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自分の気質なのだけど / 2011年07月28日(木)
自分の母親は相当なヒステリックで、
虫の居所が悪いと、娘に殴る蹴るの暴行を加えるひとであった。
今はさすがに手は出さないけど、その名残が垣間見られる。
そういうときはもうね収まるのを待つしかないという。

父親は父親で気にくわないことがあると一気に逆上してどなり散らすというかなんというか。
まあ嵐みたいなもんで、そういうときは神妙にしておくのが良いのだった。
ただまあいらんとばっちりを受けたくないのでおうちのひとにいろんな心境だったり出来事だったりをお伝えすることはやめた。
ことに己の感情について言うのはやめた。


どうでもいいことはたくさんいうけど。
たくさんしゃべるけど肝心なことは言わない。
それでああだこうだ言われたらやだから。


もっともそれでいらん誤解を受けることはある。
思っていること、かんがえていることと、まるで私が真逆の立場でいるかのように見なされることはある。


そんなことを考えると、どっちがらくなのかんからないけど、少なくともおうちに関しては、もう住むことがなさそうなのでどうでもいい。
どんな風に私を見なしてるのか知らんけど、好きにしたらいいと思う。

もうあの生活の輪に戻らなくていいと思うとほっとする。
ひとつの逃げではあるが、それもひとつの選択。
18年あそこで我慢したのだけど、もう無理だよな。


今も昔も家と言うのが穏やかな場所ではないので、なるべく私は穏やかでいようと思った。
怒鳴るとかそれに類することはやだなあと。
でも蛙の子なので沸点がやはり低い。


心の動きはなかなか変えられない。
もはや固有のものになりつつある。
まあ、少しずつ変化してるのだろうけど。
ただ、その心の動きをからだの動きにでないように抑制することはできるからそれは頑張ってる。

それがうまくいっているのかわかんないけど。
八つ当たりはするし、感情的になるし、まだまだあかんけど。
まあどこまでいっても自分は未熟のままだ。ただ未熟なりにも考えることだけはやめないでいようっと。







 
Posted at 15:45/ この記事のURL
面談 / 2011年07月13日(水)
社長と面談してきた。
あの人が社だったのかという素直な驚き。

それより驚いたのは一次面接100人くらい受けてたこと。
20人くらいかなあと思ってたから。
それで採用が4人とか。


なんで自分が採用されたのかよくわかんなくなってきた。
地縁採用なのか?

落ちた他の人たちと比べて何がよかったのかわからない。
最も、他の人の面接がどんなんだったのか知らないけど。
やっぱり出版は倍率高いんだなあと改めて。

でも、逆に倍率とか、何人受けてるかとか意識しなかったからよかったのかもしれない。
素直にできたから。


なにがよかったのかどうかと言ったらそういう心境の問題くらいしか分からないなあ。
あとは運だと思う。
たまたま自分の性格と立ち振舞いと考え方が会社に好かれたのだろう。
それ以外は何も考えられない。
謎ですなあ。


しかし、就職活動を一人でやってたら持たなかっただろうなあ。感謝感謝ありがたや。くらり。


怖くて聞けなかったけどなんでいれてもらえたのか聞こうっと。


 
Posted at 01:25/ この記事のURL
五年前を振り返る / 2011年07月08日(金)
塾で、受験生の数学の担当になったからかもしれない。
就職先が決まったからかもしれない。
今宵は過ごしやすい風だからかもしれない。

いろんな要因はあるだろうし、そもそもそういう時期なのだろう。

ふと高三の頃の記事を眺めてた。

恥ずかしいくらいに高校生の脳味噌と高校生の文章。
今より露骨に人を見下してる。
あの図太さは高校生だからこそなのだろう。

今以上にはっきりと思ったことを書けているのは羨ましい。

自尊心の高さとか
負けず嫌いなところとか
我儘なところとか

そういう22歳の私に繋がるものが全て言葉になっている。

勝手に過去を回想して、都合のいいように思い出にしてしまうことがある。

当時は、コメント欄を開放してて、それこそネットを通じて多くの人とやりとりがあったから、
綺麗に見せようという気持ちが今以上にこのブログには働いていた。

それでもやはり、言葉は人を表すね。

いくら私が過去の自分の理由づけをしても、全てがそのまま残っているから。

うまいこと押し込んでいても、ここにはある。

忘れていたこととかたくさんある。

記憶は改変できるね。

だれだって、別に嘘つきたくてつくわけではないし
なるべくなら思い出は美しくて楽しくて正しい方がいいと思う。

本質は今も昔も変わらないね。

自分では相変わらずのつもりでいるけれども、
このブログですら本音を余り書かなくなってしまっている。

本音と言うか本質と言うか。

性格は変容こそすれ、異質になったわけではない。
だから、嫌なものは嫌だと思うし、好きなものはとことん好きになっている。
内心で人を見下すし、鉄壁のプライドはますます強固になってる。

22歳でそんなこと言うなよ、ときっとこの記事を振り返った五年後の私は思うだろうけれど
5年前より確実に老けている。
大人になったという表現を使うのが適切なのだろうけれども、
それじゃあ「大人になること」が余りにも陳腐なものに見えてくる。

本当は早く大人になりたかったのにね。


ここに書かれているあらゆるものに対する不満が、今の私に至らしめているのは読んでいても良く分かる。

嫌だから、嫌でどうしようもなかったからこそ。こうなった。


半分くらい恥ずかしいなあという気持ちを抱いてしまったけれども、
過去の自分を大事にしないとね。

今の私にしろ、過去の私にしろ、本当のところを誰よりも知っているのは
今ここにいる私だけなのだから。

過去の私のこと、確かに記憶は曖昧になるし、薄れていくけれども、それでも他の誰が知っていようか。

今までの自分のことも、今の自分のことも、別にけなされてもいいと思っている。
それはずっとそうで。
でも、私だけは自分のことを大事にしたいと今は思っている。
それでも自己卑下するけれども。それも含めて大事にしたい。
自分のことで精いっぱい悩みたい。

こんだけ自分自分自分自分で脳味噌埋め尽くされているのに、まだ足りないとはどういうことだろうね。

悩めば答えが出ると思いこんでいる節はあるからかな。


恥ずかしい気持ち半分で読み返していたので、割と流し読みになってしまったけれど、
でも、ふと目と手が止まった部分がある。

それは、将来に対すること。

どこの大学に行きたいとかそういう直近の将来じゃなくて、仕事のこと。

ちゃんと、文章で食っていきたい、って書いてあった。


人に全然言えなくて、もたもたとここに書いていたのだけど、
将来に対する不安がここ暫くはずっと拭えなかった。

何をしても辛かった。

一つの区切りが出来たから、こうやって振り返ることができるのだろう。

自己卑下するけれども、自分は自分で良かったなあとこの瞬間は思える。
自己卑下は自尊心の裏返しか。

自尊心高いのに、人からああだこうだ言われても平気なのは
自分の大事にしてることを人に言わないし教えないという気持ちでいるからなんだろうな。

私のことは私だけが知ってるもんという気概だから。

いかにもだけど、ずっと好きな言葉があって

世の人は我をなんとも言わば言え  我がなすことはわれのみぞ知る

というの。
初めて知ったのは中学生の時だけど、変わらず好きだな。

今の自分を誰に見せたいかと言えば、過去の自分。

過去の自分、他人なのか本人なのか曖昧な場所に位置している。
客観の対象でいて、存分に主観が入り込む余地のある。

ずうっと、過去の自分に負けていた。つもりでいた。
今日より昨日の方が立派だった、昨日より一年前の方が立派だった、そんな感じ。

それは今も同じで。

今の自分がここにこうしているのは
過去の自分のお蔭だからね。

一秒前の自分の行動がその次の瞬間に影響を与えているよ。

これからも、ずっとそうやって、過去を思い出すんだろうね。
でもまあそれが私なのだろうな。
唯一の謙虚さかも知れない。

もう戻れない。
もう会えない。

だからこうやって気持ちがこみ上げる。
伝えることはままならないし、知る由もない。

現に今の私も先のことが全く見えない。
非常に辛いことばかりかもしれない。逆に、楽しいのかもしれない。

全く分からない。
分からないことは恐怖である。

期待するのは苦手だけれど。

辛い気持ちが報われるかもしれないよ。

この先どんな記事を更新していくのか、現時点ではまるでわからない。

ただ、過去を悔むことだけは、2011年の7月の深夜だけを罵ることはありませんようにと思う。

茫漠とした自分と言う集合体。

申し訳が立たないくらい、有難い存在。

考えすぎると涙がでるね。

 
Posted at 00:38/ この記事のURL
村上龍から / 2011年07月04日(月)
始まって全然関係ないこと考え始めてた。そして呟いてた。
あまり全世界に垂れながしてるかんかくもなく。
呟いてるうちに答えがまとまるかなあとか期待したけどそんなこともなく。

好き嫌いについて考える結果になったよ。


なんで戸川純なんだといったらうまく人に説明できないよな。そういうもんかね。
一番気に入ってるのは言葉の使い方なのだけどもそのよさを人に伝えることはできないよ。いや、伝わったとして間それで伝えた相手が好きになるかといったらそれはまた別次元の話で。


頑固だなあ。



これでも対外的には、余り怒ったりしないという認定を受けてる。
ドライだとかいわれることもある。

それは外に出してる部分がそうなだけで。

自分の諸々いい始めたら止めどないことわかってるからねえ。



嫌いって言葉には否定的ないみあいがふくまれてるけど、嫌う行為を否定することはできないよなあ。
好きになることだけが良しとされるのは変だよなあ。


そもそも好きも嫌いも相対的なもんだから好きなもんがたくさんあれば嫌いなもんは増えるし、好きなものに固執すれば、とことん嫌うようになる。


そういうことかねえ。

変なこと考え始めちゃったなあ。

しようがないからこっちにかいてるのですけどね


まいったな


 
Posted at 01:10/ この記事のURL
あかんなあ / 2011年07月02日(土)
最初はちっこいイライラでも
段々大きくなってくる

眠さがなくなってきたな

端的に表すと


なんでそんなことがわかんないの?

とか

なんでそんなことが言えるの?


という感情が蠢いてるのだな腹のなかで



私もあいかわらずだな


どうにもならんなあ


参ったな

変なのー変なのー変なのー

変なのー変なのー変なのー


とりあえず仕事を東京で見つけて良かったと言うことだけはわかった
過去の私の判断は合っていたという
地元にすみたいという気持ちがこれっぽっちもないのは今も昔も変わらんなあ

なんか過去に戻ってる


それは私もおうちも変化してないからやろな
だから考えることが相変わらずなのだ





 
Posted at 02:17/ この記事のURL
病気でも何でもいいけど / 2011年07月02日(土)
人の言動に傷つく
社会が理不尽なことばかりで嫌だ


別になんでもいいよ
勝手に傷つけ勝手に嫌になってろ

じゃあ自分は人に嫌な思いさせてないのですかという

被害者のからにこもるのは結構なことですが、それなによって時には加害者になってることなにも気付いて欲しいよなあ


なにも知らないくせに偉そうなこと言うなと言われるのかねこれ

じゃあ逆にわたしのことちゃんと知ってるの?という

いもうとと自分を比べると、状況的には遥かに自分の方がきつかったよなー
なんでここまで生きてこれたかといったら一重に意地だよな

この辺りは今の自分を形成する上で大事なファクター


人様からは鋼の精神の持ち主だと思われてるのかもしれない
よわっちいとこはあまり見せないから

というかあんまり言わんのだな

人との距離は近いようで、実はほとんどの人なたいして遠いよ

精神がやんでるのかもしれない
もしかしたらそういうところよりもっと大変な状況にいるのかもしれない

はぁ

なんにもわかってないのはどっちなんだよーだ

かーばかーば


たまに人にポロっと話すと、よくやってこられたね!とビックリされる

意地だよなほんとそれしかないよ


体調崩すとかそんなレベルじゃないっつうの
寝れないとか普通だっての

いやまあいいのだけども

ただ一方的に押し付けられるのが、やだねえ

辛いのは自分だけじゃないというのがなんら慰めの言葉にならないというのは重々承知してる
けど、それは本当で、もっとよくない状況にいる人もたくさんいるよ
当人が言わないだけで
公言できる環境があるということ、それによって周囲がいたわってくれる。状況というのはものすごく恵まれた話だよ


いや、私も特定の人には言ってしまいますけど
そしてそれがありがたいのですが


精神科医も、やんでる人も、当事者のことを当事者の周囲の人は理解すべきだと言いますが、まあ土台無理な話でしょ
どんなに親しい相手でも、相手のことを理解してると言い切れるか


そもそもねえ、本人をのびのびさせるために、なんで回りの人が我慢したり気疲れしたりしなきゃいけないというのだ
変なのー変なのー


病気だからという一言で納得できるのも変な話


とりあえず、私だって傷つくわね


 
Posted at 00:05/ この記事のURL
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