その178 神の愛

September 30 [Sun], 2018, 10:35
神の愛 

1ヨハネ4:7-12
4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

1、神とはどういうお方か。
神様は愛を持っていると書いているのではなく、神様は愛そのものなのだというのです。愛こそ神様のご性質を表すのに最もふさわしい言葉です。

@私たちは神の愛によってデザインされた。
もし神がおられないのだとしたら、私たちは皆偶然に生まれてきた、偶然の産物です。偶然でスタートした人生に、何か立派なゴールなどが存在するでしょうか。私たちは神によって、そして神のために造られました。このことが理解できるまで、人生は決して意味を持ちません。

A人間は愛を必要としている。
私たちは神の愛によって生まれて来たので、生まれながらにして、愛を必要として生きています。実は人を本当の意味で生かすのは、食べ物や着るものだけではなくて、愛なのです。愛には人を生かす不思議な力があるのです。

2、愛とは何か。
神様が御子イエス・キリストをこの地に送ってくださった。それは私たち人間が、罪という神様の愛から離れ、神様の愛を失って生きていく苦しみから救うために、十字架で身代わりの罰を受けさせることによって、信じる者すべてに永遠の命を与えようとされた。これが神様が示してくださった究極の愛であり、ここに神の愛があるのだと、聖書は教えています。教会にあるこの十字架は、単なる飾り物ではなくて、御子イエス・キリストを苦しみの中で、死なせてでも、人間たちを救いたい、守りたいという神様の愛の象徴なのです。

@愛とは行動すること。
神様はただ漠然と、心の中だけで、私たちを愛しているわけではありません。御子イエス様をこの地に送り、私たちの罪の身代わりとなって十字架に付けるほど私たち人間を愛された。具体的に行動してくださった。それが神様が私たちを愛しておられるということなのだと聖書は教えています。

A愛するとは時間を共有すること。
神様は一貫してご自身の愛する者たちと共に生きる、時間を共有することを大切にされています。もしあなたに愛する人がいるのなら、その人と時間を共有しなければなりません。

B愛するとは犠牲を払うこと。
言い換えれば痛みが伴うということです。これこそが愛するということの究極的な意味です。先ほど読みました一つ一つの聖書の言葉が、このことを教えています。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

3、私たちは何をしなければならないか。
私たちは互いに愛し合わなければならない。
行動する愛、共有する愛、そして犠牲を払う愛を、互いに生活の中で実践していきましょう。

今週の暗証聖句
もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。
ヨハネ13:35

その177 人生のパラダイムシフトB

September 16 [Sun], 2018, 10:27
「人生のパラダイムシフトB」

士師記6:11-16
6:11 さて【主】の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。
6:12 【主】の使いが彼に現れて言った。「勇士よ。【主】があなたといっしょにおられる。」
6:13 ギデオンはその御使いに言った。「ああ、主よ。もし【主】が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『【主】は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか。今、【主】は私たちを捨てて、ミデヤン人の手に渡されました。」
6:14 すると、【主】は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
6:15 ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」
6:16 【主】はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」

私たちが変えるべき三つ目のパラダイムは「自分は持っていない」です。多くの人が「お金があれば…、家があれば…でも私は持っていない…」と言う考えに捉われています。もう一つは「私は強くなければならない」です。聖書は明らかにこの間違ったレンズを取り外しなさいと命令しているのです。

1、神様の視点で自分をみる。
聖書が私たちに教えていることは、神様は私たちと違う視点で、私たちを見ておられるということです。ギデオンは「自分には人々が一目置くような血統がない。人の上に立てるような経験もないし、年齢でもない。自分は何も持っていない」と主張しました。しかし神様は敵を恐れて、穴の中にいるようなちっぽけな若者、ギデオンを「勇士」と呼ばれたのです。
私たちが自分の目で自分を見る姿と、神様が私たちを見る目は全く違うのです。私たちは自分を見ていつも「自分はあれを持っていない。これを持っていない。あれがあれば、これがあれば。」そのような思いに駆られる存在です。しかし神様は私たちを全く違ったように見ておられ、私たちに近づき、「あなたは勇士だ」と宣言することのできるお方なのです。神様に豊かに用いられるクリスチャン生活を送るために、まず自分自身に注目し過ぎることをやめて、ありのままを愛してくださる神様に目を向けましょう。自分は持っていない、という欠乏感ではなくて、自分は主にあって豊かにされていることを覚えましょう。

2、神様は人間の弱さに働かれる。
ギデオンが「一体この現状は何でしょうか。どうしてこんなことになっているのですか。私たちはあなたに捨てられてミデヤン人の手に渡されています」と言ったその言葉に対して、天使は「今あなたが言ったその力で、行きなさい」と言われました。
 私たち人間は強さを求めます。人から弱いやつと思われるよりも、強いと認められたいという意識が働きます。しかし一方で、人は皆弱さを持っています。大切なことは、私たちがこの弱さをどのように捉えるかということです。見かけだけ取り繕って、強がる人を神様は助けることをなさいません。むしろ自分の弱さを認め、「自分にはできない、でも神様にはできる」と信じる人に、偉大な力を与えられるのです。
神様は人間の弱さを強さに変えてくださるのです。ギデオンの弱さはその低いセルフイメージと自信のなさにありましたが、主は彼を勇士と呼び、そして文字通り勇士へと変えてくださいました。
今自分の弱さを嘆いておられる方はその弱さが、強さに変えられるのです。自分の力に頼らずに、神の力に100%頼る人こそ真の勇士です。自分の強さを誇る、自分の力に頼る、という世の中のパラダイムから解放されて、自分の弱さを誇り、神の力に頼るというパラダイムを持ちましょう。私たちが「足りない、足りない」「自分は弱い、弱い」と嘆くことをやめて、偉大な主に信頼して一歩を踏み出す時に、私たちの周りの世界が変わっていくことを信じましょう。自分が聖霊によって変えられていくならば、自分の周りにも変化が起ることを期待しましょう。

今週の暗証聖句
私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。 ピリピ4:19

その176 人生のパラダイムシフトA

September 02 [Sun], 2018, 10:30
「人生のパラダイムシフトA」

ルカ10:38-42
10:38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
10:39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
10:40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
10:41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
10:42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

私たちが変えるべき二つ目のパラダイムは「他の人が自分の期待したとおりに動いてくれない」という考え方です。この問題は私たちの生活の中で、至るところに現れるものではないかと思います。「子供が思ったように育ってくれない」「夫が思ったとおりに自分にしてくれない」など、私たちの苦しみの原因となることが多いのではないでしょうか。

1、問題は自分の心にある。
イエス様はここで、マルタに劇的なパラダイムシフトを迫ります。「あなたが問題と思っていることはマリヤの問題ではありません。これはあなた自身の問題です。あなたの心が今多くのことに奪われて、思い煩っているのです。」「他の人が期待したとおりに動いてくれない」という問題を「自分の心の問題」へと見方を変えるように言われたのです。このストーリーは決して一生懸命接待をしていたマルタは良くない、あるいは劣った人で、一生懸命イエス様の話を聞いていたマリヤは良い、あるいは優れている人と教えているのではありません。イエス様が問題にされたのは「あなたの心は今どこにあるのか」ということです。マルタも自分の責任を果たそうと一生懸命に頑張っていた。でも不安や心配、怒り、憤りに心を占められると、せっかくのがんばりが報われないことになりやすいものです。そんな気持ちになったら、とにかく私のもとに来なさい、私の言うことを聞きなさい、それを何よりも一番にしなさい、といわれたのでした。

2、緊急のことより重要なこと。
私たちの行動を強く促すものは大きく分けて2種類に分けられます。緊急のことか、重要なことか。勿論緊急で重要なことをするのが1番良いのでしょうが、残念ながら私たち現代人は重要なことではなくて、緊急のことに追いまくられて生きているというのが実情ではないでしょうか。もっと悪いことは、自分の人生にとって重要なことは何かさえ分からないことです。
あなたを今動かしているのは緊急のことでしょうか。重要なことでしょうか。あなたの心を支配しているのはマルタのような緊急事項でしょうか、それともマリヤのように重要事項でしょうか。私たちクリスチャンの特権は人生の重要なことに焦点を当てた生き方ができるということです。イエス様が心の中心におられるなら、私たちは何があっても動じることはありません。

3、他の人のために。
イエス様がその後マルタに教えられたことは、「人が何を必要としているのか考えてみなさい」ということでした。「マリヤは良いほうを選んだ。それを取り上げてはいけません。」イエス様の教えは「この人が何もしてくれない。」という心から「この人に何が必要なのだろうか」という発想にチェンジしてみなさい、ということです。相手を自分の思ったとおりに動かそうと思っているうちは、間違ったシグナルが出て、物事は良い方向には進みません。でもこの人に必要なものは何だろうというレンズで物事を見るようになった時に、正しい、相手を生かすシグナルが出るようになり、物事が変わり始めるのです。

今週の暗証聖句
私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。           ロマ15:2