【みんな生きている】藤田 進さん[西新井病院]/FNN〈埼玉〉

December 03 [Tue], 2019, 18:34
−その命、見捨てますか?−
《インチキ遺骨ではなくて、藤田 進さんを返せ!『週刊現代』が伝えた西新井病院を舞台とした藤田 進さん拉致事件》

【以下は、『週刊現代』2007年4月21日号に掲載された特定失踪者・藤田 進さんについての記事です】

「2003年頃でしょうか。日本に帰ってきてテレビを見たら、北朝鮮拉致にまつわる番組をやっていたのです。そこで流れた藤田 進さんの顔を見て、はっきり思い出したのです。私の目の前で泣き叫んだ男だと。
私は藤田さんの名前も知らず、拉致という言葉さえ知らなかった。しかし、結果として、私は拉致に関与してしまった。その良心の呵責から、自分が知っていることの全てを話そうと決意したのです」
こう語るのは、現在、中国に在住する57歳の朝鮮人の男性である。
1976年2月、当時、東京学芸大学の1年生だった藤田 進さん(当時19歳)が、アルバイトに行くと言って埼玉・川口市内の自宅を出たきり、失踪した。
以後、行方は杳として知れなかったが、2004年7月、北朝鮮から流出した1枚の写真により、藤田さんが北朝鮮に拉致された疑惑が高まった。写真鑑定が行われ、骨格や顔のパーツの位置関係などから、写真の男性と藤田さんは同一人物の可能性が高いという結論が出た。藤田さんは「拉致の確率が高い」特定失踪者1000番台リストに載せられることになった。
その藤田さんを拉致した、と告白するのがこの57歳の男性である。これまでマスコミに語られることのなかった日本人拉致の生々しい真相が、以下の240分に及ぶ男性へのインタビューで明かされる。


■国際指名手配犯に拉致を指示された

私は都内の大学を卒業し、しばらくして朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の幹部の紹介で東京都足立区にある西新井病院に勤務することになりました。1972年〜1973年のことです。
最初は医療現場で働いていましたが、5ヶ月ほど経った頃、当時の西新井病院の金萬有(キム・マンユ)理事長から「ちょっと手伝ってくれ」と言われて、理事長の運転手など、理事長とその家族の手伝いや病院の経営に関する仕事に従事するようになったのです。理事長一家の手伝いをする人間は「幹部」と呼ばれていました。
しかし、「幹部」になると同時に、西新井病院の“裏”の仕事にも、知らず知らずのうちに巻き込まれることになっていったのです。

北朝鮮系の総合病院として知られる西新井病院は、過去にもたびたび北朝鮮の工作活動の拠点として取り沙汰されてきた。
1953年に病院を創設した金萬有氏(故人)は金日成(キム・イルソン)・金正日(キム・ジョンイル)親子とも面識がある在日朝鮮人の超大物である。しかも金氏は、核など日本の最先端技術を北朝鮮に運ぶ密命を帯びて活動しているとの疑惑が濃厚な、在日科学者からなる「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)の中枢メンバーでもあった。

病院3階にあった無線室が北朝鮮からの秘密指令を受け取る場所でした。6畳ほどの部屋の壁という壁が通信機器などで埋まっていました。この部屋に入れるのは、鍵を持っている金理事長の甥と数人の幹部だけで、完全な秘密部屋でした。
北朝鮮からの指令は短波放送を通じて流されていました。放送は「1、2、3」などと数字が淡々と読み上げられており、その数字を理事長の甥が解読し、関係各所に連絡するのです。
おそらく、1976年2月、私に下された“任務”も、そのようなルートで北朝鮮から指示されたものだったのでしょう。しかし、私は理事長の甥ではなく“金先生”という男から藤田さん拉致の手伝いを頼まれたんです。“金先生”は名古屋大学医学部を卒業した医者、という触れ込みでしたが、病院に勤めてもおらず、住所もわからない。ただ2週間に一度くらいフラッと病院に来ては幹部と雑談して帰っていく謎の人物でした。
後日、チェ・スンチョルという北朝鮮工作員の写真を見る機会があったのですが、その写真には紛れもなく“金先生”が写っていました。私はあの「西新井事件」を起こした大物工作員の手下として働いていたのです。

チェ・スンチョルは、日本の機密に関する情報収集などを行っていたとされる北朝鮮工作員。1960年代に都内で失踪した小熊和也さん、1960年に北海道で失踪した小住健蔵さんの戸籍を奪い、本人になりすまして生活していたことも確認されている。1985年、警視庁は西新井病院の近くにあるチェ・スンチョルのアジトに踏み込み、乱数表などを押収した(西新井事件)。チェ・スンチョルは逃走し、現在国際指名手配されている。このチェ・スンチョルが病院にもさかんに出入りしていたと、今回、男性は衝撃の証言をしているのである。


■クスリを打たれ意識を失った藤田さん

「埼玉に“患者”を連れに行くから、運転手をやってくれ」と、私の事務所に“金先生”から院内(の内線)電話が入ったのは拉致前日のことだったと思います。当時の私は拉致など知りません。総連系の医療機関は埼玉にもたくさんあるから、そのうちのどこかから患者を引き取ってくるんだな、くらいの気持ちで手伝いをしたのです。
2月7日は、冬にしては暖かい日だったと記憶しています。昼過ぎ、総勢4名が病院から車2台で出かけました。私は先頭車両の1号車のハンドルを握りました。車は小豆色のブルーバードで、助手席には“金先生”ことチェ・スンチョルが座りました。2号車は紺のトヨタ車で、二人のスーツの男が乗っていました。彼らはおそらく科協の関係者だと思います。
当時と今では、道がかなり変わっていますが、当時の記憶で説明します。
まずわれわれは環状七号線を西へ進み、鹿浜交差点を右折して都道107号線に入りました。そのすぐ先を左折し、博慈会病院の前を通って新芝川べりから山王橋を渡り、鋳物工場が両サイドに並ぶ通りを直進して、川口本町大通りから産業道路に入りました。
“金先生”は、「このルートだと派出所は1ヶ所しかないから安全なんだ」と説明していました。どこをどう通るかまで、綿密に計算し尽くしていたわけです。
国鉄(当時)川口駅前を越してしばらく走ると、産業道路沿いにある公園で停まるように言われました。車を降り、公園の反対側に歩いていくと、濃い色のクラウン(3号車)が停まっていて、スーツ姿の男が4人乗っていました。
4人とも朝鮮総連本部関係者で、いま考えると、彼らがこの事件の指揮官でした。“金先生”は、3号車の4人と何か話したあと、私のところに戻ってきて「大宮の氷川神社に行くことになった」と、淡々と私に指示を出しました。
当時は道が空いていたので川口まで30分弱、川口から氷川神社までもそれほど時間はかかりませんでした。大宮氷川神社の隣には大宮公園があるのですが、公園の池の近くで車を停めるよう指示されました。いまでこそ、人も多く明るい公園ですが、当時は木が鬱蒼と茂っていて人影も少なく、寂しい場所でした。
そこには、かなり大きめの乗用車(4号車)が、われわれを待っていました。これが藤田さんを捕まえていた車です。2号車から2人、3号車から4人が降りると、待っていた4号車の後部座席から、大柄な男2人に両側を抱えられて、男性が連れ出されました。これが藤田さんでした。藤田さんは精神病患者などが暴れた際に着させられる拘禁服に似た、ベージュ色の保護服を着ていました。足元もおぼつかないほどフラフラの状態で、意識がないようにも見えました。クスリを打たれているな、とすぐにわかりました。そのまま藤田さんは2号車の後部座席に入れられ、2人の男が両側から挟むようにして座りました。
作業は一瞬でした。3号車の指揮官と思われる男が私のもとにやってきて、「全て完了したので戻って下さい」と日本語で言いました。日本語が使われたのはこのときだけで、あとは全て朝鮮語です。
帰りも私の運転する1号車が先導でした。後ろを走っていた3、4号車はすぐに姿を消し、私たち1、2号車はまっすぐ病院に向かったのですが、私は途中で道に迷ってはぐれ、2号車より20分も遅れて病院に着きました。“金先生”にひどく怒られたのを覚えています。藤田さんを乗せた2号車は、行きと同じ道で病院まで戻ったそうです。
藤田さんの拉致には、川口市の総連系の診療所が大きくかかわっていると思います。金理事長が中枢にいた科協には医師が非常に多いのです。おそらく西新井病院で解読された拉致指令が科協本部にわたり、科協から傘下の診療所に通達されたのでしょう。数年前から藤田さんと川口の診療所の医者が親しくなっていたそうです。医師は何年もかけて藤田さんと親密な関係を築き、拉致当日、食事や催し物に一緒に行こう、と誘ったのでしょう。


■涙をためて「ここはどこですか」

病院に連れてこられた藤田さんは、そのまま病院2階付近にある「保護室」という名の監禁部屋に入れられました。「保護室」の存在は「幹部」しか知りません。一般職員からはわからないように扉はまるで壁のように加工されていました。「保護室」は畳1枚半の部屋で、鉄格子がしてあり、壁も床も自傷防止用の青緑色のクッションが張ってあります。ちなみに西新井病院に精神科はなく、このような施設は必要ありません。
私は“金先生”から「“患者”に配膳をしてくれ」と頼まれました。翌日の朝から配膳係になって、朝、昼、晩の3回藤田さんに食事を運びました。
拉致の翌日、藤田さんは打たれたクスリがまだ効いているようで、意識が朦朧としており、朝食、昼食とも手付かずでした。藤田さんが打たれたのは自白剤ではないかと思います。ものすごく息が臭くなるのでわかりました。
その日の夜、藤田さんの意識がしっかりしてきました。しかし、現実が受け入れられないのか、ただただ大声で泣き叫んでいました。慟哭という感じでした。「どこへ連れて行くんだ!」「なんだ、これは!」という叫びが、今も強く耳に残っています。
2日目、3日目も会話はなく、食事は摂るようになったのですが、藤田さんは身動きが制限される保護服を着たまま、ただじっとしていました。叫ぶこともなくなりました。
4日目になって、「ここはどこですか」「自分は何でここにいるんですか」と、涙をいっぱいに溜めた脅えきった目で私に聞いてきました。これが、最初で最後の会話です。
4日目の夜、藤田さんはいなくなりました。その後、病院関係者から「彼は同志同胞の繁栄のため、新潟から万景峰号(マンギョンボンごう)で北朝鮮へ渡った」と聞かされました。

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■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」
https://youtu.be/QBJcDDGwdFo
■アメリカ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP
https://www.hrnk.org/
■VOA拉致問題動画
https://youtu.be/o2i_u8y8GJM
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html
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■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
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■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
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■脱北者・金柱聖さんの動画(3)
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■ベナTV(日本語版)
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■ベナTV脱北者日本語字幕版
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《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30〜7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■藤田隆司さんfacebook
http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3
■緑風香ブログ
http://ryokuhuuka.wordpress.com/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(Yaeko Taguchi)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm
■上尾市民の会HP
http://www.emo.co.jp/rachi/list.html

[In or around June 1978: Lee Un-Hae abducted]

Abductee: Yaeko Taguchi (22, female, Unknown)
Kim Hyon-Hui, a former North Korean agent convicted of the bombing of a Korean Airlines jet in November 1982, claims to have been trained to blend into Japanese society by a woman named Lee Un-Hae. Lee Un-Hae is thought to be Yaeko Taguchi, a woman reported as missing in Japan.
North Korea asserts that Ms. Taguchi married Tadaaki Hara in 1984 and, soon after Mr. Hara’s death from illness in 1986, died in an automobile accident. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.
At a meeting in March 2009 between members of the Iizuka family, relatives of Ms. Yaeko Taguchi, and Kim Hyon-Hui, important new information regarding the whereabouts of Ms. Taguchi (see note) was gained from Ms. Kim. The GoJ is currently working to confirm this information.
Note: Ms. Kim said: "After returning from Macau in January 1987, I heard from a driver in February or March that Ms. Taguchi had been taken to an unknown location. I'd heard that in 1986 an abductee living alone had been made to marry, so I thought that Ms. Taguchi must also have gone somewhere to get married."

《特定失踪者・新木 章さんについて》
◆氏名:新木 章
(あらきあきら)
(Akira Araki)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年5月21日
◆生年月日:昭和22(1947)年10月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆当時の住所:埼玉県川口市栄町
◆当時の身分:銀行員(事務系、コンピュータを使う仕事)
◆身長:165cm
◆血液型:A型
◆特徴:
1)中肉中背
2)眼鏡使用
◆失踪当時の服装:黄色のチェックのシャツにジャケット着用
◆失踪場所:埼玉県川口市

【失踪状況】
「買い物に行く。午後6時か7時には帰る」と川口市の自宅を出たまま失踪。
仕事上の悩み、使い込みなどは全くなく、自殺、家出の原因等は全く存在しない。
家を出たときは財布しか持っていない。
免許証、クレジットカードが入っていたが、更新がされていないし、カードは使っていない。
当時は池袋支店から事務部電子計算課へ行き、各支店をオンラインで結ぶための業務をしていた。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・井上克美さんについて》
◆氏名:井上 克美
(いのうえかつよし)
(Katsuyoshi Inoue)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月29日
◆生年月日:昭和25(1950)年6月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:埼玉県蕨市
◆当時の身分:電気工事店勤務
◆群馬県前橋市出身
◆身長:167cmくらい
◆失踪当時の服装:オレンジ色のハイネックのセーター
◆失踪場所:埼玉県川口市

【失踪状況】
失踪当日会社の忘年会の後、川口市内の飲食店(キャバレー)で飲み(午前0時〜1時)、寿司屋で食事をしたあと友人と別れた。当時泥酔状態。
夜帰宅しなかったので翌30日、妻が前橋市の実家に電話で問い合わせたため両親も失踪を知った。
妻の話では正月は家に行くと言っていたので実家に帰っているのではと思い電話したとのこと。
時計と運転免許証を持っていたが、運転免許の更新なし。
連絡も一切なし。
長男が生まれる直前だった。
■群馬県警HP
http://www.police.pref.gunma.jp/
■救う会群馬HP
http://sukuukaigunma.web.fc2.com/

《特定失踪者・今津淳子さんについて》
◆氏名:今津 淳子
(いまづじゅんこ)
(Junko Imazu)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年4月30日
◆生年月日:昭和32(1957)年5月28日
◆性別:女性
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:埼玉県深谷市
◆当時の身分:保育園保母
◆大分県佐伯市上浦町出身
◆身長:158cm
◆体重:59kg
◆特徴:
1/顔)顔は卵形で色白。額の真ん中に指の先ほどの痣がある
2/視力)近視で普段はコンタクト使用。眼鏡のときもある
3/髪型)髪型は短い段カット
◆失踪場所:埼玉県深谷市大谷

【失踪状況】
当日、休暇を取って大宮の運転試験場へバイクの免許を取りに行った。
同日夜7時頃寮の同僚に「これから13分のバスで帰る。何か買い物はないか」と電話連絡したまま消息不明。
同日夜9時頃、最寄りのバス停と寮の間の民家の人が犬が激しく鳴くのを聞く。
翌朝、その家の人が畑の中に今津さんの両方の靴を発見。
周囲に争った形跡はなく、不自然に投げ捨てられた状態だった。
警察は公開捜査を行ったが目撃証言もなく安否につながる情報もない。
「北朝鮮にいる」という情報がある。

《特定失踪者・江原信明さんについて》
◆氏名:江原 信明
(えばらのぶあき)
(Nobuaki Ebara)
◆失踪年月日:昭和63(1988)年5月9日
◆生年月日:昭和34(1959)年9月12日
◆性別:男
◆当時の年齢:28歳
◆当時の身分:農業
◆当時の住所:埼玉県南埼玉郡白岡町
◆身長:177cm
◆体重:63kg
◆特徴:
1)髪は多めでややくせがある。白髪が多かったので黒く染めていた
2)前歯は銀色のものをかぶせていた
3)タバコ、酒はほとんどやらない
4)電気工事士、アマチュア無線、普通自動車の免許あり
◆趣味:釣り
◆失踪場所:埼玉県南埼玉郡白岡町の自宅

【失踪状況】
「たまには大宮にでも行って映画を観てくる」と白岡町の実家を出たまま失踪。

《特定失踪者・小野寺将人さんについて》
◆氏名:小野寺 将人
(おのでらまさと)
(Masato Onodera)
◆失踪年月日:平成3(1991)年7月19日
◆生年月日:昭和42(1967)年2月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:北海道登別市の従業員寮
◆当時の身分:ホテル勤務
◆身長:171cm
◆体重:60kg
◆血液型:O型
◆特徴:
1)交通事故の後遺症で左目の視力がない
2)眼鏡をかけているかも知れない
3)アレルギー体質で喘息の発作を起こす
◆失踪場所:北海道富良野

【失踪状況】
富良野ラベンダー祭に登別駅からレンタカーで出発し、その後消息を絶つ。
1泊2日の予定だったがホテルが取れず車中泊。翌日失踪。新聞に尋ね人の広告を出した。
同21日室蘭警察署に捜索願いを出す。
10月26日十勝岳中腹のホテルの駐車場でレンタカー発見。免許証は見つかっていない。
銀行預金も引き出されていない。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

《特定失踪者・小谷幸夫さんについて》
◆氏名:小谷 幸夫
(こたにゆきお)
(Yukio Kotani)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年7月21日
◆生年月日:昭和22(1947)年2月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:東京都練馬区
◆当時の身分:大学4年生
◆身長:170cmより高め
◆体重:55kg〜56kg
◆血液型:A型
◆特徴:
1)運転免許あり
2)緻密で真面目な性格
3)飲酒・喫煙する
4)趣味は登山、旅行、音楽、読書
5)株、商品取引で利益を得ていた様子
◆失踪場所:山形県飯豊連峰・飯豊本山付近

【失踪状況】
拓殖大学4年生在学中の夏休み、北海道へ帰省する途中に、飯豊連峰に登山中行方不明に。
19日に上野駅を出発し、翌日郡山を経て8:30に磐越西線山都駅に到着。
バスで登山口の一ノ木登山連絡所に行き、9:30頃に登山者名簿に記録を残す。
そこから飯豊山(2,205m)へ向かい、同日は手前の小屋に止まる。
21日朝3:30に同宿した4名とともに飯豊山を目指し、4:40頃に飯豊山着。
ここからガスがかかりだしたことから、同行の4人は引き返したが、小谷さん一人御西岳に向かい、そのまま行方不明。
地元警察などが捜索を行ったが遺留品など一切なし。
その後2年にわたって捜索が続けられたが全く手掛かりがなかった。
同泊した登山者の話では、小谷さんは「北股岳を通る」「朝日連峰にも登りたい」と話していたという。
上野で本人が送ったと思われる荷物だけが実家に届く。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・佐々木悦子さんについて》
◆氏名:佐々木 悦子
(ささきえつこ)
(Etsuko Sasaki)
◆失踪年月日:平成3(1991)年4月22日
◆生年月日:昭和38(1963)年12月6日
◆性別:女性
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:埼玉県浦和市(現・さいたま市緑区)
◆当時の身分:埼玉銀行パート
◆身長:162cm
◆体重:52kg
◆血液型:AB型
◆特徴:
1)左目の下に泣きぼくろあり
2)両手共ふっくらとしているが指先が細い
3)頭髪は背中くらいまでで長め
◆失踪場所:埼玉県浦和市

【失踪状況】
当日仕事は休みだったが、特に家族に事情を伝えず、いつもどおりの出勤の時間に自宅を出かけたまま行方不明になった。
免許証、パスポートは自宅に置いたままで、銀行の預金もその後引き下ろされた形跡がない。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

《特定失踪者・佐々木正和さんについて》
◆氏名:佐々木 正和
(ささきまさかず)
(Masakazu Sasaki)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年11月末
◆生年月日:昭和25(1950)年8月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:37歳
◆当時の住所:埼玉県大宮市宮原町(現・さいたま市北区宮原町)
◆当時の身分:家庭教師、塾講師をしていた(正確には不明)。
◆身長:168cm
◆血液型:A型
◆特徴:
1)30歳の時に胃ガンの手術
2)胸に赤くて四角の5cm位の疣
3)頭髪薄毛
4)真面目な性格で口数は少ない
◆失踪場所:埼玉県大宮市?

【失踪状況】
昭和62年11月末日、アパートの大家と話をした後、不明。
1人暮らしのためはっきりした日時がわからない。
実家に大家から12月に連絡があり、失踪が発覚。
部屋の中は荒らされていない。
現金10万円が部屋にあり、預金もそのまま。
免許証も置いたまま。
家族とは数ヶ月に一度顔を見る程度だった。

《特定失踪者・種橋昭子さんについて》
◆氏名:種橋 昭子
(たねはしあきこ)
(Akiko Tanehashi)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年6月8日
◆生年月日:昭和18(1943)年8月24日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:埼玉県朝霞市
◆当時の身分:会社員
◆身長:145cm
◆体重:45kg〜46kg
◆特徴:
1)大人しい性格
2)盲腸の外科手術をしていたとのこと
3)珠算もやっていた
◆失踪場所:埼玉県朝霞市溝沼

【失踪状況】
1965年6月8日、母親に「元の養子先に戻る」と言って家を出たまま行方不明。
そこへは行っていないことがわかり、母親が朝霞警察署に家出人捜索願を提出した。

《特定失踪者・仲里次弘さんについて》
◆氏名:仲里 次弘
(なかざとつぐひろ)
(Tsuguhiro Nakazato)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年5月
◆生年月日:昭和25(1950)年11月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:関東地方(前々年まで神奈川県横浜市)
◆沖縄県南風原町出身
◆当時の身分:
1)前々年まで日産自動車工場勤務(神奈川県)
2)それ以前は陸上自衛隊大宮駐屯地(埼玉県)などに勤務
◆身長:161cm〜162cm
◆特徴:
1)中肉
2)色白
3)髪は直毛で黒い
◆失踪場所:神奈川県から失踪したと思われる

【失踪状況】
陸上自衛隊に入隊し、約2カ年間の訓練を受けたあと、沖縄へ帰郷。
その後自動車工場に3ヶ月の季節労務に就くために再び上京し、契約期間の就労を終えたあと連絡が途絶えた。
昭和52年5月には神奈川県茅ヶ崎市にあった断食道場に20日間いたことがわかっている。
警察に行ったり、全国版新聞での尋ね人の広告を出したり、職業安定所での登録の確認等、東京・神奈川を中心に歩き回るが、手がかりは何一つ見つからない。
沖縄県出身で、集団就職で横浜市の製鉄会社に就職したあと、陸上自衛隊に入隊し、約2年後に除隊。いくつかの職を経て、日産自動車座間工場で季節工として4ヶ月勤務。
その後、昭和52年5月、茅ヶ崎の断食道場に入場したと思われる。平成14年(2002年)8月、沖縄の妹宅に標準語の男の声で「次弘はおばさんの世話で北朝鮮に行った。“ちゅうさん”と呼ばれていた。元気でいると思いますよ」などと早口で話す不審電話が実家にあった。
■沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/

《特定失踪者・水嶋弥寿志さんについて》
◆氏名:水嶋 弥寿志
(みずしまやすし)
(Yasushi Mizushima)
◆失踪年月日:平成15(2003)年9月8日
◆生年月日:昭和39(1964)年4月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆当時の住所:埼玉県蕨市
◆当時の身分:会社員
◆身長:169cm
◆体重:66kg
◆血液型:A型
◆特徴:
1)前髪を右手と首を上にむけてあげる
2)喫煙しない
3)酒は付き合い程度
4)大またでゆったり歩く
◆趣味:読書、映画、スポーツ(テニス)
◆特技:コンピューター
◆失踪場所:埼玉県蕨市かさいたま市大宮区のどちらか

【失踪状況】
平成15年9月4日午前7時30分頃、自宅から勤務先に体調不良で休むと電話連絡。
7日にさいたま市大宮で現金を引き出して以降、消息不明。
失踪前に体調を崩し1週間休みをとっていたが、毎日会社に連絡を入れていた。
9月8日に出社せず連絡も無くなったことで会社の部長や同僚が住居に向かい、行方不明が判明。
昼すぎに会社から京都府舞鶴市の家族に連絡が入った。
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・矢島克己さんについて》
◆氏名:矢島 克己
(やじまかつみ)
(Katsumi Yajima)
◆失踪年月日:平成元(1989)年8月26日
◆生年月日:昭和40(1965年4月4日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:埼玉県大宮市(現・埼玉県さいたま市北区)
◆当時の身分:大学院生(埼玉大学工学部電気工学科電気物理研究室修士課程2年)
◆身長:165cm〜167cm
◆体重:48kg〜50kg
◆血液型:AB型
◆特徴:
1)細身
2)色白
3)近視でコンタクトレンズ使用
4)夜、家では眼鏡
5)能楽、アマチュア無線、旅行
◆失踪場所:北海道網走市小清水原生花園ユース

【失踪状況】
1週間の予定で北海道を旅行。
8月21日、自宅を出て列車で小樽へ出発。
22日と23日は先輩と一緒、24日先輩が先に帰り1人、摩周湖釧路ユースホステルに宿泊。
25日小清水原生花園ユースホステル泊。
26日にユースホステルを出発したところまで確認できたが、その後不明。
宿帳の文字も本人の物と確認。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

《特定失踪者・渡辺秀子さんについて》
※警察庁が北朝鮮による拉致と断定した2児の母親
◆氏名:渡辺 秀子
(わたなべひでこ)
(Hideko Watanabe)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃
◆生年月日:昭和16(1941)年6月5日
◆性別:女性
◆当時の年齢:32歳
◆当時の住所:埼玉県上福岡市大原(現・埼玉県ふじみ野市)
◆当時の身分:主婦
◆北海道帯広市出身
◆身長:169cmくらい
◆体重:60kgくらい
◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】
地元の北海道で知り合って結婚した夫の在日朝鮮人工作員・高大基(コ・デキ)が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。
工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、東京都目黒区のマンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られていた(月刊『文藝春秋』平成12年12月号。石高健次氏の論考)。
子供2人は翌年夏に北朝鮮へ連れ去られ、秀子さんは殺害されたとの説もある。
平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。
しかし、遺体も見つかっておらず、拉致の可能性も否定できない。
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.
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