04.飴玉

October 03 [Tue], 2006, 0:48
「食べます?」

差し出された飴玉を、智は黙って受け取った。
包み紙を開けて、黄色の物体を口の中に放り込むと、レモンの香りが口の中に広がった。

「大丈夫ですか」
小声で訊いてきた伊藤に、智は無言で首を振る。

伊藤は軽く眉をしかめた後、腕時計に目をやる。
そしてすぐさま、運転手に声をかけた。

まだ先だよ、と返す運転手に、伊藤は微笑んで首を振る。
「ここでいいです。すみません」

会計を伊藤に任せて、智は口元を覆ったまま、のろのろと立ち上がる。
車外に出ると、むっとした空気が押し寄せてきた。

また、乗り物酔い止めの薬を飲むのを忘れてしまった。
ほぼ毎回酔ってしまうので、あの薬はほぼ常備薬のように手元に置いてある。

しかし今朝、慌てて掴んできた薬は、生理痛用のものだったのだ。

目を閉じて、込み上げる不快感をやり過ごそうとしていると、タクシーから降りてきた伊藤がそばに立った。
「今回は、キツそうですね」
窺うようにこちらを見る伊藤に、智は頷いた。

「まだ時間はありますし。ちょうど手前にカフェがありますから、落ち着くまで待ちましょう」
智は、伊藤に手を引かれながら、そろそろと歩く。
少しだけ視線を上げると、すぐ前に、小さなカフェらしきものが見えた。

「酔いやすいって分かっているのに薬を忘れるって、どうなんですか?」
問題ありですよね。
満面の笑みを浮かべて、毒を吐く伊藤は相変わらずだ。

しかし、のろのろとしか動けない智を、伊藤は急かすこともせず、ゆったりと絶妙なタイミングで手を引く。

それを意外に思って、顔を上げると、目が合った。

「辛かったら、吐いてもいいですよ」
伊藤の言葉に、誰がお前の前で吐くか、と内心悪態をつく。
伊藤の前で弱みを見せたら、延々と小馬鹿にされそうな気がする。


あの笑顔で。


口には出さなかったが、表情には出たのだろうか。
伊藤は、いつもの顔で笑った。



「飴、食べます?」

再び乗り込んだ車内で、伊藤は先ほどと同じパッケージに包まれた物体を差し出した。
礼を言って、ありがたく頂戴する。

銀色の包み紙を開き、黄色の飴玉を口に含むと、レモンの香りが広がった。
口に入れた飴玉を下で転がしつつ、伊藤を見る。

自分の分を取らないまま、伊藤は、それをしまった。

「ちょっと眠ったら、楽になると思いますよ」
「ん」

額を窓ガラスに押し付けると、ひんやりしていて気持ちが良かった。
しばらく目をとして、その感触を味わう。

人心地ついて、目を開くと、窓ガラスに伊藤が映っていた。
ーー何か、考えてるのか。
前を見据えているその横顔を、ぼんやりと見ていると、突然、伊藤がこちらを向いた。

窓ガラス越しに、目が合う。

柄にもないことを見咎められたようで、智は、慌てて視線をそらした。
伊藤は不思議気にこちらを見ているようだったが、やがて何も言わず視線を前に戻したようだった。
伊藤が手にしていたコーヒーカップに口をつけたのか、車内にコーヒーの香りが揺らいだ。

「ありがと」
この沈黙が耐え切れなくて、智は口を開いた。
脈絡の無い言葉に、伊藤は何のことか、と一瞬考えたようだが、ああ、と漏らした。

「別に。いいですよ」
貸しは、返して貰うためにあるものですし。

返ってきたいつもの笑顔に、何故だか安心した。

「この飴、結構おいしい」
「それはよかったですね」

からかうような口調に、思わず伊藤の肩を軽くはたく。
意地悪く笑う伊藤は、避けることもせず、手にしていたコーヒーを持ち上げただけだった。

「飴、食べるんだ」
ちょっと意外かも。小さく呟いた智に、伊藤は笑った。


「俺は食べませんよ」


04.飴玉
お題提供:誰でもトライ20のお題
  • URL:https://yaplog.jp/hibi-hibi/archive/5