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死に絶える花のメモリー / 2014年08月12日(火)
2013年5月14日のくそ暑い朝に妹は死んだ。
私は死んでいない。
妹は21年で人生を終わらせた。

死に絶える花のメモリー。

美しいその死に顔は老いていくことがない。
絶対的な年齢差を保ち続けながら生きていくものだと思っていた。

妹の死ぬ2カ月前、それが私のお別れだった。
東京駅で見送ったN700Aを忘れることはできないのだろう。

ランダムに記憶は蘇る。
ふとした瞬間に遠く無関係に思える情景が浮かぶ。

ただそれだけを繰り返して今日も生活を続けている。

生きるという言葉を使うのが嫌になって「生活」という単語に置き換えている。

己の内部で想い続けているうちはまとまりのないただの絡まった糸くずに過ぎない物も、
こうやって日本語に翻訳していくことで、ほんの少しだけ落ち着く。
いや、本当は落ち着かない。
とは言え、夜中に叫ぶこともできんだろうし、それをしたとて何になるのか。

人から文章のことを褒められる。
ならば文章にするのが最善の策だろう。


会話のキャッチボールに組み込めない話題もあるんだよな。
私が妹のことを語っても、それで誰が喜ぶというのか。どん引きされるよ。
加えて私自身が「大変だったね」だのなんだのと、
あなたの立場を想像して、あなたのために言ってますよというニュアンスをまとった言葉をひどく嫌っている。

なぜ自分のこともわからないのに、他人のことがわかるのか。
仮にだれかが身内を亡くしても私はその心情を、こうではなかろうかと妄想することはできても
それ以上のことはできない。

「死に絶える花のメモリー」に特段具体的な意味はない。
そしてもう死に絶えてしまっているのだから本来は「死に絶えた花のメモリー」と記述するべきである。
そうできないのはまだ私の中で、「死者」として定着していないから。

突然降ってきた言葉だから、ひねり出したものじゃないから、直観だから、
でもしっくりくるかもしれない。

ああ、暗号のように秘密めいているけども、でもこんなに痛々しい暗号なら
ないほうがいいよね。

数年ぶりにこのブログに書いているけど、存在を忘れていた訳ではない。

会えないさみしさに触れていることに、疲れてしまっている。

生活は続くし、夢や目標もあるけれど、それとは別の部分で、
ただひとりの妹の欠如を、毎晩もてあそんでいるんだよ。



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