その173 約束を守る神 モーセC

July 22 [Sun], 2018, 10:30
約束を守る神 モーセの生涯C
 
出エジプト6:1-8


6:1 それで【主】はモーセに仰せられた。「わたしがパロにしようとしていることは、今にあなたにわかる。すなわち強い手で、彼は彼らを出て行かせる。強い手で、彼はその国から彼らを追い出してしまう。」
6:2 神はモーセに告げて仰せられた。「わたしは【主】である。
6:3 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神として現れたが、【主】という名では、わたしを彼らに知らせなかった。
6:4 またわたしは、カナンの地、すなわち彼らがとどまった在住の地を彼らに与えるという契約を彼らに立てた。
6:5 今わたしは、エジプトが奴隷としているイスラエル人の嘆きを聞いて、わたしの契約を思い起こした。
6:6 それゆえ、イスラエル人に言え。わたしは【主】である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出し、労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う。
6:7 わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、【主】であり、あなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出す者であることを知るようになる。
6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地に、あなたがたを連れて行き、それをあなたがたの所有として与える。わたしは【主】である。」    

 神様からの召しを受けたモーセは神様の言われたとおり、兄のアロンとともに、エジプトの王の前に出ます。しかし結果は散々でした。王からはきっぱりと拒絶され、そればかりか、イスラエルの民たちの労働は、かえって過酷なものとなってしまいました。「お前のせいでこんなに苦しくなった」と、仲間からも恨まれる始末です。そのようななかでモーセは5章の最後で「どうしてこうなってしまったのですか」と神様に訴えます。その祈りに対する神様の答がこの6章の冒頭の言葉です。

1、答えてくださる神さま。
1節 わたしがパロにしようとしていることは、今にあなたにわかる。すなわち強い手で、彼は彼らを出て行かせる。強い手で、彼はその国から彼らを追い出してしまう。

ここで特に「今にあなたにわかる」という言葉に注目しましょう。実際私たちの人生には分からないこと、理解できないことが多々起こります。「どうしてあんなことになってしまったのだろうか。」「どうしてこんなことが起こってしまったのだろうか。」考えてもすぐには分からないことが、私たちの信仰生活には起こるのです。「今は分からない、でも後で分かるようになる。」このことを信じて受け入れるかどうかが、私たちの信仰生活の分かれ道になるのです。モーセもきっと納得がいかなかったに違いありません。「あなたに言われたとおりにやったのに状況はもっと悪くなりました。主よ、どうしてですか」と。彼の心は失望と不安と疑問だらけだったでしょう。しかし神様はそれに対して「今にあなたに分かる」と答えられたのです。必ずあの頑ななエジプトの王、パロは自分からイスラエルの人々に出て行ってくれと言うときが来ると宣言されたのです。私たちもこの神様を信じて、今たとえ、理解できない苦しみ、試練に遭っていたとしても、神様が今に分からせてくださる。「あああの苦しみにはこういう意味があったのだ。あああの挫折は、このような祝福のためにあったのだ。やはり神様はすべてをご存知で、最善をなしてくださる神さまだった」と後で、分かって納得できる日が来るでしょう。このことを信じて従っていきましょう。

2、約束を守ってくださる神。
6:5 今わたしは、エジプトが奴隷としているイスラエル人の嘆きを聞いて、わたしの契約を思い起こした。
6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地に、あなたがたを連れて行き、それをあなたがたの所有として与える。わたしは【主】である。」

 神様は400年以上も前に交わしたアブラハム、イサク、ヤコブとの約束のことをここに表され、彼らと約束した地に、あなたがたを連れて行くのだと宣言されたのです。アブラハムと約束したのは、もう何百年も昔の話です。何世代も前の話であり、人間の感覚としては無かったことにしてもよいような話だったかもしれません。しかし神様はその約束を覚えておられ、必ずそれを果たすと宣言されたのです。私たち人間は簡単に約束を反故にします。しかし神様は約束を変えることはなさらないし、状況がどうであっても、約束を実現される神様なのです。
この聖書を通して、神様は「世の終わりまで一緒にいる」「罪を赦す」「天国に迎える」「すべてを満たす」など、実に多くのことを私たちクリスチャンに約束してくださっています。そして神様のほうからはその約束を無効にしないと言ってくださっています。私たちのほうがその約束を捨てたり、裏切ったりすることはあっても、神様は約束を守られる神です。そのことを今朝も思い出して、神様の約束を捨てるようなことはしないという誓いを新たにしようではありませんか。

今週の暗証聖句
私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。2テモ2:13

その172 私は信じるF

July 15 [Sun], 2018, 15:04
私は信じるF 使徒信条シリーズ

ローマ3:22-24
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

「我は・・・罪の赦し、体のよみがえり、とこしえの命を信ず。 アーメン」

1、私たちの罪は赦された。
ここに罪という言葉が初めてこの信仰告白に出てくるのですが、この罪の問題を抜きにして、キリスト教信仰はありえません。自分のなかにある罪を認めない者は、神を認めないことと同じです。自分が罪人であることを認めない人は、救いが必要であることを知りません。逆に言えば、自分がどうしようもない罪人であるということを知っている人が、神を求め、救いを受取ることができるのです。これが神様が用意してくださっている救いの条件です。
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。ロマ3:24
自分には何の価値もないのに、自分はあれもした、これもできたという資格さえないのに、すべてを知っておられる神様から、お前は義しいと言ってもらえる方法があるのです。神様がその方法を私たちのために用意してくださったのです。それが御子イエス・キリストを十字架につけるということでした。
この朝も感謝しましょう。罪赦された者として、感謝の歩みをしていきましょう。

2、私たちの体がよみがえる。
ある方は、私たちは死んだら、ずっと霊だけになって、何か意識はあるけど、肉体は持っていない、そんな存在になると思っていますが、聖書が教えているのは、そうではなく、イエス様が再臨されるときに、信じて召された者たちは皆、肉体が与えられる。体をもってよみがえるということであります。これはとても重要で、何故重要かというと、イエス様がよみがえられたときにどうだったかと言う極めて重要な信仰も含まれているからです。イエス様は十字架につけられて三日目に霊だけがよみがえったのでしょうか。弟子たちが見たのは霊の姿だったのでしょうか。いいえ。肉体を持ってです。
イエス様と同じように、私たちも体がよみがえります。素晴らしい望みです。この望みをいただいて、信仰の道を走り抜きましょう。

3、私たちは永遠のいのちを持つ。
幾多の英雄たちが、捜し求めて止むことのなかった永遠のいのち。それを私たちクリスチャンが受取っているのです。

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ6:23

永遠のいのち。天国。私たちにはこの望みがあります。どんなに長生きしても、死んだらその先どうなって、どこに行くのか知らないならば、楽しみも半減するのではないでしょうか。半減どころではないかもしれません。でも、「いつ死んでも天国がある」。そう思って生きて生ける人は何と幸いでしょうか。

最後の言葉、アーメンは。ヘブル語で信じます。という意味です。信仰を告白した後、信仰者はもう一度、「今告白したことすべてを信じます」と告白するのです。
私たちも最後にアーメンと言って終わりましょう。

今週の暗証聖句
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。ロマ3:24

その171 私は信じるE

July 08 [Sun], 2018, 3:09
私は信じるE 使徒信条シリーズ

マタイ16:15-19
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
16:17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
16:19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」

「我は・・・聖なる公同の教会、聖徒の交わり・・・を信ず」

1、クリスチャンは所属するために救われた。
イエス・キリストを救い主と信じるクリスチャンは、それで完成されるのではなく、教会というものに所属するために救われているのです。言い方を変えれば、私たちはただイエス・キリストを信じるというだけでなく、所属するように召されています。
何故神様は、この地に教会を用意されたのでしょうか。
それは、私たちは1人では生きていくことができないからです。そして私たちクリスチャンに、兄弟姉妹と呼びあうことのできる神の家族を与えてくださったのです。

こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
エペソ2:19

神様は私たちに信仰によって、新しい命を与えてくださっただけでなく、育ててくれる霊の親、一緒に育ってゆく兄弟、姉妹、そしていつかは自分が育てるべき霊の子どもたちをも与えてくださいます。それが神の家族としての教会です。
さらに教会に所属することはイエス様の働きをすることになります。
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。1コリント12:27
イエス様の働きをなすために、教会を信じ、教会に所属し、教会を愛し、教会に仕えましょう。そうすることによって、私たちは本当の生き甲斐、喜び、生きる目的を見出すことができます。

2、クリスチャンの交わりに神の力が現される。
クリスチャンというのは、黙って教会に来て、黙って礼拝を捧げて、そして誰とも話さずに教会を後にしていれば良いというのではなくて、言い換えれば、自分1人が神様と繋がっていれば良いということではなくて、周りにいて、一緒にキリストを信じるクリスチャンとの繋がりも同じように大切なのですよということのようです。
クリスチャンの交わりには、確実にイエス様が臨在されるということです。これはイエス様の約束です。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。マタイ18:20
2人以上の信者が集まるところには、必ずイエス様が一緒にいてくださいます。私たちはまずこの偉大な約束を信じなければなりません。
次にクリスチャンの交わりのなかで、私たちは霊的に成長します。
最後に聖徒の交わりは伝道となります。本来クリスチャン同士が集まるところには、人が引き付けられるものです。
私たちが互いに交わりを持ち、この世の愛ではなく、聖書が教える愛によって、愛し合う姿を見せるのであれば、世界の人は「ああ彼らこそ神を知っている。イエス・キリストを信じるクリスチャンだ」と認めるのです。多くの人が引き付けられる教会となりましょう。

今週の暗証聖句
もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。ヨハネ13:35