その170 本当の勝利

June 17 [Sun], 2018, 10:35
「本当の勝利」

ルカ19:1-10
19:1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。
19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
19:7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。
19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

誰もが、自分が生きている意味、意義を知りたい。人に受け入れられ、感謝されるような人生を送りたいと願っています。しかし実際は、世界中の多くの人たちが、満たされない思いで毎日を過ごしています。皆の根本的な問題は生活の表面の問題ではなく、「誰も自分を理解してくれない」という孤独から来ています。

1、手っ取り早く勝つ方法=お金?
ザアカイは取税人のかしらで金持ちでした。彼の集める税金は、ユダヤの為ではなく、ローマ帝国のものでした。だから同胞に嫌われて当然です。どうしてわざわざこんな人に嫌われる職業を選んだのでしょうか?もしかしたら「お金を稼いで人を見返してやりたい、認められたい」という気持ちがそうさせたのかもしれません。彼は望みどおりに、だんだん金持ちになっていきました。だけどだれ一人として彼に暖かい言葉をかけてくれる人はいませんでした。お金を貯めても、いや金持ちになればなるほど、彼は孤独になっていきました。
私たちも同じです。望んだようになれば、幸せが手に入るかというとそうではありません。どれほど多くの財産があっても、大きな家があっても、高い地位を得ても、心のなかに人に対する憎しみや妬みがあるならば、その人は本当の意味で幸せを実感することはできません。

2、素直になれるとき=キリストとの出会い
そんなザアカイの街に、イエスという人が来るといううわさが広まりました。彼はイエスを一目見たいと思い、木に登りました。しかしイエスはまっすぐに彼のところに来て、「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今晩あなたのところに泊まるから」と言うのです。ザアカイにとっては今まで一度も聞いたこともないような暖かい言葉でした。何故なら彼に今まで一度でも急いできなさいなどと言ってくれる人はいなかったのですから。ザアカイはイェス様に「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」と言いました。失われていた心の穴が、神の子イエス・キリストによって埋まり、もう自分を外側から取り繕う必要がなくなったのです。
私たちもキリストに出会うなら、もう自分を強く見せたり、大きく見せたりする必要はありません。ありのままの姿で、素直になることができるのです。これが本当の幸せです。

3、本当の勝利=キリストと一緒に生きる。 
ザアカイは完全に方向転換しました。こういうことを「悔い改め」と言います。何も言われないのに「不正な分は償います。四倍にして返します」と言っています。今まで自分を守るのに必死だったのに、もうその必要がなくなりました。ザアカイはこの時初めて本当の人生の勝利とはなにかを知ることができました。人生の勝利とは、人より多くのものを持つことではなくて、人より高いところに立つことではなくて、ただ、イェス・キリストに出合い、この方を人生の主として、人生の友として、一緒に歩いてゆくことなのだということです。
本当の生甲斐、本当の生きる喜び、本当の人生の勝利を得たいのなら、このイェス様に出会って下さい。

今週の暗証聖句
「あなたがたはこの世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」 
 ヨハネ16:33

その169 私は信じるD

June 10 [Sun], 2018, 16:34
私は信じるD 

ヨハネ16:7-15
16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
16:9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
16:10 また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
16:11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
16:12 わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。
16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
16:14 御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
16:15 父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。

「我は聖霊を信ず」

1、聖霊は神である。
キリスト教には、三位一体という言葉があります。この使徒信条でも順番に出てきますが、父なる神、子なる神、キリスト。そしてこの聖霊なる神が、それぞれの位格を持ちながらも、一人の神として存在しておられるという教理です。キリスト教の中心的教えであり、この三位一体の神を信じるかどうかが、正統信仰と異端を区別する基準の一つとなっています。聖霊なる神は、知性を持たれ、感情を持たれる人格的な神様です。
私はこの教会が何よりも、この聖霊に喜ばれる教会。聖霊が訪れてくださる教会。聖霊が満ちてくださる教会。聖霊が働いてくださる教会であって欲しいと願っています。もうそれが私のたった一つと言ってもよい願いです。
イエス様が約束されたもう1人の助け主を信じて、認めて、求めるべきです。聖霊という神を信じましょう。

2、聖霊は私たちに内住される。
内住とは読んで字のごとく、うちに住んでくださる。生きてくださるということです。私たちがイエス様を信じて、告白した瞬間。イエス様の霊である聖霊が、私たちのうちに住んでくださるのです。
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。1コリ3:16
聖霊はあなたの中にあっていつも一緒にあなたと歩んでくださるのです。あなたが一人ぼっちのように感じる時にも、決してあなたから離れない。あなたを見捨てない。繰り返しますが、悪魔は何とかして私たちを騙し、私たちが神から離れ、見捨てられた存在であると思い込ませようとします。しかしどうか忘れないでください。
神の霊は今もあなたのうちにいます。

3、聖霊は私たちに力を与える。
神様は私たちが弱い生き物であることをよくご存知です。ですから聖霊なる神は、私たちに力を与えてくださるのです。具体的にどのような力でしょうか。
@ 神を知る力 
A 祈る力
B 証する力
大切なことは、聖霊を求めて祈ることです。
「クリスチャンではあるけれど・・・」喜びが感じられない。自由が感じられない。何よりも私の信仰には力がない。そのような方は特にご一緒に祈りましょう。イエス様が約束してくださった、生ける水の川が心の奥底からあふれ出るような体験を求めようではありませんか。そうするならば、私たちの内側から、喜びが溢れ、感謝が溢れ、自由とされ、そしてどんなに大きな苦しみがやってきたのとしても、力強い信仰生活をおくることができるようになります。聖霊を求めましょう。注ぎを受けましょう。満たしを願って祈りましょう。

今週の暗証聖句
とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。
ルカ11:13

その168 私は信じるC

June 03 [Sun], 2018, 16:31
私は信じるC 

使徒1:9-11
1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
1:10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
「主は・・・三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死にたる者とを審きたまわん。」

1、キリストの復活は私たちに勝利を約束している。
勝利というと、私たちは何を思い浮かべるでしょうか。試合に勝つ。受験に勝つ。出世競争に勝つ。人それぞれ、色々な人生の勝利があることでしょう。しかし聖書が言っている勝利とは、ずばり、罪とその結果である死に対する勝利です。
最初の人アダムの不従順によって、罪というものが人類に入り込みました。その罪と死に対して、神様は御子イエス・キリストを通して、私たちに勝利を与えてくださったのです。
聖書は明確に、イエス・キリストが死の力を打ち破って、よみがえったのは、ご自身だけではなく、彼を信じる者すべてが、よみがえりの命を持つためであると証言しています。キリストを信じる者は、かならず永遠の命を持つのです。

2、キリストは私たちのためにとりなしておられる。
聖書によると、イエス・キリストは復活された後40日間弟子たちと過ごされ、数々のことを教え、多くの人の見ている前で天に昇られました。
では、今イエス様は神様の右の席で何をされているのでしょうか。それがとりなしです。人間の側に立ってくださり、義なる神様に対して、人間の赦しを願い、人間のために祈り、人間を愛を持って見てくださっている、それがイエス・キリストです。
この人生を、私たちをいつも見てくださり、心配してくださり、守ってくださるイエス様と一緒に歩んでいきましょう。

3、キリストは私たちに希望を与えた。
よみがえられ、天に昇られ、神の右の座に座っておられるイエス様は、やがて再び、この地に帰ってくださる。これを再臨と言います。キリスト教の歴史観、世界観はまさに、始まりがあるのなら、終わりがある。始まりを作ったのが神様ならば、その終わりを定められるのも神様であるという信仰から成り立っています。またどうして世界に悪があるのか。理不尽なことが起こるのかという悩みに対して、例え今それが赦されているとしても、神様は必ず最後の最後に、清算してくださる。悪い者も良い者も、死んでしまった者も、生きている者も、皆裁きの座に立たされ、その行いに従って裁かれる時が来るというのが、教会の歴史観、世界観です。その裁きをなされる方がイエス・キリストです。
これが私たちの希望です。私たちの信仰が必ず報われるときがきます。イエス・キリストの復活と再臨は、ここにいるすべての人のためにあります。彼を信じるなら、素晴らしい人生が待っています。


今週の暗証聖句
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。ピリピ3:20