「無常」について   187

October 24 [Mon], 2011, 9:54


数日前、福島第一原発周辺の20〜30キロ圏の避難指定が解除され、いくつかの学校が再開したという。
どの学校も生徒の(復帰)数は半分に満たないようだが、新聞の扱いは大きく、登校・登園した子の親のコメントは「少しでも以前のように」「これまでの生活を取り戻したい」とのことだった。
それがいいことであるかのような報道だった。

子どもらをどんな危険にさらしているのか、の認識はないのだろうか?
どんな信念で、ああいう場に住み続けるのだろうか?
イヤ、それはこの国が民を救わず、あの地域の人々に別の生活の場を提供しないからなのだが。

どんなに低線量でも被曝は発がんを増やす。とのことだ、
人体への被害にしきい値はない。とのことだ。
一度破壊されて変異したDNAは決して元に戻らず、奇形のまま子や孫に遺伝する。
セシウム汚染の地区では、がんの他、心臓系・消化器系・脳神経系などにかかりやすく、一人で複数の病気を持ちがちで、健康な子どもの割合は20%程度になる


3・11は、すべてのものを変容させるものである、はずだった。
たとえ放射能が目に見えない、臭いもしないものだとしても、・・・「直ちに」は害が現れないものだとしても、・・・

すべてが、以前のようにはいかないはずだ
何事もなかったかのようには以前の学校へは通えないはずだ。
日常性を取り戻せないはずだ。離れて暮らしている私たちにしても。

悔しいけれど、こんなはずではなかったけれど、ここを受け入れてまた始めなければならないのだと思う。
今までの地域を離れて、新たに違う場所で生きることを決断しなくてはいけないかもしれない。
変化を受け入れなければならない。

・・・と このように考えることを、無情だが「無常」であるから仕方がないのじゃないか、と違和感を持ちながらも考えていた。

例えば、アノ津波を見て、9月の西日本の大雨やタイの大規模な洪水やアメリカ東部のめったにない地震などを見れば、・・・明日をも知れぬ世界に生きていると思わざるを得ない。
(横道にずれるが、・・・タイの洪水で、真っ先に報道されるのは「在タイ日本企業への影響」だから情けない。彼の地で困難にあえいでいる人々のことは考えないのか? 大きな工場を作るために山を切り崩したことに責任はないのか? ブラックタイガーの養殖のために農地改悪したことに責任あるだろう)
例えば、病気になってしまったこと、特に精神の病気になってしまったことの原因を探しても仕方がない。病気を受け入れるしかないのだ。人生何が起こるか分からない、無常なのだから、と。
以前のようではない流れに身を任せることが「無常観」なのではないか?と。
そのように考えていた。

10月8日の死刑廃止フォーラムの集会での辺見庸さんの講演を聴き、その後2週間「無常」ということが納まりきらぬままウツラウツラと考えて、今やっと納まりがついたような気がする。

「無常」とは、・・・
無常」だから仕方ない、とあきらめるのではなく、
「無常」だから、次の新しい価値観を獲得するのだ、


辺見さんは 堀田義衛の『方丈記私記』から、
“1945年3月10日の大空襲で見渡す限りの焼野原を目にして、すべてのものがなくなり、いっそ上から下までが平等になったような爽快感があった”と引きだされた。( 堀田は、治承元年の京の大火への鴨長明のまなざしを取り込んでいるわけだが)

そして、「無常観」の持つもう一つの側面「諦観」が、お上に利用されて戦死を「華と散る」として美化された、と。
歴史の転換点にあって、「以前のように」、以前と同じ尺度でモノを考えることは出来ない、と言われた。


原発事故以後、以前のようではない新しい価値観を持ち収束の見えない現場から逃げることは、無情を受け入れ、次に進む能動的な行動なのだ。
その場限りで生きるのではなく継続的な時間の中に生きる近代人として。

この「3・11」は、震災と原発とでは全く違う事象だと思う。
しかしどちらも「基本的人権」は保障されねばならないし、日本人的だと言われてきた「無常観」を利用されてはならない。

辺見さんはそんなことを話されたのだと思う。
あるいは間違った解釈かもしれないが。

ついでに言えば、こういうことも話された。
「コギト」、「思うこと」を許されないこと(=死)について、
震災での死と、死刑での死を、震災以前の法則でこの二つを(清らかなものと汚らわしいものとに)差別することの理不尽こそファシズムの土壌から生まれる。
・・・このことは割にすんなり胸に落ちた。(狭い400人の会場に入りきらなかった外の立ち見の人も含めた聴衆に、身近なあるいは歴史的な文献を交えて噛んで含めるように話されたのであった。)


原発被害の話に戻る。
首都圏でも、地面に降りた放射能があちこちで高い汚染数値を出している。
それらがたいてい市民の計測で分かり、行政がもう一度計ってみるというお粗末。
東電の検針員にカウンターを持たせて計らせろ、という「声」もあったが。
放射性セシウムの暫定基準値を500ベクレルというチェルノブイリの5倍にもなる数値を持ってきて、500㏃以下だと数値も公表しないなんて、ちょっとフザケテいる。
コメの「安全宣言」が信用できるのか?
気持ち悪くてキノコなんか食べられない、っていうことが「風評加害」ではないでしょう?
でも、それでも福島のものを「食べてあげる」ことが美談だったりして、・・・おかしくない?
自分は50歳以上だからもういい、というのは違う
娘や孫や よその子やその孫まで、次の世代への責任を果たすことが「倫理」にかなうことだと思う。

なぜ放置する? なぜ隠す? 
「時間をかけて朽ちていく」、そういう場面をたくさん作り出すだけではないか

冒頭の、20〜30キロ圏の避難指定解除。
除染はとうてい無理だ。やるだけのことはやるにしても。
住めない地域が多くなる=国土を失いたくないから、放射能を浴びさせる(帰す)、という結論なのか?
倫理にもとる。









追記 10/26/2011 9:40 p.m.

『方丈記私記』についてあまりに簡略に書きすぎました。

堀田氏が焼野原を前にして、「上から下まで、軍から徴用工まで、天皇から二等兵まで全部が全部、難民になってしまえばどうなるか?・・・」と、ある種の爽快感と新たなる日本の始まりかもしれないという期待感のような妄想を持ったのはほんの数日間だった。
一週間後に深川不動尊で、「この空襲の責任すらも自分ら臣民の至らぬところです」と天皇にひれ伏す庶民を見て絶望感を抱くのだ。
俗「無常観」で、あきらめ流されることを仕組まれてきた、と。
無常観が「政治化」されてきた、と。
そして「日本の長きにわたる思想的な蓄積の中に、生ではなくて死が人間の中軸に居座るような具合にさせてきたものがある筈。・・・人は生きている間はひたすら生きているもので、何故死が生の中軸でなければならない?」と書かれたことに、辺見氏は「コギト」であれと繋げたのだったと思う。




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