その167 私は信じるB

May 27 [Sun], 2018, 10:30
私は信じるB 
使徒信条シリーズ

ローマ6:5-8
6:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
6:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。

「主は・・・ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに降り・・・」

1、キリストの十字架は歴史的事実である。
聖書や使徒の告白におけるこのポンテオ・ピラトの存在が、私たちが信じるイエス・キリストという人物が、歴史上確かに存在された方であり、その十字架という出来事も、確かな歴史的な事実であることを表しています。
歴史という言葉は英語でHistoryですが、まさに歴史はHis Story、彼の物語、神の物語であります。天地万物を創造された神は、アブラハムの子孫を通して、イスラエルの歴史を通して、そしてイエス・キリストの十字架の苦しみと復活を通して、歴史の中にご自身を表され、この人類の歴史に神が存在し、働いておられることを表されているのです。

2、キリストの十字架は神の愛を表している
十字架刑という刑は、人間を生きたまま釘付けにして、場合によっては何日間もさらしものにして、弱らせて、殺していくという人類の歴史のなかで、もっとも惨たらしい処刑方法だと言われています。
こんな残酷な処刑道具が、どうして神様の愛の象徴なのかと思うのも無理はありません。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16

イエス様は我々を救うため、黙々と十字架へ向かって歩まれました。私たちを苦しみから解放するために。私たちに神の愛を示すために。イエス・キリストが十字架に架けられたのは決して偶然ではなく、不幸にしてでもなく、失敗でもありません。イエス様はこれを神様のご計画として、はっきりと自覚された上で、十字架への道を歩まれたのです。

3、キリストの十字架は私たちのために救いの道を開いた。
黄泉は闇の世界であり、死の世界です。そこは闇が支配しています。
死は人の心に悲しみと絶望を与えます。誰でも愛する人と死によって分かれなければなりませんし、また、自分自身もいつかは死ぬということを考えると希望を失います。
イエス様は死なれた後、この死の世界まで降ってゆかれました。そして、来週見ますが、その後三日目によみがえられました。これによって、死の力が破られ、闇の力が圧倒され、罪の力が打ちのめされました。私たちに救いの道が開かれたのです。
イエス様の十字架が自分の罪のためであったと信じて、イエス様は自分の人生の主ですと告白して、洗礼を受けるのならば、信じる人も、キリストと一緒に十字架につけられたことになるのです。そして、キリストが黄泉に降って、よみがえられたので、私たちにも、罪の呪い、死の支配、悪の力に対する圧倒的な勝利が約束されているのです

今週の暗証聖句
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。ローマ8:37

その166 私は信じるA

May 13 [Sun], 2018, 10:30
私は信じるA 
使徒信条シリーズ

コロサイ1:13-6
1:13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。
1:14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。
1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。
1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

使徒信条の7割を占めるイエス・キリストに関する告白
イエス・キリストについて、何を信じているかが重要!!

「我はそのひとり子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ・・・」

1、キリストははじめから存在された神
御子イエス・キリストは、すべてが創造される前から父なる神様と一緒におられ、そしてそれだけでなく、神様のなさる創造に関わっておられました。万物が成り立つ前からおられ、万物の成り立ちのもととなられた主、それがイエス・キリストなのだと、聖書は教えています。神学的な用語で言えば、「先在のキリスト」と言います。
イエス・キリストは、単なる道徳の教師ではありません。単なる宗教家でもありません。イエス・キリストは、はじめから存在しておられた神様です。すべてを創られた神です。そして私を救うために来られた主です。
この朝どうか、この信仰を告白しましょう。

2、キリストはあらかじめ約束された神
キリストは偶然に人間となって生まれたのではなく、思いつきでそうなったのでもなく、その誕生はあらかじめ父なる神様によって、人類に約束されていました。それが2000年前のパレスチナの一画で、実現したのです。

しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。ガラテヤ4:4

そのいにしえから約束されていた主、イエス・キリストが私たちにも出会ってくださったのです。何という大きな恵みでしょうか。驚くべき、とてつもない大きな愛ではないでしょうか。この主、イエス・キリストをこれからも信じてまいりましょう。

3、キリストは人となられた神
聖霊によって超自然的に妊娠され、生まれたイエス様は、生まれながらにして罪のない、罪ののろいの下にはない人間ということになります。生まれつき罪のない御子イエス・キリストが十字架に架かったからこそ、意味があり、効力があるわけです。ですから、この処女降誕という信仰は、私たちが持つべき非常に重要な真理のひとつです。

イエス様が人として生まれたという事実は、このどうしようもない人間を救うために、イエス様がどれほどへりくだって、仕える者として来てくださったかということを表しています。今朝私たちは、このイエス様の謙遜なお姿、仕えるお姿をしっかりと受け止めましょう。

今週の暗証聖句
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。ピリピ2:6-7

その165 私は信じる@

May 06 [Sun], 2018, 10:30
私は信じる@ 
使徒信条シリーズ

創世記1:1
初めに、神が天と地を創造した。

「我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず。」

私が信じる神は・・・
1、宇宙を創られた神。
聖書は神が、この宇宙にあるものすべてを創ったのだということを教えています。この広大無辺の宇宙の秩序と天体の法則、そしてそれぞれに意味があることを考えるならば、これらがすべて偶然の産物であると考えることが出来るでしょうか。まるで建築資材だけを置いておいたら、偶然に建物になったと信じるようなものです。
ロマ1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
神の存在を認めることなくして、「何が正しく。何が間違っているのか」「人はどこから来て、何のために生きて、どこに向かっているのか。」という、人生で一番大切な問題に対する答えを見出すことはできません。この事実をしっかりと掴まない限り、私たちの人生のあらゆる問題に対する解答を得ることはできません。

私が信じる神は・・・
2、どんなことでもできる神。
天地を創られた神は、今でも何でもできる神として、あなたを助けてくださいます。
ルカ1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。
何でもできる神様。大きな神様を信じましょう。そしてその神が、私たち1人ひとりを見ておられ、知ってくださり、必ずや手を差し伸べてくださることを信じて、告白してまいりましょう。

私が信じる神は・・・
3、父のような神。
イエス様は、この天におられる神は、実はあなたがたにとっても父なのだと教えられました。
マタイ6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
神様は親のように、あなたを見て、愛して、心配して、導いて、必要なものはすべて与えようとされているのです。この父の愛を受け取りなさいと聖書は私たちに呼びかけているのです。

「我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず。」

この短い言葉になかにも、私たちの人生観、価値観を根本からひっくり返す真理と、人生のあらゆる恐れと欠乏感から解放させる力が満ちています。
この一週間も、この父なる神様を信じて、力強く歩んでまいりましょう。

今週の暗証聖句
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。
ヨハネ14:18