その183 神の霊によって

November 18 [Sun], 2018, 10:30
「神の霊によって」

ゼカリヤ書4:6
『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の【主】は仰せられる。

第二神殿の工事が色々な妨害にあって15年間中断させられました。そのような時に登場して人々を励まして、神殿完成に導いたのが、このゼカリヤという預言者でした。ですからこの御言葉は、直接的な意味で言うと「中断されている神殿再建を果たすのは、あなたたち人間の権力によるのではないよ。わたしの霊、神の霊によってできる」という意味なのです。

1、神の霊によってすべてが始まる。 
神殿の再建は神の霊によって始められました。でもそれだけではありません。すべてのことが神の霊によって始まりました。天地創造も、人間の創造も、キリストの誕生も、教会の誕生も、すべて神の霊によって始められたのです。
この日本で福音宣教を始められたのも聖霊です。今年再開拓40年となったこのめぐみ教会を始められたのも、神様の霊なのです。人から始まるのではありません。神の霊によって突き動かされた人によって福音が語られ、教会の働きが始まるのです。神の霊なしには何も生まれないし、始まらないのです。神は今この日本の諸教会にも、そして私たちクリスチャン一人ひとりの中にも、何かを始めようとしておられると信じましょう。私たちが、「聖霊様、どうかこの教会に、そして私のうちに、ご自身の業を始めてください」、と祈るのであれば、必ず神の霊が何かを始められるに違いありません。すべてを始められる神の霊を求めましょう。

2、神の霊はわたしたちと共におられる。
工事が中断し、途方に暮れている民たちに預言者は神が共におられるということを思い出させました。彼らはきっと状況の厳しさに挫けて、諦めていたのでしょう。しかしゼカリヤは「神が始めた働きから、神が離れるわけがない。私たちには神が共におられるのだ」と励ましたのです。
聖書は私たちがイエス様を信じたときから、神の霊が私たちのうちに入ってくださって、住んでくださるのだと証言しています。私たちは、神の霊といつもともにいることができます。自分にはできないことがあったとしても、神様にできないことはありません。ずっと一緒にいてくださる聖霊を頼りましょう。生涯を通して聖霊を呼び求め、聖霊に頼り、聖霊に導かれて歩むことを求めましょう。

3、神の霊が完成する。
神が始められた業ならば、それがどんなに人間の目には不可能なことであったとしても、神が完成してくださいます。あの神殿工事がストップしていたように、しばらく立ち止まって、動かないことがあったかもしれません。停滞して、にっちもさっちもいかなくて、途方に暮れていたことがあったかもしれません。でも聖霊が成し遂げてくださいます。
私たちの人生も、私たちの救いによって始まった信仰生活も、始められたのは神の霊ですから、必ず主の霊が完成させてくださいます。神がこれから私たち1人ひとりの人生に始められることを期待しましょう。神様が始められることは、最後まで神様が一緒にいてくださり、そして神様が責任を持って成し遂げてくださいます。

今週の暗証聖句
わたしはあなたに命じたではないか。 強くあれ。 雄々しくあれ。 恐れてはならない。 おののいてはならない。 あなたの神、 【主】が、 あなたの行く所どこにでも、 あなたとともにあるからである。 」ヨシュア記1章9節

その182 「過越し」の意味 モーセの生涯E

November 11 [Sun], 2018, 10:30
「過越しの意味」 モーセの生涯E

出エジプト記12:21-27
12:21 そこで、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び寄せて言った。「あなたがたの家族のために羊を、ためらうことなく、取り、過越のいけにえとしてほふりなさい。
12:22 ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。
12:23 【主】がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、【主】はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家に入って、打つことがないようにされる。
12:24 あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のためのおきてとして、永遠に守りなさい。
12:25 また、【主】が約束どおりに与えてくださる地に入るとき、あなたがたはこの儀式を守りなさい。
12:26 あなたがたの子どもたちが『この儀式はどういう意味ですか』と言ったとき、
12:27 あなたがたはこう答えなさい。『それは【主】への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ。』」すると民はひざまずいて、礼拝した。

1、小羊の血はキリストの十字架のモデル。 
このかもいと門柱に塗られた小羊の血はイスラエルの民にとってはわざわいから免れ、解放されるということを意味していました。モーセの命令通りに、一歳のきずのない雄の小羊を殺し、その血を塗った家は、主が「通り過ぎ」られました。つまり神様の罰を逃れることができたのです。そしてその後彼らを待っていたのは解放でした。彼らはついに、奴隷のくびきから抜け出し、約束の地へと向う旅を始めることができたのです。神様はこの出来事を決して忘れることのないように、儀式とし、年に一度記念して祝いなさいと命じられました。「あなただけではなく、あなたの子孫にも覚えさせなさい」と言うのです。何故でしょうか。それは将来、神の子イエス・キリストが、全人類のための過越しの小羊となるということを理解させるためでした。
イエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。マタイ26:1-2
イエスは、自らが、過越しの小羊として、十字架で血を流され、それが、罪の赦しと解放となることを知っておられたのです。小羊の血が家に塗られているのが目印になったように、私たちの心にイエス・キリストを信じる信仰があるのならば、イエスが十字架で流された血潮によって、私たちも裁かれません。これは、何千年も前から、神様が定められた人類の解放のご計画だったのです。

2、環境ではなく身分が変わる。
この「過越し」によって、イスラエルの民はエジプトを出ることができました。このことが教える意味は何でしょうか。彼らは奴隷でした。過酷な労働を強いられていました。将来に希望を持てませんでした。出エジプトはその苦役から解放されたことを意味します。しかし決して奴隷としての環境がなくなったというだけの意味ではありません。彼らは、エジプトの奴隷から「神の民」へと身分が変えられたのです。(厳密に言えばそのことに気づいたのです)。
 私たち現代に生きる者も、したいと思っていることが出来ず、したくないと思っていることをして、苦しんでいるのだとしたら、ある意味それは「奴隷」の状態です。住んでる場所や仕事を変えたとしても、根本的な苦しみから解放されなければ、人は幸せになることはできません。しかしキリストを信じる者は「神の子」とされます。この世での身分が全く変えられるのです。それは環境や状況に左右されません。どこにいて、何をしていたとしても、神の愛と護りがいつも一緒にあるということなのです。
今朝私たちは、単純に、イエス・キリストの血潮によってあがなわれていることを感謝しましょう。神様の御子の血潮は力強く、もう死の恐怖に怯えることはありません。神様に覚えられ、私たちに待っているのは永遠の命であり、永遠の解放です。そのことを感謝しましょう。

今週の暗証聖句
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。ヨハネ1:12