17.親指 前編

January 14 [Sun], 2007, 0:20
「…ん、松岡さん」
「え?」

会話の途中に、意識がちょっと、とんでしまっていたようだった。
佐々原さんは眉を少しだけひそめた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」

慌てて否定すると、佐々原さんはちょっと首をかしげた。
「無理しないでくださいね」
「ありがと」
笑って、智は佐々原さんから資料を受け取った。

今回の企画は、智が今まで関わってきた中で、最も難解で。
同時にやりがいのあるものだった。

資料を集めたり、データを打ち込んだりしていると、
いつの間にか朝が来て、そして夜が来る。
時間が過ぎているのに気づかないほど熱中していた。


今日、月のものがきた。
ちょっと今回は、酷く辛い。

今朝、慌ててサプリメントを取ってきたが、そんなに都合よくいったりしないだろう。
気休めみたいなものだ。

「松岡さん」
振り返ると、吉井さんがスーツの上着を手にして立っている。
「これから出るんですか?」
「はい」

「気をつけてくださいね」
「何言ってるんですか。松岡さんもですよ」
「え?」
慌てて頭の中で今日一日のスケジュールを確認する。

「すみませんっ」
忘れていました、と智は慌てて、データを保存し上着を取ると立ち上がった。
あまりにも立ち上がるのが急すぎたのか、一瞬立ちくらみがする。

「――――っ」

「松岡さん?」
「あ、すみません」
怪訝そうな顔をした吉井さんが何かを訊いてくる前に、智は笑う。
取引先へ向かう間は、打ち合わせを口頭でしながら、書類の確認に時間が費やされた。



次の日。
目が覚めると、体調は更に悪化していた。
体のドコが痛いのか、もうそれすら分からない。


それを誤魔化すため智は、牛乳を胃に少量流し込んだ後、鎮痛剤を水で飲んだ。

駅までの道が酷く、遠く感じる。
ーー電車通勤が久々だからかな、通勤ラッシュが辛いな〜…。

窮屈に身をかがめながら、今日はいっそのこと会社に泊まろうかとも考える。
電車に揺られながら、智は体の不調を誤魔化すように。少しだけ目を閉じた。

「おはようございます」

会社に着くなり、佐々原さんが真っ先に近寄ってきた。
「合同企画の件で、A社から連絡が入ってます。」
「ありがと」

A社の担当者と電話で2、3用件を確認し終わると、智は修正案をパソコンに打ち込む。
いくつかの打ち合わせを吉井さんと済ませ、気がつくと3時前になっていた。

鈍痛が体に戻ってきて、智は薬を飲まなければと思い、ようやく食事を思い出した。
「ちょっとだけ、離れます」
鈍痛を堪えながら、会社近くのコンビニに向かった。


食べ物を見ただけで、胃酸が逆流してきそうだった。
それでも薬を飲むために何か口にしなくては、と智は、棚に陳列されている商品を見渡す。
飲み込みやすそうなものを、と考えていると携帯がなった。

「松岡です」
『松岡さん?A社との合同企画のことで、先方が…』

――トラブル発生。
智は小さな牛乳パックとミネラルウォーターを手にすると、レジに向かった。


会社に戻る途中、智は広場のベンチに腰を下ろした。
食べ物を口にする代わりに、牛乳を少しだけ流し込む。

しばらく置いて。
そして、智は鎮痛剤を飲むと会社への道を急いだ。


「少数精鋭って言われているけど、さすがにこの人数で回すのはキツイな」
ネクタイを少しだけ緩めた吉井さんの顔にも、疲労の色が滲んでいる。

「来週には、皆さん帰っていらっしゃいますし。明日までの辛抱ですよ」
そういって苦笑する佐々原さんも、だいぶ疲れているようだった。

3人はコーヒーを手に、模型と図案を確認していた。
「でも思ってたより、結構な量の仕事が片付いたな」
吉井さんは、ため息を吐き出した。

「これで、しばらくは落ち着いていられますね」
苦笑する佐々原さんに、智も微笑む。
大きく伸びをした吉井さんが立ち上がった。

「ではB社との最終確認を佐々原さん、A社との件を松岡さん、お願いします」

17.親指 前編
お題提供:誰でもトライ20のお題
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