19.ひさまくら 後編

July 02 [Mon], 2007, 23:20
「じゃ、ちょっと息抜きしようか」
昨日までなかなか進まなかったこの案件は、今日ようやく軌道にのった。

何とか形になってきたので、休憩に入ることになった。
タバコを手に吉井さんが部屋を離れ、佐々原さんが携帯を片手に席を外した。

「伊藤君、ちょっとカフェの立地条件について確認したいことがあるんだけど、」
伊藤さんがそう小林さんに呼び出されると。
部屋に残ったのは、僕と松岡さんの2人だけになった。

所狭しと、机の上に広げられている資料から目を離さない松岡さんは、昨日より随分顔色が良い。
たぶん、昨夜はよく眠れたのかもしれない。

「よ〜しっ、あと問題は締め切りだけね!」
ようやく書類から顔を挙げて大きく伸びをした松岡さんに、僕は思わず微笑む。

「コーヒー、いかがですか?」
「ありがと、頂きますっ」
満面の笑みを浮かべた松岡さんに、コーヒーを手渡す。
ちょっとだけ触れた手に、心拍数が急上昇した自分が情けなくなる。

――いくら男子校育ちだからって、これはないだろ!

自らを叱咤した僕は、松岡さんの向かいに腰を下ろすと、何とか会話の糸口をつかめないかと普段の数倍頭の回転を早めた。
「……松岡さんは、行き詰ったとき、どうやって解決策を考え付くんですか?」
「『どうやって』かぁ…う〜ん…」

手にしたコーヒーに手をつけないまま、松岡さんは考え込む。
伏せられたまつげの長さに、どきどきと胸が高鳴った。

普段より間近に腰を下ろした僕は、そんな小さな事を気づけただけで嬉しくなる。
――やっぱり、綺麗だなぁ……。
それでも気取らない松岡さんが、僕は……、

「『ひざまくら』だよ!」
「えっ」
まじまじと見つめてしまっていた僕は、不意に顔を挙げた松岡さんに慌てた。

「こう膝の上から相手を見上げると、いつもとは違う顔が見れるでしょ?」
そう言って微笑む松岡さんに、僕の心拍数は上がったままだ。
「例えば、………こんなところにホクロがあったんだ、とか」
ちょっとだけ考え込んで、松岡さんは例を挙げた。

「はい」
それには、心当たりがある。
――というか、つい先ほど。
今まで気づかなかった事に、気づけた事が、嬉しかったのだから。

松岡さんは話にノってきたのか、ちょっとだけ近づいた。
「目の下に隈があるし、最近眠れてないんじゃないかなぁ、とか…」
「はい」

――確かに。
共感できる例えに、僕は深く頷いた。
満面の笑みで、松岡さんは続けて口を開いた。
「伊藤って意外と、まつげ長いん…」



「――体験談ですか?」



伊藤さんの冷ややかな声。
真っ赤になって固まってしまったのは、僕だけじゃなかった。

色の白い松岡さんが耳まで赤くているのを。
固まってしまった僕の視界は、捉えてしまった。


決定的なものを突きつけられた気がする。

恋敵の伊藤さんからじゃなくて。
よりによって、松岡さんの方から。

――……止めを刺されたような気がする。


赤くなったままの松岡さんは、それを誤魔化すようにコーヒーに口をつけた。
大した動力を払うことなく、僕に致命傷をかました伊藤さんは、何食わぬ顔で僕の隣に腰を下ろした。
僕は頭を垂れたまま、のろのろとPCの前に座りなおした。

――今日は自棄酒だ。

うなだれた僕の耳に、伊藤さんが何か呟いたのが聞こえた。
顔を上げると、視線を感じたのか、書類に目を落としていた伊藤さんがこちらを向いた。

「どうかしました?」

にっこり笑ったその笑顔。
宣誓布告をするならどうぞ、と言っているような気がしたが。

「いえ……」

何だか、その笑顔が怖いので。
気のせいだと思うことにした。

そんな僕をよそに、気を取り直したらしい松岡さんが伊藤さんに食って掛かる。
「あれは不可抗力だからね!」
「はいはい、そうですね」
「い〜と〜お」

――何が「不可抗力」だったんですか。

突っ込みたいことは山々だが、これ以上傷を広げるのは賢明ではない。
僕は黙ったまま、PCの画面に並ぶ数字と向き合った。
いつか松岡さんと肩を並べて歩けるようになるために。


「ところでさ。昨日の映画の、最後って…」
「さっさと仕事してください」


19.ひざまくら 後編
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