その193 飢え乾き、祈り、求めよ

March 17 [Sun], 2019, 10:30
「飢え乾き、祈り、求めよ」

マタイの福音書7章7−11節
7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

「山上の垂訓」と呼ばれる5章から7章全体で、イエスは驚くべきことを教えられました。一言で言うならば、「人間の人生や運命を変えるにはどうしたら良いか」ということです。今でも「自分の人生を変えたい」、「自分の運命を変えたい」と望んでいる人は多くいることでしょう。しかし実際には何をしたら良いのか分からない人がほとんどです。イエスがここで教えられたことはズバリ「ものの見方、考え方を変えろ!」ということでした。それが人生を変える鍵です。そのためにどうしたら良いのかが、7章で教えられています。

1、 飢え乾きを持とう。
キリスト教信仰は「神の選び」からはじまります。アブラハムを選ばれたのは神です。しかし神は同時に選ばれた民たちに「選ぶ」ことを命じておられます。
私は、 いのちと死、 祝福とのろいを、 あなたの前に置く。 あなたはいのちを選びなさい。申命記30:19
本当に良いもの、本当に必要なもの、本当に欲しいものを求める態度が必要です。私たちは飢え渇きを持たなければなりません。そしてその飢え乾きの心を持って祈らなければならないのです。

@ 神との強い関係に飢え乾く。
イエス様は、「神様はお父さんのような方、良い方で良いことをしてくださる方」だと教えられました。しかし本当にそうであるかどうかは体験されなければなりません。「この神様にもっと近づきたい。もっと知りたい。もっと体験したい」という飢え乾きが必要です。

A みことばに飢え乾く。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』とあります。神の言葉に飢え乾き、その真理を正しく知ることができるように求めましょう。

2、具体的にに祈ろう。
イエス様が「求めろ、探せ、たたけ」と言われたのは決して抽象的なものを漠然と求めろと言ったわけではありません。何故なら「求めたら与えられる。探したら見つかる。叩いたら開かれる」と教えられているからです。
私たちはどこかで限界を定めて本気で信じていないということはないでしょうか?神様にできないことはありません。具体的なものを求めて祈りましょう。

3、聖霊を求めよう。
ルカは「良いもの」を「聖霊」と書いています。私たちにとって最良のものは聖霊です。聖霊の満たしを求めましょう。
飢え乾きの心を持って主に近づく祈りをしましょう。それが一時的なものではなく継続した行為となるように、生活のなかでクリスチャンとしての良い習慣を身につけていきましょう。そして聖霊の満たしを求めましょう。求めるように教えられる主イエス、与えてくださる父なる神、そして求めるべき聖霊は三位一体の神ご自身です。神に近づき、神とともに生きる生涯を全うしましょう。

今週の暗証聖句
してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。ルカ11:13

その192 教会成長と人間成長の鍵

March 03 [Sun], 2019, 10:30
「教会成長と人間成長の鍵」
モーセの生涯I

出エジプト記18:1-27

18:13 翌日、モーセは民をさばくためにさばきの座に着いた。民は朝から夕方まで、モーセのところに立っていた。
18:14 モーセのしゅうとは、モーセが民のためにしているすべてのことを見て、こう言った。「あなたが民にしているこのことは、いったい何ですか。なぜあなたひとりだけがさばきの座に着き、民はみな朝から夕方まであなたのところに立っているのですか。」
18:15 モーセはしゅうとに答えた。「民は、神のみこころを求めて、私のところに来るのです。
18:16 彼らに何か事件があると、私のところに来ます。私は双方の間をさばいて、神のおきてとおしえを知らせるのです。」
18:17 するとモーセのしゅうとは言った。「あなたのしていることは良くありません。
18:18 あなたも、あなたといっしょにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことはあなたには重すぎますから、あなたはひとりでそれをすることはできません。
18:19 さあ、私の言うことを聞いてください。私はあなたに助言をしましょう。どうか神があなたとともにおられるように。あなたは民に代わって神の前にいて、事件を神のところに持って行きなさい。
18:20 あなたは彼らにおきてとおしえとを与えて、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを彼らに知らせなさい。
18:21 あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上に立てなければなりません。
18:22 いつもは彼らが民をさばくのです。大きい事件はすべてあなたのところに持って来、小さい事件はみな、彼らがさばかなければなりません。あなたの重荷を軽くしなさい。彼らはあなたとともに重荷をになうのです。
18:23 もしあなたがこのことを行えば、──神があなたに命じられるのですが──あなたはもちこたえることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができましょう。」
18:24 モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて言われたとおりにした。

この18章には、戦いのシーンも出てきませんし、何か大きな事件があったというようなことも書かれていません。しかし、モーセのしゅうとのイテロの助言が、旅を続けるこの後のモーセやイスラエルの人々に、とても大きな影響を与えました。この物語は、教会にとっても大切な原則のようなものが描かれています。

1、 教会にはリーダーを助けるリーダーが必要である
 モーセは当初全てのことを一人でやっていました。それは明らかにオーバーワークで、モーセの能力、体力をはるかに超える仕事でした。イテロはそんな彼を見て、このままではモーセだけではなく、このイスラエルの民全体にとっても悪いことになると思いました。イテロは、イスラエルの民たちの中にも、立派に善悪の判断ができるリーダーたちがいるではないかとアドヴァイスしたのでした。

 実は初代教会にも同じような問題が起こりました。使徒の働きの6章には、教会が成長していくなかで、様々な問題が起こるようになったと書かれています。12人の使徒と呼ばれたリーダーたちは、メンバーの中から適当な人を選んで、これらの問題処理に当たらせることにしました。教会はまさに、教職者とともに重荷をになう人たちが必要なのです。聖書は明確に、一人の人間ができることは限られていて、私たちが一人で何でもするよりもむしろ、お互いに足りないところを補い合って、助け合って、キリストのみからだである教会を皆で建てあげあうことの大切さを教えています。どうかこれからの信仰生活の目標として、牧師とともに重荷をになう信仰者となることを目指してください。

2、謙遜は無限の祝福をもたらす。
 私たちはここでモーセという人がどれほど謙遜な人であったか、そしてその謙遜さが、モーセの人生と、イスラエルの民全体にどれほど大きな祝福をもたらしたかを見ることができます。モーセはイテロの忠告を聞いて「あなたは私たちと何の関係があるんですか。あなたはしょせんミデアン人、私たちはイスラエル人です。これは私たちのやり方なのだからほっておいてください」とか「あなたは確かに、私の義理の父です。しかし失礼ですが、私は神様ご自身から選ばれ、この民のために立てられているリーダーなのです。私が一番偉いのです。私は神様以外の人間の言葉を聴いて、それに従うわけにはいきません」などと返事をしていたらどうなったでしょうか。やがてモーセは精神的ストレスでまいってしまい、健康を壊し、民全体にも様々な社会的混乱が起こり、大変なことになっていたに違いありません。しかしモーセは喜んで人の忠告を聴き、それを実践する素直さ、謙虚さを持っていたのです。そしてそれがモーセの生活とイスラエル全体に大きな祝福をもたらしました。

 私たちもこのモーセを見本とし、謙遜というものがどれほど尊い品性であるかを悟らなくてはなりません。謙遜になって人の話を聴くということが、どれほど大きな神様の祝福をもたらし、また自分だけでなく、周りの人たちにも良い影響を与えることができるかを実感しましょう。日々神様に祈り、「主よ、私を砕いて、謙遜になって、色々な人に仕える人になることができるようにしてください」と、求めていくクリスチャンになろうではありませんか。

今週の暗証聖句
人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。
箴言 18:12