14.展望台

December 19 [Tue], 2006, 12:49
「どういう魂胆ですか」

伊藤は前を向いたまま、いつもの声音で返答した。
もうちょっと他の反応ができないのか、と智は小さく呟く。
「聞こえてますよ」

信号が赤に変わり、伊藤は車を停止した。
「地獄耳」
「先輩の地声がでかいんですよ」
伊藤にしかめ面をしてやってから、もう1度智は口を開いた。

「で。どうする?」
信号が青に変わり、それに返答することなく伊藤は、スムーズに車を発進させる。
伊藤は前を向いたままで、車のライトに時々照らされるその横顔からは表情が見えない。

――展望台から遠くをのぞくように、ちょっとは向こうの気持ちも覗けたらいいのに。

「まあ、祝勝祝いっていうか。何というか」
市のコンペティションに優勝した、そのお祝いっていうか。
言葉を濁すように智は続ける。


「給料日前だから外食もなんだし。夕飯、うちで食べてく?」


もともと全く料理をしなかった智だが、必要に応じて作るようになって数年。
今ではまあ、中の下ぐらいの腕だろう、と思っている。
食にこだわりはなかったから、惣菜で済ませる日もある。

けれど、誰かと食べる食事はまた別のものだ。

軽口の応酬が心地よかった。
「あたしが作ったんだから、感謝感激して、涙して食べなさいよっ」
「一応、俺も手伝ったんですが?」

2人で立つキッチンは何だか手狭だった。
料理をしながら、ふいに体がぶつかりそうになることも何度かあったが、全て伊藤が綺麗に避けた。
器用な奴、と智は思う。

夕食後、片づけを済ませた2人は、何となくTVの前のソファに腰を下ろした。
智は冷蔵庫から取り出したボトルと缶をテーブルに置く。

「は〜い。よく冷えたお水」
「……自分だけ飲むなんて、なかなか嫌な奴ですね。先輩」
「飲酒運転させるわけにもいかないでしょう」
にんまり笑って、智は缶ビールを空けた。

「仕事終わりの一杯は美味いわ〜」
「……どこの親父ですか」
ミネラルウォーターのボトルを開けた伊藤は、呆れたようなため息を漏らした。

小さな沈黙の後、智は思い切って口を開いた。
「……この前、ありがとね」
智の言葉に伊藤は怪訝そうな表情で顔を挙げた。
「プレゼン。担当させてくれて」

伊藤はギリギリ間に合ったのだ。
もう1度、担当を伊藤に代えたとしても十分出来る時間帯だった。
それでも伊藤は、智に担当をさせてくれた。

「直前までいつもみたいに、あがっちゃって。伊藤が来たとき、よかった、これでやらなくて済むって思ったんだ」
けれど、伊藤はそうしなかった。
智の期待を分かっていただろうに。

「やっぱり緊張はしたけど。それでも、やってよかったって。今、思う」
「普段はかなり抜けてますが、やる時にはやる人ですから」
伊藤は何てこと無い、といったカンジで応えた。

けれど、智は分かっている。
この仕事をとれなかった可能性も充分に考えられるのだ。

信頼して、任せてくれた。
あれほどの信頼感を感じて、智がどれほど奮い立たされたか。

「……褒めてるの、それ?」
「最大の賛辞ですが?」
伊藤はいつものように、にっこり笑った。

けれど、その次の瞬間。
伊藤はその笑みを浮かべていなかった。

触れるか、触れないか。
たった一瞬。

唇にかすかに残った感触に、智は小さく笑った。
いつも伊藤には、やられてばっかりで。
けれど、今、そんな表情を自分がさせたかと思うと、口元が緩むのが止められなかった。

にやにやしていた、智は伊藤の魂胆に気づくのが遅れた。
後頭部に手を置かれ引き寄せられると、ふたたび唇が重なった。
伊藤の方から始まったキスは、智が仕掛けた子供騙しのようなものではなかった。

今なら少しだけ、伊藤のことが分かるような気がする。



「……ビールの、味、する?」
ようやく離された智は、途切れながらも言葉を紡いだ。
伊藤はいつものように笑う。

「する」

14.展望台
お題提供:誰でもトライ20のお題
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