その195 人生を幸福に過ごすための4つの力

April 28 [Sun], 2019, 10:30
「人生を幸福に過ごすための4つの力」

 幸せを求める心というのは、すべての人間が持つ基本的な欲求で、それ自体は全く悪いことではありません。誰だって幸せになりたいし、当たり前の願いです。では聖書はこの人間の「幸福に過ごしたい」という願いに対して、どのように教えているかを見てみましょう。

1、幸福実感力。
 幸福実現力ではなく、幸福実感力です。幸福を実現しようとすると、人は何か具体的な目標を決めて、それを手に入れなければなりません。お金をたくさん持つとか、出世するとか、有名な大学に合格するとか、自分の夢や目標を達成することによって、幸せを実現できると多くの人が考えていると思います。しかしたとえそれを手に入れて、幸福を感じたとしてもそれは一時的なものです。また次々と幸福を実現するための新たな課題がやって来ます。きりがありません。
聖書は、喜べること、感謝しやすいことを喜び、感謝しろと言っているのではなく、いつも喜び、すべてのことに感謝するようにと勧めています。これが日々、幸福を実感して過ごす力ということです。

2、人生解釈力。
 どんな人にも良いことが起これば、悪いことも起こります。良い人には良いことだけが起こり、悪い人には悪いことだけが起こるというわけではありません。その逆もありません。大切なことはその意味付けです。「この事は私の人生にとってどういう意味があるのだろう…?」と考えることが必要です。それを解釈と言います。
幸福と不幸に客観的な基準はありません。お金を幾ら持っていたら幸福で、それ以下だったら不幸だなどと考えることはできません。すべてはどう見るかという自分の解釈力にかかっています。

3、寛容力。
 言い換えれば赦す力です。人に対する恨み、怒り、妬みなど、悪い感情を持ったままでは、人は本当の意味で幸福になることはありません。そのような自分を縛り付ける感情から、自由になる力が赦す力です。
生きていれば色々なことがあります。学校や職場や地域社会で、あるいは家族のなかで、頭にくること、傷つけられること、様々なことがあるでしょう。そのなかで、寛容力を身につけると、人生を幸福に過ごすことができるでしょう。

4、他助力。
人間は、自分だけが得するように、自分だけが幸せになるように、という気持ちで生き続けても、結局幸福を実感することはできません。他の人が幸せになる姿を見て、自分も幸福を味わえる、これが本来あるべき幸福の姿です。他人の幸せを心から願い、助ける力が必要です。
世の中の論理は、手に入れた者が幸せ。人よりも多くゲットした者が幸せ、人よりも高いところに立った人が幸せ、人よりも大きなものを持っていたら幸せ、という論理です。しかし聖書は、手に入れるよりも、与える人のほうが幸せなのだと教えています。

今週の暗証聖句
神はそのひとり子を世に遣わし、 その方によって私たちに、 いのちを得させてくださいました。 ここに、 神の愛が私たちに示されたのです。1ヨハネ4:9

その194 本当の自分を取り戻す

April 21 [Sun], 2019, 21:02
「本当の自分を取り戻す」

ローマ人への手紙6章5節

6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

本当の自分を取り戻すことなしに、人間は幸福になることはできません。そしてキリストの「復活」なくして本当の自分を取り戻すことはできないということをお話したいと思います。

1、あなたは神に愛されている。
 あなたは自分のことが好きですか?実は自分を受け入れることができず、苦しんでいる人が多くいます。知らず知らずのうちに自分で基準を作り、「自分には能力がない」「自分には魅力がない」「自分は良い人間ではない」と思い込んでしまいます。そして究極的には「誰も自分を愛してくれない。愛される資格はない」と思い込んでいるのです。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。            イザヤ書43:4

しかし私たちに命を与えてくださった神が、「あなたには価値がある。大事な存在だ。愛しているよ」と言ってくださっていることに気付かなくてはなりません。その証拠が世界中の教会にある十字架なのです。大切な御子イエスを十字架につけるほど、神は私たちを愛しておられるのです。

2、すべての苦しみに原因がある。
 キリスト教は「性悪説」でしょうか?教会では「人間はみな罪人」と教えるのでそう考えている人が多いでしょう。しかし創世記にこのような記述があります。

神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。   創世記1:31

最初の人間の状態は善であり、すべての面において完璧だったのです。神が初めから老いたり、病気になったり、死んだりする存在を創るでしょうか?人間は年取ることもなく、病気になることもなく、死ぬこともなく、永遠に神とともに生きるために創られたのです。

しかし罪がこの世界に入いました。この罪が人間のあらゆる苦しみの原因です。悪いことをするということではなく、神から離れている状態が罪です。神との絆が断ち切られてしまったために、人間は肉体的には、老、病、死から逃れられない存在となりました。そして精神的には常に「欠乏感」に悩むものとなったのです。

3、キリストの命を自分の命とする。
 人間が神に元々創られたときの状態に戻ること、すなわち神と親しい関係であった「本当の自分を取り戻す」以外に解決はないのです。しかし切れてしまった神との愛の絆をどうやったら回復できるのでしょうか?人間の努力や行いでは不可能です。私たちの中に、私たちの身代わりとなって十字架のうえで死んでくださり、よみがえられたキリストの霊に、入っていただくしかありません。
 私たちがキリストを信じ、口で告白して祈るとき、復活されたキリストの霊が入ってくださるのです。そして途切れていた神との絆が回復し、神の子としての身分を取り戻すことができるのです。
確かに復活は凄いことです。天国で永遠に生きることは特別なことです。しかし一方で見方を変えるなら、元々創られた本来の状態に戻るという言い方もできます。その初穂がキリストであり、私たちも続々とその後に続くことができるということです。本当の自分を取り戻すとは、神様に愛されているという本来の状態に戻ることです。もう欠乏感に苦しむことはありません。また、この地上での肉体が衰え、滅びても、来たる世では、年取ることも、病気になることも、死ぬこともない、永遠の肉体が与えられるのです。

今週の暗証聖句
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ人への手紙6:23