12.裏返し

December 09 [Sat], 2006, 0:15
「……は?」
「恥ずかしいから、さっさと立ってください」

すぐ脇に立つ伊藤は、もう1度そう言って、手を差し出した。

一瞬。
何を言ってんだ、このオトコ、と智は思った。
そのままの姿勢で、瞬きを数回繰り返す。

足を取られて、思いっきり転んでしまった。
公衆の面前で尻餅をつく自分の姿は、ちょっと無残な光景かもしれない。

――けど。ちょっと酷くないか、その1言?

考えがまとまってきたところ、また上から伊藤の声がかかった。

「何もないところで転べるなんて。呆れるほど、物凄く器用ですね」
「そんな言い方、あるか〜っ!!」

音声が言語として認識された次の瞬間。
智は、伸ばされていた伊藤の手を払いのけ、勢い良く立ち上がった。

「お前は、『大丈夫』の1言も言えないのか!?えぇっ !?」
「その様子なら、心配するだけ無駄ですね」
伊藤はそっけなく智をあしらうと、脇に置いていた試作品の模型を再び持ち上げる。
「い〜と〜お〜!!」

「だ、大丈夫?松岡さん」
両手が塞がっている伊藤に掴みかからんばかりに迫っていた智の後ろから、吉井さんがこちらを窺うように近寄ってきた。
その手には、智のかばんが。

「吉井さ〜んっ!」
吉井のスーツにしがみつく勢いで、伊藤がいかに酷いか、智は力説を始める。

「書類が無事で何よりですね」
2人をよそに伊藤は、両手が塞がりつつも器用に辺りに散らばった書類を集めて、確認していた。
「い〜と〜お〜!!」

声を荒げる智を尻目に、伊藤は2人に軽く会釈すると、さっさとエレベーターへ向かっていった。
「ちょっと待て、このヤロウ!!」
伊藤の後を追おうとした智を吉井さんが引きとめた。

「本当に大丈夫?随分、派手に転んでたけど」
「……見ていらしたんですか?」
知り合いにあの見事なこけようを見られていたと思うと、今さらながらに羞恥心が働いてきた。

「まあ、ほぼ最初からかな?」
吉井さんは意味ありげに笑う。
「最初から?」
吉井さんの意図するところが分からなくて、思わず眉間に力が入る。

「まあ、気づかないほうがいいんだろうけど。その方が俺にとっても好都合だし」
後半は小声で、智には聞き取れなかった。
怪訝に思って更に眉間をひそめた智に、吉井は人好きのする笑みを浮かべた。

「波風立ってくれたほうが、ちょっとは展開も変わるかな、と」
「はあ…」

智より1年だけ入社が早い吉井は、人の良さで好評らしい。
だが、今目の前で人好きのする笑みを浮かべた吉井は、まどろっこしいほど何やらためらっている。

「伊藤ね。最初からずっと、足場の悪いところを歩いてたんだよ」
「はあ……」
「それは、さり気なく。しかも、上手い具合にね」

智は内心首をかしげた。
――伊藤が運んでいた模型は……結構、持ち運びにくい形をしてた。

「松岡さんが何もないところで足を取られちゃったから、伊藤の気配りも功を奏さなかったね」
その瞬間。
智は今朝、出勤途中に車の中で交わした会話を思い出した。



「この靴、足にあってないんだよね」
「だったら何で履いてくるんですか」
「他になかったからに決まってるじゃん。おかげで、今日は大変な1日になりそうだワ」
「大変ソウデスネ」
「何、その棒読み!?」
「車内で騒がないでください。コーヒー、服にこぼれますよ」
「今日は面倒な荷物、全部伊藤に回してやるっ!」
「はいはい」
「い〜と〜お〜」



智は、慌てて下を向くと顔を片手で覆った。

「松岡さん?」
吉井さんが声をかけているのは聞こえるが、今、顔を挙げることはできなかった。
自分が今、どんな顔をしてるか、分かったから。

ーーあんなに気のない返事ばかり、繰り返していたくせに。

顔が熱い。
まだ仕事は残ってるのだ。早く、冷静さを取り戻さなくては…。

「………伊藤のばかやろうめ」

12.裏返し
お題提供:誰でもトライ20のお題
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