その174 羊飼いなる主

August 19 [Sun], 2018, 13:10
「羊飼いなる主」

詩篇23:1-6
23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。

1、信仰によって神と絆を持つ。
この詩の冒頭でダビデは「主は私の羊飼い」と告白しています。ダビデが神をどのように見ていたのか、神とどのような関係を持っていたのかが分かる一言です。ダビデは羊飼いの役割や羊の性質をよく知っていました。その上で彼は自分と神の関係は、羊と羊飼いであると告白したのです。
私たちは神をどのようにイメージし、どのような関係を持っているのかを考えさせられます。あなたは今、神とどのような関係を持っているでしょうか。「神は私の羊飼いなのだ」という信頼を持ち続けているかを考えましょう。
どうしたら私たちは「神の羊」となることができるのでしょうか。「信仰」によってのみです。キリストの十字架と復活を信じる信仰によって、「主は私の羊飼い」という関係を持つことができるのです。
 今自らを振り返ってみましょう。主はあなたの羊飼いでしょうか。

2、信仰によって神に信頼を置く。
ダビデはその後「私は、乏しいことがありません」と告白しています。その後を見ると4節の「死の陰の谷を歩くことがあっても」とか5節の「私の敵の前で」という言葉が出てきます。つまり全てが順調ではなく、苦しい時、危ない時、上手く行かないときもあるということですね。それでも「私は神を信頼しているのだ」と言っているわけです。また6節を読めば明らかなように、この告白は決して現状だけを見て言っているのではありません。「まことに、 私のいのちの日の限り、 いつくしみと恵みとが、 私を追って来るでしょう。 私は、 いつまでも、 【主】の家に住まいましょう」と、まだ目で見ていない未来をも含めて、神への完全な信頼を告白しているのです。
イエス・キリストは「羊のためにいのちを捨てる」と言われました。命がけで私たちを護り、私たちを助けてくださる神なのです。
「救われる。クリスチャンになる」ということは「生きてても大丈夫。死んでも大丈夫になる」ということです。信仰によって神との個人的絆を持つ者は神に完全に信頼を置くことができます。毎日「あなたを信頼していますから私は大丈夫です」と告白できる生活をしていきましょう。

3、信仰によって神に導かれる。
羊が羊飼いを喜ばせるために出来ることは何もありません。完全に依存して生きるしかありません。唯一できることは羊飼いの導きに従うことだけです。たとえ目の前に苦しみや困難が見えたとしても、神を信頼して導きに従うのです。私たちは祈りと御言葉と聖霊充満によって、私たちは神の声を聞き取り、従う力も与えられます。
配慮と護りと祝福を持って導いてくださる神を信頼していきましょう。
私たちは、いつも主から声を掛けられ、どこに向かって歩いたらよいか、その導きを与えられ、永遠の命という約束を持ち、御手の中でしっかりと守られ、あなたは私が命をかけるほどに、高価な価値のある存在なのだと言っていただける存在です。このクリスチャンの素晴らしい恵みと特権があることを思い出し、今週も新しい心で、主に近づいていきましょう。

今週の暗証聖句
わたしは、 良い牧者です。 良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。 ヨハネ10:11
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