さん」
「『千博』だろ」
思わず眉をしかめると、河野は薄く笑った。
「千博、だろ。何度も言わせんな。他人行儀すぎるんだよ、お前」

小さく漏らしたため息に口元を歪めるこの男。
「・・・・・・他人でしょ」
「彼氏だろ」
吐き捨てるように言った希恵に河野は笑う。

出会って数年。付き合って数カ月。
希恵は、相変わらずこの男が苦手だった。

手をつけ損ねていたケーキに手を出すと、無言でナプキンを差し出される。
怪訝に視線を挙げると、無言で唇の脇を指さした。
「子どもか、お前は」
「一言クリームがついてるって言ってくれればいいんだけど?」
ありがたく受け取ったナプキンで口元を拭う。
それには答えず、河野はコーヒーに手をつけた。



こうして会うのは、月にそう何度もない。
態々人目につくような店を選んで会うのは、いつもの事だった。
「で結果は?」
回りくどいことをせず、話を進めていくことも。

だが、それが心地いいとは限らない。
内心、悪態を突きながらコーヒーカップに手を伸ばす。
その揺れる水面を見ながら希恵は口を開く。
「――受かった。4月から同じ校内にいる」
どうって事はない、そういう変わりに何気なさを装って言葉を吐く。
コーヒーを一口含んで、何の返答もない河野を訝しんで顔をあげると、いつものあの顔だった。
人の悪そうな笑みを浮かべる河野に、希恵は眉間をしかめてやりかえす。
「莉那ちゃんは?」
「受かった」
さも当然という風に事もなげに言ってのける。
――その自慢気な顔を河野自身に見せてやりたい。


この話を持ちかけられた時。
莉那ちゃんの前で一芝居うつ自信ない、と言った希恵を河野は鼻で笑った。
「俺が適当にやるから、お前は余計な事言わずに突っ立ていればいいよ。初めから期待してない」


あれから数カ月。
河野は、その言葉を違えた事はない。


クリームを拭い、コーヒーを手にした希恵はあからさまなあたりの気配に気づき、小さく笑った。
「河野さん」
「『千博』」
「………最近ギャラリーが凄いですね」
探偵なのかマスコミなのか。莉那ちゃん絡みなのは確かだった。
「莉那ちゃんのマスコミデビュー近いの?」
ふんと鼻で笑った河野は、こちらの質問に答えずにやりと口元を歪める。
「いっそ籍でも入れるか。そしたら即奴らの圏外になるだろ」
「余計スキャンダル性が増すと思うし、さすがに莉那ちゃんも怒るでしょ」
お互いカモフラージュ用の、外向けの相手なのに。
払うリスクが高すぎる。
「お前は?」
「私?」
「お前が嫌じゃないなら、そういう手段使うかもよ?」
口端を上げた河野に希恵は肩をすくめた。
「使って良いよ?結婚に夢持っているわけでもないし」
手にしたままだったコーヒーに口をつけると、河野が顔をしかめたままこちらを見つめていた。
「何?」
「大根」
大きなため息をつき、河野は頭を振る。

「この分じゃ、どこまで隠し切れているんだか」
――痛いところを突かれ、反論しかけた言葉に詰まった。

合った視線は瞬時に逸らされた。

「ほれ、ケーキ食え」
促され、希恵は止まっていた手を動かす。
「うん」
出された助け舟にはありがたく乗っかる。
本格的にケーキを食べに入った希恵に視線を合わせることなく、河野が口を開く。
「旨いか?」
「うん」
「コーヒーのお代わりはいるか?」
「うん」
「さっさと良い男見つけろ」
「――うん」

優しい優しいこの悪い男は、決して自分の傷口を人目に晒さない。
――あたしと違って。

だから、あたしはこんなにもこの男が苦手で。
彼は、こんなにもあたしに優しいのだ。


良い人なんて、必要ない。
そんな事を言ったらこの男は、また眉をひそめ、そしてしょうがないヤツだと笑うのだろう。
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