その150 苦しみの原因

October 22 [Sun], 2017, 10:30
「苦しみの原因」 

創世記3章1−13節
3:1 さて、神である【主】が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」
3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
3:8 そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である【主】の声を聞いた。それで人とその妻は、神である【主】の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
3:9 神である【主】は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
3:10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
3:11 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」
3:12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
3:13 そこで、神である【主】は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

キリスト教ではよく「人間は皆罪人」などと言いますが、多くの日本人には分かりにくいかもしれません。「自分は一度も犯罪を犯していない。まあどちらかと言えば善良な市民だ。どうして自分も罪人などと言うのか。」そう考えられても当たり前だと思います。
この聖書の箇所は、人間が初めて罪を犯した場面ですが、このお話が、私たち人間の苦しみや不幸の原因のようなものが描かれている大変奥の深いお話であるということを見ていきましょう。

私たちの苦しみ、不幸の原因は・・・
1、 互いに裁き合うことから来る。
神様が食べてはならないと言われたのは「善悪の知識の木の実」でした。「善いことと悪いことが分かることは良いことではないか」。そう思います。でもそれは自分を基準として、善悪を判断すること。つまり自分中心で周りの人を裁くようになる。自分は善で他人を悪とする。これが人間の根本的な苦しみ、不幸につながるのではないかと言うことなのです。考えてみれば、私たちの人間関係の悩みはすべてここから来るのではないでしょうか。

2、 コンプレックス(恥の意識)を持つようになる。
3:7 ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
木の実を食べた2人はどうなったでしょうか。目が開かれて自分たちが裸であることに気がついた。これも一見悪いことのようにも思えません。でも裸であることに気がついたというのは、自分にないものに気づき、自分自身に対して満足できなくなったことを意味します。自分は何てダメな人間だろうというコンプレックスに苦しめられるようになったことを表しているのではないでしょうか。そして自分を取り繕って、人の目をごまかして、生きていかなければならなくなったということでしょう。

3、恐れを持つようになる。
3:10 彼らは恐れて、隠れた。
いつもなら喜んで神様の前に出るところを、神様が怖い。自分の本当の姿を見られたくないと思うようになりました。これも多くの人の苦しみの根本にあるのではないでしょうか。

4、自分を正当化する。
3:12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
「自分のせいじゃない。あいつが悪いんです。」特に12節の男の言葉は、女のせいにすると同時に「神様あなたにも責任があるのではないですか」、と言っているようですね。素直に自分が悪かったと認めたくない。自分を正当化して、何とか他人のせいにしたい。これも人間の苦しみの原因ではないでしょうか。

5、神から離れる。
この後2人はエデンの園から追い出され、自力で生きなければならなくなります。本当の苦しみは神様から離れて生きていかなくてはならなくなったということです。
私たちは心の底に、あの2人と同じような問題があるために、苦しみ、傷つき、恐れ、孤独に苦しんでいます。その状態を罪と呼んでいます。しかし神様は私たちを捜してくださっています。

今週の暗証聖句
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」             
創世記3:9

その149 主の祈りD

October 15 [Sun], 2017, 10:30
主の祈りD

マタイの福音書6章9−16節

6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」

私たちが人から何かされた悪いことを赦すことと、私たち自身が知っていて、あるいは知らないでしてしまう悪いことが、神様に赦されるということに、密接な関係があるのだと、この主の祈りは教えています。

赦すとは…

1、自分を自由にすること。
18章のたとえ話を通して、人を赦さないことは、牢屋に入って自分自身を縛り付けることになるのだとイエス・キリストは忠告しています。人にされた悪を何年も忘れることができず、恨みに思い、憎しみを持ち、生き続けることが、人間にはできます。しかしそれは自分自身を苦しめ続けることにもなるのです。
自分を傷つけた人を赦して、その牢屋から出ていきましょう。そうしない限り、私たちは一生自由になることはできません。赦すということがどんなに大きな解放をもたらすかを、体験するものとなりましょう。

2、恵みを受け取ること。
幸福は自然に来るものではなく、自分から選び取るものです。人生は選択の連続です。しかし悪魔はまるで私たちには選択の余地がないように騙すのです。私たちは聖書に基づいて、恵み、つまり赦すことを選び取らなければなりません。赦すということは、相手を見ることをやめて、神様のほうに視線を向けることです。神様を見て、神様がどんなに大きな、恵み深い方なのか考えて、神様からの恵みを受け取ることを信じましょう。
赦しには、私たちが恵みを受け取る鍵があります。選択は私たちの手の中にあります。恵みを選び取りましょう。

3、勝利すること。
赦すことは敗北ではありません。勝利することです。イエス・キリストは勝利するためにこの世に来られました。悪魔の仕業を打ち壊し、罪に定められた人間を解放し、神との交わりを回復させ、永遠の命の希望を与えてくださいました。ではイエス・キリストの勝利はどこで決定したのでしょうか。十字架の上のこの言葉で決定されたのです。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。ルカ23:36」人間関係という最も難しい問題、悪魔が背後で働き、互いに不信感を持ち、互いに憎み合い、互いに傷つけあい、互いに殺しあう、そしてそのような負の連鎖が国同士の間にまで構築されていく、そのような悲惨で絶望的な世界を、どのようにひっくり返して、勝利していくかという最も偉大な答を表しているのです。
私たちは、日常生活の中で、何を武器にしているでしょうか。知識で勝とうとしているのでしょうか。お金で勝とうとしているのでしょうか。力で勝とうとしているのでしょうか。十字架の赦しによって、勝利を得る者となりましょう。

今週の暗証聖句
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。    ローマ8:37

その148 主の祈りC

October 01 [Sun], 2017, 10:30
主の祈りC
「日ごとの糧を今日もお与えください」

マタイの福音書6章9−16節
6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

人間の幸福は…
1、必要が満たされることにある。
日用の糧というのは、毎日食べる食べ物のことです。しかしこれは、もう少し大きく捉えて、私たちが生きるために必要なものと考えたほうが良いでしょう。私たちに必要なものを与えてくださいという祈りです。言い換えるならば、必要以上に求めるところに人生の不幸があるということです。食べ物だけではなく、持っているものすべて、特にお金に関して、必要以上に求めることが落とし穴になる。「足ることを知る」ということが、幸福の秘訣なのだと聖書は教えているのです。
今日本で「勝ち組」と言えばずばり大きなお金を稼いでいる人ですが、聖書が教える「勝ち組」は、「満ち足りる心」を持つ人のことです。衣食があれば満足できるような心、今日生を受けていることに感謝できる心、そんな心を持っている人こそが、本当の幸福の秘訣を知っている人なのだと教えているのです。


2、神様を信頼することにある。
私たちは、時に不安になります。明日何が起こるか分からないからです。「今日食べられても、明日食べられなくなるかもしれない。」「今日健康でも、明日病気になるかもしれない。」「今日幸福でも、明日不幸になるかもしれない」、と思い煩って、今日の幸福さえも、台無しにしてしまうのが、人間の弱さです。イエス・キリストはこの主の祈りを教えられた山の上の説教で、何度も、思い煩うことをしないで、神様を信頼しなさいと言われています。
明日のことは、誰も分かりません。悩んだからと言って、私たちは自分の寿命を少しでも延ばせるわけでもありません。大切なことは、毎日を、神様を思い出して、神様に感謝して、喜んで生きていくとき、私たちは、ただ生きているのではなく、神様に生かされているという自分を知り、充実した毎日を幸せに生きていくことができるということです。この主の祈りを毎日、祈ることによって、日々養ってくださる神様を喜び、思い煩わないで、人生を楽しむようにしていきましょう。

3、自分だけではなく、他の人たちの必要も満たされるように祈る。
イエス様がこの主の祈りを通して教えている人間の幸福は、自分だけではなく、周りの人の必要も満たされるように祈るということです。ここで「私の食べ物を」、ではなく「私たちの食べ物を」と祈っていることに注目しましょう。私たちの人生においては、「自分だけが幸せになる」ということはありえません。皆が誰かの恩恵を受けており、また自分も誰かの役に立つようにならなければ、本当の生きがいを得ることはできないのです。
周りの人たち、信仰の家族の必要も満たされるように願いましょう。また、まだイエス様を知らない人たちが、本当の必要である、イエス様を知って、永遠の命を得ることができるように、これからも熱心に求めていきましょう。

今週の暗証聖句
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。             
1テサロニケ5:16−18