その188 信仰者の落とし穴と特権

January 20 [Sun], 2019, 10:30
「信仰者の落とし穴と特権」 モーセの生涯G

出エジプト記16:1-8
16:1 ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野に入った。
16:2 そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。
16:3 イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは【主】の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
16:4 【主】はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。
16:5 六日目に、彼らが持って来た物を整える場合、日ごとに集める分の二倍とする。」
16:6 それでモーセとアロンは、すべてのイスラエル人に言った。「夕方には、あなたがたは、【主】がエジプトの地からあなたがたを連れ出されたことを知り、
16:7 朝には、【主】の栄光を見る。【主】に対するあなたがたのつぶやきを主が聞かれたのです。あなたがたが、この私たちにつぶやくとは、いったい私たちは何なのだろう。」
16:8 モーセはまた言った。「夕方には、【主】があなたがたに食べる肉を与え、朝には満ち足りるほどパンを与えてくださるのは、あなたがたが主に対してつぶやく、そのつぶやきを【主】が聞かれたからです。いったい私たちは何なのだろうか。あなたがたのつぶやきは、この私たちに対してではなく、【主】に対してなのです。」

エジプトを無事に脱出したイスラエルの民たちは、すぐにモーセたちにつぶやく、要するに不平不満を言い始めます。ついこの間まで奴隷だった人たち、過酷な労働を課せられていて、助けを求めていたこの民たちが、「エジプトの奴隷生活のほうがよかった。あの時神に命をとられていたほうがよかった」、と言うのです。

1、信仰者の落とし穴は恵みと感謝を忘れること。
このイスラエルの民たちはエジプトで過酷な労働を課せられていました。数が増えすぎて、王たちに警戒されるようになったからです。ですからしばらく我慢したら生活が楽になるという可能性はゼロでした。エジプトの高官たちは、このイスラエルが完全に屈服して、脅威でなくなるぐらい数が減るまで、苦しめ続けたに違いないのです。つまりイスラエル人は絶望の中にいて、助かる望みのない状態に置かれていたのです。それがモーセを通して神様によって救われました。きっと彼らは心の底から感動し、喜んだに違いありません。

しかしほんの少しの間に、そんな感動は吹き飛んでいました。目の前の荒野を見て、そしてエジプトから運んできた食料がなくなると、「どこで水を飲むのだ、どこで食料を手に入れるのだ。」そう考えて恐ろしくなってきました。そして、「奴隷だったエジプト時代には肉が食べられ、パンが食べられたのに」、と不毛な、意味のないことを口にし始めるのです。

これがクリスチャンの落し穴です。自分が罪の奴隷だったことを忘れ、永遠の死に定められていたことを忘れ、目の前にあるものを恐れ、つぶやくようになるのです。クリスチャンが恵みと感謝を忘れたら終わりです。この後この民たちは大きな報いを受けることになります。私たちはいつもキリストの十字架を見上げて、感謝して生きるものとなりましょう。

2、信仰者の特権は必要が満たされること。
神様はマナを毎朝降らせてイスラエルの民たちを養いました。多く集めても、少なく集めても結果は同じ、自分の食べる分だけでした。ここで覚えておきたいことは、必要なものを、必要な分だけだということです。ここを踏まえていないと、クリスチャンの特権を勘違いしてしまうことになります。

私たちはクリスチャンとして、この日々養ってくださる神様をどれほど信頼しているでしょうか。荒野で行く先が見えなくなった時、人間は今持っているものに目を向けて、大変だ、大変だ、どうしようと慌てます。しかし神様は私たちを覚えて、養ってくださるのです。これがクリスチャンの特権です。私たちがイエス・キリストを信じて、神様の子供となったその瞬間から、私たちは神様に養われるという特権を持つことになりました。罪の奴隷から解放してくださった神様が責任を持って、新しい御国にたどり着くまで、毎日養って連れていってくださると約束しておられるのです。この原則を信じて生きていくとき、私たちは主が今も生きて、働いておられることを体験することができます。この新しい一年が、振り返ったときに、「何も足りないものがなかった。神様がすべての必要を、必要な分だけ満たしてくださった」と、証することができるように、主を信頼して前進していきましょう。

今週の暗証聖句
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。マタイ6:26

その187 行き止まり

January 13 [Sun], 2019, 17:06
「行き止まり」 モーセの生涯F

出エジプト記14:8-14
14:8 【主】がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。しかしイスラエル人は臆することなく出て行った。
14:9 それでエジプトは彼らを追跡した。パロの戦車の馬も、騎兵も、軍勢も、ことごとく、バアル・ツェフォンの手前、ピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた。
14:10 パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、【主】に向かって叫んだ。
14:11 そしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。
14:12 私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」
14:13 それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる【主】の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
14:14 【主】があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」

いよいよイスラエルたちは、エジプトから完全に離れ、出発しようとします。しかし、何と主は、イスラエルの民たちを行き止まりと言えるような海辺へと導かれたのでした。

1、主は私たちを「行き止まり」に導かれることがある。 
イスラエルの人々は過越しの夜を通して完全な解放を受けることができました。奴隷ではなく、神の約束の民としての新しい一歩を歩みだしたのです。ところがどうでしょうか。彼らが導かれたのは行き止まりの海辺でした。しかも後ろからはエジプトの軍隊。彼らの恐怖、そして不満はよく分かります。
私たちもイエス様の十字架の血潮によって清められ、救われました。それはまさに奇跡であり、恵みです。しかしどうでしょうか。その後すぐ私たちは天国に行けるのでしょうか。いいえ違います。救われた後も、それまでと同じようにこの世で生きるのです。そして時には行き止まりに見えるところに導かれることがあります。「前を見ても、後ろを見ても、どこにも行くところがない。自分はもうおしまいだ。どうして神様はこんなところに自分を連れてきたのだろうか。」そのように思える、人生の八方塞を、体験することがあるかもしれないのです。

ここで覚えたいのは、信仰生活は決して平坦ではないし、すぐに成長して、目的地に入れるような楽なものではないということです。神様は私たちを愛し、そして愛されるがゆえに、教育、訓練を施されます。それが時には荒野を通らせ、海の岸辺に立たせ、後ろから敵に迫らせるような場面になるようなこともあるということです。その時私たちは、すべては神様の御手の中にあり、すべての解決が神様にあることを信じなくてはなりません。

2、神様が私たちを助ける。
14:13 それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる【主】の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
14:14 【主】があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」

私たち信仰者は時には行き止まりと見えるような場所に放り出され、前は大きな壁、後ろからは巨大な敵が迫ってきているような状況に陥ることがあるかもしれません。しかし主が、私たちのために戦われるのだと聖書は教えています。人間の目には不可能に見える状態、人間の目には八方塞で逃げることもできないような状況の中で、主が立ち上がられ、主が闘われ、主が勝利を収められる。これが聖書が繰り返し私たちに与えている約束です。

私たちに勝利を見させてくださる主に感謝を捧げましょう。私たちを苦しい状況から助け出してくださる主に感謝とまことを捧げましょう。私たち自身が優れているからではなく、私たち自身に力があるからではなく、主に全ての主権があり、あらゆる状況の中で、主が私たちを導かれ、訓練され、成長を促し、そして勝利を見させてくださるのです。このことを感謝して、主の勝利を高らかに宣言しようではありませんか。

今週の暗証聖句
「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」ロマ 9:33

その186 恵みの上に恵みを

January 06 [Sun], 2019, 11:26
恵みの上に恵みを

ヨハネ1:14-18
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
1:15 ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである』と私が言ったのは、この方のことです。」
1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
1:17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
私たちはみな、 この方の満ち満ちた豊かさの中から、 恵みの上にさらに恵みを受けたのである。

今年一年、私たちはこの御言葉を掲げて参ります。
ヨハネはキリストがどのような方で、私たちにとってどのような存在なのかを明らかにしています。

1、私たちはキリストの命を持っている。
 世にあるもの全てを創造されたキリストが、私たち人間のために、「ことば」としてこの地上に生まれてくださいました。命は全てこの方にあり、この方から生まれます。そして私たちはこの方と個人的関係(絆)を持つことができます。

12 しかし、 この方を受け入れた人々、 すなわち、 その名を信じた人々には、 神の子どもとされる特権をお与えになった。

キリストを信じるということは、すなわち、この方にある無限の命を、自分のものとすることです。それは単に心臓が動いているとか、肺で呼吸しているというものではありません。神様が持つ根源的な命と力を持つということです。この命は私たち人間がこの地上でなそうとする全ての領域において、無限の可能性を与えるものです。

 今年私たちは、このキリストの命を持つ者として歩んで参りましょう。私たちは、仕事、勉強、健康、人間関係など、色々なところで、課題を与えられています。困難のときもあるでしょう。しかし、キリストの命に与る者は大丈夫です。しっかりとキリストにつながり、無限の命を体験する一年としましょう。

2、私たちはさらに恵みを受けることができる。
 恵みとは、受ける資格もない者が、神様から無条件に好意を受け取ることです。私たちは、何の資格も能力もないのに、一方的に神様に愛され、赦され、命をいただきました。「恵みの上にさらに恵み」という言葉は、私たちがキリストの命を自分のものとし続けるならば、既に受けている恵みに留まることなく、さらに新しい恵みを体験することができることを教えています。

 今年も私たちは、キリストの命によって生かされている恵みを土台として生きましょう。人間の目から見てどんなに豊かに見えたとしても、キリストの命を持たない者は、やがては枯れて、消えてゆく存在にすぎません。しかしキリストの命を保つ者は、どんなに小さく、貧しく見えたとしても、内側から溢れ出る命の力によって、どんな状況の中でも神様の栄光を見ることができるのです。一人一人がキリストとしっかりつながり、この方から一方的に流れる命によって、恵みの上にさらに恵みを受ける年となりますように。

今週の暗証聖句
まことに、 私のいのちの日の限り、 いつくしみと恵みとが、 私を追って来るでしょう。 私は、 いつまでも、 【主】の家に住まいましょう。詩篇23:6