その181 不正の富で友をつくる

October 28 [Sun], 2018, 10:33
「不正の富で友をつくる」  イエスのたとえ35

ルカの福音書16:1-9
16:1 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
16:2 主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』
16:3 管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、こじきをするのは恥ずかしいし。
16:4 ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』
16:5 そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか。』と言うと、
16:6 その人は、『油百バテ。』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい。』と言った。
16:7 それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか。』と言うと、『小麦百コル。』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい。』と言った。
16:8 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
16:9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。

1、「不正」とは人間の目から見てということ。
パリサイ人や律法学者たちにとって、イエスが罪人や取税人と食事をすることは、「不正」なことでした。あってはならないこと、やってはならないことだったのです。しかしイエスは15章で3つのたとえを通して、神の目から見るならばそれは「不正」ではないと教えました。神は罪人である私たち人間を探し回り、帰ってくるのを待っていてくださる存在なのだと教えられたのです。その視点で見るならば、この使用人がこっそり主人に負債のある人の借金を減額するという行為は、人間(特にパリサイ人や律法学者)の目から見るならば「不正」なことだけれども、神はそうは見ておられないということを示唆しています。これは一体どういう意味でしょうか。

2、「不正」の富で友をつくるとは赦すこと。
 「人の借金を免除する」という行為は人を赦すことを示しています。パリサイ人や律法学者たちは、人々(特に社会的に罪人とみられている人たち)を「神がお許しにならない」と断じて、裁いていました。律法を守ることができないような人を赦して友となるという行為は、宗教家から見れば「不正」でした。しかしイエスは、神に見つけられ、神との関係を回復した弟子たち(クリスチャン)に、人の借金を免じて、つまり赦しがたい人を赦して友となるように教えられたのです。それが「不正」の富で友をつくるということです。神に裁かれて当然の私たちが、人を赦すことで、神に「抜け目なくやった」と認められるのだということです。
 聖書は私たちが人を赦すことと、神に赦されることに密接に関連があると繰り返し教えています。人を赦すなら、神に赦され、同時に神に赦された者は、人を赦すのです。人に対する恨みや怒りを捨てて自由を手にいれ、友をつくりましょう。やがてその友と天国で再会するでしょう。天国はそのように、ふさわしくないのに赦された者たちがいくところなのです。

3.最大の「不正」は十字架。
 神は私たちを赦すために、御子イエスを十字架につけるということをされました。これは、人間の目から見れば理解できないことであり、あってはならない「不正」なことです。しかし神はあえてこのような形で、私たち人間に救いの道を切り開いてくださったのです。そして信じる者たちを友としてくださいました。

ヨハネ15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

私たちも赦された者、キリストの友として、周りの人たちをみていきましょう。神様や自分に対して負債のある人を、免じることによって、友をつくり、ともに天の御国にまいりましょう。

今週の暗証聖句
また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。マルコ11:25

その180 世界に伝えよう イエスの福音

October 14 [Sun], 2018, 17:53
世界に伝えよう イエスの福音

マタイ28:18-20
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

世界宣教は、すべてのクリスチャンが関わらなければならない使命です。

1、神の命令だから。
「あらゆる国の人々を弟子としなさい」マタイ20:19
 
 神様の目は地上のすべての国の人々に向けられています。肌の色、言葉、文化にかかわらず、すべての人は皆神の愛によって命が与えられ、生かされています。神様の目から見て愛される資格のない人はひとりもいません。しかし罪が、すべての人の神様との関係を破壊し、苦しみの原因となっています。神様は愛する人々を救い、良い関係を回復されるために、御子を地上に送り、十字架にかけられる罰を負わせました。そしてイエスは三日目によみがえられました。この歴史的事実を信じると告白した人のなかに、神の霊が注がれ、もう一度、私たちは神様の子としての身分をとりもどすことができるのです。今も神様はすべての人を愛し、招こうとしておられるのです。この世界の歴史はいつか終わりますが、新しい世では、すべての国の人々が一つとなって、神様に賛美を捧げます。一人でも多くの人がその場に参加できるように、神様は私たちを用いて、この良き知らせを伝えたいと願っておられます。

2、私たちも誰かに伝えられたから。
 誰かが教えてくれない限り、イエスを知ることはできません。ここにいるクリスチャンすべてが、何らかの形で、誰かに伝えられ、誘われ、聞かされたからこそ、イエスに出会い、イエスを信じる信仰を持つことができたのです。教会の歴史を見るときに、実に多くの人が宣教師として海を渡り、想像を絶する苦闘をしながら、この良い知らせを伝えてきました。今世界中に教会が存在するのは、見知らぬ土地に住む人に、イエス様を伝えようとする熱い信仰と情熱を持った人々が生きてきた証です。次は私たちがこの使命と責任を担わなければなりません。

3、私たちもできることがある。
 「世界宣教」というと、「私にはとても無理だ」と尻込みしてしまうかもしれませんが、私たちにできる「世界宣教」があります。

@ 祈る。
 私たちは海外で働く宣教師たちを覚えて祈りのサポートをすることができます。

A 捧げる。
私たちは宣教師や海外の教会のためにも捧げることができます。

B 国際教会を建てあげる。
 私たちは東京にいても世界宣教をすることができます。世界中のどんな人でも受け入れる教会を建てあげることによって、福音を分かち合うことができるのです。
 一人ひとりが神様から与えられた尊い使命を全うできるように、できることをしていきましょう。

今週の暗証聖句
私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ。 1コリント9:16

その179 遣わされる モーセの生涯D

October 07 [Sun], 2018, 15:25
遣わされる モーセの生涯D

出エジプト7:1-7
7:1 【主】はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。
7:2 あなたはわたしの命じることを、みな、告げなければならない。あなたの兄アロンはパロに、イスラエル人をその国から出て行かせるようにと告げなければならない。
7:3 わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行おう。
7:4 パロがあなたがたの言うことを聞き入れないなら、わたしは、手をエジプトの上に置き、大きなさばきによって、わたしの集団、わたしの民イスラエル人をエジプトの地から連れ出す。
7:5 わたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエル人を彼らの真ん中から連れ出すとき、エジプトはわたしが【主】であることを知るようになる。」
7:6 そこでモーセとアロンはそうした。【主】が彼らに命じられたとおりにした。
7:7 彼らがパロに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。

1、遣わされる者は神のことばを語る。
「あなたはわたしの命じることを、みな、告げなければならない。」 2節

 これは神様のモーセに対する命令でした。前の6章で2回に渡って「パロのところに行って告げよ」と言われ、その度にモーセは「私は口下手です」と神に申し上げるのですが、この7章の冒頭でもう一度モーセに命じているのです。その後を読んでみますと、実際に語るのはモーセではなく兄のアロンです。神様はアロンを立てて、モーセの代わりにパロに向かって語る人としました。しかし、主はあくまでも神の御心を語るのはモーセだと言われたのです。神様が行って語れと言われたことは、何としても語らなければならない。神様は厳かに命じておられます。
 
 聖書が一貫して教えていることは、神様がご自身の働きを進められるときには、必ず人を見出し、その人を遣わすということです。何でもできる全知全能の神は、あえて弱い人間を選び、遣わし、ご自身の言葉を語らせようとなさるのです。この神様のやり方は、今も変わっていません。この21世紀の世界にあっても、神様は同じように人を選び、人にご自身の言葉を語るように励まし、世界に送り出されます。そしてそのために聖霊を与えられると約束されているのです。私たちには準備ができているでしょうか。職場や、家庭や、地域社会で神様の言葉を語る、神様が生きて働いておられることを証言する準備が整っているでしょうか。おそらく誰も、「はい、できています」と答えることのできる人はいないでしょう。皆色々と理由をあげて「私にはできません。私には無理です。もっと他にふさわしい人がいるでしょう」とモーセのように言い訳をするようになるでしょう。しかし神様はあのエジプトで苦しむイスラエルの人々のように、罪の奴隷となり、希望を見出せない人たちを解放するために、私たちクリスチャン一人一人を遣わそうとしておられるのです。「あなたを遣わす」と言われる神様の声に耳を傾けましょう。聖霊の力によって力強い証人となることを求めていきましょう。

2、神の目的は全ての人が神のもとに帰ること。
「エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」5節

 これが神様の御業の目的です。神様はイスラエルだけを救うことを目的とされていたのではなく、イスラエルを通して、全世界がご自身を知ることを計画されていたのです。このことを忘れて自分の救いだけで満足したり、ただ奇跡やしるしを見ることだけを求めたりすることは、神様の本質を見失うことになります。神様の願いは人々を驚かせたり、怖がらせたりすることではなく、ご自身が生きて、働いておられる神であることを教え、世界の全ての民が、創造主である神の元に帰ることです。

 ここに私たちクリスチャン、そして教会の存在理由があります。神様の願いは私たちだけが天国に行くことではなく、私たちを通して、御業を表され、全ての人がこの聖書が証言している神様を知ることです。神の光を輝かせる信仰者となりましょう。

今週の暗証聖句
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」マルコ16章15節