その162 十字架に向かうイエス

March 25 [Sun], 2018, 10:30
十字架に向かうイエス

マタイ26:1-16

26:1 イエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。
26:2 「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」
26:3 そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、
26:4 イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。
26:5 しかし、彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していた。
26:6 さて、イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、
26:7 ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。
26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。
26:9 この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」
26:10 するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。
26:11 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
26:12 この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。
26:13 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
26:14 そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、
26:15 こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。
26:16 そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。

今週はイエス・キリストが十字架に架かられる受難週です。私たちの信仰の中心は、あくまでもこのイエス・キリストの十字架です。来週の復活祭に向けてイエス・キリストの十字架の跡を追っていきましょう。

1、十字架を予告するイエス。
聖書は、イエス様はただ偶然に、あるいは不幸にして十字架に架けられたのではなく、ご自身が明確に、十字架につけられることを知っておられ、弟子たちに予告しておられたと教えています。このような方は他にはおられません。
このことが意味することは、イエスというお方が何か重要な目的、そして強力な意思を持って、その死、十字架へと一直線に歩まれたということです。
イエス様が何故十字架で死ななければならないのか。そのことを明確に表わしている鍵となる言葉が2節の「過越の祭り」という言葉です。イエス様は、ご自身がこの過越しの羊としてほふられ、十字架のうえで流される血潮によって、信じる者すべてを罪の奴隷、死の奴隷状態から解放しようとされたのです。

2、十字架に向かうイエス様に対する人間の行動
 @祭司長・長老たちの姿
イエス・キリストを拒絶する人間の姿。
彼らはイエス様を神の子、救い主として認めることはできませんでした。反って民衆に人気のあるイエス様を見て妬み、このままでは宗教的指導者としての自分たちの地位があやうくなると思ったのです。邪魔者は殺してしまえ。これが彼らの下した結論でした。
私達すべての人間の心に、イエス様を拒絶する心があるのです。
 
A香油を塗った女性
イエス様の御心を悟り、精一杯の捧げものをする人間の姿。
この女性はイエス様が十字架を予告する言葉を聞いたに違いありません。そしてストレートにそのことを受けとめることができたのです。これからイエス様がなさろうとしていることは、決して武力で人々を支配しようとすることではなくて、過越しの日に、ほふられてゆく小羊として、その血潮によって人々を罪の支配から解放しようとすることなのだということを悟ることができたのです。そしてそのことに対して自分ができる精一杯のこと。それが高価な香油をイエス様に捧げるということでした。
 
Bユダの姿
十字架の意味を悟らない人間の姿
弟子たちにはイエス様の十字架の予告を受け入れることはできませんでした。もしそんなことになるのなら、イエスはもう利用価値のない男だ。売ってしまえ。ユダはこのように考えたのかもしれません。イエス様と46時中一緒にいながら、イエス様が十字架に付けられるという意味を理解することができなかったのです。
あなたは今十字架をどのように理解しているでしょうか。十字架に向うイエスに今何をするでしょうか。祭司長たちのように拒絶しますか。この女性のように何かを捧げますか。ユダのように見放しますか。

今週の暗証聖句
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の
十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと
思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを
見出すのです。         マタイ16:24−25